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※※※
「引き受けてくれるね?」
虫も殺せなさそうな穏やかなかんばせとは裏腹に、その瞳はYES以外の返答を想定していない。とはいえ正直生活に困っている小春にとってその条件はあまりに魅力的で。
長い沈黙の末に、小春は小さく頷いた。
「ふふ。それじゃあこれからよろしくね、小春」
満足そうに男が笑う。何だか掌の上で踊らされている気分だ。底の見えない笑みを浮かべながらも言動は強引で、掴みどころがない。
あやかしのことを悪魔のようだと思ったのは初めてだった。
「ここは星が綺麗に見えるなぁ……」
思わず比較してしまったのは数カ月前まで暮らしていた地だ。冬という季節も関係しているのだろうが、見える星の数が全然違う。朝桐 小春は、ほうと感嘆の息を漏らした。
小春が住んでいたのは比較的都会だったのでここまではっきりとは星が見えなかった。それに比べ、ここはいい。空気は澄んでいるし、無駄に明かりがついてない。星座は分からないものの夜空を埋め尽くすほどの星たちは美しいと感じさせられる。吐き出した空気が淡い白に染まるのをぼんやりと眺めつつ、夜の散歩を再開した。
歩を進めるたびに凍てつくような寒さが体を縮こまらせる。ごく普通のジーパンと薄手のセーターという服装は真冬の夜に出掛けるには不向きだが文句をいえる立場ではない。
八歳のときに母親を亡くしてから、小春は叔父夫婦のもとに預けられた。衣食住のうち余所のお家に食と住を負担してもらっているのだ、これ以上は迷惑をかけられない。それに制服がある高校に通っている小春にとって、私服は数着を着回すだけで十分だ。
今の生活に不満はない。叔父夫婦とその子どもたちは本当によくしてくれる。ただその優しさが小春にとって辛かっただけで。家族水入らずの時間を過ごしてほしいというのは建前で、逃げるように全寮制の高校に進学を決めた。今年の春から始まった高校生活で友達もそこそこできて充実した日々を過ごしている。それなのに、どうして満たされないのだろうか。
「おい、そこの小娘。またこんな夜更けに出歩いているのか」
ふっと空気が揺らいだ気配がしたと思うと目の前に小さなうさぎが現れた。もちろん普通の動物ではない。それはあやかしとよばれるもの。お伽噺でしか耳にしない彼らのことを視える者は少ないが、小春は生まれつきその存在を認識できた。
まるで鳥獣戯画に出てきそうな容貌をしたそのうさぎは二足歩行で、浴衣を着ている。なんともいえない珍妙な格好だが不思議と違和感は少ない。
「真昼でも人通りが少ないこんな場所は来るものではない。とっと立ち去れ」
うさぎは小さな腕を組み、偉そうな口調で言い放つ。だがつぶらな黒い瞳と少年のような高い声のせいで威厳はないに等しい。むしろ可愛いと感じてしまうのだから逆効果だ。
うさぎは辺りをぐるりと見渡した。見ろという合図だろう。小春は促されたとおり、周囲に視線を向けた。
どこか寒々しい雰囲気が漂っている商店街の通りにはひとっ子ひとり見つからない。数多くの店が所狭しと並んでにもかかわらず、軒並みシャッターが閉まっているのは夜という時間帯のせいだけではないだろう。辺りが暗いためどこを見ても彩度が低い。黒と灰の色で構成された通りを点々と街路灯が照らしていた。オレンジ色の温かな光が目に入るたびあれはガス灯なのだろうかと疑問に思っている。
「分かっただろう、気軽にふらついていい時間ではないのだ」
「…………」
「おい聞いているのか」
「まあまあ、そんなに怒らないの、暁。耳が千切れるわよ」
長い耳をぴんと立てて抗議の声をあげたうさぎを宥めるような声が降りかかった。思わず声の方向に目をやると、いつの間にか一匹増えている。色違いの浴衣を着たこのうさぎは初めて見た。
先ほどまで小春に説教をしていたうさぎの名は暁というらしい。何回か会話を交わしたことはあるものの、名を尋ねるタイミングがなかったので初耳だった。
