結婚する気なんかなかったのに、隣国の皇子に求婚されて困ってます

星降る夜の獅子

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執務室のふたり

ロイドの葛藤

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 クライヴはリラの手をすかさず掴みくすくすと笑った。

「ふたりは、『恋人』なのか…。」

 ロイドは呆然と立ち尽くしたまま、無意識にそう尋ねた。

「ああ。『ロイド様』には知らせてないのか。」

 クライヴはロイドに短く返事をして、掴んだリラの手を引き寄せた。

「は、恥ずかしくて…。」

 リラは視線を逸らしながらそう告げた。
 貴族同士で『恋人』など子供のままごとでしかなかった。
 そんな不明確で無意味な関係など恥ずかしくて誰に言えようか。

 誰も彼もが、今のロイドのように呆けた顔をするに決まっているだろう。
 リラにはロイドの表情をそう窺った。

「『ロイド様』だから?」

 すかさずクライヴはその返答がさぞ面白くないのか、どことなく睨むような熱い視線をリラに送った。

「だ、誰にでもです!」

 リラは負けじと頬を赤らめながら睨み返えそうと、瞳を潤ませながら眉間に皺を寄せた。

「ふーん。」

 クライヴは致し方ないと少しは納得したようで、リラの手を放した。

 リラは慌ててロイドに短く挨拶するとクライヴと共に馬車に乗り込んだ。
 ロイドはリラとクライヴが乗り込む馬車が走り去るのを呆然と立ち尽くしていた。

(私はこのふたりの間に付け入る隙はあるのだろうか。)

(あんなにも幸せそうなふたりを壊していいのだろうか。)

 ロイドは、そんなことが頭に浮かんで仕方がなかった。

☆ ☆ ☆

 車中。

 クライヴはリラの隣に座り、リラの長く細い髪を指に絡めてはほどきを繰り返し、愛しそうに見つめていた。

「クライヴ様。わざわざあのような発言をしなくてもよろしいのではないでしょうか。」

 リラは擽ったいのを必死で我慢しながらクライヴに訴えた。

「あのような発言って?」

 クライヴは、わざと意味がわからないふりをしているのかリラの質問に質問で返すと手の中のリラの髪に口付けをした。

「こ、『恋人』であるってことです…。」

 リラは『恋人』という慣れない言葉を口にしたことで益々頬を紅らめた。

「ふーん。『ロイド様』に知られたくなかった?」

「もう!そんな意地悪を言わないでください!」

 リラはクライヴが幾度となくロイドの名前を口に出すのを不思議に思いながら訴えた。
 リラの抗議が余程愛らしいのか、クライヴはクスクスッと笑った。

「リラこっち向いて。」

 クライヴは、リラの髪を放し頬に優しく手を添えて甘く囁いた。
 クライヴは、またあの情欲に満ちた紅い瞳でリラを見つめていた。

 リラは、これから起こることを理解していた。
 リラは、ほんの少しうっとりその瞳を見つめると緊張しながら瞼を閉じた。

 クライヴは、優しくリラに触れるだけの口付けをするとそっと離した。

 リラは、初めての口付けでは、その感触がよくわからなかったものの、二度目は甘い一時を味わうことができたのか、うっとりした表情を浮かべた。

 しかし、今回はそれで終いではなく、クライヴはもう一度唇を重ねた。

 リラは、先ほどの余韻から、ぼーっとする意識の中で、突然、うっすら開く唇の間にクライヴの舌が容赦なく差し込まれ、驚きのあまり目を見開いた。

 クライヴの舌はリラの歯をひとつずつ確かめるようになぞり、舌を絡ませリラの口内を蹂躙していった。

 リラは初めての感覚に驚き、息も絶え絶えで涙を浮かべた。

「苦しい…。」

 リラのその微かな声がクライヴに漏れ聞こえたのか、ようやく唇は離された。

 リラは、下を向き、げほげほと少しむせつつも、今までにない恍惚とした気分を感じた。

(こんなの知らない…。)

