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09.冷血小公爵は記憶の中に沈む
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真っ暗な水底に堕ちていく。
(苦しい、たすけてぇ)
必死に手を伸ばすが虚しく水面を引っかくだけだった。足掻いても足掻いても体が沈んでしまう。
(怖い、いやだ、ひとりは嫌だ!!)
口からぶくぶくと空気の泡が漏れる、けれど何も変わらない。あまりの恐怖に意味がないと分かりながら目を閉じた時、ある記憶が走馬灯のように蘇った。
それは家での光景。公爵の執務室の机に座る父と僕の記憶。記憶の中にある父はいつも厳しい人だった。
『誰にも恥じない立派な『騎士』になれ』
『……はい』
物心つく前から繰り返された洗脳のような言葉。
けれど、僕はそれがとても嫌だった。公爵家の使用人達も皆が僕に『騎士』として主としての厳格さを求めたが、僕は本当は『騎士』になりたくなかった。
本当は、『騎士』には似つかわしくない刺繍が好きだった。花も好きだった。綺麗な装飾がされた服も、繊細なロココ調の部屋も好きだった。
でも、『騎士』を求められた。苦手な剣術をできるように努力しないといけなかった、『騎士』の友人が話す好きな『姫』の話や酒を付き合いでしないといけなかった、そして『騎士』らしい無骨でシンプルなものを強要された。
苦痛が日常だったため、最早それは当たり前となった。心が死んだのだ。
場面が変わり、そこは懐かしい辺境伯の部屋だった。どっかりと椅子に座る前辺境伯はマティアスによく似ているがその表情は溌剌としていて陰鬱さのかけらもない。
前辺境伯は父から見たら従兄弟で、あまり親し気ではなかったが避暑地として1ヶ月程度そこをひとりで訪れるのがとても楽しかった。
辺境伯領は王都と違い自然にあふれていて、大好きな花もたくさん咲いていた。父からも家の使用人達からも離れられるその時だけは本当の自分になれた気がした。
『フリッカは本当に姫そっくりだな。きっと素晴らしいお姫様になるだろうな』
軽い口調でそう言われた時、胸が張り裂けそうになった。
『……僕は『騎士』にならないといけないのにどうして辺境伯様はそんな風に言うのですか』
まっすぐにその金色の瞳を見つめて問うと、前辺境伯は豪快に笑った。
『ははは、フリッカは本当に『騎士』になりたいのか??俺にはそうは見えない。いいんだ、ここではしたいように過ごせばいいさ』
そう言って頭を撫でられた時、涙が零れた。
前辺境伯のおかげで辺境伯領に居る時だけは自分を偽らないで過ごせた。
そして、マティアスとも沢山遊んだ。
優しくて大好きな前辺境伯によく似ているマティアスのことが僕は好きだったことを思い出した瞬間また場面が切り替わる。
そこは、緑豊かな辺境伯領の景色が蘇る。黄色い背の高い花、確かひまわりが沢山咲いた畑に立つ幼い僕とマティアスの記憶……。
『あ、あの姫君。俺、強い『騎士』になります。だから……そうした僕の、僕だけの姫に……』
『……ごめん、マティアス。よく聞こえなかった』
本当は全部聞こえていたけど、ここから帰れば『騎士』に戻らないといけない僕がマティアスに答えることができなかった記憶。
(確かその後、マティアスは泣いてしまったんだったな……)
本当は、僕もマティアスが好きだった。マティアスの『姫』になりたかった。きっとマティアスの前での僕は嘘偽りのない本当の僕だったからそれを愛してもらえたことが嬉しかった。
しかし、喜びの記憶は再び色を失い、見慣れた公爵の執務室に戻った。学園に通うことなる前年、僕が11歳の年に辺境伯の夫人で『姫』が亡くなった。
あまり印象はなかったが僕を快く受け入れてくれた人のひとりだったので葬儀に出たいと父に申し出た。けれど……。
『絶対にダメだ。それともう二度と辺境伯領へは行くな、許さない』
