上 下
51 / 60
レイラの薔薇

リラとアリエス領

しおりを挟む
 翌日の夕刻、馬車は予定通りアリエス伯爵邸に到着した。
 ふたりが屋敷に入るとリラの父であるアリエス伯爵ことチャールズ・アリエスとリラの兄であるルーカス・アリエスが玄関ホールで待っていた。

 チャールズは、見るからに穏やかそうな五十過ぎの白髪混じりの男性で、いつもよりも背筋を伸ばし緊張した面持ちでふたりを出迎えた。

「クライヴ様。ようこそおいでくださいました。」

 チャールズはクライヴに挨拶した。
 予想通り、クライヴとチャールズはお互いに面識があり、さらにお互いをファーストネームで呼ぶくらいに既に仲が良かった。

「お久しぶりです。チャールズ殿。」

 クライヴは笑顔で手を差し出し、チャールズはその手をそっと握り締めた。

「今日はもう遅いですし、旅の疲れもあるでしょう。晩餐の準備がもうすぐ整います。それまでゆっくりなさってください。私は仕事があるので暫し失礼しますね。リラ、クライヴ様をお部屋へ案内なさい。」

 チャールズはそういうと奥へと下がっていった。

 そんなチャールズの後ろ姿を見ながら、視線の端でにやにやしている男がちらついた。
 ルーカスだ。

「リラ、しっかり案内するんだぞ。」

 ルーカスは、ニヤニヤしながら含みのある言い方をした。
 リラは、そんなルーカスをキッと睨みつけた。

 ルーカスはふたりの仲を十二分に知っているのだ。
 揶揄われるに決まっている。
 なんとか余計なことを言われる前に、この場を離れなければならない。

「わかってますわ。さ、クライヴ様、行きましょう。」

 リラは、そう言うとクライヴの手を引いて二階の客間に向かった。

「お熱いことで。」

 そんなふたりの後ろ姿を見て、ルーカスはそう呟いた。

☆ ☆ ☆

 翌朝。
 朝食の席にチャールズの姿はなかった。

 執事曰く、何やら急ぎの仕事があるらしく外出しているようだった。

 リラとクライヴは、無理を言って訪ねてきたのだ。
 予定がつかないのも仕方がないのだろう。

「リラ、せっかくならクライヴ様に街を案内したらどうだ。」

 ルーカスは、やはりニヤニヤしていた。

 チャールズが帰宅するのは夕方になるらしい。
 まだ婚約証書にサインはおろか婚約について話せてもいなかった。

 昨夜の晩餐後は、チャールズは仕事が残っているとのことですぐ部屋に戻ってしまったのだった。

 しかし、ルーカスにそんなことを言われずとも今日は元々クライヴと街に出るつもりではあった。
 クライヴに街を案内したいのもあるが、クライヴがどうやってリラを知ったのか、その答えも気になるのだ。

「わ、わかってますわ。」

「おお、それはそれは。」

 リラは、このルーカスの含み笑いが気になり、ムッとした表情で返事をした。
 なんとか領内を巡るついでにルーカスの弱みを仕入れられないかとさえ思ってしまうのだった。



 ふたりは馬車に乗り込んだ。

「クライヴ様は、どのようなところに行きたいですか。皇都のように華やかなものなどございませんが、景色が綺麗な高台などありますよ。」

 リラは頭を捻りながら、クライヴと何処を巡ろうか思案した。

 アリエス領は牧羊が盛んな田舎街だ。
 人よりも羊の数の方が圧倒的に多いだろう。
 クライヴが興味があるワイン工房はおろか、葡萄農園はなかった。

 その代わりに自然豊かで景色はよく、牧羊が盛んなおかげで肉やチーズの名産も揃っていた。

「それもいいが、普段のリラが見てみたいな。」

 リラは目をパチクリさせた。

「普段のというのは…?」

「領地ではどのように過ごしているかが知りたいんだ。」

 以前、クライヴに領地での日課は牧羊地を視察と話していた。
 そんな大して面白くもないものが見たいのだろうか。

「わ、わかりました。もし途中で何か気になるものがございましたら教えてください。」

 そう言うと、リラは御者に行き先を伝えた。



 リラは屋敷から一番離れた牧羊地を訪れた。
 リラは屋敷から離れた牧羊地から順に巡るのがいつものコースであった。

「こんにちは、ハンナさん!」

 そう言ってリラは羊小屋に入って行った。
 ハンナと呼ばれた女性は忙しなく羊の餌を準備していた。

「あら、リラちゃん。それにデイビッドさんじゃないか。」

(デイビッド…!?)

