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第14話

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「本当にいいのかい? まだ観光もできたろうに……」
 イッチーが寂しそうに床を蹴るふりをする。

「うん。名古屋城にも久しぶりに行けたしな。楽しかったよ」
「そっか、またいつでも来てくれよ。ヒロちゃん!」
「ああ、またな」
 そう言ってリュックサックを肩に掛けなおすとイッチーに背を向けて歩き出した。

 途中、何回か振り返ったが、イッチーは手を振っていた。
 もちろん俺も手を振ったが、彼はずっと寂しそうにしていた。

 俺は正直、早くこの名古屋から帰りたい気持ちだけでいっぱいだった。

 失恋、神埼の真実、イッチーのマンガ家デビューと結婚、息子。
 もうこれだけでおなかいっぱい。
 神埼もイッチーも変わりすぎた。大人になった。

 俺だけだ。名古屋から引っ越したあの日からずっと成長できてないのは。
 胸にぽっかりと大きな穴だけが出来た。そんな感じだ。
 神埼の相手もいたことも辛かったが、子供がいるのが一番辛かったかな。あとイッチーも。

「ういろう好きだったよな、母ちゃん」
「うなぎパイは京子が好きだったな」
 薄情な母と妹になぜかおみやげを買ってしまった。
 ラーメンを食ったあと、夜行バスに乗り名古屋を後にした。


「ただいま……」
 玄関を見て嫌な予感がした。
 黒の小さな靴が2足、紺色のリボン付き女性の靴が1足、紳士靴が1足。

 おいおい来週だったんじゃなかったのか? ああ、夜行バスにのってバカになってた。週が変わったんだな。
 とりあえず、俺はベッドで休みたい気分だった。
 狭い居間に向かうとゲラゲラと笑い声が聞こえる。

「あ、兄さん! おかえりなさい!」
 気配を感じ、振り返って、満面の笑顔で義理の弟が最初に出迎える。
 会社帰りなのか、スーツを着ていた。上着とネクタイだけは椅子にかけていたが。
 ドアに一番近いテーブルの椅子に座っていた。


「ああ、来てたのか…」
 自分でもものすごくわざとらしい言い方だなと思った。

 テレビの前を見ると姪たちがゲームで遊んでいた。
 俺には気がつかず、熱中している。
 2人とも真っ白なレースのワンピースを着ている。
 かなり白熱していたのか、ピョン飛び跳ねたり、転げたり、パンチラ度全開だった。


 続いて、母を見ると婿の手前に座って「あちゃー」と言った顔をしていた。
 相変わらずくたびれた、のびのびのTシャツにズボンを着ている。

 最後に妹を見た。弟の隣りに座っていてゆっくりと首だけ振り返り、一瞥をくれた。
 淡いピンクのサマーセーターにジーンズを着ている。
 俺を軽く睨んだ後はずっとカレンダーばかりを見て黙りこくっていた。

「聞きましたよ! なんでも、名古屋に行かれたとか!?」
 目を輝かせて俺に食らいつく弟。
 なんでお前は犬のようにしっぽを振って愛嬌をふりまく?
 かわいすぎるやつめ。
 だが、それを母と妹にウザがられていることも気がつけないのか、弟よ?


「そうなんだよ。あ、これ。おみやげ。みんなで食べてよ」
 リュックサックから買ってきたういろうとうなぎパイを弟に渡す。
「お前が渡しといてくれ」って意味なんだが。

「うわぁ、ありがとうございます! あ、これ京子さんの好きなやつじゃないですか!? さすがお兄さん! 好みをわかってらっしゃる!」
 拳を作って手のひらを叩く。
 昭和臭いがこいつが美人の女だったら押し倒したいぐらいだ。

「まあ、大したもんじゃないけどね……」
 弟がオーバーリアクションしているとその大きな声が聞こえたのか、ゲームに熱中していた姪たちが俺の存在に気がつき、俺の前にやってくる。

「あ、ひろしおじちゃん! 久しぶり!」
「久しぶりだね! あ、おみやげ?」
 娘は父親似が多いというが、この娘たち2人は本当に父親似の気がする。
 それもあってか、俺には可愛く見える。
 性的に見てるわけじゃないが。

 弟の持つおみやげに近づこうとした瞬間、妹が怒鳴った。
「あんたたちはゲームしてな!」
 姪たちが「うっ!」と一瞬、泣きそうな顔を我慢して寂しそうな顔をしたあと背中を向け、とぼとぼとテレビに戻っていった。

「これで私たちを釣るつもり?」
 凍りきった目で俺を見る。
 こいつはいつから俺をこんな目で見るようになったのだろうか?


