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61. 誰も知らない物語(ジャック視点)

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「くっ……」

「もう、おしまいか?」

剣劇に押され、ついには壁際まで追いやられていた。男はガタイの良さとは異なり、とても俊敏な無駄のない動きで俺を追い詰めた。

(ここまでか……)

刃が俺の喉元を切り裂こうとした時に、それは起きた。

ドン!

大きな音と共に男が吹き飛ぶ。理由が分からずきょとんとした時、クリスの言葉を思い出した。

「これは魔法ではありません。強いて言うならば「祈り」というものに近い。「祝福」と言った方が良いでしょうか?」

(もしかしてこれが祝福か?)

しかし、吹き飛ばされた男は起き上がりニヤリと笑う。ダメージは受けているが致命傷には陥っていないらしい。

「ははは、なるほど。祝福ね。しかしだからなんだ、そんなものは意味がない」

男からどす黒い何かがあふれた。それが何かは分からないが、もしも当たったならばまずいということだけは本能で分かった。

それを何とか躱すが、男からとめどなく溢れだしているそれをかわし続けることが難しいことを悟る。再び始まった男の反撃。溢れるものを優先的に躱そうとした結果、その刃が頬を掠り切り裂いた。

血が飛び散る。

その瞬間、黒いものが問答無用で傷口から体内へ入り込んだ。何かがおかしいと思った。まるでそれは自分が書き換わるような変な感覚だった。

まずい。そう思った時だった。

「やはり……そういうことだったのか」

部屋の扉が開かれて、そこに人影が見えた。ガルシア公爵様だった。

「ガルシア公爵様……逃げてください、ルーク殿下を連れて……」

「もちろん、ルークは安全に連れて帰る。しかし、その前にジャック、君も救う」

しかし、何かが入ったからか、意識が暗転した。

暗転した意識が蘇った時、それが奇妙であることに気付いた。そこは先ほどまでと同じ場所でありながら全く違う風景が見えていた。

目の前に机と椅子があり、奇妙な服装のひとりの女性が何かしているのが分かった。思わず、何をしているのか確認しようと近づいた。

「貴方は誰?」

しかし、気配に気づいたらしく女性は振り返る。

とても昏い瞳をしていた。なぜそんな瞳をしているのか俺にはわからない。ただ、彼女はまるで先ほどの男のようなとても昏く濁った瞳をしていた。

「……ジャックと言う。騎士をしている」

その答えに女性が目を見開いたのが分かる。そして次の瞬間信じられない言葉を告げた。

「まさか、ジャックって小説の騎士じゃない。ははは、とうとう私狂ったのね」

ケタケタと女は笑う。そして彼女の手元を見てゾッとした、その手首に自殺未遂の痕が見えたからだ。

「君は一体……」

「私はひとりなんだ。この家は私の祖父母の家。両親は私が生まれる前に死んだんだってさ。山奥にあるこの家に来る人はいない。学校に少し通っていたこともあったけど誰ともなじめなくってそれからはここでひとりで暮らしているの」

「……そうか。先ほど小説といったがどういうことだ?」

「ああ、これよ。私の大好きな小説。偶然本屋さんで並んでいて買ったの」

そう言って、一冊の本を差し出された。異国の文字で書かれていて内容は分からないが、明らかにルーク殿下とガルシア公爵に似た人物が表紙に書かれていた。

「これは……」

「唯一の楽しみよ。でもね、もうそれもにしたいなって考えていたの。ずっとひとりでこれからも生きて行くのと、死んでしまうの何が違うのかしら?」

昏い瞳はどこも見ていない。ただ、虚空をさまようばかりだ。俺はただ女性を見つめている。

「でもね、少しだけ楽しいことがあるのよ。この小説の中に入る夢を見れたの。その中では私は女じゃなくって暗殺者の男なの。それで、ルーク殿下があまりに優しいから恋に落ちた。けれど……私、この小説の中でもモブでしかも孤独な男なの。なんか、どこに行ってもうまくいかないなって思ったけど夢だから好き勝手してやろうって……」

何故かその言葉を聞いた時に理解した。この女性とあの男は同じ人物だ。ならば……。

「……貴方は孤独なのだな。しかし、貴方が小説と呼ぶ世界は俺にとって現実だ。だから……」

「ねぇ、ジャック。幻影だとわかっているけど聞いて。小説の中の私はルーク殿下が好きだけど、現実の私はジャック貴方が好きなのよ。貴方はけっして報われないのに、ルーク殿下を純粋に高潔に愛している。そんな直向きな想いが綺麗で、うらやましい」

女性の瞳からはらはらと涙が零れた。その涙を拭うように手を差し伸べた瞬間、世界がぐらりと揺れた。
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