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2010年作品

しっぽ

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 その日、小学校の三年生のとき以来、すごく久しぶりに幼馴染みの千尋の部屋へ招かれた。ボクはとても緊張していた。
 深刻そうな顔して、一体、何の用事なんだろうか?

 もしかして、愛の告白……!?

 でも、最近、学校でも、暗い顔をしているし、道ですれ違ったようなときにも、考え事をしているみたいで、ボクに気がつかないことも多い。いつも気さくに挨拶を交わしあってるのに。

 一体なんだろうか?

 ボクは、ちょっぴりの期待感と、得体の知れない不安感を抱えて、千尋の部屋に座り込んでいた。



 女の子らしい甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる千尋の部屋で、二人きり。ちょっと気詰まりで、そばの窓ごしに、家の前の通りをバイクが走っていくのを眺めていた。
 ボクの後ろで、ベッドに腰掛けた千尋が、なにか言いたそうにしている。だけど、言いづらそうにして、もじもじしているばかり。なんとなくすがりつくような目をして、ボクを見ているようだ。

「で、なに?」

 振り返り、千尋の発言を促すように、まっすぐに眼を見つめる。
 慌てて、ボクの視線を避け、また、ちょっと逡巡しゅんじゅんしたけど、ようやく心が決まったみたいで、ボクをつよく見返してきた。

「準ちゃん、あの、私……」

 でも、すぐに気持ちがくだけて、下を向いてしまう。それでも辛抱強く、千尋が口を開くのを待つ。優しげに見えるはずの笑顔を浮かべて。
 やがて、意外に明るい口調で話し始めた。

「準ちゃん、郁ちゃんって知ってる?」
「ん? 郁? 郁…… 井上郁実?」

 うんと千尋がうなずいた。

「郁ちゃんがね。準ちゃんのこと好きだって」

 わぉ!

 ついつい頬がほころんでしまう。
 女の子に好きだっていわれちゃうなんて、初めてのこと。まるで、夢のようだ!
 そうか、そうだったのか。
 井上のヤツめ、学校で会っても、ただの同級生ってだけで、そしらぬ感じで接していたけど、本当は、すごく期待をこめて、熱い気持ちで、ボクを見ていたのだ。

 やった! やったぁ~!

 そんなニヤニヤ笑い全開のボクの前で、千尋、なんだか仏頂面ぶっちょうづら

 え? このシチュエーションって、もしかして……?

 親友の頼みだから、千尋の口からそのことをボクに伝えたけど、本心は、すごくみじめで、いやな気分なのかな? ずっと仲のよい幼馴染みだと思ってきたけど、親友の口から好きだって言葉を聞いて、その言葉に触発されて、自分の本当の気持ちに気づいてしまったっとかいう? どこかありふれた三角関係の恋物語かなにかの展開なのか?

 二人の少女に思いを寄せられる色男のボク。今日は人生最高の日だ!

 などと、ニヤニヤあごの下をなでて、あれこれ妄想を深めていたのだけど……



 ふっと見ると、千尋、腕を抱くようにして、ボクから視線をそらして立っている。

「ちゃんと伝えたからね。返事は、ちゃんと郁ちゃん本人にしてあげて」

 ぽつりとつぶやいたけど、眉根を寄せて、黙った。
 ボクが井上と付き合うことになったら…… そんな想像だけでも胸の痛みを感じてしまって、黙って耐えようとしているのかな?
 親友の幸せと自分自身の気持ち。
 ついつい親友の幸せの方を優先させちゃうんだろうな。けなげな女の子なら。
 なんて、あれこれ思いめぐらせていたのだけど……
 ん? そういえば、子供の頃、ボクが物ほしそうに見ている目の前で、キャンディーとか、よく見せびらかすようにして食べていたっけ。コイツ。自分だけで、人に分けたりせず…… ほしいものがあるなら、絶対に遠慮なんかしない。

 う~む。

 ふっと、千尋が、なにか言いたげにボクをチラチラ見ているのに気づいた。
 いよいよ、千尋も自分の気持ちに負けて、とうとうボクに告白を……
 かなり期待しながら、千尋が口を開くのを待っていたのだけど。
 結局、唇をキッと結んだまま、だまりつづけた。



「なあ? 千尋、俺、井上と付き合った方がいいと思うか?」

 つい辛抱しきれずに、千尋に余計なことを訊いてしまう。
 でも、この様子だと、絶対、千尋の本当の気持ちを聞けない。今日は絶対、本心を聞いてからでなければ、帰っちゃいけない。そんな気がしていた。
 でも、即座に返事が、

「そうね。準ちゃんと郁ちゃんじゃ、全然釣り合いが取れないし、少なくともお似合いではないわね。でも、こんなことは、本人たちがどう思うかであって、私がどう思うかではないわ。精々、二人ともがんばってお幸せにね」

 全然、心のこもらない乾いた声でも毒のこもった口調でもない、あくまでも冷静な分析・判断。困ったような表情を浮かべている以外、いつもどおりで、不自然な様子なんて微塵みじんもなかった。

 ……
 えっと、千尋は、もしかして、ボクたちが付き合おうがどうしようが、本当にどうでもいいのだろうか?
 でも、だとしたら、あの眉根をよせ、苦悩に満ちた表情。一体なんなのだろうか?
 親友とボクを取り合うことに心を痛めているというのでもないとすると……
 本当は、そんなことなど、どうでも良くて、実は、もっと別の真剣な悩みを抱えているとか?