 もうくわしい時期は覚えてない。だが、俺がこっち引っ越してからなのは間違いない。
 名古屋にいるころはこいつもまだ子供だったこともあってか、俺によくなついていた。
 よく「兄ちゃん待って待って」と追いかけてきたものだが……。


「は!? 釣る?」
「どうせ、母さんの金でしょ?」
 腕を組むとまたカレンダーに目を戻した。

「京子! なんだその言い方は!? せっかくお兄さんがお前に買ってきてくれたのに!」
 椅子から立ち上がる弟。180センチもあるため、蛍光灯に頭がコツンと当たる。
 ちょっとうらやましい。

「だって、そうでしょ? 兄さん一回も働いたことないんだもん」
「お前、本気で言ってるのか!?」
 鬼の形相で妹を睨む義弟。
「あなたは知らないのよ……この人がどんな男かを」
 そして視線をまた俺に戻す。


「京子、あ、あのさ……」
「なに? 名前で呼ばないでくれる?」
 かつての可愛い妹はどこに言ったのだろうか?
 なんだかもうキレそう。

「お、俺だって、俺だって……」
 拳を作って怒りをこらえる。
「なに? 働きにでもいく? 紹介しようか?」
 その言葉でブチンとなにかがキレた。

「もういい! ここは俺の家じゃなかった! お前らは好きにやってろ! 俺は1人で好きに生きていくさ!」
 俺の怒りをあざ笑うかのように妹は鼻で笑った。
 怒鳴り声で姪たちが泣き出してしまう。

「そうよ、早く独り立ちしてよ? 母さんだって……」
 その後の話は聞きたくなかった。
 お前も母さんと似たような言葉ばかりだな。

 自分の部屋に入ると少ない貯金通帳と現金を入れ、着替えを詰め込んだ。
 俺を心配して弟が部屋に入ってくる。

 正直、親も入れない部屋なので入られて恥ずかしい。
 エロ本が床に散乱していて、棚には萌えフィギュア、プラモデル、ゲームソフト。

 エリート夫婦の弟には見られたくなかった。
 だが、まあこの部屋には二度と戻ってくる気はないんだ。もういいや。
「に、兄さん! 京子には謝らせますから。考え直してください!」
 詰め込んでパンパンになったリュックサックを背負うと弟の右肩をポンポンと叩いた。
 背が高いから叩きにくいんだけど。


まもるくん、今日まで君のことを俺はいつも可愛いと思っていたよ……」
「おに、にいしゃん……」
 鼻水垂れ流して泣いてやがる。汚いが可愛いわ、この柴犬。


「君とは血は繋がってないけどさ、本当のきょう……ハ、ハックシュン!」
 いい所でくしゃみが出てしまった。

「え?」
 どうやら弟にも聞きそこなったみたいだ。
「まあそういうことだ。じゃあな!」
 右手を軽くあげると弟に別れをつげた。

 弟はさっきの最後の言葉を未だに考えたようで、顔が固まったまま、俺を見ていた。
 居間にくるとまだ姪たちは泣いていて、母が慰めていた。

 妹に目を向けるとまたカレンダーを見ていた。どうやら俺は見たくないらしい。まあそりゃそうだ。

「これでせいせいするわ、おにーちゃん」
 最大の嫌味なのだろう。そんな風に呼ばれたのはこいつが小学生以来だ。
 俺も一瞬のうちに脳内で最大の反撃を考えた。

「俺は……」
 なぜだ。こんな妹に『兄』と呼ばれたせいなのか、永遠の別れになることが悲しいのか。
 涙が止まらなかった。
「お、俺は……今までお前の子供たちを抱いたことはない」
 その言葉で妹が俺をまた睨む。
「当たり前でしょ! あんたなんかにうちの子供抱かせるわけないじゃん! 汚れるもん!」
 妹の言葉はどんな言葉よりも重く辛かった。
 自分の肉体をえぐられる気分だ。


「……き、昨日初めて友達の赤ん坊を抱かせてもらったよ」
 鼻で笑う妹。
「はっ! その子がかわいそうね。親を疑うわ」
 テーブルを拳で力いっぱい殴った。
 泣いていた姪たちも静かになる。

「その時思ったよ。こんなに……こんなにあったかいんだって」
 妹は驚いた顔で俺を見ていた。
「じゃあ、元気でな……」
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