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友よ、安らかに眠れ
壱
しおりを挟む高台寺月真院は、怒号に包まれていた。
伊東と共に近藤の妾宅へ赴いたはずの従者が、尋常ならざる様相で戻るや否や、俄かには信じ難い台詞を撒き散らしたのだ。
「誰か、水を持て──」
喘息に似た荒い呼吸を繰り返しながら重大な報告をしようとする従者に、篠原は喉を潤す冷水を与える。
とはいえ、落ち着く事を望むのは無理な話だ。
事実、従者の言葉の端々から汲み取れる内容は、篠原を始め、御陵衛士の同志らにこの上ない驚愕を押しつけたのだから。
「──伊東先生の御身に、一体なにがあったというのだ!?」
篠原は従者の肩を鷲づかみ、己の方へ向かせる。
『嘘だ』と、云って欲しかった。
賢哲で、その端麗な容姿からは想像もつかぬほどの剣豪でもある伊東が、易々と殺られるはずはない……
だが──
「いっ…… 伊東先生が…… 油小路で何者かにっ…… 肩、肩を…… 斬られて──」
「おまえはっ── 伊東先生を捨て置き逃げ戻ったというのか──!?」
「申し訳── ございません──っ……」
篠原は憎らしい従者を突き飛ばし、薄い月を仰ぎ見た。
「……伊東先生──……」
(どうか…… ご無事で──)
つぶやいた後、篠原は鬼の形相で叫んだ。
「直ちに、伊東先生をお迎えに参る! 負傷されておる由、駕籠を持て!」
的確な指示なのかどうか……
それは、声を張った篠原自身にも判らない。
ただ、今は伊東の生存を信じたかった。
「……襲ったのは── “あの人”…… 新撰組か!?」
凄まじい剣幕で怒鳴る声の主は、普段は穏やかな平助だった。
「藤堂君、落ち着くのだ! 結論を急いてはならぬ」
篠原の脳裏にも当然、真っ先にその犯人像が浮かんだ。
無理もない。
醒ヶ井の妾宅に招いたのは、誰あろう『近藤 勇』その人なのだから。
だが、従者の話はその辺りの事が要領を得ない。
臆測のみで判断するのは危険だ。
「とにかく、今は伊東先生をお救いすることが先決──」
「“羂”ということも考えられましょう? 各々、身支度を整えた方がよいのでは?」
冷静に、『加納 道之助』が進言する。
だが、篠原は頑なに頭を振り、そして放った。
「事は一刻を争う。 すぐにでも発たねばならぬのだ」
篠原の言葉は、多数の支持を集める。
特に、伊東の実弟である『鈴木 三樹三郎』は、ひとりででも駆け出さん勢いを湛えていた。
程なく、駕籠一挺が用意され、それが出立の合図となる。
今宵月真院に集っていた御陵衛士の同志、
『鈴木 三樹三郎』
『篠原 泰之進』
『加納 道之助』
『毛内 有之助』
『富山 弥兵衛』
『橋本 皆助』
『服部 武雄』
そこに、わずかな時間、姿が見えなくなっていた平助が加わり、物々しい雰囲気を醸す一団は伊東の救出へと向かった。
戌下刻(午後9時半頃)──
油小路七条の辻は、おぞましい空気に支配されていた。
四つ辻の角にひっそりと佇む蕎麦屋に潜伏していた美琴は、血色の悪い口唇を小さく震わせていた。
それは、冷気のせいでも、辻の中央に放置された伊東の無惨な骸のせいでもなく──
「……平助…………」
友の命の重さに対する計り知れぬ圧迫感によるものだった。
闇に慣れた目を皿のように凝らし、消し炭の如く転がる伊東を捉える美琴。
生気を失くした伊東の躰のみならず、迸り出た血液に染められた羽織までもが凍り始めている。
その様を見ても、彼女の心には伊東に対する同情など微塵も湧かなかった。
そして、この期に及び甘い想像を繰り広げていた。
死闘の舞台に、平助が上がらねばよいのに──と。
「──怖いか?」
ふいに肩を叩かれ、声をかけられた美琴は、その主に瞠った目を向けた。
肉厚の掌、持ち主は“師匠”永倉であった。
「……いえ…… はい…… 怖いです……」
否定しかけたが、美琴は素直に告白する。
元の時代より、大切な人が増えた。
だが、その大切な人は逃げるように美琴の前から去ってしまう。
守れぬもどかしさ、自分に対する苛立ち──
平助を救う事は、すなわち自分自身を救う事に繋がるのだ。
「……おまえだけではない。 私も、怖いよ──……」
永倉は、細い肩にかけた手に力を籠めた。
もしかしたら、平助を救いたい気もちは永倉の方が勝っているのかもしれない。
小さく、深く──
永倉の躰震が、美琴の核へと潜り込んだ。
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