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一杯目:ジントニック
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東京といっても、東と西で随分とその様は変わる。東側が比較的発展した都市としての住宅街だとすれば、西は住む為の住宅街といえよう。
H市もそんな街の一つだ。その街の片隅にある、洋風酒場LINO。柔らかな照明は店内を照らし、10に満たないカウンターと5つほどのテーブル。店員も店主含めカジュアルな服装で、値段も都市部から離れているせいか、お酒はもちろん料理もかなりリーズナブルだ。
客の年代も20~40代と、そこそこ若い人が多いのがこの店の特徴だ。近辺の店が和の食事を提供する店が多いことも起因するのかもしれないが。
そんな店に新規の客が自ら来るということは、実はそうそうない。成人男性の身長ほどもある黒板調の立て看板は都心ならば受けるだろうが、あいにく少々廃れているこの街では浮いている。目を惹かない訳ではないが、洒落た看板というだけで何となく尻込みしてしまう。老若男女関わらず、そんな風潮がある街なのだ。だから新しい客というのは、知り合いに誘われて二度目は自分から来たというパターンが多い。
おまけに今夜のような雨の日に来るなど、毎日来てくれる常連しかいないというのに、だ。むしろ雨というちょっとばかり違う天気だからこそ、普段は行かないような店に入ろうと思ったのかもしれないな、と店主は新顔を見ながら考えた。
見た目は20になったか少し過ぎたくらいの女性だった。化粧っ気がなく、乱れた髪や疲れたような表情から仕事帰りなのだろうかと思う反面、服装があまりにも幼く感じる。爽やかなミントの香りがするおしぼりを手渡しながら観察していると、静かにジントニックを、と頼まれた。
「かしこまりました」
ジントニックとは、ドライ・ジンというお酒とトニックウォーターという炭酸水で割り、ステア──軽く混ぜること──をした後、カットもしくはスライスライムを添えて完成だ。ただしこれはあくまでもスタンダードレシピであり、ライムの代わりにライムジュースを入れて出すこともあるし、ライムの入れ方一つ取っても違う。またライムを入れないことも、まあなくはない。主にチェーン店の話になるが。
店主の店では計ったドライ・ジンをロンググラスへ注ぎ、カットしたライムを摘むように絞って少し果汁を入れるとそのままグラスへ落とす。その後トニックウォーターをグラスの八分目まで注いでステアしたら完成なのだが、ふと注文した女性を見た。物珍しげにバックにある棚を見る様子はキラキラとしているように見え、チラチラと同じカウンターに座る人達を見ては困ったような表情を見せる。どうやらこういう店自体が初めてのようだ。
そう感じた店主はあるものを数滴垂らしてからトニックウォーターを注いだ。
「どうぞ、ジントニックです」
「あ、はい。ありがとうございます」
スッと音もなく出されたグラスを手に取りマジマジと見る女性。炭酸水特有の泡が氷やグラスを包んでいるが、その量は決して多い訳ではなく、ステアしたことにより程々になっていることが分かる。そっと鼻に近づけてほのかに香る柑橘系の香りを楽しむと、恐々口をつけた。ライムやジンというそれぞれの苦味がくると、その奥に密かな甘さが感じられた。
美味しい、と思わずといったように女性は笑みを浮かべながら呟いた。
「気に入っていただけましたか?」
頃合いを見て店主が聞くとはい! と笑顔で答えてもらえたことに安堵する。先程の不安げな様は見られず、リラックスしているように見えた。
「あの……ジントニックって甘くないっていうイメージあったんですけど、これ、少し甘いような気がして……」
「シロップを入れてみたんです。失礼ですがお酒に慣れているようには見えなかったもので」
味として出来上がっている市販のチューハイとは違い、こうした店ではお酒とお酒、もしくはジュースといったことが多く、レシピやアレンジ、また客の好みによってシロップや砂糖、塩などを使って味の調整を行う。作っている間の様子から「場慣れ」しているように見えず、緊張しているのが伝わってきた店主は少しでも解れれば良いと、甘味のシロップを足したのだ。
それは功を奏したようで、氷一個分飲む頃にはすっかり落ち着き、表情も硬かったのが今では柔らかい。まさに店主の狙い通りとなった。
「私、最近成人したんです。それで、どんなお店があるのかなってフラフラするようになって」
「一人で、ですか?」
「ええ。自分の好みな店を探すのに、他の人がいるとちょっと気になるので」
なるほど、と店主は頷く。成人したての人がこの店のような場所に入るのは、確かに勇気がいるだろう。人と一緒にいれば入りやすいこともあるが、逆に入りづらくなることを店主は知っていた。
この辺りを巡り始めたのはまだ最近らしく、とても楽しいと笑う彼女は入ってきた時のような怯えは見られない。グラスが空になる頃には他の店員と話す様子さえ伺えた。
