上 下
8 / 125
Beat 1

しおりを挟む
 

少女はいつもひとりだったが、完全な孤独ではない。

月に一度、少女は病院に通っている。

両親を一度に亡くし、神戸から祖母の家がある東京へ越してきた少女は、その時からずっと心療内科に通院しているのだ。

主治医は何度か代わり、今の先生とはインターン時代からのつきあいになる。

気さくで、兄のように優しく頼りになる存在だった。


「最近どう? なにか変わったことはあった?」


通院していると言っても、特別な治療をしている訳ではない。


「変わったこと? ……うん、少しだけ……」


こんな風に近況確認をし、楽しくおしゃべりをするだけ。

心の傷につける薬はない。

少女の主治医、『長谷川』は、自分の無力さを痛感していた。


「そうか。 話したい時に話して?」


無理に踏み入らない。

少女が自発的に話す事を、長谷川は大切にしているのだ。


「あ、そうだ」


少し甘めのホットミルクを少女に勧め、長谷川は思い出したように白衣のポケットから封筒を取り出した。


「こういうの、興味あるか判らないけど」


長谷川が取り出した封筒には、ライブのチケットが入っていた。


「大学の後輩に泣きつかれて、20枚も買わされたんだ。 インディーズのバンドが集まるライブらしいんだけど、僕はクラシックしか聴かないからね」

「先生らしい」

「それは褒め言葉と受け取っておくよ。 ……で、友人や同僚に配りまくって、これが最後の1枚なんだ。 もらってくれると、すっきりするんだけどなあ」


少女は、派手な長方形の紙を手に取り、じっとみつめる。

父はピアニスト、母はバイオリニストという音楽家庭で育った少女。

だから、音楽は好きだ。

だが、ずっと避けてきた気がする。

両親をより強く思い出してしまうから。


「まあ、無名のバンドばかりだし、聴けたもんじゃないかもしれないから、無理にとは言わないよ」


少女がライブハウスのような乱雑な空間を好むとは、長谷川も思っていない。

ただ、新しい場所が、少女の心を動かすきっかけになるかもしれないと思った。


「もらうと、先生助かる?」


少女にも、長谷川の気もちは伝わっている。

少しは判るつもりだ。

自分を心配しているのか、憐れんでいるのかの違いくらいは。


「ああ、大助かりだ」

「じゃあ…… もらう。 ありがとう」


長谷川は前者だ。

少女は、派手な長方形の紙をバッグにしまった。




帰宅して、少女はあらためてライブのチケットをみつめる。

開演は、3日後の午後6時。

決して遅い時間ではないが、少女は不安に思う。

〝スネア〟がいない時間だからだ。

日暮れと共に、〝スネア〟はどこかへ帰ってしまう。


「……この時間にひとりでライブハウスへ行けって…… 先生の荒療治?」


不安が勝り、一瞬、チケットを捨ててしまおうかと思った少女だが……このチケットを作った人、売った人の気もちを考え、思い留まった。






ライブハウスの薄汚れた裏階段で、トモヤは念入りにスティックを磨いていた。

そして、確認するようにテンポよく膝を叩く。

ただただ、売れたかった。

メジャーデビューを果たし、今の生活から抜け出したかった。

ドラムを叩く理由がいるとすれば、それしかない。

時に強く打ち込みすぎてアザの絶えない膝を、トモヤは更に強く叩いた。






ずっと自閉的に生きてきた少女にとって、ライブハウスは未知の世界。

派手な格好の男女が大勢集まり、少女は早くも圧倒される。

一瞬、来た事を後悔する少女だが、長谷川がくれたチケットを握りしめ、開場を待つ列に並んだ。

有名なバンドもそう多くは知らない少女が、インディーズのバンドを知っているはずもなく……

知らない人間が奏でる雑な音を、少女は最後列で聴き流していた。

しばらくすると、人いきれで息苦しくなる少女。

その時だった。

突然の雷のように鋭く激しい音が、少女の胸を貫いた。

痛みとは違うたとえようのない衝撃に、少女は思わず左胸を抑える。

今まで聴き流していた音とは別の、何か切実な旋律が、少女の心を捉えて離さなかった。


「……あ……」


飛び跳ねる人頭の間から見えたステージ上に、見覚えのある顔。

あの4人は……


「あの人たち…… 音楽やってたんだ……」


未知の世界で知った顔を見つけ、少女は安堵する自分に気づく。

切れそうな、どこか刹那的な音を奏でるドラマーに、少女の目は釘づけだった。

たった2曲だったが、それは少女の琴線に触れる音色で……

来てよかったと、少女は思う。

ただ───ひとつだけ伝えたかった。

〝スネア〟の事を信じてくれた人に。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎ ——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。 ※連載当時のものです。

社長の奴隷

星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】エロ運動会

雑煮
恋愛
エロ競技を行う高校の話。

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

処理中です...