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2010年作品

のぼり

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 幼馴染の美緒ちゃんが引っ越していってから、もう三ヶ月になる。
 幼稚園の頃からの親友で、三月までは、毎日一緒に登下校していた仲。
 たまに喧嘩もしたけど、ずっとお互いの一番の親友だった。
 でも、この四月、お父さんの仕事の関係で仙台へ。
 今朝も、私は、通学路の途中にあるその小さめのこぎれいな家を見上げてため息をつく。
 朝日をいっぱいに浴びて、真っ白な洗濯物たちがはためいていたベランダ。家の横手に建てられているガラス張りの温室。おとぎ話にでも出てきそうなメルヘンチックな感じの玄関ドア。
 そのどれにも美緒ちゃんとの思い出があるし、見るたびに切なく胸が締め付けられる。
 でも、今は無人の空き家。その家の前には、不動産屋ののぼりが何本か立てられていて、周囲の人の気を引こうとしてはいるのだけど、この三ヶ月、全然売れる気配はなかった。



 はぁ~

 私は、また、ため息をついて道を急ぐ。
 三ヶ月前までは、二人並んで、たわいものないことをおしゃべりしながら通っていた通学路。今はひとり黙々と歩くだけ。さびしぃ~
 今まで、小学校時代も含めて、一人で学校へ通うなんて、美緒ちゃんと喧嘩したときか、美緒ちゃんが病気をしたときぐらい。
 いつも二人だったのに……
 このまま永遠に二人で歩いていくと信じていたのに……

 はぁ~

 私、また、ため息をつき、たまたま目に付いた小石を蹴飛ばした。
 その小石、私に蹴飛ばされ、緩やかな坂道で勢いがついて、思ってたより遠くまで転がっていく。そして、道端に転がっていた空き缶にぶつかった。

 カンッ!!!

 案外大きな乾いた音がした。
 その突然の音に驚いたのは、私だけでなく、道脇の用水路のふちを、私を警戒しながら歩いていた子猫も。
 その場で本当に飛び上がり、そして、足を踏み外した。
 私、一瞬、なにが起こったのか、わからなかった。
 でも、すぐに聞こえた小さな水音で我に返り、慌ててガードレール越しに用水路をのぞいてみる。
 おちた子猫、自分のお腹までの水深の用水路の中で、呆然とした様子でいる。
 自分の身に何が起きたのか、まだ理解できずにいるみたい。
 この用水路、水深こそ浅いけど、両岸は人の背丈ぐらいのコンクリート覆われている。大人の猫なら、コンクリートのあちこちから出ているでっぱりを伝って、道路まで上がってこれそうだけど、落ちたのは子猫。

 このままじゃ、用水路から出れずに、死んじゃう!

 私、すごく不安に感じた。少なくとも子猫が落ちてしまったのは、私に責任がある。なんとか、助けないと。でも、登校途中で、子猫を助ける役に立ちそうな道具なんて、もっているわけもないし……
 私、考えた。そして、さっき見たばっかりのものがパッと思い浮かんだ。

「待ってて、今助けてあげるから!」

 私、子猫にそう言い残して、元来た道を引き返していった。



 私、美緒ちゃんの家の前ののぼりを一本拝借して、慌てて用水路まで駆けていった。

――待ってて、猫ちゃん!

 祈るような気持ちで、飛ぶようにかけていく。
 ようやく、用水路の脇まで来た。
 まずは子猫の様子を確認しようと用水路に近づいたとき、突然、ずぶ濡れの毛むくじゃらのモノが、用水路の中からせりあがってきた。

――えっ!? なに?

 その毛むくじゃらのもの、道路の脇に放り出され、転がった。
 すぐに、むくりと起き上がり、辺りをキョロキョロした後、ダッシュして逃げていった。
 その後ろ姿は、用水路に落ちたはずの、あの子猫だった。
 私、呆気あっけにとられたまま、逃げていく子猫の姿を見ていたのだけど、突然、足元から男性の声がした。

「水色と白のストライプか……」

 えっ!?

 思いもかけない方向から、思いもかけない言葉。それに、水色と白のストライプって……
 一瞬、クビをひねったけど、すぐに気がつき、頬がカァ~っと熱くなる。
 慌てて、スカートの裾を押さえて、飛び退すさった。

「ねぇ? さっきの子、ちゃんと飼い主さんの家へ戻っていった?」

 そういいながら、用水路の中から顔を出したのは、美緒ちゃんと入れ違いのように転校してきた同級生の山田君。
私、小さくうなずきながらも、山田君をにらんでいた。

「よいしょっと!」

 ひょいと飛び上がるようにして、道路まで山田君が上がってきた。足元は、裸足。濡れて水草がくっついている。ズボンのあちこちも泥で汚れ、濡れている。
 用水路に入って、さっきの子猫を助けてくれたのだ。
 私、どうすればいいのか分からなかった。戸惑ってだまって立ち尽くしているだけだった。
 その私の前で、山田君、ガードレールをまたぎ、しゃがんで足についた水草を払いのける。そして、ゆっくりと振り返った。

「水野さん? それって、彼氏募集中ってこと?」

 おもしろそうに、いたずらっ子の目をして、山田君言った意外な一言に、一瞬、キョトンとした私。でも、すぐに気がついた。私が持っているのは、『売り物件』ののぼり。

「ち、違う! 違うわよ! さっきの猫ちゃんを助けてあげようと……」

 耳まで赤くなりながら、全力で否定。だって事実だもん!

「ふ~ん、なぁんだ。残念」

 笑いを含んだ声で返されて、私、さらに赤くなった。

「あっ、水野さん、悪いけど、カバン、教室に運んでおいてくれない?」

 脱いだ靴や靴下と一緒においてあったカバンを私に差し出してきた。自分の身なりを見回して、

「こんな格好じゃ、学校へ行けないから、一旦、家に帰って、着替えてくるわ。カバンお願いな」

 そう言い残して、自分のカバンを私に押し付け、靴と靴下を手にぶら下げて、学校とは反対の方向へ歩き始めた。
 でも、すぐに引き返してきて、

「それと、ついでに、それも元に戻しておくよ」

 そう言いながら、私の抱えていたのぼりを奪っていく。
 私の手元から『売り物件』ののぼりが消えた。
 かわりに、皮の匂いがする少し大きめのカバンを私は胸に抱いている。

 これって……

 気がついたら、のぼりを担いで去っていく背中に、叫んでいた。

「ありがとう!」

 山田君、振り返って、笑顔を見せた。
 胸元では、筆箱がカラカラっと鳴っていた。
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