普段、無表情の父が強い口調と怒りに満ちた表情で僕を怒鳴りつけた。
そして、ちょうどその頃、父は後妻を迎えた。そして、その連れ子がアルフレッドだった。
このふたりにより学園に通うまでの1年は思い出すのも憚られるような地獄の日々だった。後妻は僕をとても嫌い、実子のアルフレッドを溺愛していた。
実子が可愛いのは当たり前だと騎士団の仲間が言っていたが、可愛いからと言って僕の持ち物を奪ったり、暴力をふるうような癇癪を起しても注意をしないのは品位に欠けると今でも思う。
なぜか、アルフレッドは僕の私物を異常に欲した。一番困ったのが服の盗難だった。最初はワイシャツのようなものだったが最後の頃には、下着まで奪われてしまい本当に困ったのを覚えている。
他人が着た汚れた下着など僕なら絶対に欲しくないが、なぜかアルフレッドはそれすら盗んだ。着るものがなく困る僕の滑稽さを笑うつもりだったのだろうがそのためだけに嫌いな人間の下着を盗む理由がわからない。
そこまで考えた時、耳元で声が聞こえた。
『姫君、フリッカ姫……』
それは、先ほどの少年のマティアスではない、大人のマティアスのそれだった。
水の膜の先から聞こえるような声に薄っすら瞳を開くが、目の前には薄い皮膜があるように思えた。外の世界は理解できたが、自分の体は薄い皮膜に覆われたようで自分のものではないような気がした。
だからかもしれない。声がでなかった。
生ける屍にでもなったようなアンバランスな気持ちで、いるとその体をマティアスが抱きしめたのが分かった。彼は泣きながら『ごめんなさい』と何度も何度も繰り返している。
『愛している。誰よりも……貴方だけをずっと……どんな貴方でも俺は愛している。優しくただ甘やかしたいのにそれなのに……』
その先の言葉は水の膜に遮られて分からなかった。
ただ、現実味のない中で僕はマティアスの髪を撫でてみた。途端に弾かれたように僕をマティアスが見つめる。その顔は涙でぐちゃぐちゃで遠い日に『よく聞こえなかった』と言われた時のような顔だった。
(苦しい、たすけてぇ)
必死に手を伸ばすが虚しく水面を引っかくだけだった。足掻いても足掻いても体が沈んでしまう。
(怖い、いやだ、ひとりは嫌だ!!)
口からぶくぶくと空気の泡が漏れる、けれど何も変わらない。あまりの恐怖に意味がないと分かりながら目を閉じた時、ある記憶が走馬灯のように蘇った。
それは家での光景。公爵の執務室の机に座る父と僕の記憶。記憶の中にある父はいつも厳しい人だった。
『誰にも恥じない立派な『騎士』になれ』
『……はい』
物心つく前から繰り返された洗脳のような言葉。
けれど、僕はそれがとても嫌だった。公爵家の使用人達も皆が僕に『騎士』として主としての厳格さを求めたが、僕は本当は『騎士』になりたくなかった。
本当は、『騎士』には似つかわしくない刺繍が好きだった。花も好きだった。綺麗な装飾がされた服も、繊細なロココ調の部屋も好きだった。
でも、『騎士』を求められた。苦手な剣術をできるように努力しないといけなかった、『騎士』の友人が話す好きな『姫』の話や酒を付き合いでしないといけなかった、そして『騎士』らしい無骨でシンプルなものを強要された。
苦痛が日常だったため、最早それは当たり前となった。心が死んだのだ。
場面が変わり、そこは懐かしい辺境伯の部屋だった。どっかりと椅子に座る前辺境伯はマティアスによく似ているがその表情は溌剌としていて陰鬱さのかけらもない。
前辺境伯は父から見たら従兄弟で、あまり親し気ではなかったが避暑地として1ヶ月程度そこをひとりで訪れるのがとても楽しかった。
辺境伯領は王都と違い自然にあふれていて、大好きな花もたくさん咲いていた。父からも家の使用人達からも離れられるその時だけは本当の自分になれた気がした。
『フリッカは本当に姫そっくりだな。きっと素晴らしいお姫様になるだろうな』
軽い口調でそう言われた時、胸が張り裂けそうになった。
