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時代に償いを
壱
しおりを挟む如才なく──
土方の思惑は多少外れたが、それでも物事は逸れかけた軌道を修正し、進んだ……
少なくとも、土方は現状に満足していた。
“芹沢暗殺”の下手人に仕立てようとした『琴次郎』の思いも寄らぬ行動が、事態を収拾したと云っても過言ではない。
もちろん、総司には気の毒な展開だったが……
正直、土方は知りすぎたお梅が死んでくれた事に安堵していた。
結局──
土方が山南らに話して聞かせた“嘘”の策が“真実”として陽の目を見る事となった。
芹沢を暗殺したのは、長州の人間──
その捏造は、監察方の山崎が如才なく済ませた。
残る問題は……
総司は、あれからほとんど口をきかなかった。
食事もろくに摂らない。
ただ、美琴を見つけて再び殴りつけようとか、そういった素振りこそ見せなかったが、蒼白い怒りの焔はまだ、彼の心を舐めるように燃え盛っていた。
芹沢の葬儀は、壬生寺にてしめやかに行われた。
生前の素行のせいか、彼の死を心から悼む者は皆無に見えた。
実際、今回の粛清を逃れた野口も、芹沢一派にありながら哀しみを表に出そうとはしなかった。
だが──
その心の奥深くでは、別の感情が渦巻いていたのだろう……
しばらくのちに野口は脱走し、人知れず腹を切った。
それはまだ先、年の瀬の迫った十二月二十七日の事だった……
──美琴は丸三日、眠り続けたままだった。
もしかしたら、このまま二度と目醒めぬのではないかと思うほど、意識を閉ざして……
だが、夢の中でも、自分が犯してしまった罪は美琴自身を苦しめ続けた。
むしろ、夢の方が始末が悪い。
お梅の柔らかな肉を貫いた場面だけを、繰り返し映し出すのだから……
白黒の映像の中、お梅の腹からあふれ出る血液だけが、実物よりも濃い“赤”を美琴の意識に押しつける。
お梅の生身の痛みが、美琴の心に移植されるような……
そんな感覚で、美琴は目醒めた。
「────……」
久しぶりに戻った現実世界は、何も変わっておらぬように思われた。
そう、世界は変わっていない。
変わったのは──
「──あ…… あぁ………」
変わったのは……
自分────……
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────っ!」
すべてが、生々しく甦る。
“夢”ではない。
“夢”などではない。
(あたしは…… 人を殺した────……)
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────っ!」
ほのかに香の匂いの染みついた布団を剥ぎ、美琴は薄陽の射し込む障子戸を掻き開けた。
広がるは、見知らぬ小庭の風景──
だが、そんなものは何ひとつ、美琴の意識には入って来なかった。
──逃げなきゃ……
どこへ?
遠くへ……
どのくらい?
────……
逃げ道など……
逃げる場所など……
どこにもない。
あるのは絶望──
この手で、人を殺めた現実──
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────っ!」
ただ、叫ぶしかない。
己の“尊厳”を、確かめるために……
「琴次郎────!」
刹那、背後から威厳のある低い声が美琴を包み込むように響いた。
その声の持ち主は、狂ったように叫ぶ美琴の双肩を鷲づかみ、正面を向かせる。
そして──
大きな左手で、殴打の痕の少ない美琴の右頬を張った。
強い力に引き戻されるように、一瞬我に返る美琴。
痺れる右頬を震える掌で抑え、眼前の人物を見上げた。
「──近藤…… さん……」
威厳のある低い声の持ち主──
それは、新撰組唯一無二の局長となった『近藤 勇』だった。
ここは、綾小路通りにある光縁寺──
斎藤に当て身を喰らわされた後、様々な事が考慮された結果、美琴はこの寺へ預けられた。
そして、丸三日悪夢の中を彷徨っていた。
無意識の世界では、助けてくれる人は誰もいない。
こうして現実へ戻っても……
手を差しのべてくれる人はいても、自分を救える人間などいるはずはないと、美琴は心のどこかで思っていた。
そう……
思った通り──
近藤は、押し潰された美琴の精神を救おうと、自身のつらい心情を吐露し始める。
芹沢一派の粛清は会津藩の意向であった事、
皆、自分を“大名”にするために動いてくれた事、
近藤自身も、粛清に加わった者らも、重い宿命を背負ってしまった事……
だが……
思った通り──
それらの言葉はすべて、美琴の核の外壁を掠めただけで、彼女の核には何も残らなかった。
心は相変わらず、生々しい血を流し続けている。
譬えそれが痂になったとしても……
自分はその痂を剥がし、傷痕を鮮明にさらけ出しながら生きてゆくしかないのだと……
美琴は自虐する事で、己に生じた傷を中和しようとしていた。
それはまるで、激しい痛みでのみ、“生”の実感を得ようとしているかのように──……
近藤は、人を斬る痛みを知っている。
だが……
美琴が、“殺人”は絶対的な罪である時代の人間という事、
そして──
“女”だという事は知らない。
ゆえに、救えると思った。
安易に、ではないが、救えるものと思っていた。
だが……
『琴次郎』の傷は思った以上に深く──
今となっては、彼を組に留める事を許可してしまった自分自身を悔やむよりほかなかった。
そう──
誰にも……
救えぬと思っていた──……
粛清当日、大坂へ向かわせていた永倉と島田、何も知らぬ隊士らには、『琴次郎』は風邪をこじらせ、しかるべき場所で静養中だと話してあるため、光縁寺へ足を運ぶ人間は限られていた。
近藤の後には源三郎が、
その後には平助が……
そして、山南も、左之助さえも様子見に訪れたが──
誰ひとり、生気を失くした美琴にかけてやれる言葉など見つけられなかった。
土方は、己が信念が生んだ“罪”を認めたくないのか、未だ光縁寺へ足を運ぶ事ができずにいた。
だが、『琴次郎』の事も、そして総司の事も……
このままでよいとは思っていない。
ゆくは“修羅”の道でも、土方は心底鬼畜ではなかった。
──雨中の惨劇から、七日が過ぎた。
ずっと躊躇していた土方だったが……
とうとう、腹を決めた。
お梅を殺めた『琴次郎』より幾分まし──
それでも“まし”という域を出ぬが、少しずつ自我を取り戻しつつある総司を連れ、光縁寺へ出向く事にした。
土方にしてみれば、『琴次郎』がお梅を殺めた理由などどうでもよい。
だが、総司にとってはそれが重要な問題であると土方は思っている。
そして……
すべてが解決したら潔く腹を切ろうと、土方は心に決めていた。
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