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1巻
1-2
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互いの長所を褒め合う仲良し兄弟には好感を覚えるが、どこまで本気なのか紫音には理解の外だ。
「それは、あなたたち個人の素質の問題では……」
だが、ささやかな抗弁は、双子に聞き流されてしまった。
「ルクシアはそこを強調し、僕たちのどちらかが王座に就けば、いずれ国が偏り、滅びの道をたどると告げた。そして、その危機を救えるのは、ルクシアの実の息子であるアレスのみだと。彼女の言葉が国中に触れ回られ、宮廷中の人間も僕たちを遠巻きにするようになった。半信半疑だったとしても、ルクシアの言葉には重みがある」
「そのうえ、そのでっちあげの予言を真実に見せかけるために、奴は俺たちに黒魔術の呪いを施した。シヴァは魔術を封じられ、俺は剣を持てなくなったんだ。それを目の当たりにした連中が俺たちの王位継承権剥奪を主張しはじめ、暗殺まで計画された。それで城を逃げ出さざるを得なくなったんだ」
二人は城を追われた流浪の王子さま、というわけだった。
大変なことになっているんだなと同情はするが、いま一つ現実味がない。
「そこで、この窮地を救ってくれる存在を探して、シオンの住む世界へ行ったわけ」
「はあ……」
紫音は事態をうまく呑み込めず、戸惑うばかりだ。こっそりと二人の姿をあらためて観察した。
兄のシルヴァは穏やかでやさしそうな顔立ちをしている。言っていることが抜けているわりに、知性にあふれた学者然とした外見だ。
弟のラーズクロスは鋭い目元に男らしく引きしまった頬で、兄王子より言葉が少なく厳しい印象を受けるが、頼りがいのある大人の男性のたくましさを感じる。
――よけいに気後れした。
それに、本気でこの話を受け止めることに抵抗感が残る。
「私はこの世界の人間じゃないし。無理かと」
「僕らにかけられた呪いを解くには、この世界とは別の法則で生きてるシオンの力が必要なんだよ」
シルヴァの長い指で頬に触れられ、彼女はどぎまぎしながら目線をさまよわせる。
「別世界の人間というだけなら、私じゃなくても……」
「いや、僕たちはシオンがいい。困っていた僕らを助けてくれた。それに――」
シルヴァはそこで破顔した。
こんなにもきれいな顔立ちをした青年に笑いかけられては、紫音の心臓がもちそうにない。
「もう他人の仲じゃないからね。僕たちの大事なものを見られたわけだし」
「大事なものって」
「『二人とも、男の子だね』。君はそう言ったよね」
風呂上がりに子猫の性別を確かめた――あれは、見たうちに入るのだろうか。
だが、にこにこするシルヴァと対照的に、ラーズクロスが口元を押さえて紫音から顔を背ける。
(そんな反応されると……)
「僕らもシオンの清らかな裸身を見てしまったし」
「せ、責任は取る」
そこまで言われてようやく、紫音は子猫たちと一緒にシャワーを浴びたことを思い出した。見られた重度で言えば、自分のほうがはるかに上だ。今さらだったが、胸元を両腕で隠す。
「じゃ、じゃあすぐに呪いとやらを解けば、帰してくれるんですか?」
「……俺たちと一緒では、嫌なのか?」
彼女の言葉を聞き、ラーズクロスは傷ついたように表情を曇らせる。
「嫌とかそういうのじゃなくて! だってこんな、わけのわからない状況――」
「だから、もっと親睦を深めたいと思うんだ。呪いを解いてくれるのは、今すぐでなくていいよ。まだお互いに心の準備ができていないだろう?」
ひたすら嫌な予感しかしない。どういうことなのか目で訴えると、黙って成り行きを見守っていた黒ローブのオババが言った。
「シオン姫が王子殿下と情を交わせば、ルクシアの黒魔術による呪いが解けるのじゃ」
「じょ、じょうをかわせば……?」
耳慣れない言葉に問いなおす。するとオババは、フードの陰から見える口元に笑みを浮かべた。
「要するに、まぐわうということじゃ」
「まぐわう?」
また聞いたことのない言葉だ。紫音はますます首を傾げる。
「語彙の少ない娘じゃの。とどのつまり、子づくりするということじゃよ」
さすがに理解した。理解したが、あまりのことに言葉もない。ぽかんと口を開けて次の言葉に迷っていると、シルヴァに肩をたたかれた。
「エルヴィアンでは子を為せない者は王位に就くことができない。僕たちが王国を取り戻すためには、呪いを解くだけではなく、世継ぎをもうけられることを知らしめる必要があるんだ。呪いを解く方法と同じだから、一石二鳥だろう?」
ようやくここで「子供を産んでほしい」発言につながった。
「なるほど、これで納得――するわけないでしょう!?」
紫音は叫んだ。これが叫ばずにいられようか。
「あのですね。双子は魂の力が半分で、子供がつくれないとかいう話は大嘘ですから、そこは無視していただいて。それぞれ想い人とか、国内外にお相手になるお姫さまがいるんでしょう? そういう方々とつくってもらえればよいのかと」
「……ルクシアは、『双子と交わった女性はともに呪われるだろう』というよけいな一言を付け加えた。今のエルヴィアンに、俺たちの手を取ってくれる女性はいない」
そうだろうか。こんな美形の王子さまとなら、「死なばもろとも一蓮托生、呪い上等!」と名乗りを上げる女性が大勢いそうな気がするのだが……
「それに、すべてがルクシアの嘘とは断言できないんだ。さっき言った通り、僕らは双子なのにあまりにも似たところがなさすぎる」
