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焦 躁
壱
しおりを挟む──元々、興味のない相撲……
坂本と話ができる機会がすぐ目の前にあるというのに集中して見物などできるはずもない美琴は、平助の隣で楽しんでいるふりをしながら別の事を考えていた。
まず、何から話そう……
うまく伝えるにはやはり、新幹線の件から話すべきか……
だが……
この時代の人間には伝わらぬだろう……
美琴がそうこう悩み巡らせるうちに、夕暮れを告げる鐘が“赤”を纏い始めた壬生村に響き渡った。
ふと寺の境内を見遣ると、設えられた土俵やら幟やらを、小野川部屋と浪士組の人間とが総出で撤去し始めている。
『片づけん時、本堂の裏で落ち合おうぜ』
坂本の言葉を思い出し、美琴は誰にも見咎められぬよう、こっそり人山を抜け出した。
喧噪から少し離れた本堂の裏では、“小野川部屋”と染め抜かれた幟を携えた坂本が、団子を頬張りながら佇んでいた。
「おー、琴次郎君。 おまんも食わんか────」
いつもの調子で団子を勧めようとした坂本だったが、以前美琴に砂まみれにされた憐れな団子の事を思い出し、慌てて言葉と右手を引っ込めた。
「今日はなにもしませんよ。 もちろん、団子もいりませんけど……」
逸る気もちそのままに、美琴は早口でその話題を終わらせる。
そして、訝しげに訊ねた。
「……なんでそんなもの…… 目立つじゃないですか」
何を形象化したのか、桃色の波模様に、藍色で染め抜かれた“小野川部屋”の文字──
そんな幟を持っていたら、嫌でも人目を惹いてしまう……
だがこの男、やはり徒者ではなかった。
「おまん、銭隠す時、どこに隠す?」
「はぁ……?」
突然、意味不明の問訊を投げられ、戸惑う美琴。
だが、坂本はおかまいなしに続けた。
「銭を隠す時は、銭の中に隠しゃあええ」
「────……」
相変わらず、脈絡のない事を云う男だ……
美琴は首を振りながらため息を吐いた。
「米を隠すなら米ん中、麦を隠すなら麦ん中、豆を隠すなら豆ん中」
「だから、それがなんだって────……っ!」
怒鳴りながら、美琴はやっと気づいた。
坂本が云わんとする事に。
「喧噪の中で目立たんようにするんは、却って人目についた方がええ。 こそこそ抜け出したら、また監視がついて来るきのう」
そう云って馬鹿笑いを上げる坂本は、親指と人差し指の腹で団子の串を持ち、小指の先で器用に頭を掻いた。
「おまんは“未来”から来た、ゆう割には賢うないがやな」
はっきり“馬鹿”と云わぬ辺りが、この男の憎らしいところだ。
美琴は少々腹立たしさを憶えつつも、坂本が自分の話を信じてくれていた事には素直に感謝していた。
それならば話は早い。
美琴は単刀直入に切り出した。
「元の時代に帰れる方法を教えて欲しいんです」
坂本はもう少し“言葉遊び”をしたかったという風な何とも云えぬ表情を浮かべたが、すぐに何事か思い悩むように、手にした幟の竿を掌中でくるくると器用に回し始めた。
実質、坂本が無言でいたのは五分かその程度の時間だったが、答えを待つ美琴には、一時間にも二時間にも感じられた。
「──あるんでしょっ? もったいつけずに教えてくださいよ」
とうとう我慢し切れず、答えを急かす美琴。
坂本は回していた幟を止め、“小野川部屋”と染め抜かれた布部分から覗くように顔を出した。
「坂本さんっ」
「──知らん」
坂本は、美琴の希望をたった三文字の言葉で打ち砕いてしまった。
「──えっ……?」
我が耳を疑い、苦笑いで問い返す美琴に、坂本は同情心の破片もなく、その三文字を繰り返した。
「知らん」
──冷静に考えれば、誰に訊いてもそう返って来ると容易に想像できる。
だが、拠りどころの何ひとつない時代にたったひとりで迷い込み、“死”の恐怖に直面し、まともな精神状態ではない美琴にとって、坂本が導いてくれるであろう“答え”こそがすべてだった。
それなのに──……
「どがいにして未来から来たかも判らんがに、帰り方なんぞ判る訳がないじゃろうが」
──坂本の云う通りだった。
未来から過去へ飛ばされた原因が判らねば、その逆の方法も知る術はない……
美琴は、意識を失ってから目醒めるまでの記憶を必死で手繰り寄せる。
原因として考えられるのはやはり、新幹線で起きた“爆弾騒動”──か……
美琴は以前、角屋で詳しく話せなかった新幹線の件を、思い出せる限り坂本に話して聞かせた。
そして……
自分の持っている携帯電話が雷を呼ぶのだという事も、隠さず話した。
“新幹線”と“携帯電話”がどんなものか、坂本は自分の中で理解し切れるまで深く考え込んでいたが……
やがて、手にした幟を本堂をぐるりと巡る縁側に立てかけ、真面目な顔を作った。
「──今、わしに云えることはひとつ……」
坂本は、今まで見せた事のない鋭い眼差しを美琴に向けた。
「不用意な行動を取るな──」
語調もさる事ながら、そう云って肩に置かれた坂本の手の熱さと強さに、美琴は思わず息を飲んだ。
「おまんの行動ひとつで歴史が変わるかもしれん、ちゅうこと── それを忘れたらいかんぜよ? “琴次郎”君」
その名を呼び、破顔を浮かべた坂本はもう、いつもの野暮ったい雰囲気の彼に戻っていた。
残りの団子を頬張る姿も、幕末の英雄とは程遠い。
──坂本に云われるまで、美琴はそんな事、思ってもいなかった。
よくよく考えれば、それは当然の憂慮だが、自分の事しか頭にない美琴には、まさに“目から鱗”の話だった。
自分は、この時代にそぐわぬ存在であるために抹殺されようとしているのではないか──
以前、土方に
『おまえのいるところに雷が落ちる』
と責められた時、あるいはその通りではないかと漠然と感じた事が、今、坂本の指摘によって激しく信憑性を増した。
徒に歴史が変えられる前に、その元凶となる自分の存在が消される──……?
「あたしっ…… これからどうなるの!? どうすれば── いいの……?」
取り乱す美琴の震える背中を軽く叩き、坂本は穏やかに笑った。
「ちぃと嚇かしすぎたかいのう。 ……まあ、わしが云うたことは気にせんでええ。 どう見ても、おまんにはそげな力も頭もなさそうじゃ」
坂本の失礼な台詞も、美琴の心の慰めにはならなかった。
ただ、その術を知りたがっていた先ほどまでの自分より、その術がないと知った今の自分の方が、元の時代に帰りたい気もちをより強く持っている……
そんな美琴の胸中を知ってか知らずか、坂本は更なる言葉を投げかけた。
「まぁ、こん時代に拠りどころでも見つけりゃあ、悪いことばかりでもないぜよ?」
──坂本の言葉の真意が、その云い回しの深い深い意味が美琴に理解できたのは……
ずっと、ずっと後の事だった。
だが、今は──
ただただ途方に暮れるだけの弱虫な少女……
『諒月 美琴』はまだ、
普通の……
女子高生だった──……
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