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我が人生(みち)をゆく
捌
しおりを挟む怪しい集団を追う部隊内に左之助がいる事は、彼の愛槍が教えてくれた。
女物の衣を纏い、化粧を施してあるとはいっても、自分の正体を知る左之助に見つかれば、『琴次郎』であると露顕するかもしれない……
そう思った美琴だが、邂逅が、懐かしく揺れる浅葱が、彼女に踵を返させなかった。
袂の見張り役の橋本は、怪しい集団が制札場の柵に手をかけると同時に、新井の詰める酒屋へと事態を報せに走る。
酒を煽り、上機嫌に振る舞っていた新井だが、橋本がもたらした一報に、瞬時に酔いが醒めたようであった。
さすがは酒に強いとあって、そこからの立て直しは早い新井。
急ぎ隊士を集め、制札場へと向かった。
続いて橋本は、三条大橋東詰の町家へと走り、『大石 鍬次郎』らに現状を伝える。
のちに、“三条制札事件”と呼ばれ、“池田屋事件”と並ぶ新撰組の功績として語り継がれる一夜の幕が、静かに開けた。
まさに“袋の鼠”と化している自分らの状況を知る由もなく、『宮川 助五郎』を始め土佐藩士一行は、次々に制札場の柵を昇る。
今で云う“現行犯”でなければ云い逃れる隙を与えてしまうと考える新撰組は、制札場を包囲したまま、その時を待った。
「おもろいこと、書いちょるかえ?」
「ああ、書いちゅう、書いちゅう」
酔って上機嫌の土佐藩士らは、ただの悪戯心──大した罪の意識もなく、呑気に談笑している。
「どれに書いちゅう?」
「あー、判らん。 面倒じゃき、全部抜いちゃらんかえ」
歴史に残る事件の口火は、こうして簡単に切られてしまった。
制札の杭が地面と訣別する瞬間と寸分違わぬ頃合いで、原田、新井両隊は一歩踏み出しながら抜刀する。
大石隊は、斬り合いの輪から逃走を図る者を捕らえるため、後方で退路を見張っている。
皓々たる月光の下、新撰組と土佐藩士らの激戦が始まった。
完全に無防備であった土佐藩士らは、鴨川に投げ込んだ制札を指差し笑っている最中に囲まれたのだから、文字通り大慌てである。
こちらも、新井同様すっかり酔いが醒めてしまった。
そして、夜風に翻る浅葱の羽織を認識した瞬間、土佐藩士らはようやく状況を理解した。
問答無用で斬りかかって来る新撰組を相手に自分らが土佐藩士であると名乗っても、意味を成さぬどころか、土佐藩全体の狼藉と見做される怖れがある。
おとなしく縄につけば、新撰組も命までは奪わぬだろう。
詮議の席で、酔った上での悪戯心だと申し開けば事は簡単に収まると、宮川は刀を抜かなかった。
だが──
過度な包囲に冷静さを欠いたほかの藩士らは、次々と長刀を抜き始める。
この状況に活路なし──
しかたなく、宮川も鞘を払う。
長刀の刃が月光と融合し、妖しく輝いた。
単なる悪戯心が、このような大事になるとは……想定外の展開に、土佐藩士らの中には我を忘れて刀を振るう者もいる。
本気で応戦する気などなかったのかもしれぬが、四尺近くある長刀を振り回すその様は、取り囲む新撰組に確かな危機感を与えた。
深く──蒼く染まる景色の中斬り結ぶ男の姿が、美琴の視界を鮮明に埋め尽くす。
満月の陰謀としか思えぬほど明々と映る剣の舞は、優雅で、美琴の心を妖惑する。
元より恐怖などなかったが──
美琴は、眼前の世界に魅了されていた。
路上から橋へ、そして河原へ、ひとところで大きく上がっていた削れる鎬の音は、次第に分散し、四方八方から美琴の鼓膜を震わせる。
月夜を裂く眼差しを左右に揺らし、美琴は、見知った顔を探した。
肉を斬る音と共に叫声が上がるたび、より一層瞳を凝らす美琴。
斬られたのがもし、左之助や大石、同じ釜の飯を食ったかつての仲間であったなら──
彼女の核に生成する誠の魂が黙ってはいまい。
よもや、送り込まれた精鋭が敗走するとは思わぬが……
それでも自然と、美琴の手は心許ない懐刀に伸びる。
満月には不思議な力が宿ると云うが──
美琴の血気の勇は、抑えようのない波濤の如く、その胸に渦巻いていた。
しばし斬り結んだのち、制札を投げ捨てた男らは方々に逃走を図る。
そして、逃すまいと追う隊士らも、浅葱の残像を置いて駆けてゆく。
そんな中、ひとつの影が四条方面、美琴が潜む方へと向かって来た。
続く、もうひとつの影。
月灯りが見降ろすその映像は、凝らすまでもなく──
「──浅野…… さん!?」
美琴の透明な眼差しは、前方、敵に背を向け逃走する、かつての仲間の惨めな姿を捉えていた。
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