「いえ、顔も声もそっくり……」
無視された。
「魂の力が半分というのなら、僕とラーズ、双方の子種を同時に受け入れてもらえば、子が為せる。理に適ってるだろう。だから、二人の妻になってほしい」
二人の妻、つまり、この美形双子が二人とも紫音の夫になると言っているのだ。
「あ、あなたたち、自分が何を言ってるかわかってるんですか!? 二人の妻って、私が二人と――あり得ないから! しかも子種って……」
「僕たちみたいな男は好みじゃないかな。僕はシオンのことすごく好みだよ。華奢でかわいらしくて、困っている者を見過ごせないやさしさも」
シルヴァが紫音の手を取り、真剣なまなざしで見つめてくる。
好みか好みじゃないかと聞かれれば大変好みだ。だが、こんな美形の視界に入るのは居たたまれない。そう思う切ない乙女心である。
見れば見るほど、二人の秀麗さが際立つ。天然の深緑色の瞳は、宝石みたいなきれいな色をしている。くっきりした二重瞼に長いまつ毛。ケチのつけようのない輪郭に滑らかな肌。
王子さまか! 王子さまだが……
ひたすら困惑する紫音に、シルヴァがダメ押しする。
「あの黒い虫を退治したら、僕たちの頼みを聞いてくれるって約束したよね? ねっ?」
「ねっ、じゃないわよ。先に契約内容を話さないなんて詐欺ですっ、クーリングオフを!」
彼女は悲鳴のように絶叫する。その背後でぼそりと低い声が言った。
「俺たちを受け入れては、くれないか……」
「わっ、私一人で、あなたたちみたいなデカい男二人も相手できるわけないでしょ!」
そう叫んだ途端、シルヴァとラーズクロスに左右の手を取られた。
「大丈夫、やさしくする」
異口同音で間髪容れずに答えられ、紫音はほとんど泣き笑いである。
「そういう問題じゃないのー! 考え方が非科学的ですッ」
虚しい叫びは聖堂の高い天井に響き渡り、フェイドアウトする。このままでは押し切られてしまいそうだ。
「け、結局、二人とも私の身体目当てってことなんでしょう?」
こんな恥ずかしい台詞、できれば言いたくないが、要はそういうことになる。
だが、紫音の言葉を聞いたときの双子の表情ときたら。
シルヴァは陽気な表情を凍てつかせたし、ラーズクロスは生真面目な表情を石化させた。なぜか、紫音よりも傷ついた顔をしている。
「そんなことがあるはずないよ! 僕もラーズもシオンが大好きだよ。やさしい君だからこそ、こんなお願いをしているんだ」
「か、身体目当て……」
慌てて弁明するシルヴァの隣で、ラーズクロスは紫音の発した台詞に打ちのめされている。
だが、美形な双子に迫られるなんて、謀られているか罠があるに違いないと思う。出会ったばかりで大好きだなんて言われて信じるほど、紫音は単純ではない。
「まあまあ、お若い方々」
このままでは埒が明かないと悟ったのか、オババがため息交じりに仲裁に入る。
「とりあえず今すぐどうこうというわけでもなし、シオン姫はしばしお二人とエルヴィアンを回ってみてはどうじゃな? 確か、姫の設定では『これは夢』ということじゃった。夢が醒めるまで、両手に花を楽しむのも一興じゃて。もしかしたら、お二人の呪いを解く方法が他に見つからんとも限らぬ。こちらの頼みを一方的に聞いてくれとは言えぬ重大な問題じゃし、せっかくエルヴィアンへ来たのじゃから、物見遊山して行かれては?」
そう言われて、紫音は両肩に入っていた力を抜いた。
確かにここでムキになるのは、自分が異世界に連れてこられたと認めたようなものだ。あくまでもこれは夢の出来事で、現実に起こり得るはずがない……ことにしたい。
「そう、よね。拾った猫が人間になって、Gを退治した報酬に異世界で子供を産めなんて、そんなバカげた現実があるわけないじゃん。そっかー、引っ越して最初の夜だから、疲れてるし淋しいしで、こんな夢を見てるんだね」
夢であることを自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
「じゃあ夢が醒めるまでは、僕たちに付き合ってくれるのかな?」
「そうね、夢なら。でも夢の中だからって、エッチなことはなしだから!」
「嫌がる女にそんなことをするか」
「それに、あの黒い虫から永遠にシオンを守るよ」
情を交わせとか子供を産めとかの無理難題は論外だが、世界まるごとテーマパーク紀行なら構わないかと、妥協が生まれた。
それになんだかんだいっても、害虫退治をしてくれたことには頼もしさを感じている。
自宅といってもまだ馴染んでいない自室でアレに怯えて暮らす現実より、夢の中で美形と楽しく過ごすほうがいいに決まっていた。
「でも、エルヴィアンを回るって、どこかに行くの?」
「目的は、ルクシアの息子がエルヴィアンの王太子になるのを阻止すること。だが、ルクシアも俺たちが城から落ち延びたことを知って行方を捜しているに違いない。城を目指す旅にシオンが同行してくれれば、敵の目を欺ける」
カモフラージュというわけらしい。そのくらいなら安心して役に立てそうだ。
「では、朝になったらこれに着替えて行くとよい」
そう言ってオババは紫音に服を一式くれた。
「そうだね。このままでもとってもかわいいけど、エルヴィアンではちょっと目立ってしまう」
紫音は自らの服装を見下ろした。
高校時代から愛用している緑色のよれよれジャージにはゼッケンがついている。中のTシャツも首元が伸びているし、足元にいたっては買ったばかりとはいえ百均のスリッパだ。
(マズイ、完全に干物スタイル……!)