 戸惑いながら、千尋を見つめていた。



 やがて、千尋が不意にポツリとつぶやいた。

「私、尻尾しっぽが生えたみたい……」
「……」
「……」
「……へっ?」
「私、尻尾が生えたみたい……」

 冗談ではないようだ。いや、冗談か?

「えっと……」
「私、尻尾が生えたみたい。どうしよう……」

 心細く途方にくれた声。ボクの前で、千尋、ダムが決壊するみたいに、泣き崩れた。
 ボクが観察する限り、控えめな胸、細い腰、肩まで届く髪、スパッツに包まれた尻も含めて、とくにいつもと違うようには見えないのだけど……
 千尋は、ボクの前で涙でぐちゃぐちゃになった頬を両手でこすっている。

「えっと…… どこに?」
「うぐっ……お尻……」
「……」

 千尋、ゆっくりと背を向けて、スパッツを少しずりさげた。見ようによってはすごくエロティックな光景なんだろうけど、でも、すぐにボクの目の前に現れたのは、毛むくじゃらの長い尻尾。
 その長い尻尾が目の前を左に右にゆっくりと揺れ動いている。

「えっと……」
「……ひぐっ……」
「な、なんで?」
「……分からない……」

 千尋がそのあと説明するには、先月の終わりごろから、妙にお尻がかゆい日が続いたのだけど、今月のはじめごろに、小さなシッポの先が現れ、しだいに大きくなったらしい。そして、とうとう一メートル近くまで成長した。

「えっと……サ○ヤ人?」

 千尋は激しく泣き出した。



 それからが大変だった。
 ボクにこんなことを相談されても、どうしようもない。
 だから、千尋の両親に思い切って打ち明けるように説得し、その場に一緒にいてあげた。
 千尋の両親にしても、自分たちや自分たちの親戚筋にシッポのある人間なんて一人もいないわけなので、どうしていいかわからず、近所のかかりつけの病院へ。
 かかりつけのお医者さんにしても、こんな症例なんてはじめてのこと、知り合いの大学病院の医師に相談することに……
 大学病院の医師たちでもどうしようもなくて、国の研究機関に報告され、さらに、学会でも取り上げられ……
 二週間もしないうちに、大事おおごとになってしまった。
 国を代表するような名医たち、学者たちが千尋の家へ終結し、ノーベル賞受賞者など世界中の権威が千尋を診察した。
 それでも、千尋の尻尾はなんなのか、誰にもわからなかった。
 千尋にシッポが生えたのは、遺伝子検査の結果、先天的な原因ではないようだった。なら当然、後天的な原因があるのでは? というので、近所に住むボクたちも彼らからいろいろ調べられたし、実験につき合わせられた。
 そして、もちろん、そんな謎のシッポ娘なんて、マスメディアに格好の話題を提供することになる。連日、千尋の家周辺(ってことは、ボクの家の周りでもある)を大勢の記者やカメラマンたちが取り囲み、千尋が今日はだれそれの診察を受けたとか、だれそれが、新たなシッポ仮説を発表したなんて、伝えていた。
 ボクたち近所の者たちも、千尋とはどんな女の子なのか? いろいろ質問されたし、悪意があったのか、なかったのか知らないが、適当な嘘といいかげんな噂が流れたりもした。
 ただ、これだけは言えるのは、千尋の尻尾のおかげで、近所に住む我々は、平穏な生活を脅かされ、穏やかに暮らすことなんて出来なくなっていた。
 そんな状況にいら立ち、千尋の家族をむ近所の者たちがしだいに増えていったのも、仕方のないことだった。



 もちろん、ボクも近所に住んでいるし、千尋の幼馴染みだから、いろいろと迷惑かけられ通しだった。
 マスメディアに追いかけられ、世界中の医学者たちの実験対象にされた。

 大体、ボクの三点倒立のバランスのとり方と、千尋の尻尾にどんな関係がありうるっていうのだろうか? ボクの数学の成績との相関関係って、一体なんなのだ?

 でも、ボクはあの時、千尋が心細くて、小さな子供のように泣いているのを見てしまったのだ。
 涙でぐちゃぐちゃに汚れた顔を……
 そんな姿を見せられたら、だれだって、こう思うもんだろう?

 絶対、こいつを守ってやるって。

 たとえ、性格的に難がある女だとしても、ボクを信頼して、ボクを頼りにしてくれたのだ。そして、一番弱々しい部分をボクにさらけ出してもくれた。だからこそ、その千尋の信頼に応えてやりたい!
 たぶん、これからも、ボクは千尋のそばにいてやることになるんだろうな。
 千尋の親友たちは、井上さんも含めて、あれ以来、全然近寄らなくなったみたいだけど、彼女たちとは違って、ボクが離れていくなんてことはないだろう。

 これから先も、ずっと、いつまでも……
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