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第四章 横恋慕する人
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久しぶりに結んだネクタイが、どうにもしかつめらしい。
しきりに首元に手をやる水嶋純平を、木之下玲子はおかしそうに見つめていた。
すみれが長門に襲われてから三日目、純平と玲子は一緒に埼玉と群馬の県境を訪れていた。ボランティア施設で読み聞かせ会のスケジュールをすり合わせるためだった。
新体制で玲子は文嘉大手話研究会の部長に、純平は三人いる副部長の一人に二年生で唯一、選ばれた。
担当者が姿を見せるまでの間、純平はまだネクタイをいじっている。
「そんな気にしなくても、ちゃんとなってるから大丈夫よ、水嶋くん」
シックな黒のジャケットにタイトスカート姿の玲子が声をかけた。
「え、あ、そうですか。スーツって、なんか慣れないですよね」
「そう? ばっちり決まってるよ」
すっかり頭の禿げ上がった年配の男性が済まなさそうに会議室に入ってくると、純平は玲子とともに立ち上がった。
「いやあ、お待たせしちゃって申し訳ない。じゃあ早速始めましょうか」
打ち合わせが無事に終わった帰り道。純平は駅前のアンテナショップで地元野菜をモチーフにしたゆるキャラのぬいぐるみを手にしていた。
「あら、彼女へのプレゼント?」
「え、いやー、まぁ、そんなんじゃ……」
曖昧な返事でかわすと、さっと写真に納め、店員に「これ下さい、一番小さいの」と声をかける。
「私も同じのにしようかな。でも、お揃いになっちゃうか」
玲子のつぶやきは、純平の耳には届かなかったようだ。
ラッピングされた包みを大事そうにカバンにしまうと、純平は「じゃあ、行きましょうか」と促した。
「待ってよ、私の、まだなんだから」
玲子は拗ねてみせる。
純平は買い物を終えると、さっさとスマホをいじっていた。
その姿を、玲子はジッと見つめていた。
(ふーん、誕生日が暗証番号なんだ。案外、無用心ね)
「水嶋くんは秋の手話通訳士試験、受けるの?」
「はい、受けてみようかなと。玲子さんは?」
「私も考えてるんだ。でも試験、結構厳しいよね」
「合格率、十から二十%くらいですか」
「去年の冬から税理士の勉強も始めたでしょ。ダブルスクールって結構大変なのね。でも学生時代にこれをやってましたって言えるの、手話研くらいだから、資格は取っておきたいんだ。それに勉強するのは苦じゃないし、私」
ボックスシートの電車の中で純平と玲子は向かい合っていた。
玲子は女子では珍しく地方から二浪して文政に入ってきた。一浪して受かった地元の大学に通いながら、親には黙って仮面浪人して受験勉強したのだという。だから学年は一つだが、年齢は三つ上だ。
「私、就活はする気ないの。税理士一本。水嶋くんは資格試験とか狙ってないの?」
狭いボックス席で奥まで腰掛けているので、タイトスカートは際どいところまでせり上がっていた。むっちりとした太ももが露わになっている。ストッキングの奥には真っ赤な下着がチラッと見えていたが、玲子は気が付いていないのか、隠すそぶりもない。純平は目のやり場に困っていた。
「僕ですか。そうですね、国家公務員試験は受けようと思ってますけど」
「ふーん、官僚かあ。じゃあさ、将来は事務次官とか」
玲子は純平をからかうように笑った。丸い顔にショートヘアがよく似合っている。大きな瞳と笑った時にできるえくぼがチャーミングだ。
「そんな出世はどうでもいいんです。ただ、国を動かすような仕事がしたいなって」
「へー、水嶋くん、結構硬派なんだね」
「とにかく、手話研で通訳士の試験受かった人、まだいないじゃないですか。玲子さん、僕らが第1号になりましょうよ」
(僕ら、ね)
その言葉が玲子には甘く響いた。
