ー 殉情の紲 ー

MICA

文字の大きさ
上 下
254 / 302
誠の名のもとに

しおりを挟む
 

「兄上…… よいのですか? あのような偽り事を……」


“了解”の意思を明確に残した斎藤が退室した後、彼が消えた方とは反対側の襖が小さく割れた。

隙間から顔を覗かせたのは、伊東の実弟『鈴木 三樹三郎』。

薄い襖一枚、隔てた部屋で虚言を連ねる兄、甲子太郎──もし、自分が血を分けた弟でなくとも、果たして彼はこの身を信じ、重用してくれたであろうか……

心にかかる、実質のない靄が、三樹三郎を苦しめていた。


「偽り事とな? これはたり」

「兄上──」

「よいか、三樹三郎、私は偽り事など申しておらぬ。 武田君が薩摩との繋ぎを取れと申したは、わなであると思ったのだ。 おそらくは、近藤が仕掛けた羂── あちらが、御陵衛士を潰すために手段を選ばぬなら…… 存続のため、こちらも手段を選んではおられぬ。 違うか?」


三樹三郎は、忘れていた。

実兄は、思い描いた策を、絵画の如く愛で、己の中で消化する事を。

ゆえに、自己暗示に陥るのだ。

己が口が語るのは、すべて真実である──と。


「偽り事では…… ないのだ」

「兄上……」


本当は、そうして暗示をかけねば、嫌悪感、罪悪感に苛まれ、心を失くしてしまうと……兄は怖れているのかもしれない。

三樹三郎は、妙な話、つきあいの長い実兄のすべてを、未だ把握できずにいた。


「──兄上は、斎藤を信頼しておられるのですか……?」


嫉妬に似た感情に蝕まれ、三樹三郎は直接的に訊ねる。


「信頼? そんなもの、抱いたことはないよ。 私は、誰に対しても── ね」


自分に忠義心を抱く弟の胸中を知ってか知らずか──伊東は、虚しげにそう云った。




同じ刻、美琴がそうしていたように、斎藤も、彼女の名もない刀を愛しげにみつめていた。

──そう、彼は知らない。

美琴も、“近藤暗殺”の計画を知り得た事を。

真の仲間内で、自分だけがこの怖ろしい謀略をつかんでいるのだと──そう思っていた。

ゆえに、斎藤が脳裏に描く打開策は、そこに基づいたもの。

斎藤は、伊東が自分を信じ切っておらぬと判っている。

『武田 観柳斎』を斬った事は、まるで意味を成さなかったという訳だ。

すべて判っているからこそ、重大な計画を聞いた今、斎藤は動けずにいるのだ。

近藤と繋ぎを取れば、それは伊東の思う壷──

彼は、自分を始末する理由と機会を探しているに違いない。

秋も深いというのに、斎藤の額には真夏を思わせるほど大量の汗が滲む。

どうにかして、伊東の謀略を近藤に報せねば──

命を落とすなら、その後でなければならない。

すべてを、成し遂げた後に……

斎藤はそう、思っていた。




翌日──

菊屋に、思いがけぬ客人が来た。

左之助の妻、『まさ』だ。

棚の書物を見るふりをし、まさは器用に、折りたたんだ書簡を美琴の掌中に滑り込ませる。

それは、間違いなく左之助からの繋ぎ──美琴は、努めて冷静さを装い、峰吉の目を盗んで書簡を開いた。

以前、平助作の地図が、土方作の局中法度が読めなかった美琴とは違う。

ここの書物のお蔭で、蚯蚓みみずがのたくるが如く文字も随分読めるようになった。

左之助の書簡には、ふたりとは比べものにならぬ悪筆が並んでいたが、彼からの伝言はしかと美琴の視覚に訴えた。




──戌ノ刻(午後8時)、筋釜屋町、原田邸に来られたし。




左之助の指示通り、美琴は得意の脱走を図る。

自分に好意を持つ峰吉をおだて、酔い潰れるまで酒を飲ませる事はたやすい。

彼に対する罪悪感は、本当にどこへ消えてしまったのか……

美琴は、凍える京の夜に薄情な身を晒した。




「──おまえ、戻りたいと思ってるか? 組に」


前置きは、実に単刀直入であった。

左之助の焦りが滲み出る。


「一晩、考えたんだ。 おまえが仕入れた情報、あれをどう、近藤さんに伝えようかって。 言葉そのまま、伝えるのは簡単だ。 けど、情報源を訊かれたら、おまえのことを話さなきゃなんねえ」

「……ですよ、ね」

「だったら、おまえが直接、近藤さんに話しゃいいって思ったりした訳よ」


左之助は、それが組に戻る足掛かりになると、してみせると、どこか渋る美琴に詰め寄る。

魅力的な話なのだろう。

だが、今の美琴は斎藤を救い出す事で頭が一杯だった。


「──斎藤ちゃんを助けたいんだろ? だったら、組に戻った方がその術を得られるんじゃねぇかな」


めずらしく──左之助が人の、美琴の心を読む。

彼女が組へ戻るために奔走している事は、想像に難くない。

そして、それが至極危険を伴うという事も。

彼は彼なりに、美琴を案じているのだ。


「“琴次郎”に戻ってよ、一緒に斎藤ちゃんを助けようぜ」


伊東に心酔し、高台寺へ移った隊士も多く──大袈裟に云えば、今は猫の手も借りたいというのが新撰組の実情である。

“近藤暗殺”──その情報と共に組に戻るのは可能であると、何度も繰り返す左之助。

半時後、美琴は、その熱意に頷いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

社長の奴隷

星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?

さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。 私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。 見た目は、まあ正直、好みなんだけど…… 「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」 そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。 「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」 はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。 こんなんじゃ絶対にフラれる! 仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの! 実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。 

処理中です...