『……僕は『騎士』にならないといけないのにどうして辺境伯様はそんな風に言うのですか』
まっすぐにその金色の瞳を見つめて問うと、前辺境伯は豪快に笑った。
『ははは、フリッカは本当に『騎士』になりたいのか??俺にはそうは見えない。いいんだ、ここではしたいように過ごせばいいさ』
そう言って頭を撫でられた時、涙が零れた。
前辺境伯のおかげで辺境伯領に居る時だけは自分を偽らないで過ごせた。
そして、マティアスとも沢山遊んだ。
優しくて大好きな前辺境伯によく似ているマティアスのことが僕は好きだったことを思い出した瞬間また場面が切り替わる。
そこは、緑豊かな辺境伯領の景色が蘇る。黄色い背の高い花、確かひまわりが沢山咲いた畑に立つ幼い僕とマティアスの記憶……。
『あ、あの姫君。俺、強い『騎士』になります。だから……そうした僕の、僕だけの姫に……』
『……ごめん、マティアス。よく聞こえなかった』
本当は全部聞こえていたけど、ここから帰れば『騎士』に戻らないといけない僕がマティアスに答えることができなかった記憶。
(確かその後、マティアスは泣いてしまったんだったな……)
本当は、僕もマティアスが好きだった。マティアスの『姫』になりたかった。きっとマティアスの前での僕は嘘偽りのない本当の僕だったからそれを愛してもらえたことが嬉しかった。
しかし、喜びの記憶は再び色を失い、見慣れた公爵の執務室に戻った。学園に通うことなる前年、僕が11歳の年に辺境伯の夫人で『姫』が亡くなった。
あまり印象はなかったが僕を快く受け入れてくれた人のひとりだったので葬儀に出たいと父に申し出た。けれど……。
『絶対にダメだ。それともう二度と辺境伯領へは行くな、許さない』
普段、無表情の父が強い口調と怒りに満ちた表情で僕を怒鳴りつけた。
そして、ちょうどその頃、父は後妻を迎えた。そして、その連れ子がアルフレッドだった。
このふたりにより学園に通うまでの1年は思い出すのも憚られるような地獄の日々だった。後妻は僕をとても嫌い、実子のアルフレッドを溺愛していた。
実子が可愛いのは当たり前だと騎士団の仲間が言っていたが、可愛いからと言って僕の持ち物を奪ったり、暴力をふるうような癇癪を起しても注意をしないのは品位に欠けると今でも思う。
なぜか、アルフレッドは僕の私物を異常に欲した。一番困ったのが服の盗難だった。最初はワイシャツのようなものだったが最後の頃には、下着まで奪われてしまい本当に困ったのを覚えている。
他人が着た汚れた下着など僕なら絶対に欲しくないが、なぜかアルフレッドはそれすら盗んだ。着るものがなく困る僕の滑稽さを笑うつもりだったのだろうがそのためだけに嫌いな人間の下着を盗む理由がわからない。
そこまで考えた時、耳元で声が聞こえた。
『姫君、フリッカ姫……』
それは、先ほどの少年のマティアスではない、大人のマティアスのそれだった。
水の膜の先から聞こえるような声に薄っすら瞳を開くが、目の前には薄い皮膜があるように思えた。外の世界は理解できたが、自分の体は薄い皮膜に覆われたようで自分のものではないような気がした。
だからかもしれない。声がでなかった。
生ける屍にでもなったようなアンバランスな気持ちで、いるとその体をマティアスが抱きしめたのが分かった。彼は泣きながら『ごめんなさい』と何度も何度も繰り返している。
『愛している。誰よりも……貴方だけをずっと……どんな貴方でも俺は愛している。優しくただ甘やかしたいのにそれなのに……』
その先の言葉は水の膜に遮られて分からなかった。
ただ、現実味のない中で僕はマティアスの髪を撫でてみた。途端に弾かれたように僕をマティアスが見つめる。その顔は涙でぐちゃぐちゃで遠い日に『よく聞こえなかった』と言われた時のような顔だった。
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