こんなみっともない姿で、いかにも貴族然としている美形の双子に言い寄られ、かわいいなどと言われていたかと思うと、恥じ入るばかりである。
一方、オババにもらったのは、黄緑色をした裾ひろがりのフリル付きワンピースに、キリッとした生成りのロングコート、革のショートブーツだ。甘辛ミックスで、心が躍る冒険者スタイルだった。
「オババさんが選んでくれたんですか? すてきです」
「ワシがもう二十年も若ければ着たかったものですじゃ」
紫音はにこっと笑ってやり過ごし、自分のテンションを上げた服を抱きしめた。
荒唐無稽な夢だとしても、これは楽しい。
こうして夢だと断定した異世界で、美形兄弟とともにエルヴィアンの王城を目指す旅に出ることになったのだが……
「ん? 雨に濡れておろおろしてた双子猫を助けたことで、G退治はチャラにならない……?」
そんな独り言は、双子によって黙殺された。
第二話 ××しないと出られない部屋に閉じ込められました
今一つ熟睡したとは言い難いながらも、城の豪華なベッドで、紫音は朝を迎えた。
夢ではなかったのか、はたまた夢の続きなのか、天蓋つきのベッドの中のままだ。
夢にしてはやたらとリアリティがあって不安になったが、そんな懸念は部屋まで迎えにきた双子を見て、吹っ飛んだ。
「おはよう、シオン。よく眠れたかい?」
「落ち着かなかっただろ」
ドアの外には、廊下の窓から射し込む陽光を背負った双子の兄弟。まぶしすぎる。しかもただの双子ではない。彼らはこの国の王子で――
(ものすごくかっこいいんだけど……)
兄のシルヴァは金髪を短くこざっぱりとさせていて、清潔感にあふれている。黒に近い濃紺のジャケットに細身のパンツと膝まである革のロングブーツ。腰には長剣を吊っていて、本物の戦士みたいだ。
弟のラーズクロスは腰までありそうな長い金髪を結い上げており、黒いスタンドカラーのロングコートに、だぼっとしたズボン、いかついブーツ姿である。
こうしてみると、剣豪というだけあって、ラーズクロスのほうが身体に厚みがあるようだ。
「あれ、シルヴァさん、剣は苦手なんじゃ……?」
「シヴァって呼んでって。ほら、言ってみて」
「え、えーと……シヴァ」
「いいね、合格。僕は剣を振り回すのは苦手だけど、今はラーズが剣を持てないんでね。いざというときのお守りみたいなものだよ。ラーズに比べればまったく使えない部類とはいえ、僕も王太子として最低限の剣技は修めているから」
「シオン、俺のことも……ラーズと」
「お、おはよう、ラーズ」
正直なところ、純正日本人である紫音には、カタカナの名前を呼ぶだけでけっこう恥ずかしい。
それなりに気合を入れて呼んだのに、ラーズクロスは目が合うと、そっけなく顔を逸らした。紫音と親しくなりたいわけではなく、シルヴァにつられているだけなのだろうか。
「シオン、簡単だけど朝食があるから、早く着替えておいで」
「あ……」
着替えを楽しみにしていたものの、うまく寝つけなかった紫音は起き抜けだった。このヨレた顔と姿を見られたショックは大きい。
大急ぎで着替えて、古ぼけた鏡に全身を映してみる。
ややコスプレ感が否めないが、「かわいいかも」と、つい自画自賛してしまう程度にはすてきな衣装だった。緑色のジャージとは大違いだ。
脱ぎ捨てたジャージは、荷物入れにともらったズダ袋に入れておく。パジャマ代わりにする予定だ。
そしてジャージのポケットに入れっぱなしだったスマホを見つけ、電源を入れてみる。
時刻は午前七時三十分。充電率は八十パーセント。当然ながら電波は入っていない。
持っていても仕方ない気もするが、音楽は聴ける。何かの役に立つかもしれないと、紫音はワンピースのポケットの中に忍ばせた。
食事を済ませた三人は、さっそく出発することにした。
「オババさんは行かないんですか?」
「ワシはもう年寄りじゃし、宮廷魔術師の座を退いておるでのう。殿下たちをニホンへ送り込み、三人を呼び戻すなんて大業を使うたので、もうヘロヘロじゃ。若い者たちで行ってきておくれ」
そうしてあとにした城塞は、本当に堅牢なものだった。
周囲に深い緑が生い茂り、横に延びた城壁は長く、等間隔にもうけられた見張り台がずらりと遠くまで続いている。その背後には、高く突き抜ける青空がひろがっていた。
ラーズクロスが荷物引き用の馬の手綱を引き、シルヴァと紫音は手ぶらで門を出る。高台にある城塞から下にひろがる森に進みはじめた。
「これが、廃墟?」
「建築されてから数百年経つし、もうオババ以外、誰も住んでいないからね。ただ、この場所は魔力が集中するんで、治めるにはそれなりに魔力を持った人間でないと難しいんだ。その代わり、その辺の野盗には近寄ることすらできないから、おかしな輩が住みつくことはない」
まばゆい陽光が降り注ぐ森をまっすぐ見たまま、シルヴァが解説してくれる。
「へえ……。オババさん、こんなところで独り暮らしをしてるんだ。淋しくないのかな」
紫音など、あの狭いマンションですら滅入りそうだった。こんな広大な城に独りきりなんて、よほど精神力が強くなければ一日で音を上げてしまいそうだ。
「オババ曰く、若いときは辛酸を舐めつくした、せめて余生は一人きりで平穏に過ごしたいんだ、ということらしい。それに、オババは魔術師として能力のある人間だ。単独であれば魔術でどこへでも行ける。淋しくはないだろう」
「それ、瞬間移動っていうこと? そんなことができるなんてすごい……。王都を目指すなら、オババさんに送り届けてもらえばいいんじゃない?」
このエルヴィアンという国がどんな世界にあるのかはわからないが、日本があるところとは明らかに違う世界のようだった。
行き来する魔術を使えるというのなら、本気でファンタジー世界だ。少しわくわくする。
――あくまでもこれは夢だと、紫音は信じていたいのだ。
