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第六章 裏切った人

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  駅から家までの道のりを、すみれはトボトボと歩いていた。
 ラブホテルを飛び出してからどうやって帰ってきたのか、記憶がない。
 最寄り駅まで辿り着いたということは、まだ終電はあったのだろう。駅前はタクシー待ちの客が列をなしていた。酒臭い息を吐くサラリーマンの群れを避けながら、すみれはふと純平に告白された日のことを思い出した。
 あの時はガッツポーズしながらこの道を帰ったっけ。それに比べて今日のこの惨めな気持ちは……。
 たった半年でこんな日が来るとは思いもしなかった。

「この人……木之下さんだよね、部長の。なんで、なんで二人とも裸なの」
 しどろもどろになって言い訳する純平に「最低だよ」と言い残し、平手打ちを喰らわしたのは覚えている。頭に血が上って思わず手が出てしまったが、今になって猛烈な自己嫌悪に襲われた。
(私に、そんなこと言う資格、ないよね。自分がやってることだって最低じゃない……)
 長門に性の快楽を教え込まれ、ドンドンその世界に引きずり込まれている。責められるなら自分だって同じだ。

 その一方で、純平に二股をかけられていたという現実にも打ちのめされていた。
(なんで、なんで私じゃダメだったの)
 頭の中はもうグチャグチャだ。家が近付いてくる。文彦には美咲の家に泊まる、と言ってしまった。
 なんて言い訳しよう。
 泊まると言ったのも嘘、泊まらなかったのも嘘。また嘘を重ねなければならない。
 足取りは重くなる一方だった。
(こんな生活、もうやめないと。ホントにダメになっちゃう)
 全ては長門に犯されてからだ、歯車が狂いだしたのは。次の日、部室で美咲に打ち明けていたら……。
 こんなことにはならなかったかもしれない、と今さらながら思う。十九歳の胸には後悔ばかりが押し寄せていた。

 玄関のポーチライトはもう消えていた。すみれは、ただいま、と心の中で呟いてドアを開ける。
 文彦はもう寝てるだろうか。その方が都合がいいのだけれど。
 靴を脱ごうとすると、ヒールのあるパンプスが綺麗に揃えられていた。見たことがあるような気がするが、自分のものではない。
(誰か来てるの? 女の人? こんな時間? なんで?)
 今日は一体なんなの。心がまたザワついた。

 そっと玄関を上がり、まずキッチンを覗く。電気はついているが、ひと気はない。ダイニングテーブルにはデリバリーのピザが半分ほど箱に残っていた。その横には空のワイングラスが二つ。口紅の痕が飛び込んできて、思わず目を背けた。お母さんも私もいない隙に女の人を家に上げるなんて。見てはいけないものを見てしまった気がした。

 文彦が誰かと一緒にいることは間違いない。恐る恐る階段を覗き込む。二階はすみれの部屋と両親の寝室だった。足音を立てないように、一段ずつ上がっていく。自分の家なのに、お化け屋敷を彷徨っているような不気味な気がした。廊下の奥が両親の寝室だ。閉まっているドアに耳をそばだてると、不意にかすかな媚声が飛び込んできた。

「あッ、そこッ、ダメッ!」

 ゾーっと鳥肌が立つ。今なら声で分かる。中で行われているのは、間違いなく男女の営みだ。すみれはしゃがみ込んでしまった。
「あぁぁぁ……すごいイイ。気持ちいい、文彦さん、イイの……」
(お父さんが……誰かとセックスしてる……)
 今まで父親でしかなかった文彦が、急に一人の男になって現れた。
 昨日までは考えたこともなかった事態にすみれは動揺していた。
 何も見なかった、何も聞かなかったことにして、今すぐ立ち去ってしまおう。
 そう思ったが、足はプルプルと震え、立ち上がることもできなかった。

(イヤッ。なんでよ、なんでよ、お父さんまで……)
「ねぇ、そこはイヤッ。お願いやめ、くッ、はあぁぁぁ……ダメよ、ンン、ンあぁぁ」
「そろそろこっちの穴もほぐしておかないと。次はこっちで受け止めてもらうんだから」
「お尻はイヤッ。怖いわ……。ねぇ、お願い。指、抜いて」
(お尻って。まさかそんなところに……)
「怖くなんかないさ。アナルの気持ち良さを知ったら病みつきになるぞ」
 漏れてきたやり取りに吐き気がしてきた。お母さんが留学してるのをいいことに、女を寝室に連れ込むなんて。
 自慢の父が変質的なセックスを迫っていることが信じられなかった。
「あぁぁ、掻き混ぜないで……ううン、ダメよ、ダメッ! もうイクッ! 文彦さんも一緒に来てッ!」

 もうドアの外からでもはっきり聞き取れるくらい、大きな喘ぎ声が響いてくる。
 その声を聞いた瞬間、ハッとした。
(まさか……そんなわけないじゃない。きっと、きっと空耳よ)
 確かめない方がいい。
 そんなのは分かっていた。
 自分さえ黙っていれば、お母さんに知られることはない。これからも表面上は幸せな家族のままでいられる。その方がいいに決まっている。だけど――。

 一度頭をもたげた疑念は胸の中でみるみる大きくなっていく。もしあの声が本当に……。
(やっぱり確かめないと)
 よろよろと立ち上がると、覚悟を決めてノブに手をかける。音を立てないように、すみれはパンドラの箱を開けた。

「す、すみれ……」
 文彦が掠れた声で呻いた。
「え?」
 馬乗りになって腰を振っていた女が振り向く。
「ねぇ、どうして? どうしてなのよッ」
 すみれの声は震えていた。
「どういうことか説明してよッ、お父さん」
 父親がセックスしているところなんて見たくなかった。その相手が誰かなんて知りたくなかった。
 凍りついた顔をすみれに向けていたのは、美咲だった。
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