ー 殉情の紲 ー

MICA

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冥鬼の最期

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九月十五日──

嵐の前の静けさか、この日は秋らしい、穏やかな日和だった。

朝早く、永倉が島田を伴い大坂へ発ったため、美琴は堂々と稽古を怠け、小夜を誘って街へ出かけようとした。

だが、小夜も家族で湯治場へ出かけてしまい、結局、美琴はいつもの面々と少し遅めの朝食を摂っていた。

彼女の目には別々の事項に映ったふたつの出来事が、まさか

“終わりの始まり”

だとは思いもせず──

美琴は午後から何をして過ごそうかと、呑気な思考を巡らせていた。


「琴次郎、ちょっとつきあえ」


だが、朝食後にかけられた声に、安閑とした美琴の気もちは一気に消沈した。




ただ、言葉の束縛のみで、美琴は歩いている。

前をゆくその背中は質問を一切受けつけぬ、そんな雰囲気。

斎藤よりも歩みは遅いため、体力的にはついてゆくのが困難ではないが……

精神的には酷く疲労感を憶える美琴だった。

──綾小路通りをひた歩き、光縁寺を通りすぎた少し先にある汁粉屋へ、その背中は消えてゆく。

美琴も少し遅れて暖簾をくぐり、柱の蔭、人目を避けるのにおあつらえ向きの席へ着いた背中を追うように着席した。


「汁粉ふたつ」


中途半端に二本指を立て、汁粉を頼む男に、これまた中途半端に視線を送る美琴。

運ばれて来た汁粉から立ち昇る白い湯気の向こうで揺らぐ男の顔は、今まで見た事もないくらい穏やかだった。


「冷めねえうちに食えよ」


汁粉には一切目もくれず自分の様子を伺う『琴次郎』に、男はそう促す。

毒でも……入っているのではなかろうか……?

美琴が、ありえそうもないそんな疑念を抱くほど、その声色も優しく……


「──突然…… なにか…… 改まったお話でも…… あるんですか? ──土方…… サン……」


美琴は思わずそう切り出した。

  

“張り詰めた背中”の持ち主土方は、愛しい女性にでも微笑みかけるような、美琴からしてみれば薄気味悪い表情を湛えたまま言葉を返した。


「そんな大層な話でもねえよ。 食いながら楽に聞いてくれ」


甘い物は、壬生寺の境内で総司にもらった金平糖以来だ。

きっと、美琴にとってこの時代に於ける唯一の収穫は、心ならずも痩身ダイエットに成功した事くらいだろう。

それでも、目の前の甘味の誘惑に負けそうになる。

だが、この汁粉を口に入れたら、代わりに魂を持って行かれるのではないか──


『……芹沢先生は…… もうひとりの“鬼”に喰われる──……』


なぜか、お梅の言葉が思い出されて、美琴はそんな風に感じた。




懐疑心の塊と化した美琴に、土方は明確な笑顔を呈示した。

そして、再度促す。


「汁粉ひとつで、なにも恩に着せたりしねえよ」


薄気味悪いほどの声色で。

少し冷めた汁粉にゆるりと箸をつける美琴。

土方は短く息を吐き、目を伏せる。

それから、目と口を同時に開いた。


「明日、祇園の料亭を借りて新見さんを偲ぶ会を開くんだが……」


土方は眼前の汁粉碗を左脇に滑らせ、机上に両肘をついた。 

そこから軽く組んだ手の甲に顎を乗せ、土方は美琴の目を柔らかな眼差しで捉えた。


「おまえ、屯所の留守番を頼まれてくれないか?」


美琴は、箸を止めた。

土方が求める“汁粉の代償”があまりに安すぎて、却って警戒の色を強めたのだ。

だが、それに気づかぬ土方ではない。

急に表情を冷淡にし、いつもの調子で云った。


「いや──  “命令”だな。 おまえは明日、屯所に残れ」


──それが……

屯所に残る事が嫌な訳ではない。


「どうしてですか?」


土方の高圧的な物云いが気に入らず、美琴は少しだけ食ってかかってみた。

もっとも──先ほどまでの似合わぬ笑顔の土方も気色悪かったが……

だが、美琴のどこか弱々しい反撃も結局はそこ止まりだった。


「行ったところで、おまえ、下戸だろ? それに、芹沢が酒飲んで暴れ出すかもしれねえ。 奴を止める自信があるなら、大歓迎だがな」


元々、彼女はほかの隊士らともそれほど親しく打ち解けている訳ではない。

云うなれば、

“ただの級友クラスメイト

その程度……

いや、それより稀薄な関係だ。

加えて、酔って暴れる“鬼”がいる会になど、好んで参加したいはずもなく……

 
、お留守番させて頂きますよ」


だが、言葉に多少の嫌味を籠め、美琴は残りの汁粉をすすった。


「ただ……── な」


出された汁粉には未だ手をつけず、濃い目の茶だけをひと息に飲み干した土方が、眉間にしわを寄せ、机上真ん中まで顔を突き出し声を細めた。


「当日、屯所に残るのはおまえひとりだ」

「────……?」


美琴は、そんな素晴らしい状況になぜ土方が表情を曇らせるのかが判らず、きょとんとした顔を見せた。

そんな彼女を腹の底で嘲笑いながら、土方は話を続けた。


「万にひとつ、会津を恨む長州の不逞浪士が屯所を襲撃して来たら──」


土方は、立てた右手の親指で、自らの喉を掻っ切る仕種をしてみせた。

美琴はごくりと唾を飲む。

そうだ……

ここは幕末──


「やっぱり、あたし──」

「隠れてろ」


引き受けた留守番を撤回しようとした美琴の台詞に声を被せる土方。


「物音や声が聞こえたら、部屋の押し入れの中にでも隠れてろ」


何が何でも美琴を屯所に残そうとする土方に、彼女は再び叛旗はんきを翻した。


「それじゃあ、“留守番”の意味がないじゃないですか! だったら…… なにもあたしがいなくたって……」

「形だけだよ」


だが、またしても美琴の反撃の意思はへし折られてしまう。


「八木家の人間は留守番がいるってんで、安心して湯治場へ出かけたんだ。 それなのに留守役がひとりもいなかったとなると…… 俺たち── いや、近藤さんの信用問題に関わる。 判るよな?」


──なぜ、筆頭局長である『芹沢』ではなく『近藤』の名を出したのか……

美琴の心に少しだけ生じた疑問も、この先に起こる惨劇を予想させるには至らなかった。


「大丈夫だ。 今話してることは、そういうこともあり得るってだけで、実際、今までも起こらなかったことだ。 案じるこたぁねえよ」


渋る美琴に、土方は優しいが、確固たる意思を籠めて云った。


「なぁに、ほんの一時半くらいのことだ。 やれるだろ?」


駄目押しとも取れる土方の言葉に、美琴は、力なく頷いた。
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