ー 殉情の紲 ー

MICA

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殉情の紲

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「美琴っ! 美琴────っ!」

「斎藤先生っ、撤退命令です! 退きましょう!」

「放せっ──! 放さんと斬り捨てるぞ!」

「斎藤先生っ!」


愛しい女子の姿が、砲撃と共に掻き消えたのだ。

一瞬にして。

冷静でいられる道理などない。

だが、彼女の残した言葉が、

『……斎藤は、生きて……?』

その言葉が、斎藤の気力を支える杖となる。

握りしめた小さな箱が悲鳴に似た軋みを上げた。


「諒月はもう──」


『死んだのだ』──そう告げようとする隊士を、斎藤は左の拳で力の限り殴りつけた。

判っている。

こんな風に誰かに当たっても、彼女はもう、戻らない──

斯くなる上は、彼女の遺志を抱き、生き抜くしかない。


「──撤退だ…… 隊を退く! 皆、死ぬな──!」


唯一の救いは、変わり果てた美琴の骸を見ずに済んだ事だ。

絶望の中に、わずかな希望が咲く。

愛しい女子が……魂を捧げた女子が、自分を置いて逝くはずがない──

斎藤は駆けた。

砲撃の音をくぐり、巻き上がる粉塵を破り、ただただ駆けた。




慶応四年一月九日、斎藤は、永倉、左之助らと共に順動丸に乗船し、天保山沖から海路江戸へと向かった。

際まで、斎藤は京に残ると我を張ったが、土方に散々諭され、後ろ髪引かれる想いで天保山へと足を運んだのだった。




『諒月はもう──』

江戸へ戻る船上、殴りつけた隊士の言葉が斎藤の脳裏を離れる事はなかった。

骸を抱いておらぬ──

それを、美琴が生きている証とするには、あまりにも弱すぎる。

生きているなら、彼女は共に江戸へ戻っているはずだ。

ここに存在せぬ事、それこそが現実──


「……美琴────……」


斎藤は、彼女に托された小さな箱を胸許から取り出した。

そして、ぎこちない手つきで開く。

日輪の輝きを凝縮させたような光彩の中で微笑む美琴。

眩い彼女の隣で、作り笑いが下手な自分が酷い顔をしている。

美琴の心の拠りどころとなっていたあの日のふたり……これからは、彼女を失った自分の心の支えとなるのだ。


「……共に…… ゆこう…… どこまでも── 俺は、おまえと共に在る」


斎藤は、壊れぬようそっと、小さな箱を、その中の美琴を抱きしめた。




慶応四年一月十二日、斎藤らを乗せた順動丸は、品川に到着した。

動ける者は、品川宿の釜屋という茶屋で宿を取った。

一月二十日、鍛冶橋門外にある『秋月 右京助』の元役宅が新たな屯所として与えられた。

新撰組の隊士らは、しばしの間そこで羽を伸ばす。

中には、毎日のように遊郭へ通う者もいたが、斎藤はとてもそんな気分にはなれなかった。




保身のため、上野の寛永寺にて謹慎生活に入った『徳川 慶喜』の警護に当たる最中、新撰組は甲府出陣を命じられた。

出陣と云っても、戦に赴く訳ではない。

江戸へ進軍を続ける新政府軍に、慶喜の恭順の意思を伝えるためだ。

ゆえに、新撰組は“甲陽鎮撫隊”と名を変え、任務に当たった。




だが──早まった真似はせぬと『勝 海舟』に約束していた鎮撫隊と新政府軍との戦闘は避けられなかった。

有利に交渉を進めるため甲府城への入城を第一の目標とした鎮撫隊であったが、北上して来た新政府軍がひと足先に入城。

『近藤 勇』は、新政府軍に抗戦する意思のない事を告げたが、甲府城を取れなかった焦りから、援軍を要請した。

それを、新政府軍は交戦の準備と捉える。

そして、援軍が到着する前に撃破せんと、柏尾に布陣していた鎮撫隊に攻撃を仕掛けた。

やむなく、鎮撫隊も応戦──

ここに、勝沼戦争が開戦した。




斎藤は、最前線で戦っていた。

『斎藤は生きて』──この頃には、美琴が残したその言葉を、“武士らしく生きる”と勝手に解釈していた斎藤。

そればかりではない。

愛しき人を奪った憎き仇を、ひとりでも多くこの手で葬り去りたい──

その激しい怨嗟が、斎藤を突き動かす力となっていた。




だが、強い気もちのみで勝てるほど戦争はたやすいものではない。

正午に始まった戦闘は、数刻で決着を見る。

圧倒的兵力の差で撃破された鎮撫隊は、敗走を余儀なくされた。

この時、行方知れずになった隊士の中に、『沖田 総司』も含まれていた。

ゆえに、彼の最期は斎藤にも判らない。

だが、散るならば戦場であると、斎藤は信じて疑わなかった。




残った隊士らは、八王子で隊の立て直しを図る。

近藤はここで、隊士の取りまとめを永倉と原田に托し、江戸での集合場所を告げて先発した。

約束の場所、大久保邸に赴いた一行。

だが、そこに近藤の姿はなかった。

問答の末、永倉は会津へ向かう事を決意──医学所にいた近藤を見つけた永倉がその意向を告げると、近藤は思いもよらぬ台詞を吐いた。


「君らが私の家来になるなら、会津へ向かってもよい」

 
──これには、永倉も思わず閉口する。

誠の旗に集いし者に、そのような主従関係など存在しない。

永倉の勘忍袋の緒は当然の如く切れ、袂を分かつ結末となった。
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