「空間移動なんて大掛かりな魔術を王都の周辺で使うと、ルクシアにあっという間に察知されてしまう。実際、この城塞にもルクシアが様子を確かめに来たようだしね。あいつの追跡は執拗で、本当に蛇みたいな女だ」
「ここまで捜しに来たんだ……二人とも見つからなかったの?」
「オババの力で猫になり、いったん別の世界に行ったことで、完全に僕たちの気配が一度消えたはず。オババが僕たちをこちらに戻したということは、ルクシアの追跡の目がなくなったということでもある。この辺りは完全に無警戒だろうから、このまま見つからないように王都を目指そう」
魔術だ魔力だと言われても、紫音には架空の物語で得た知識しかなく、それがこの世界の法則と合致しているのか、わからない。それに、わかったところでどうしようもないため、紫音は心配することをやめた。
「じゃあ、今からまっすぐ王都に向かうの?」
「ううん、この近くに僕らの叔父、ウルク公爵ハスラードの領地があるんだ。母の弟でね、僕たちとも関係はいいから、まずそこを頼ってみようと思ってる。叔父もルクシアに対しては含むところがあるし――姉を殺したかもしれない相手だからね。僕たちの味方になってくれると思うよ。何にせよ王都は遠い。少しでも味方を手に入れないと」
「……ただ、叔父もルクシアに目をつけられてはいるだろう。警戒は怠れない。今はシヴァの魔力をあてにできないからな」
三人が進むのは、木漏れ日がまぶしいのどかな森の中だというのに、会話はずいぶんと物騒だ。
紫音は「夢だから」と軽い気持ちでいたが、夢の住人であるはずの双子の事情は深刻だった。
「そのルクシアという人は、何が目的なんだろう。王位を息子に継がそうとしているってことは、その人、二人の腹違いの兄弟なの? よくわからないけど、世襲制なんでしょう?」
「本来はね。でも、今はそうとも言えない」
常に笑顔のシルヴァから笑みが消える。代わって、その整った顔に苛ついたような険しい表情を垣間見せた。見間違えかと思うくらい一瞬のことだったが……
「アレスはルクシアの連れ児で、僕らより一つ年上だよ。もちろん連れ児であるアレスに王位継承権などないのに、僕とラーズを追い落とせば、王の血を引いていないことを承知のうえで、王位が認められると考えてるらしい。他にも王位継承権を持つ者は幾人かいるけど、僕たち双子の血縁者ということで、難癖つけるつもりだろうね。ルクシアが占ったと言えば、たいていの無茶が通る。定評のある物見の能力にあかせて、『アレスを王座に据えれば国が繁栄する』と予言してみせたんだ」
「でも、国王ってそんな簡単に他人がなれるものなの……?」
「承認を行う議会はあるけど、魔術で反対者の意思を捻じ曲げられれば終わりだ。それに、最終的に国王がアレスを養子と認定してしまう可能性も……」
兄の言葉にラーズクロスも深刻そうにうなずいた。
「……百歩譲って、アレスに王位が渡ったとしても、ヤツが国民を思って善政を敷くならば、文句はない。だが、あの男は親の威をかさに着て、誰彼かまわず女を口説くことしか頭にない男だ。結局のところ傀儡となり、ルクシアがいいように国を動かすだろう」
「それは……ひどいわね。誰彼かまわず口説くなんて」
そう発言してから、紫音は自分が双子に口説かれている最中だったことを思い出した。双子もそれに思い至ったらしく、しばし沈黙が落ちる。
「――僕たちはシオンだけだよ?」
「それで、その叔父さんの領地って近いの?」
「お、俺たちは違う……!」
「わあ、景色がきれいね」
わざと話を逸らすと、双子が心の底から情けない顔をする。紫音は思わず噴き出した。
「あはは、気にしてるんだ。まあでも、二人はGから助けてくれたし、一応信用しておくね」
そう言って笑うと、シルヴァはつられて笑顔になり、ラーズクロスは目を細める。
「シオン、かわいい」
シルヴァがしみじみと言い、紫音の髪を一房手に取ってくちづけた。今度は彼女が頬を赤らめる。
恋人どころか友達もろくにいない彼女は、そんなことを言う男性と出会ったことが一度もない。
もっとも、紫音篭絡のためのリップサービスだろうが。
「シヴァ、そういう恥ずかしいこと、あんまり言わないで……」
「恥ずかしいこと? かわいいものをかわいいと言って何がおかしいの? 僕はちっとも恥ずかしくないよ。シオンはこんなにかわいいのに」
彼の大きな手に頬をふわっと触れられ、たちまち身体を小さくする。
「いえ、その――恐縮です……」
逆にシルヴァにきょとんとされて、異文化交流の難しさを知る紫音だった。
そういえば、今朝この服に着替えたときも、彼は「きれいだ、かわいい、なんて美しい。まるで妖精か女神か」などなど、引くほどの賛辞を送ってきた。
これらの言葉にほとんど耐性のない紫音には、ひたすら恥ずかしいばかりだったが、悪い気はしない。
「叔父の領地であるヴィスパには、順調にいけば夕方には着くはずだが、疲れたら遠慮せずいつでも言ってくれ」
ラーズクロスは兄とは真逆で、気を使ってくれるものの、口数が少ない。彼の分までシルヴァがスポークスマンを引き受けている印象だ。
ラーズクロスは、あまり紫音に興味がないのかもしれない。ただ、兄がノリノリだから仕方なく付き合っているふうにも見えていた。
「うん、ありがとうラーズ。でも、本当にのどかでいいなあ、ここ」
森の中には小さな川が流れている。そのせせらぎを聞きながら、馬のひづめの音をお供にして進む木漏れ日のけもの道。
双子の王子は大変な状況にいるらしいが、紫音は王位争いだの魔女の脅威だのといった話にそれほど本気になれない。
ただ、このおいしい空気と目の保養になる景色、美しい旅の連れに和むばかりである。
