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不毛の血
拾
しおりを挟む内山の屋敷にいるわずかな見張りは、腕に憶えのある者とは程遠い、けちなやくざ者だった。
それこそ、内山に見逃してもらった罪人らだ。
お蔭で、屋敷への侵入は容易だった。
美琴が手にしたばかりの大刀を抜く必要もなく、血気盛んな左之助がほぼひとりで始末した。
たったひとり、内山の別邸にいた女──
内山のお気に入りだった遊女は、当て身で眠らせ、土建屋に扮装した山崎の手によって運び出された。
さすがに、女まではその手にかけたくなかったのだろう。
土方らしいと思いながら、山崎は如才なく、女をしかるべき場所へと連れて行った。
邪魔なものはすべて片づけた。
残すは、悪の総本山である『内山 彦次郎』ただひとり──……
あのような輩など、本人の望み通り左之助ひとりで充分事足りるだろう。
嵐の夜、非情な粛清を完遂した己らの器を、土方は信じていた。
さすがに、悪徳商売でしこたま稼いだだけあって、内山の別邸は広い。
すべての見張りを殺ったつもりだが、もしかしたらこの屋敷のどこかに潜んでいるかもしれぬと、四人は警戒しながら探索を続けた。
──内山は、屋敷の異変に気づいていた。
酒でも飲もうと女を呼んだが、いつもの鼻に抜ける返事がない。
しかたなく下男を呼んでみたが、こちらも返事がなかった。
おかしい……
そう思ったが、内山はすぐに青ざめた面持ちに変わった。
「──来たか……」
独りつぶやき、内山は渇いた口唇に舌を這わせた。
少々、甘く見すぎていたようだ。
新撰組──
あの、百姓上がりの無頼集団を……
腹の底から深いため息を吐き尽くし、内山はいやらしい笑みを浮かべた。
誰も何も話してはくれぬが、時尾は薄々気づいていた。
なぜ、自分が新撰組の屯所へ連れて来られたのか──
自分を迎えに来た隊士は、新撰組と縁のある人間は不逞浪士の標的になる怖れがあるからと云っていたが……
それならばなぜ、斎藤自らそう話してくれなかったのかと疑問が生じた。
そして、その斎藤の姿も、ここへ来てただの一度も見ていない。
何の音沙汰も──ない……
もしかして、斎藤の身に何かよくない事が起こったのではないか──
漠然とした不安に襲われる時尾。
そんな時……
「──そういや最近、斎藤組長のお姿が見えないと思わないか?」
「ああ…… 聞いた話なんだけどさ、大坂のどこかの与力の、なんだっけな…… 内…… そう、内山って奴に捕まっちまったらしいぜ?」
時尾は、偶然平隊士同士の会話を耳にしてしまった。
「なんか…… やらかしたのかな……?」
「いやぁ…… どうも、女絡みみたいなんだよ。 ほら、今屯所にいるだろ?」
──『内山』……
聞き憶えのある名を前に、時尾は己の思考回路を全力で働かせる。
『内山様、芸妓でも呼びましょうか?』
そして、幾多の引き出しを開けた先に、時尾はようやく探し出した。
──あの時、新撰組の副長と共に明保野亭にいた役人風の男……
酌をする自分を舐めるようにみつめていた、あの男の事ではないか──
「どうも、その内山って与力が、組長と引き換えに女をよこせって云ってるらしいんだ」
「──そうなのか?」
「ま、“噂”だけど…… 実際、あの人が屯所にいるんだから、本当の話かもしれねえな」
──衝撃のあまりこぼれそうになる声を、時尾は華奢な両手で押し留めた。
間違いない──
『内山』というのはやはり、あの時の──……
『今月のお給金はずむさかい。 頼んだえ?』
女将の言葉に揺らぎ、座敷の仕事を引き受けたばかりに、取り返しのつかぬ事態を招いてしまった──
時尾はただただ、自責の念に駆られる。
新しい袴など、彼は欲していなかったのに──……
斎藤の願い虚しく、時尾は真実を知ってしまった……
それは、美琴らが今まさに斎藤を救い出さんとする、その瞬間だった──……
「──閉じ籠められてるとしたら…… 地下牢…… かな」
自分がそうされた時の事を思い出し、美琴は前をゆく総司に訊ねる。
「どうだろう…… ごほっ…… どこか蔵みたいな…… ごほっ…… ところかもしれないし」
「……治らないねぇ、風邪…… 平気?」
意見の合間に時々挟まれる、渇いた咳……
美琴は、心配そうに総司の背中をみつめた。
「今は、そんなこと云ってられる状況じゃないんだ。 一刻も早く斎藤さんを救い出さないと── げほっ…… ごほごほ──……」
だが、言葉とは裏腹に、総司は激しく咳込み、その場にうずくまってしまった。
「総司こそっ…… そんなこと云ってられる状況じゃないじゃん!」
追うようにしゃがみ込んだ美琴は、つらそうな総司の背中をさする。
「ごほっ…… げほげほっ…… はぁ…… はぁ── ごふっ────……」
だが、そんな事をしても虚しいだけで、総司の咳は一向に収まる気配をみせなかった。
「総司…… あんたを置いてくのは忍びないけどさ……」
しばらくそうした後、美琴はその手を止め、ゆるりと立ち上がった。
「ここで休んでて? あたし、ひとりで斎藤を探すから」
──自分でも、驚くべき提案だった。
とは云っても、美琴自身吐き出したこの瞬間はそんな感情に気づきもしなかったが。
「琴次郎っ──! ごほっ…… ごほごほ──……」
抑止しようとするも、肺の奥から湧き上がるような激しい咳に邪魔され、立ち上がれぬ総司。
そんな総司の右肩を弾くように叩き、美琴はひとり屋敷の奥へと消えて行った。
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