「引き受けてくれるね?」
虫も殺せなさそうな穏やかなかんばせとは裏腹に、その瞳はYES以外の返答を想定していない。とはいえ正直生活に困っている小春にとってその条件はあまりに魅力的で。
長い沈黙の末に、小春は小さく頷いた。
「ふふ。それじゃあこれからよろしくね、小春」
満足そうに男が笑う。何だか掌の上で踊らされている気分だ。底の見えない笑みを浮かべながらも言動は強引で、掴みどころがない。
あやかしのことを悪魔のようだと思ったのは初めてだった。
「ここは星が綺麗に見えるなぁ……」
思わず比較してしまったのは数カ月前まで暮らしていた地だ。冬という季節も関係しているのだろうが、見える星の数が全然違う。朝桐 小春は、ほうと感嘆の息を漏らした。
小春が住んでいたのは比較的都会だったのでここまではっきりとは星が見えなかった。それに比べ、ここはいい。空気は澄んでいるし、無駄に明かりがついてない。星座は分からないものの夜空を埋め尽くすほどの星たちは美しいと感じさせられる。吐き出した空気が淡い白に染まるのをぼんやりと眺めつつ、夜の散歩を再開した。
歩を進めるたびに凍てつくような寒さが体を縮こまらせる。ごく普通のジーパンと薄手のセーターという服装は真冬の夜に出掛けるには不向きだが文句をいえる立場ではない。
八歳のときに母親を亡くしてから、小春は叔父夫婦のもとに預けられた。衣食住のうち余所のお家に食と住を負担してもらっているのだ、これ以上は迷惑をかけられない。それに制服がある高校に通っている小春にとって、私服は数着を着回すだけで十分だ。
今の生活に不満はない。叔父夫婦とその子どもたちは本当によくしてくれる。ただその優しさが小春にとって辛かっただけで。家族水入らずの時間を過ごしてほしいというのは建前で、逃げるように全寮制の高校に進学を決めた。今年の春から始まった高校生活で友達もそこそこできて充実した日々を過ごしている。それなのに、どうして満たされないのだろうか。
「おい、そこの小娘。またこんな夜更けに出歩いているのか」
ふっと空気が揺らいだ気配がしたと思うと目の前に小さなうさぎが現れた。もちろん普通の動物ではない。それはあやかしとよばれるもの。お伽噺でしか耳にしない彼らのことを視える者は少ないが、小春は生まれつきその存在を認識できた。
まるで鳥獣戯画に出てきそうな容貌をしたそのうさぎは二足歩行で、浴衣を着ている。なんともいえない珍妙な格好だが不思議と違和感は少ない。
「真昼でも人通りが少ないこんな場所は来るものではない。とっと立ち去れ」
うさぎは小さな腕を組み、偉そうな口調で言い放つ。だがつぶらな黒い瞳と少年のような高い声のせいで威厳はないに等しい。むしろ可愛いと感じてしまうのだから逆効果だ。
うさぎは辺りをぐるりと見渡した。見ろという合図だろう。小春は促されたとおり、周囲に視線を向けた。
どこか寒々しい雰囲気が漂っている商店街の通りにはひとっ子ひとり見つからない。数多くの店が所狭しと並んでにもかかわらず、軒並みシャッターが閉まっているのは夜という時間帯のせいだけではないだろう。辺りが暗いためどこを見ても彩度が低い。黒と灰の色で構成された通りを点々と街路灯が照らしていた。オレンジ色の温かな光が目に入るたびあれはガス灯なのだろうかと疑問に思っている。
「分かっただろう、気軽にふらついていい時間ではないのだ」
「…………」
「おい聞いているのか」
「まあまあ、そんなに怒らないの、暁。耳が千切れるわよ」
長い耳をぴんと立てて抗議の声をあげたうさぎを宥めるような声が降りかかった。思わず声の方向に目をやると、いつの間にか一匹増えている。色違いの浴衣を着たこのうさぎは初めて見た。
先ほどまで小春に説教をしていたうさぎの名は暁というらしい。何回か会話を交わしたことはあるものの、名を尋ねるタイミングがなかったので初耳だった。
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