「エルヴィアンを気に入ってくれてうれしいよ。この国は歴史が古くてね、辺境の街にはこんなのどかな風景がたくさんあるし、古代の遺跡も多い。王都はここと違って交易が盛んで、とてもにぎやかだ。欲しいものはたいてい手に入る。これから向かうヴィスパも、街道沿いの大きな街だから、シオンの興味を引くものがあるかもしれないよ」
「平和な国なんだね。あ、今は平和じゃないのか……、内紛中?」
熾烈な王位争いが起きているのだ。政治的なことはあまりよくわからないが、これはいわゆる内紛というやつなのだろうか。
「内紛とは言えないだろう。今やルクシアに逆らえる者は宮廷にいないし、圧倒的に彼女が有利だ。今の宮廷にアレスの即位を阻止できる人間は存在しない。……俺たちを除けば」
でも、頼みの双子は魔女によって得意な能力を封じられているという。
それを解くのに必要らしいが、見知らぬ国の出会ったばかりの王子に身体を差し出すという選択は、紫音にはちょっと考えられないことだった。
「それは、あなたたち個人の素質の問題では……」
だが、ささやかな抗弁は、双子に聞き流されてしまった。
「ルクシアはそこを強調し、僕たちのどちらかが王座に就けば、いずれ国が偏り、滅びの道をたどると告げた。そして、その危機を救えるのは、ルクシアの実の息子であるアレスのみだと。彼女の言葉が国中に触れ回られ、宮廷中の人間も僕たちを遠巻きにするようになった。半信半疑だったとしても、ルクシアの言葉には重みがある」
「そのうえ、そのでっちあげの予言を真実に見せかけるために、奴は俺たちに黒魔術の呪いを施した。シヴァは魔術を封じられ、俺は剣を持てなくなったんだ。それを目の当たりにした連中が俺たちの王位継承権剥奪を主張しはじめ、暗殺まで計画された。それで城を逃げ出さざるを得なくなったんだ」
二人は城を追われた流浪の王子さま、というわけだった。
大変なことになっているんだなと同情はするが、いま一つ現実味がない。
「そこで、この窮地を救ってくれる存在を探して、シオンの住む世界へ行ったわけ」
「はあ……」
紫音は事態をうまく呑み込めず、戸惑うばかりだ。こっそりと二人の姿をあらためて観察した。
兄のシルヴァは穏やかでやさしそうな顔立ちをしている。言っていることが抜けているわりに、知性にあふれた学者然とした外見だ。
弟のラーズクロスは鋭い目元に男らしく引きしまった頬で、兄王子より言葉が少なく厳しい印象を受けるが、頼りがいのある大人の男性のたくましさを感じる。
――よけいに気後れした。
それに、本気でこの話を受け止めることに抵抗感が残る。
「私はこの世界の人間じゃないし。無理かと」
「僕らにかけられた呪いを解くには、この世界とは別の法則で生きてるシオンの力が必要なんだよ」
シルヴァの長い指で頬に触れられ、彼女はどぎまぎしながら目線をさまよわせる。
「別世界の人間というだけなら、私じゃなくても……」
「いや、僕たちはシオンがいい。困っていた僕らを助けてくれた。それに――」
シルヴァはそこで破顔した。
こんなにもきれいな顔立ちをした青年に笑いかけられては、紫音の心臓がもちそうにない。
「もう他人の仲じゃないからね。僕たちの大事なものを見られたわけだし」
「大事なものって」
「『二人とも、男の子だね』。君はそう言ったよね」
風呂上がりに子猫の性別を確かめた――あれは、見たうちに入るのだろうか。
だが、にこにこするシルヴァと対照的に、ラーズクロスが口元を押さえて紫音から顔を背ける。
(そんな反応されると……)
「僕らもシオンの清らかな裸身を見てしまったし」
「せ、責任は取る」
そこまで言われてようやく、紫音は子猫たちと一緒にシャワーを浴びたことを思い出した。見られた重度で言えば、自分のほうがはるかに上だ。今さらだったが、胸元を両腕で隠す。
「じゃ、じゃあすぐに呪いとやらを解けば、帰してくれるんですか?」
「……俺たちと一緒では、嫌なのか?」
彼女の言葉を聞き、ラーズクロスは傷ついたように表情を曇らせる。
「嫌とかそういうのじゃなくて! だってこんな、わけのわからない状況――」
「だから、もっと親睦を深めたいと思うんだ。呪いを解いてくれるのは、今すぐでなくていいよ。まだお互いに心の準備ができていないだろう?」
ひたすら嫌な予感しかしない。どういうことなのか目で訴えると、黙って成り行きを見守っていた黒ローブのオババが言った。
「シオン姫が王子殿下と情を交わせば、ルクシアの黒魔術による呪いが解けるのじゃ」
「じょ、じょうをかわせば……?」
耳慣れない言葉に問いなおす。するとオババは、フードの陰から見える口元に笑みを浮かべた。
「要するに、まぐわうということじゃ」
「まぐわう?」
また聞いたことのない言葉だ。紫音はますます首を傾げる。
「語彙の少ない娘じゃの。とどのつまり、子づくりするということじゃよ」
さすがに理解した。理解したが、あまりのことに言葉もない。ぽかんと口を開けて次の言葉に迷っていると、シルヴァに肩をたたかれた。
「エルヴィアンでは子を為せない者は王位に就くことができない。僕たちが王国を取り戻すためには、呪いを解くだけではなく、世継ぎをもうけられることを知らしめる必要があるんだ。呪いを解く方法と同じだから、一石二鳥だろう?」
ようやくここで「子供を産んでほしい」発言につながった。
「なるほど、これで納得――するわけないでしょう!?」
紫音は叫んだ。これが叫ばずにいられようか。
「あのですね。双子は魂の力が半分で、子供がつくれないとかいう話は大嘘ですから、そこは無視していただいて。それぞれ想い人とか、国内外にお相手になるお姫さまがいるんでしょう? そういう方々とつくってもらえればよいのかと」
「……ルクシアは、『双子と交わった女性はともに呪われるだろう』というよけいな一言を付け加えた。今のエルヴィアンに、俺たちの手を取ってくれる女性はいない」
