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冥鬼の最期
漆
しおりを挟む貸し切られた料亭は、賑やかな雰囲気に包まれていた。
隊士らはおろか、平間と平山も故人を偲ぶという雰囲気ではない騒ぎっぷりを見せる。
“新見を偲ぶ会”とは本当に名ばかりで、この中で心から新見の死を悼んでいるのは、もしかしたら芹沢ただひとりだけなのかもしれなかった。
「芹沢センセイ、どうぞ」
早々と計画を実行し始める土方は、この店で一番上等な酒を芹沢に勧める。
芹沢は、新見を死に追いやったもうひとりの“鬼”を、憎悪を押し殺した眼差しで見据えながらも、素直に盃を差し出す。
なみなみと注がれた酒をひと息、喉の奥に流し込む芹沢。
そしてまた、空になった盃を土方に差し出す。
まるで何かの儀式のように、一連の動作が互いの手から繰り出された。
今宵の計画に一枚噛んでいる者は、上辺のみで酒宴と化した席を楽しむ。
ただひとり、演技の下手な近藤を除いて……
酒のせいか、隊士らは様子のおかしい近藤には気づかない。
だが、あまり盃を傾けておらぬ斎藤だけは、近藤の異変を感じ取っていた。
何かある──
酒を飲むふりをして、斎藤は座敷内を注意深く探る。
近藤、源三郎、土方、山南、左之助、総司……
目が笑っておらぬ人間が……
六人──
いや、芹沢も入れたら七人だ。
斎藤は並んで座る鬼ふたりを瞳の端で捉え、控え目に注いだ酒を傾けた。
何かあるとしたら、首謀者は土方──
彼の目は笑ってはおらぬが、その奥の光は妖しく……
口許は、大いなる奸計に歪んでいる。
何も知らされておらぬ事に立腹したり、疎外感を持つ斎藤ではない。
ただ、近藤の表情がどこか釈然としておらぬ事が、斎藤には気がかりだった。
もし、近藤の許容外の出来事が起ころうとしているのなら、自分はこの刀を抜き、己の命に代えてでも阻止せねばならない。
斎藤は、その慧眼を以てもう一度周囲を見渡す。
ふとかち合ったのは、平助の視線。
その眼差しが自分と同じ色である事に、平助も気づいた様子だった。
隣の隊士と談笑しながらゆるりと席を立ち、愉快げな自分を作り上げ、斎藤へと歩を詰める平助。
だが、笑みを浮かべたまま己の中に生じた疑念を形にする自信はなかったのだろう。
皆に背を向ける格好で斎藤の横に腰を降ろし、平助は騒ぎに乗じて口を開いた。
「──なにか、あるのでしょうか……?」
平助は斎藤とは違い、何も聞かされておらぬ事に、いささかの不満を抱いている風だった。
少し尖らせた口唇が今にも吐き出したがっている言霊が、斎藤には見える気がした。
(大切なことは、すべて試衛館の門人で決めてしまう──)
山南や左之助はいつも大事の中心に加えられているのに、自分だけ、という平助の気もちも判らぬ訳ではない。
斎藤は己の盃を平助に渡し、なみなみと酒を注いでやった。
「──なにも報されておらぬなら、動かぬことが肝要だ」
だが、斎藤は臆測のみで不用意な言動をするような愚かな人間ではない。
平助に向けた言葉には、その人となりが表れていた。
この人は、生き方がうまいのか下手なのか判らない──
平助はそんな風に思いながら、注がれた酒をひと息に煽った。
「──そう…… ですね」
平助は愉快げな自分を作り直し、元の席へと戻った。
そして、心の目をゆるりと閉ざした。
こんな事でもないと上等な酒にありつけぬ平隊士らは、ここぞとばかりに酒を浴びる。
何も知らず、ただ目の前にばら撒かれた酒池肉林を堪能するばかり。
だが、それこそ“修羅”にとっては好都合だった。
自然と、芹沢に酒を勧める度合も速くなる。
それをさりげない視線で察知した源三郎は、野口に故郷の話を振り、その足を止める布石とした。
芹沢に酌を続ける土方の眼語に、今度は山南が応える。
「平間君、平山君、芹沢先生はだいぶ酒を召し上がられたようだ。 そろそろ、屯所へお送りしてはどうだろう?」
彼らしい柔らかな物腰に、平間も平山も逆らう気は更々ないといった感じで酔貌を向ける。
酔脚を押して立ち上がったふたりを確認し、土方は鬼の耳許で“引導”を囁いた。
「芹沢センセイ、そろそろ屯所へお戻りになりませんか?」
芹沢は空の盃をぼんやりと眺め、虚ろな目で土方を見据えた。
「色白の美人が、センセイのお帰りを待っていますよ」
土方はどことなく憎々しい顔で笑ってみせる。
芹沢も同様に笑った。
「月は…… 出てるか? 土方──」
ゆるりと立ち上がりながら、芹沢は同時に立つ土方に問う。
「残念ながら、今宵は見えませんよ」
それもまた、“修羅”には好都合な事……
「そうか…… じゃあ、提灯が余分にいらぁな」
芹沢は、平間と平山に両脇を支えられながら、酒の席を後にした。
「芹沢先生──」
好きな酒を一滴もその口に運べなかった近藤が突如立ち上がり、去りゆく背中を呼び止めた。
ここへ来て、よもや気が変わったのではあるまいか──
計画を知る者は、思わず肝を冷やす。
土方でさえ、一瞬口唇を震わせた。
「下まで…… お見送りを……」
近藤は、気が変わった訳ではなかった。
何度も何度も己に云い聞かせて来たのだ。
これはもう、動かし難い運命なのだ──と……
土方だけでなく、会津公も望んでおられる粛清──
ゆえに、これはまだ筆頭局長である男に対する、近藤なりの最期の礼儀……
夜露を含んだ風は、対峙した男らの間を流れ去る。
「足許…… お気をつけて──……」
一揖する近藤。
その肩に、温かく大きな手が触れた。
「励めよ。 近藤局長──」
芹沢は、近藤の肩に置いた手に重い力を籠め、亮かな声でそう云った。
その“遺言”を、近藤はしかと受け取る。
宵闇に融けてゆく芹沢に向け、近藤は深く深く頭を下げた。
あふれた涙が幾重にも連なり、近藤の暗い足許を濡らした……
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