純平は男子にしては小柄で華奢な印象だが、明るく快活なキャラクターで女子受けも良く、リーダーシップもあった。手話研に入部した時から、目立つ存在だった。
去年の冬、就活がうまくいかず留年することになった彼氏に見切りをつけて別れたのも、純平に目がいくようになったからだ。
肉食系なのは自認している。十五歳の時、中学時代の担任に猛アタックして、ヴァージンを捧げた。教え子との交際に相手が怖気付くと、熱はぱったり冷め、自分から振った。
高校時代は四歳上の大学生の家庭教師を密室で口説き落とした。仮面浪人していた時は合コンで知り合った二十六歳のITベンチャー社長と付き合ったが、文嘉大に合格すると遠距離恋愛なんて出来ないとあっさり捨てた。惹かれるのは決まって年上の男だった。
だから、自分より若い男子に好意を抱くのは初めてだ。
どうやら柊泉の女の子と付き合ってるらしいーー。
今年に入って、純平のそんな噂が耳に入ってきた。心がザワついた。
(なんで柊泉の女の子なのよ……)
玲子は胸の奥に黒い感情が湧き上がるのを抑えられなかった。
部長と三人の副部長が二組に分かれて施設を回ることになった時、純平とペアになるようクジを仕組んだ。周囲からは見え見えだったが、素知らぬふりで押し通した。
短めのタイトスカートをチョイスしたのは成功だったようだ。純平がチラチラ視線を向けているのを感じる。ここまでは作戦通りだ。
「そうね。じゃあ一緒に頑張りますか、水嶋次官」
「もう、それ、やめてくださいよ」
睨むふりをする純平に、玲子は「ごめん、ごめん」と謝りながら続ける。
「水嶋くん、この後予定ある?」
「え? 特に、ないですけど」
「じゃあ、ご飯付き合ってよ」
純平の脳裏に一瞬、すみれの顔が浮かんだ。ただの先輩だし……ご飯ぐらいいいよな。そう自分で自分に言い聞かせる。
「もうちょっと、将来の夢、聞かせてよ」
「いいですよ。じゃあ何食べます?」
「そうねぇ。まだお酒、飲めないんだっけ?」
「ホントはダメなんですけど……こっそりだったら、付き合いますよ」
電車が都心に入ったころ、窓から見える景色はすっかり夜の帳に包まれていた。
しきりに首元に手をやる水嶋純平を、木之下玲子はおかしそうに見つめていた。
すみれが長門に襲われてから三日目、純平と玲子は一緒に埼玉と群馬の県境を訪れていた。ボランティア施設で読み聞かせ会のスケジュールをすり合わせるためだった。
新体制で玲子は文嘉大手話研究会の部長に、純平は三人いる副部長の一人に二年生で唯一、選ばれた。
担当者が姿を見せるまでの間、純平はまだネクタイをいじっている。
「そんな気にしなくても、ちゃんとなってるから大丈夫よ、水嶋くん」
シックな黒のジャケットにタイトスカート姿の玲子が声をかけた。
「え、あ、そうですか。スーツって、なんか慣れないですよね」
「そう? ばっちり決まってるよ」
すっかり頭の禿げ上がった年配の男性が済まなさそうに会議室に入ってくると、純平は玲子とともに立ち上がった。
「いやあ、お待たせしちゃって申し訳ない。じゃあ早速始めましょうか」
打ち合わせが無事に終わった帰り道。純平は駅前のアンテナショップで地元野菜をモチーフにしたゆるキャラのぬいぐるみを手にしていた。
「あら、彼女へのプレゼント?」
「え、いやー、まぁ、そんなんじゃ……」
曖昧な返事でかわすと、さっと写真に納め、店員に「これ下さい、一番小さいの」と声をかける。
「私も同じのにしようかな。でも、お揃いになっちゃうか」
玲子のつぶやきは、純平の耳には届かなかったようだ。
ラッピングされた包みを大事そうにカバンにしまうと、純平は「じゃあ、行きましょうか」と促した。
「待ってよ、私の、まだなんだから」
玲子は拗ねてみせる。
純平は買い物を終えると、さっさとスマホをいじっていた。
その姿を、玲子はジッと見つめていた。
(ふーん、誕生日が暗証番号なんだ。案外、無用心ね)
「水嶋くんは秋の手話通訳士試験、受けるの?」