 ハンナはなぜかクライヴの顔を見てデイビッドというのだった。
 リラは驚きクライヴの顔を見るも、人差し指を口の前に立てていた。
 何やら素性を偽っているようだった。

 ハンナは目の前にいるのが隣国の皇子だと全く知らない様子で、街のお兄さんと世間話をしているように気安い態度だった。

「ほらー、エドガー、マルク、リラちゃんとデイビッドさんに挨拶しなさい。」

 ハンナが呼ぶと奥から小さな男の子がふたり駆けてきて、そのままリラに抱きついた。

「リラ、おかえりー。早かったねー。」

 エドガーは不思議そうな顔でそう言った。
 エドガーがそう感じるのも無理はなかった。

 リラは冬季休みのときに、次に会えるのは春だと伝えていた。
 それが、わずか三週間程度で帰ってきたのだから驚きだろう。

「デイビッド、久しぶり。」

「ああ。久しぶり。」

 リラは一瞬、皇子にタメ口などと不敬ではないかとひやりとしたが、クライヴはひとつも気にした様子はなかった。

「それより、リラちゃん!デイビッドさん、リラちゃんに一目惚れしたとか言ってちょこちょこうちに来てリラちゃんのこと聞いてったのよー。もう、こんな良い男捕まえてるなら、さっさと教えなさいよ。」

 ハンナは、そう言ってリラの脇腹を肘で小突くのだった。
 リラはその言葉に頬を紅く染めながら、なぜ自分が一斎そのことを知らないのかと疑問を感じた。

「そ、そうなんですね。そんな話、私、初めて聞いたのですが…。」

「あー。そうだったね。えーっと。ルーカス様がリラちゃんには黙ってくれとおっしゃってましたので。」

(あの野郎…!!)

 リラは拳を強く握り締めた。

「あはは。リラちゃんはサプライズが好きだからっておっしゃってましたよ。」

(そんなわけあるか!)

 そう突っ込みたいがハンナに言ったところどうしようもない。
 リラは仕方なく愛想笑いをした。

「今日のリラ、綺麗!」

 今度はスカートの裾を引っ張ってマルクがそういうのだった。
 牧羊地に訪れるときは大抵、茶色のワンピースにブーツといった伯爵令嬢とはとても思えない町娘のような格好だった。

「え、えっと、今日はデイビッド様をご案内しているからよ。」

「ふーん。リラ、馬乗せて。」

「俺も乗りたい。」

 エドガーとマルクはいつも調子でリラにお願いした。
 リラは牧羊地を巡るだけならと普段ひとりで馬に乗りでかけることが多かったのだ。

 だが今日は違った。クライヴを街に案内すると言うことで多少めかし込んで馬車で移動しているのだった。

「えっと…。今日は馬車なの。」

「なんで、馬車は面倒っていつも言ってたよ。」

 リラは困った。
 クライヴには町娘のような格好で馬にひとりで乗ってでかけているとまでは話していなかった。
 こんなことが明るみになっては、さすがに淑女あるまじきと退かれてしまうのではと思い隠していたのだ。

「えっと。でも、今日は馬車だから、今度ね。」

 リラが恥じらっていると、ハンナが強請る息子たちを諭すように叱るのだった。

「そうよ!リラちゃんを困らせないの。」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

どん底貧乏伯爵令嬢の再起劇。愛と友情が向こうからやってきた。溺愛偽弟と推活友人と一緒にやり遂げた復讐物語

buchi
恋愛
借金だらけの貧乏伯爵家のシエナは貴族学校に入学したものの、着ていく服もなければ、家に食べ物もない状態。挙げ句の果てに婚約者には家の借金を黙っていたと婚約破棄される。困り果てたシエナへ、ある日突然救いの手が。アッシュフォード子爵の名で次々と送り届けられるドレスや生活必需品。そのうちに執事や侍女までがやって来た!アッシュフォード子爵って、誰?同時に、シエナはお忍びでやって来た隣国の王太子の通訳を勤めることに。クールイケメン溺愛偽弟とチャラ男系あざとかわいい王太子殿下の二人に挟まれたシエナはどうする? 同時に進む姉リリアスの復讐劇と、友人令嬢方の推し活混ぜ混ぜの長編です……ぜひ読んでくださいませ!

【完結】「政略結婚ですのでお構いなく!」

仙桜可律
恋愛
文官の妹が王子に見初められたことで、派閥間の勢力図が変わった。 「で、政略結婚って言われましてもお父様……」 優秀な兄と妹に挟まれて、何事もほどほどにこなしてきたミランダ。代々優秀な文官を輩出してきたシューゼル伯爵家は良縁に恵まれるそうだ。 適齢期になったら適当に釣り合う方と適当にお付き合いをして適当な時期に結婚したいと思っていた。 それなのに代々武官の家柄で有名なリッキー家と結婚だなんて。 のんびりに見えて豪胆な令嬢と 体力系にしか自信がないワンコ令息 24.4.87 本編完結 以降不定期で番外編予定

絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので

ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。 しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。 異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。 異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。 公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。 『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。 更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。 だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。 ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。 モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて―― 奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。 異世界、魔法のある世界です。 色々ゆるゆるです。

【12/29にて公開終了】愛するつもりなぞないんでしょうから

真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」  期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。    ※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。  ※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。  ※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。 ※コミカライズにより12/29にて公開を終了させていただきます。

処理中です...