そうだろうか。こんな美形の王子さまとなら、「死なばもろとも一蓮托生、呪い上等!」と名乗りを上げる女性が大勢いそうな気がするのだが……
「それに、すべてがルクシアの嘘とは断言できないんだ。さっき言った通り、僕らは双子なのにあまりにも似たところがなさすぎる」
「いえ、顔も声もそっくり……」
無視された。
「魂の力が半分というのなら、僕とラーズ、双方の子種を同時に受け入れてもらえば、子が為せる。理に適ってるだろう。だから、二人の妻になってほしい」
二人の妻、つまり、この美形双子が二人とも紫音の夫になると言っているのだ。
「あ、あなたたち、自分が何を言ってるかわかってるんですか!? 二人の妻って、私が二人と――あり得ないから! しかも子種って……」
「僕たちみたいな男は好みじゃないかな。僕はシオンのことすごく好みだよ。華奢でかわいらしくて、困っている者を見過ごせないやさしさも」
シルヴァが紫音の手を取り、真剣なまなざしで見つめてくる。
好みか好みじゃないかと聞かれれば大変好みだ。だが、こんな美形の視界に入るのは居たたまれない。そう思う切ない乙女心である。
見れば見るほど、二人の秀麗さが際立つ。天然の深緑色の瞳は、宝石みたいなきれいな色をしている。くっきりした二重瞼に長いまつ毛。ケチのつけようのない輪郭に滑らかな肌。
王子さまか! 王子さまだが……
ひたすら困惑する紫音に、シルヴァがダメ押しする。
「あの黒い虫を退治したら、僕たちの頼みを聞いてくれるって約束したよね? ねっ?」
「ねっ、じゃないわよ。先に契約内容を話さないなんて詐欺ですっ、クーリングオフを!」
彼女は悲鳴のように絶叫する。その背後でぼそりと低い声が言った。
「俺たちを受け入れては、くれないか……」
「わっ、私一人で、あなたたちみたいなデカい男二人も相手できるわけないでしょ!」
そう叫んだ途端、シルヴァとラーズクロスに左右の手を取られた。
「大丈夫、やさしくする」
異口同音で間髪容れずに答えられ、紫音はほとんど泣き笑いである。
「そういう問題じゃないのー! 考え方が非科学的ですッ」
虚しい叫びは聖堂の高い天井に響き渡り、フェイドアウトする。このままでは押し切られてしまいそうだ。
「け、結局、二人とも私の身体目当てってことなんでしょう?」
こんな恥ずかしい台詞、できれば言いたくないが、要はそういうことになる。
だが、紫音の言葉を聞いたときの双子の表情ときたら。
シルヴァは陽気な表情を凍てつかせたし、ラーズクロスは生真面目な表情を石化させた。なぜか、紫音よりも傷ついた顔をしている。
「そんなことがあるはずないよ! 僕もラーズもシオンが大好きだよ。やさしい君だからこそ、こんなお願いをしているんだ」
「か、身体目当て……」
慌てて弁明するシルヴァの隣で、ラーズクロスは紫音の発した台詞に打ちのめされている。
だが、美形な双子に迫られるなんて、謀られているか罠があるに違いないと思う。出会ったばかりで大好きだなんて言われて信じるほど、紫音は単純ではない。
「まあまあ、お若い方々」
このままでは埒が明かないと悟ったのか、オババがため息交じりに仲裁に入る。
「とりあえず今すぐどうこうというわけでもなし、シオン姫はしばしお二人とエルヴィアンを回ってみてはどうじゃな? 確か、姫の設定では『これは夢』ということじゃった。夢が醒めるまで、両手に花を楽しむのも一興じゃて。もしかしたら、お二人の呪いを解く方法が他に見つからんとも限らぬ。こちらの頼みを一方的に聞いてくれとは言えぬ重大な問題じゃし、せっかくエルヴィアンへ来たのじゃから、物見遊山して行かれては?」
そう言われて、紫音は両肩に入っていた力を抜いた。
確かにここでムキになるのは、自分が異世界に連れてこられたと認めたようなものだ。あくまでもこれは夢の出来事で、現実に起こり得るはずがない……ことにしたい。
「そう、よね。拾った猫が人間になって、Gを退治した報酬に異世界で子供を産めなんて、そんなバカげた現実があるわけないじゃん。そっかー、引っ越して最初の夜だから、疲れてるし淋しいしで、こんな夢を見てるんだね」
夢であることを自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
「じゃあ夢が醒めるまでは、僕たちに付き合ってくれるのかな?」
「そうね、夢なら。でも夢の中だからって、エッチなことはなしだから!」
「嫌がる女にそんなことをするか」
「それに、あの黒い虫から永遠にシオンを守るよ」
情を交わせとか子供を産めとかの無理難題は論外だが、世界まるごとテーマパーク紀行なら構わないかと、妥協が生まれた。
それになんだかんだいっても、害虫退治をしてくれたことには頼もしさを感じている。
自宅といってもまだ馴染んでいない自室でアレに怯えて暮らす現実より、夢の中で美形と楽しく過ごすほうがいいに決まっていた。
「でも、エルヴィアンを回るって、どこかに行くの?」
「目的は、ルクシアの息子がエルヴィアンの王太子になるのを阻止すること。だが、ルクシアも俺たちが城から落ち延びたことを知って行方を捜しているに違いない。城を目指す旅にシオンが同行してくれれば、敵の目を欺ける」
カモフラージュというわけらしい。そのくらいなら安心して役に立てそうだ。
「では、朝になったらこれに着替えて行くとよい」
そう言ってオババは紫音に服を一式くれた。
「そうだね。このままでもとってもかわいいけど、エルヴィアンではちょっと目立ってしまう」
紫音は自らの服装を見下ろした。
高校時代から愛用している緑色のよれよれジャージにはゼッケンがついている。中のTシャツも首元が伸びているし、足元にいたっては買ったばかりとはいえ百均のスリッパだ。
(マズイ、完全に干物スタイル……!)
