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2009年作品

ふたり

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「俺、はるかのこと、好きだ」

 陽介くんはズルい!

 そんな大事なことを、今、言うなんて。
 もっと前に、言ってほしかった。
 もっとずっと前、まだ学校が無邪気に楽しかったころに。

「俺、ずっとお前のことが好きだった。ずっと、そのことをお前に言いたかったけど、言えなかった。今までごめんな。お前を傷つけるようなことばかり言って」

 陽介くん、私の目を見ないで、私の頭の天辺の方を見つめたまま、ポツリポツリとつぶやく。



 私たちが出会ったのは、中学に入学したとき。
 同じクラスで席が隣同士だった。
 私たちの中学には、二つの小学校から生徒が進学してくる。だから、入学当初は、出身の小学校ごとに、固まっていて、違う小学校の卒業生とは打ち解けることなんてできない。だけど、ゴールデンウィークも明け、それなりの時間を教室で一緒にすごし、お互いに相手のことを理解するようになるに従い、しだいに仲良くなっていく。
私たちも、席が隣だというので、いつの間にか、気軽におしゃべりするようになっていた。
 陽介くん、女子たちが夢中になるほどには決して格好よくもないし、気の利いた性格でもない。スポーツマンでもないし、勉強もできる方ではない。
 よくも悪くも目立たない普通の男子。
 席が隣っていうのでなければ、ただの同級生男子ってだけの存在だったのだろうけど……



 最初の頃は、登校してきて、お互いに『おはよう』とか挨拶する程度の仲だった。
 でも、席が隣なだけでなく、理科の実験のグループも、家庭科の調理実習の班も、いつも一緒。
 自然に、冗談を言い合ったり、ふざけあったりするようになった。
 男子とそんな近しい関係になるのって、初めてのことだったし、すごく新鮮で、毎日学校へ来るのが楽しみだった。
 でも、そういう関係って、他の同級生たちから見ると、友達以上の関係に見えるみたいで、よくみんなから、『二人付き合ってるの?』なんて訊かれ、困っちゃったんだよね。
 そんな質問されるたびに、二人で思いっきりクビをふって否定して、でも、その様子がおかしくて、笑いあったりして。
 口喧嘩もよくした。
 冗談がすぎて、ついつい相手を傷つけてしまったり、言い過ぎてしまったり。
 傷つけたり、言い過ぎたりしたって自覚があるのなら、すぐに相手に謝ればいいのに、お互い意地張っちゃって、口喧嘩した日は、無視しあってた。
 でも、次の日には、そんなことすっかり忘れていて、いつもと同じように、冗談言ったり、ふざけあってたりしてたんだよね。
 それから、拗ねて、何日かお互いに口をきかなかったりしたこともあったっけ。
 あれは、なにが原因で口をきかないことにしたんだっけ?
 思い出せないぐらいのことだから、大したことじゃなかったんだろうけど、そのときは、すごく重大なことのように思ってた。



 で、一年があっという間にすぎて、二年生になって、クラス替えが発表されても、やっぱり陽介くんと同じクラスだった。
 玄関脇の壁に、張り出された名簿を順番に見てまわっていたとき、私すごく不安で、顔がこわばっていた。けれど、私の名前を見つけて、直後に、そのクラスの男子の中に陽介くんの名前を見つけた途端、思わず笑顔になっちゃった。
 そんな私を見つけ、陽介くん、

「はるか、なにニヤニヤしてんの? 思い出し笑いか? 気色悪いな!」

 なんて、言ってるくせに、自分もニヤニヤしちゃって。どっちが気色悪いんだか。

「二年も同じクラスだね。よろしくね」
「ああ、また、お前と一緒かよ! ついてないな!」

 そういう憎まれ口たたいているけど、顔がすごくうれしそうにしているから、思いっきり背中に蹴りを入れるだけで、カンベンしてあげた。

 ったく!



 でも、冬休み前、期末テストが終わった頃、陽介くん、暗い顔して学校へ来た。

「どうしたの、陽介? 風邪でも引いた?」
「え…… ああ、ちょっとな」
「もう、風邪、私にうつさないでよ。週末、パパとスノボしに行くんだから」

 いつもなら、『バカは風邪引かねえから、心配すんな!』とか、なんとか減らず口をきくはずなんだけど、なにも言わずに自分の席についた。

 ヘンなの!?

 その日の放課後、帰ろうとすると陽介くんに呼び止められた。

「はるか、ちょっと話ある」
「え? なに? アンタ、今日ずっとヘンだったじゃない。おうちで、なにかあったの?」

 ちょっと沈黙。本当になにかあったみたい。やがて、

「親父が今度仙台へ転勤することになって、冬休み中に俺たちも引っ越すことになった」
「え……!」

 顔がこわばった。

 陽介くんが引っ越していっちゃう。陽介くんが引っ越していっちゃう。

 私、それだけしか考えられなかった。
 ただ、頭の中に、陽介くんが引っ越すっていうことだけが、延々とリフレインし続けていた。

「中学に入って、お前と出会えて、楽しかったよ」

 陽介くん、足元をみつめたまま、ささやくようにつぶやいた。

「そっ」

 私、それだけ言い残して、机の横のカバンをとり、駆け出すように、その場を去った。



 それから、数日間は、陽介くんと私の間には、気まずい沈黙しかなかった。
 朝、おはようの挨拶をするぐらいで、冗談を言い合うこともなく、笑い合うこともない。
 あの日の翌日には、クラスのみんなも、陽介くんが引っ越していくことを知ったし、みんな私に優しく接してくれていた。
 そんなに気を使わなくてもいいのに。
 友達の一人が家庭の事情で、私の元から去っていくだけ。そんなの、地方の大都市通勤圏にあるニュータウンの小学校時代から、なんども経験していたこと。寂しいし、辛いけど、特別なことではない。
 私、もう慣れっこになっていた。
 ううん、慣れっこになっていると信じていた。



 やがて、終業式の日。
 陽介くんがこの学校へ登校してくる最後の日。
 終業式も終わり、みんなが帰っていった教室で、陽介くんが私にいった。

「俺、はるかのこと、好きだ。俺、ずっとお前のことが好きだった。ずっと、そのことをお前に言いたかったけど、言えなかった。今までごめんな。お前を傷つけるようなことばかり言って」

 そうよ、どうしてくれるのよ!
 私をこんなに傷つけて、悲しませて! 私を一人にして!

 私、うつむいているしかなかった。
 陽介くんの上履きがにじんで見えた。

「俺、いつかお前を迎えに来る。絶対、必ず。だから、待っててくれないか」

 陽介くんってズルい!

 最後の日にそんなことを言うなんて……
 これじゃあ、待っていてあげないなんて、言えないじゃない!
 私、小さくうなずいていた。それから、一度ギュッと目を閉じ、なんどか瞬きして、顔を上げた。

「でも、あんまり待たさないでね。忘れたりしちゃだめだぞ。私がおばあちゃんになる前に迎えに来ること」

 精一杯の笑顔を陽介くんに向けてあげる。陽介くん、泣きそうな目をして私を見た。たぶん、私も同じ瞳。

「ああ、そうする」

 そして、私たち、握手した。
 手のひらにいつまでもぬくもりが残っていた。
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