ここを気に入ってもらえたら良いと思いながら、次の飲み物を伺う店主だった。
H市もそんな街の一つだ。その街の片隅にある、洋風酒場LINO。柔らかな照明は店内を照らし、10に満たないカウンターと5つほどのテーブル。店員も店主含めカジュアルな服装で、値段も都市部から離れているせいか、お酒はもちろん料理もかなりリーズナブルだ。
客の年代も20~40代と、そこそこ若い人が多いのがこの店の特徴だ。近辺の店が和の食事を提供する店が多いことも起因するのかもしれないが。
そんな店に新規の客が自ら来るということは、実はそうそうない。成人男性の身長ほどもある黒板調の立て看板は都心ならば受けるだろうが、あいにく少々廃れているこの街では浮いている。目を惹かない訳ではないが、洒落た看板というだけで何となく尻込みしてしまう。老若男女関わらず、そんな風潮がある街なのだ。だから新しい客というのは、知り合いに誘われて二度目は自分から来たというパターンが多い。
おまけに今夜のような雨の日に来るなど、毎日来てくれる常連しかいないというのに、だ。むしろ雨というちょっとばかり違う天気だからこそ、普段は行かないような店に入ろうと思ったのかもしれないな、と店主は新顔を見ながら考えた。
見た目は20になったか少し過ぎたくらいの女性だった。化粧っ気がなく、乱れた髪や疲れたような表情から仕事帰りなのだろうかと思う反面、服装があまりにも幼く感じる。爽やかなミントの香りがするおしぼりを手渡しながら観察していると、静かにジントニックを、と頼まれた。
「かしこまりました」
ジントニックとは、ドライ・ジンというお酒とトニックウォーターという炭酸水で割り、ステア──軽く混ぜること──をした後、カットもしくはスライスライムを添えて完成だ。ただしこれはあくまでもスタンダードレシピであり、ライムの代わりにライムジュースを入れて出すこともあるし、ライムの入れ方一つ取っても違う。またライムを入れないことも、まあなくはない。主にチェーン店の話になるが。
店主の店では計ったドライ・ジンをロンググラスへ注ぎ、カットしたライムを摘むように絞って少し果汁を入れるとそのままグラスへ落とす。その後トニックウォーターをグラスの八分目まで注いでステアしたら完成なのだが、ふと注文した女性を見た。物珍しげにバックにある棚を見る様子はキラキラとしているように見え、チラチラと同じカウンターに座る人達を見ては困ったような表情を見せる。どうやらこういう店自体が初めてのようだ。
そう感じた店主はあるものを数滴垂らしてからトニックウォーターを注いだ。
「どうぞ、ジントニックです」
「あ、はい。ありがとうございます」
スッと音もなく出されたグラスを手に取りマジマジと見る女性。炭酸水特有の泡が氷やグラスを包んでいるが、その量は決して多い訳ではなく、ステアしたことにより程々になっていることが分かる。そっと鼻に近づけてほのかに香る柑橘系の香りを楽しむと、恐々口をつけた。ライムやジンというそれぞれの苦味がくると、その奥に密かな甘さが感じられた。
美味しい、と思わずといったように女性は笑みを浮かべながら呟いた。
「気に入っていただけましたか?」
頃合いを見て店主が聞くとはい! と笑顔で答えてもらえたことに安堵する。先程の不安げな様は見られず、リラックスしているように見えた。
「あの……ジントニックって甘くないっていうイメージあったんですけど、これ、少し甘いような気がして……」
「シロップを入れてみたんです。失礼ですがお酒に慣れているようには見えなかったもので」
味として出来上がっている市販のチューハイとは違い、こうした店ではお酒とお酒、もしくはジュースといったことが多く、レシピやアレンジ、また客の好みによってシロップや砂糖、塩などを使って味の調整を行う。作っている間の様子から「場慣れ」しているように見えず、緊張しているのが伝わってきた店主は少しでも解れれば良いと、甘味のシロップを足したのだ。
それは功を奏したようで、氷一個分飲む頃にはすっかり落ち着き、表情も硬かったのが今では柔らかい。まさに店主の狙い通りとなった。
「私、最近成人したんです。それで、どんなお店があるのかなってフラフラするようになって」
「一人で、ですか?」
「ええ。自分の好みな店を探すのに、他の人がいるとちょっと気になるので」
なるほど、と店主は頷く。成人したての人がこの店のような場所に入るのは、確かに勇気がいるだろう。人と一緒にいれば入りやすいこともあるが、逆に入りづらくなることを店主は知っていた。
この辺りを巡り始めたのはまだ最近らしく、とても楽しいと笑う彼女は入ってきた時のような怯えは見られない。グラスが空になる頃には他の店員と話す様子さえ伺えた。
ここを気に入ってもらえたら良いと思いながら、次の飲み物を伺う店主だった。
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