こんなみっともない姿で、いかにも貴族然としている美形の双子に言い寄られ、かわいいなどと言われていたかと思うと、恥じ入るばかりである。
一方、オババにもらったのは、黄緑色をした裾ひろがりのフリル付きワンピースに、キリッとした生成りのロングコート、革のショートブーツだ。甘辛ミックスで、心が躍る冒険者スタイルだった。
「オババさんが選んでくれたんですか? すてきです」
「ワシがもう二十年も若ければ着たかったものですじゃ」
紫音はにこっと笑ってやり過ごし、自分のテンションを上げた服を抱きしめた。
荒唐無稽な夢だとしても、これは楽しい。
こうして夢だと断定した異世界で、美形兄弟とともにエルヴィアンの王城を目指す旅に出ることになったのだが……
「ん? 雨に濡れておろおろしてた双子猫を助けたことで、G退治はチャラにならない……?」
そんな独り言は、双子によって黙殺された。
第二話 ××しないと出られない部屋に閉じ込められました
今一つ熟睡したとは言い難いながらも、城の豪華なベッドで、紫音は朝を迎えた。
夢ではなかったのか、はたまた夢の続きなのか、天蓋つきのベッドの中のままだ。
夢にしてはやたらとリアリティがあって不安になったが、そんな懸念は部屋まで迎えにきた双子を見て、吹っ飛んだ。
「おはよう、シオン。よく眠れたかい?」
「落ち着かなかっただろ」
ドアの外には、廊下の窓から射し込む陽光を背負った双子の兄弟。まぶしすぎる。しかもただの双子ではない。彼らはこの国の王子で――
(ものすごくかっこいいんだけど……)
兄のシルヴァは金髪を短くこざっぱりとさせていて、清潔感にあふれている。黒に近い濃紺のジャケットに細身のパンツと膝まである革のロングブーツ。腰には長剣を吊っていて、本物の戦士みたいだ。
弟のラーズクロスは腰までありそうな長い金髪を結い上げており、黒いスタンドカラーのロングコートに、だぼっとしたズボン、いかついブーツ姿である。
こうしてみると、剣豪というだけあって、ラーズクロスのほうが身体に厚みがあるようだ。
「あれ、シルヴァさん、剣は苦手なんじゃ……?」
「シヴァって呼んでって。ほら、言ってみて」
「え、えーと……シヴァ」
「いいね、合格。僕は剣を振り回すのは苦手だけど、今はラーズが剣を持てないんでね。いざというときのお守りみたいなものだよ。ラーズに比べればまったく使えない部類とはいえ、僕も王太子として最低限の剣技は修めているから」
「シオン、俺のことも……ラーズと」
「お、おはよう、ラーズ」
正直なところ、純正日本人である紫音には、カタカナの名前を呼ぶだけでけっこう恥ずかしい。
それなりに気合を入れて呼んだのに、ラーズクロスは目が合うと、そっけなく顔を逸らした。紫音と親しくなりたいわけではなく、シルヴァにつられているだけなのだろうか。
「シオン、簡単だけど朝食があるから、早く着替えておいで」
「あ……」
着替えを楽しみにしていたものの、うまく寝つけなかった紫音は起き抜けだった。このヨレた顔と姿を見られたショックは大きい。
大急ぎで着替えて、古ぼけた鏡に全身を映してみる。
ややコスプレ感が否めないが、「かわいいかも」と、つい自画自賛してしまう程度にはすてきな衣装だった。緑色のジャージとは大違いだ。
脱ぎ捨てたジャージは、荷物入れにともらったズダ袋に入れておく。パジャマ代わりにする予定だ。
そしてジャージのポケットに入れっぱなしだったスマホを見つけ、電源を入れてみる。
時刻は午前七時三十分。充電率は八十パーセント。当然ながら電波は入っていない。
持っていても仕方ない気もするが、音楽は聴ける。何かの役に立つかもしれないと、紫音はワンピースのポケットの中に忍ばせた。
食事を済ませた三人は、さっそく出発することにした。
「オババさんは行かないんですか?」
「ワシはもう年寄りじゃし、宮廷魔術師の座を退いておるでのう。殿下たちをニホンへ送り込み、三人を呼び戻すなんて大業を使うたので、もうヘロヘロじゃ。若い者たちで行ってきておくれ」
そうしてあとにした城塞は、本当に堅牢なものだった。
周囲に深い緑が生い茂り、横に延びた城壁は長く、等間隔にもうけられた見張り台がずらりと遠くまで続いている。その背後には、高く突き抜ける青空がひろがっていた。
ラーズクロスが荷物引き用の馬の手綱を引き、シルヴァと紫音は手ぶらで門を出る。高台にある城塞から下にひろがる森に進みはじめた。
「これが、廃墟?」
「建築されてから数百年経つし、もうオババ以外、誰も住んでいないからね。ただ、この場所は魔力が集中するんで、治めるにはそれなりに魔力を持った人間でないと難しいんだ。その代わり、その辺の野盗には近寄ることすらできないから、おかしな輩が住みつくことはない」
まばゆい陽光が降り注ぐ森をまっすぐ見たまま、シルヴァが解説してくれる。
「へえ……。オババさん、こんなところで独り暮らしをしてるんだ。淋しくないのかな」
紫音など、あの狭いマンションですら滅入りそうだった。こんな広大な城に独りきりなんて、よほど精神力が強くなければ一日で音を上げてしまいそうだ。
「オババ曰く、若いときは辛酸を舐めつくした、せめて余生は一人きりで平穏に過ごしたいんだ、ということらしい。それに、オババは魔術師として能力のある人間だ。単独であれば魔術でどこへでも行ける。淋しくはないだろう」
「それ、瞬間移動っていうこと? そんなことができるなんてすごい……。王都を目指すなら、オババさんに送り届けてもらえばいいんじゃない?」
このエルヴィアンという国がどんな世界にあるのかはわからないが、日本があるところとは明らかに違う世界のようだった。
行き来する魔術を使えるというのなら、本気でファンタジー世界だ。少しわくわくする。
――あくまでもこれは夢だと、紫音は信じていたいのだ。
「空間移動なんて大掛かりな魔術を王都の周辺で使うと、ルクシアにあっという間に察知されてしまう。実際、この城塞にもルクシアが様子を確かめに来たようだしね。あいつの追跡は執拗で、本当に蛇みたいな女だ」
「ここまで捜しに来たんだ……二人とも見つからなかったの?」
「オババの力で猫になり、いったん別の世界に行ったことで、完全に僕たちの気配が一度消えたはず。オババが僕たちをこちらに戻したということは、ルクシアの追跡の目がなくなったということでもある。この辺りは完全に無警戒だろうから、このまま見つからないように王都を目指そう」