「はい、受けてみようかなと。玲子さんは?」
「私も考えてるんだ。でも試験、結構厳しいよね」
「合格率、十から二十%くらいですか」
「去年の冬から税理士の勉強も始めたでしょ。ダブルスクールって結構大変なのね。でも学生時代にこれをやってましたって言えるの、手話研くらいだから、資格は取っておきたいんだ。それに勉強するのは苦じゃないし、私」
ボックスシートの電車の中で純平と玲子は向かい合っていた。
玲子は女子では珍しく地方から二浪して文政に入ってきた。一浪して受かった地元の大学に通いながら、親には黙って仮面浪人して受験勉強したのだという。だから学年は一つだが、年齢は三つ上だ。
「私、就活はする気ないの。税理士一本。水嶋くんは資格試験とか狙ってないの?」
狭いボックス席で奥まで腰掛けているので、タイトスカートは際どいところまでせり上がっていた。むっちりとした太ももが露わになっている。ストッキングの奥には真っ赤な下着がチラッと見えていたが、玲子は気が付いていないのか、隠すそぶりもない。純平は目のやり場に困っていた。
「僕ですか。そうですね、国家公務員試験は受けようと思ってますけど」
「ふーん、官僚かあ。じゃあさ、将来は事務次官とか」
玲子は純平をからかうように笑った。丸い顔にショートヘアがよく似合っている。大きな瞳と笑った時にできるえくぼがチャーミングだ。
「そんな出世はどうでもいいんです。ただ、国を動かすような仕事がしたいなって」
「へー、水嶋くん、結構硬派なんだね」
「とにかく、手話研で通訳士の試験受かった人、まだいないじゃないですか。玲子さん、僕らが第1号になりましょうよ」
(僕ら、ね)
その言葉が玲子には甘く響いた。
純平は男子にしては小柄で華奢な印象だが、明るく快活なキャラクターで女子受けも良く、リーダーシップもあった。手話研に入部した時から、目立つ存在だった。
去年の冬、就活がうまくいかず留年することになった彼氏に見切りをつけて別れたのも、純平に目がいくようになったからだ。
肉食系なのは自認している。十五歳の時、中学時代の担任に猛アタックして、ヴァージンを捧げた。教え子との交際に相手が怖気付くと、熱はぱったり冷め、自分から振った。
高校時代は四歳上の大学生の家庭教師を密室で口説き落とした。仮面浪人していた時は合コンで知り合った二十六歳のITベンチャー社長と付き合ったが、文嘉大に合格すると遠距離恋愛なんて出来ないとあっさり捨てた。惹かれるのは決まって年上の男だった。
だから、自分より若い男子に好意を抱くのは初めてだ。
どうやら柊泉の女の子と付き合ってるらしいーー。
今年に入って、純平のそんな噂が耳に入ってきた。心がザワついた。
(なんで柊泉の女の子なのよ……)
玲子は胸の奥に黒い感情が湧き上がるのを抑えられなかった。
部長と三人の副部長が二組に分かれて施設を回ることになった時、純平とペアになるようクジを仕組んだ。周囲からは見え見えだったが、素知らぬふりで押し通した。
短めのタイトスカートをチョイスしたのは成功だったようだ。純平がチラチラ視線を向けているのを感じる。ここまでは作戦通りだ。
「そうね。じゃあ一緒に頑張りますか、水嶋次官」
「もう、それ、やめてくださいよ」
睨むふりをする純平に、玲子は「ごめん、ごめん」と謝りながら続ける。
「水嶋くん、この後予定ある?」
「え? 特に、ないですけど」
「じゃあ、ご飯付き合ってよ」
純平の脳裏に一瞬、すみれの顔が浮かんだ。ただの先輩だし……ご飯ぐらいいいよな。そう自分で自分に言い聞かせる。
「もうちょっと、将来の夢、聞かせてよ」
「いいですよ。じゃあ何食べます?」
「そうねぇ。まだお酒、飲めないんだっけ?」
「ホントはダメなんですけど……こっそりだったら、付き合いますよ」
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