「大丈夫?」

 クライヴは、満足気な表情を浮かべながらリラの背中を優しくさすった。

「呼吸してていんだよ。」

「そ、そんなこと言われても…。」

「これが、本物の口付け。この前のは挨拶。」

 これが、本物と言われても恋愛経験のない自分には、このような口付けを一斎知らなかった。

「練習する?」

 クライヴは愉しそうにリラに尋ねた。

 練習と言われても、そもそも何が練習で何が本番なのかよくわからない。
 そんなことよりも、リラは初めての感覚に戸惑いと恥じらいを隠せなかった。

「えっと…。今は結構です…。も、もう、これ以上されては、昨日以上に仕事ができなくなりますわ…。」

「はは。真面目だな。リラが傍にいるだけで良いのに…。」

 クライヴはそう言うとリラの額に軽く口付け、リラの腰を引き寄せた。
 リラはクライヴの胸に頭を預けた。

 そんな砂糖よりも甘い空気が漂う車中で、リラは不意にロイドたちと昼食時に交わした言葉を思い出した。

『まだ婚約していないのでしょうか。』

 リラもわかっていた。
 こんな中途半端な関係をいつまでも続けて良い筈がなかった。
 もう引き返せないほどにクライヴに傾倒していた。

 それでも、もう少し、もう少しだけ、この曖昧だけれどもただ愛だけがある関係を楽しみたい。

 リラは、そう思えてならなかった。

☆ ☆ ☆

 馬車でふたりを見送った後のロイドは、冷静だった。
 レナルドからすると、その冷静さも逆に恐かった。

 皇城に帰宅すると、何事もなかったかのように直様仕事に取り掛かり、遅延していた分は幾分か片付いた。

「殿下。そろそろ、お休みになられては。」

 本来はもう就寝しても良い時間を迎えているのに、浴もせずに執務机で仕事を行うロイドに堪らずレナルドは尋ねた。

「いや、もう少しだけ。」

 ロイドはレナルドに見向きもせずにそう告げ、書類に目を通していた。

(これはこれで厄介だ…。)

 レナルドは頭を抱えた。

 レナルドは、少し後ろから正門でのリラとクライヴの様子を見ていた。
 すぐ傍にいたわけではないため、どんな会話をしていたか定かではないが、遠目からでもリラとクライヴが以前より親密になっているのは、すぐにわかった。

 ロイドが相当の深手を負っていることは目に見えているのに、いつものように駄々を捏ねればいいものを今日は大人しく仕事をしているのだ。

 気味が悪いにもほどがあった。

 レナルドは初めてのロイドの態度に、どうすれば良いのか考えあぐねいていた。

 暫くしてロイドがペンを置くのを見計らい、レナルドはロイドにウィスキーの入ったグラスを差し出した。

「ロイド様。少し私の友人の話をしてもよろしいでしょうか。」

 そういうと、ふたりはサロンに場所を移した。



 サロンに到着すると、ふたりは軽く乾杯をし、ロイドは一気にウィスキーを飲み干した。

 普段のロイドはこのように強い酒を好むわけではないが、今日はいつもと異なり呑みたい気分であった。
 瞬時に喉がカッと焼けるのが心地悪く、ロイドはゲホゲホッとむせこけた。

「そんなに一気に飲まなくても…。」

 レナルドは空笑いを浮かべた。

「五月蝿い。それよりお前の話とはなんだ。」

 ロイドは、涙目になりながらレナルドにもう一杯と言わんばかりに、グラスを差し出した。

「ああ。これは私の友人の話なのですが。何やら、最近、失恋をしたようで、どう慰めればいいのか困っております。」

 ロイドはその言葉を聞き、飲みかけたウィスキーを思わず吹き出した。
 レナルドは平然と言っているが、その友人とはまぎれもなくロイド自身を指しているだろう。

「ロイド様。汚い…。」

 溜息を吐きながらレナルドは付近でテーブルを拭いた。

「五月蝿い。お前、それは私じゃないか。」

「あれ?失恋されたんですか?」

 ロイドが頬を赤らめながらそう訴えると、レナルドはあっけらかんと惚けて聞き返した。

「いや、まだ、してない!」

 ロイドはムッとして言い返すも、余計な言葉を付けてしまった。

「『まだ』とは、もうすぐ失恋されるんですか。」

 レナルドが追い討ちをかけるようにロイドにそう尋ねると、ロイドは奥歯を噛み締めた。

(正門であんな仲睦まじい姿を見せられたのだ。そんなふたりの間に、どう割って入ればいいと言うのだ。)

(それにあんなに幸せそうなリラを見るのは初めてだ…。)

 ロイドは葛藤していた。
 ふたりの間に入り己の満足のために横恋慕することが正解なのか。
 このままふたりの恋路を応援することが正解なのか。

「潔く諦めることもまたひとつ、しがみついてでも諦めないのもまたひとつ。」

 レナルドはそう言うとウィスキーを一口飲み込んだ。

「ただ、うだうだして諦めたことにするのはお辞め下さい。貴方は皇子です。貴方の決断は国を動かす。いつ何時でも自分の決断に誇りを持ってください。それが皇族である定めです。」

 レナルドはいつになく少し低めの声で睨むようにロイドに告げた。
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