魔術だ魔力だと言われても、紫音には架空の物語で得た知識しかなく、それがこの世界の法則と合致しているのか、わからない。それに、わかったところでどうしようもないため、紫音は心配することをやめた。
「じゃあ、今からまっすぐ王都に向かうの?」
「ううん、この近くに僕らの叔父、ウルク公爵ハスラードの領地があるんだ。母の弟でね、僕たちとも関係はいいから、まずそこを頼ってみようと思ってる。叔父もルクシアに対しては含むところがあるし――姉を殺したかもしれない相手だからね。僕たちの味方になってくれると思うよ。何にせよ王都は遠い。少しでも味方を手に入れないと」
「……ただ、叔父もルクシアに目をつけられてはいるだろう。警戒は怠れない。今はシヴァの魔力をあてにできないからな」
三人が進むのは、木漏れ日がまぶしいのどかな森の中だというのに、会話はずいぶんと物騒だ。
紫音は「夢だから」と軽い気持ちでいたが、夢の住人であるはずの双子の事情は深刻だった。
「そのルクシアという人は、何が目的なんだろう。王位を息子に継がそうとしているってことは、その人、二人の腹違いの兄弟なの? よくわからないけど、世襲制なんでしょう?」
「本来はね。でも、今はそうとも言えない」
常に笑顔のシルヴァから笑みが消える。代わって、その整った顔に苛ついたような険しい表情を垣間見せた。見間違えかと思うくらい一瞬のことだったが……
「アレスはルクシアの連れ児で、僕らより一つ年上だよ。もちろん連れ児であるアレスに王位継承権などないのに、僕とラーズを追い落とせば、王の血を引いていないことを承知のうえで、王位が認められると考えてるらしい。他にも王位継承権を持つ者は幾人かいるけど、僕たち双子の血縁者ということで、難癖つけるつもりだろうね。ルクシアが占ったと言えば、たいていの無茶が通る。定評のある物見の能力にあかせて、『アレスを王座に据えれば国が繁栄する』と予言してみせたんだ」
「でも、国王ってそんな簡単に他人がなれるものなの……?」
「承認を行う議会はあるけど、魔術で反対者の意思を捻じ曲げられれば終わりだ。それに、最終的に国王がアレスを養子と認定してしまう可能性も……」
兄の言葉にラーズクロスも深刻そうにうなずいた。
「……百歩譲って、アレスに王位が渡ったとしても、ヤツが国民を思って善政を敷くならば、文句はない。だが、あの男は親の威をかさに着て、誰彼かまわず女を口説くことしか頭にない男だ。結局のところ傀儡となり、ルクシアがいいように国を動かすだろう」
「それは……ひどいわね。誰彼かまわず口説くなんて」
そう発言してから、紫音は自分が双子に口説かれている最中だったことを思い出した。双子もそれに思い至ったらしく、しばし沈黙が落ちる。
「――僕たちはシオンだけだよ?」
「それで、その叔父さんの領地って近いの?」
「お、俺たちは違う……!」
「わあ、景色がきれいね」
わざと話を逸らすと、双子が心の底から情けない顔をする。紫音は思わず噴き出した。
「あはは、気にしてるんだ。まあでも、二人はGから助けてくれたし、一応信用しておくね」
そう言って笑うと、シルヴァはつられて笑顔になり、ラーズクロスは目を細める。
「シオン、かわいい」
シルヴァがしみじみと言い、紫音の髪を一房手に取ってくちづけた。今度は彼女が頬を赤らめる。
恋人どころか友達もろくにいない彼女は、そんなことを言う男性と出会ったことが一度もない。
もっとも、紫音篭絡のためのリップサービスだろうが。
「シヴァ、そういう恥ずかしいこと、あんまり言わないで……」
「恥ずかしいこと? かわいいものをかわいいと言って何がおかしいの? 僕はちっとも恥ずかしくないよ。シオンはこんなにかわいいのに」
彼の大きな手に頬をふわっと触れられ、たちまち身体を小さくする。
「いえ、その――恐縮です……」
逆にシルヴァにきょとんとされて、異文化交流の難しさを知る紫音だった。
そういえば、今朝この服に着替えたときも、彼は「きれいだ、かわいい、なんて美しい。まるで妖精か女神か」などなど、引くほどの賛辞を送ってきた。
これらの言葉にほとんど耐性のない紫音には、ひたすら恥ずかしいばかりだったが、悪い気はしない。
「叔父の領地であるヴィスパには、順調にいけば夕方には着くはずだが、疲れたら遠慮せずいつでも言ってくれ」
ラーズクロスは兄とは真逆で、気を使ってくれるものの、口数が少ない。彼の分までシルヴァがスポークスマンを引き受けている印象だ。
ラーズクロスは、あまり紫音に興味がないのかもしれない。ただ、兄がノリノリだから仕方なく付き合っているふうにも見えていた。
「うん、ありがとうラーズ。でも、本当にのどかでいいなあ、ここ」
森の中には小さな川が流れている。そのせせらぎを聞きながら、馬のひづめの音をお供にして進む木漏れ日のけもの道。
双子の王子は大変な状況にいるらしいが、紫音は王位争いだの魔女の脅威だのといった話にそれほど本気になれない。
ただ、このおいしい空気と目の保養になる景色、美しい旅の連れに和むばかりである。
「エルヴィアンを気に入ってくれてうれしいよ。この国は歴史が古くてね、辺境の街にはこんなのどかな風景がたくさんあるし、古代の遺跡も多い。王都はここと違って交易が盛んで、とてもにぎやかだ。欲しいものはたいてい手に入る。これから向かうヴィスパも、街道沿いの大きな街だから、シオンの興味を引くものがあるかもしれないよ」
「平和な国なんだね。あ、今は平和じゃないのか……、内紛中?」
熾烈な王位争いが起きているのだ。政治的なことはあまりよくわからないが、これはいわゆる内紛というやつなのだろうか。
「内紛とは言えないだろう。今やルクシアに逆らえる者は宮廷にいないし、圧倒的に彼女が有利だ。今の宮廷にアレスの即位を阻止できる人間は存在しない。……俺たちを除けば」
でも、頼みの双子は魔女によって得意な能力を封じられているという。
それを解くのに必要らしいが、見知らぬ国の出会ったばかりの王子に身体を差し出すという選択は、紫音にはちょっと考えられないことだった。
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