A_vous_aussi

魚倉 温

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 チン。
 軽快な音と共に開いた扉の先で、ヨシキと名乗った青年が横になって、脇腹を規則的に上下させているのが見えた。そのすぐ近くに、ちょうど立ち上がったところだったのだろう、ゆらゆらと毛先の揺れる鳥の巣頭があった。
 「なんだ、起きてたの。」
 「起きたのよ。あんまりにも灯りが落ちないもんだから。」
 「ここはそういう場所なんだそうだ。」

 生き残った人間がいつでも、ここを見つけた時には目指せるように。そして、ここを目指している人間が、迷わずたどり着けるように。ヨシキから聞き出したのであろうことを、エイデンは滔々と語る。
 「アタシたちみたいな人間のことね。」
 初めにこの都市を視界に収めた時のことを思い出しながら、鼻で笑う。野戦のさなか、遠くで焚かれた閃光弾を見て部下が死んだのを悟った時のことも同時に、思い出しながら。
 「灯りを見て警戒しないのはぼくらみたいな人間か、心細くて死にそうな人間か、ハメダマかその類縁くらいのものだろうからね。」
 いつもの軽口が、心地よかった。
 上階と同じくらいのだだっぴろいフロアに、上階とは比べものにならないくらいの人間がめいめい最も安心するのであろう恰好でいるのを眺めながら、そういえば、彼らはせっかく周りに生きた人間、それも言語圏の同じ人間がいるというのになぜ会話をしないのか、と、少しだけ考えた。
 アイビーのいた部隊では皆言葉を交わしていた。そうすることで、どんなにひどい環境にあったとしたって自分たちは獣ではなく、あくまで言語と社会性を取得した人間なのだと思えたからだ。きっとそうでもしなければ、自分はとっくに気が狂っていた。人間であることをやめ、ハメダマのように閃光弾につられて殺されに行っていたかもしれないとすら思う。

 「で、ぼくは今からハメダマのように光につられて行こうと思っていたところなのだけど、」
 「……帰ってくる予定はあった?」
 「そのうちね。」
 アイビーが気を揉んでいることを知っていてか、いないでか、エイデンの言葉には、いつも選択肢がない。

 「この辺りは、生態系が旧いらしくてさ。」
 紫、青、橙色。色とりどりの光をぼろぼろの眼鏡のレンズに反射させながら、エイデンは楽し気に言う。こういう時のこの男は、止めようが止めまいが、相槌を打とうが打つまいが勝手に話して勝手に黙る。
 ちらほらと見える人影、時折聞こえる賑やかしい音楽と、半ば悲鳴のような人の笑い声。それらはいつかのゲリラ戦で聞いたよりは陽気で気楽だったけれど、もっと以前に連れていかれたクラブよりも半狂乱だった。
 エイデンは、そんなアイビーの視線にも、思考にも、何にも気づかずに話し続けている。こういう時の彼には、決まって何か受け入れ難いことがあったとか、納得のいかないことがあったとかだ。消化しようとして黙り込んでいるときはまだいい。拗ねることもあるがそれもまあ、まだマシな方。

 「で、何を言われたの。」
 もう面倒だから、なんかあったのなら素直にしゃべりなさいよ。吐いた方が楽んなるわよ。

 一応、気を遣おうとしているのだろう。それなら少しは汲んでやろう。そんな気持ちで、アイビーは溜息を吐いて、金銭のひとつも要求せずにただ煌々と輝いている鉄の箱のボタンを片端から押していった。がこん、がこん。二回の音。
 「まさか! いくらここの人間だってそんな、」
 「そのまさかだけどね、アンタの好きなやつよ、これ。」

 
気を遣ってくれようとしているのだからダメ元でだって自分も気を遣うし、普段はしないような行動で甘やかしてみたくもなる。軽率な行動、うっかり残っていた炭酸飲料。それまでのすべてを忘れたように目の前の炭酸飲料を次の目的地まで温存するか、今すぐに飲んでしまうかと悩み始めたエイデンを落ち着かせるのには、しばらくかかった。
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