閉ざされた窓

味噌村 幸太郎

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2004年

2004年6月 ①

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 僕はただ一人の女性を好きになって幸せな人生を共に過ごしたかっただけ。
 でも、付き合って愛し合って想いが通じ合ったとしても、思うようにはいかない。

 口では「愛しているよ」「大好きだよ」そう互いに言い聞かせてはいるけど、
 現実はそんな軽くて安い言葉では済まされない。

 僕にも家族がいて、彼女にも家族がいて、別々の環境、価値観、目線で生きてきた人間だ。

 色々な理由が絡み合って複雑になって歪んで僕たちの愛はどんどん変な方向へと向いてしまった。
 結果的に僕は彼女の親から拒まれ、また彼女でさえも親が怖くて僕を拒む形になっていく。

 僕の心はガラスのように脆くて、壊れそうだった。

 毎晩携帯電話で深夜まで彼女と大ゲンカした。
 愛し合っているというにはまだ二人とも幼かったと思う。
 特に僕は彼女に片思いをしている時期が3年間もあって、愛が大きすぎた。
 対して彼女である結衣はまだ僕と並べるほどの愛、覚悟が決まってなかった。
 仕方なかったと思う。

 とある日、また深夜まで携帯電話でケンカしている時、理由は覚えてないが「僕と死ぬ覚悟はあるか?」などの言い合いになった。
 僕としては一緒に死んでほしかったわけではなく。
 よく「死が二人を分かつまで」というように、永遠の愛を誓ってほしかった。
 だが無理な話だ。
 付き合ってまだ1年だったし、結衣は当時18歳。
 そんな女の子に僕は毎日強要していたんだ。

 結衣はこう言った。
「死にたくない! まだ幸助といろんなことしたい」と。
 僕はそれに憤慨した。
 きっと同意してほしかっただけなんだろうけど、なぜかその時の僕はすごく腹が立った。


 元々、リストカットやアームカットなどの自傷行為が続いていたんだけど、
 徹夜して朝になるまで彼女に怒鳴って、頭が混乱していたんだと思う。
「朝に絶対来い! 来ないと死んでやる!」
 確かそんな風に結衣に脅しをかけたんだと思う。

 興奮した僕を両親が必死に止めようとしたが、無理な話だった。
 まだ20歳の若い僕を中年の親父とお袋が止められるわけもなく。
 僕は近所の駅まで走った。
 日差しの強い初夏で6月だったと思う。

 駅のコンビニで大きめのカッターとノートだけを買う。
 その時、カウンターに立っていたのがたまたま大学の友達だった。
 バレまいと必死に談笑して、どうにか買い物を済ませる。

 障がい者トイレに入ると、僕は結衣に対する怒りと言うか、きっと自分の想いが彼女に伝わってないことが苦しかったんだと思う。
 いつものように自身の心の痛みを具現化する方法としてアームカットを試みた。
 僕は自傷行為をする際はいつも小学生の時に学校で配布された小刀を使っていた。
 けど、この日は仕方なくカッターを用いた。


 便座に座り、左の袖をめくり、焼けた肌を露出する。
 今思えば、薬物中毒の常習者が注射針を指す行為に似ている。
 徹夜して興奮しすぎていたせいだろう。
 自分ではそんなに力を入れているつもりはなかったのに……。
 サクッと痛みはなく、キレイに肌が真一文字に裂かれた。
 肉が見えたと同時に血が噴き出す。


 それまでずっと結衣に「死ぬ覚悟はあるか」と強要していた僕なのに、
 おかしなものだ。
 瞬間、人間としての防衛本能が働いたのかもしれない。
 腕を伝ってトイレの床に垂れていく大量の血液を見て、恐怖した。
 だが不思議と痛みはなく、とにかく暖かく感じた。
 お風呂に入るような感覚に似ていた。
 死を感じながらも「このままでいたい」という矛盾した気持ちも感じていた。

 だが、結衣と一緒にいたいという気持ちで携帯電話をズボンのポケットから取り出す。
 自身で「血が止まらない」と救急車を呼んだ。
 その後、結衣の方が先にトイレに着き、血の海になった僕を見て、泣いていた。
「幸助!」
 彼女は確か「ごめんね」と言っていたような気がする。
 今考えると彼女はなにも悪い事をしていたわけではないのだが。
 だが嬉しかった。
 ただただ彼女が今この瞬間は僕だけを見ていてくれることに……。


 その後は救急隊員が駆け付け、生まれて初めて担架に乗せられ、救急車に乗せられる。
 たくさんの人が僕を見ていた。
 今なら恥だが、その時の僕は快感すら覚えていた。
 ここまで苦しんだ僕をたくさんの人が「かわいそう」と認識してくれていることに。
 きっとそこまでは思ってないだろう。
 気持ち悪いとか痛そうとかヤバい人とかで片づけられているのだろう。

 救急車には結衣も同乗した。
 白いヘルメットをかぶった救急士が結衣に言う。
「君は誰?」
 結衣は泣きながら答えた。
「彼女です…」
 正直、僕の方が冷静に話せたため、結局僕が救急士に名前、年齢、住所を話した。


 その際、僕は救急士にたずねた。
「僕は救急車を呼んでもよかったのですか?」
 正直死ぬまではなかったのでは? と思っていたから。
 だが、救急士は問診票に書きながら冷静な顔でこう言った。
「いや、呼んでいてよかったよ。肉まで見えているから、一人じゃ無理だったよ」
 そう言われたことでようやく自分がやったことの恐ろしさに気がついた。


 それからは近所の救急病院に運ばれて、血だらけになった僕を見た医師が冷たく言った。
「自傷行為?」
 すごく嫌そうな顔だった。
 担架で運ばれたというのに手術室を使うまでもないとたくさんの患者が待機している待合室みたいなところで針と糸だけで手術をされた。
 すごく雑に縫われた。
 あれだけ大きな傷だとかなり細かく縫うはずなのに太い糸で8針ほど。
 術中も医師は僕に苦言していた。
「君がやったの? ふーん」
 みたいな感じだった。


 その後、点滴を受けながら僕の両親と次兄と結衣の4人で面会することになった。
 もちろん僕は担架に乗ったままだけど。
 親父もお袋もまた普段は仲の悪い次兄も泣きながら、僕が生きていたことに安堵した。
 その時結衣が僕にこう言った。
「なにか食べたいものある?」
「ハンバーグが食べたい」
 結衣は泣きながら答えた。
「私が幸助のために世界で一番美味しくて大きなハンバーグを作ってあげる」
 と……。


 僕は心底嬉しかった。
 大好きな結衣がここまで僕に気を使ってくれていることに。
 この時の想いこそが、僕の最大の罪であり、愚かさだった。
 たくさんの人を傷つけて、そして自身の身体を傷つけて、なにも満たされてないはずなのに。
 かりそめの欲求を満たしたにすぎない。

 そんな僕だけが満たされた偽りの幸福を感じているのも束の間、病院側が「早く出ていってくれ」と言わんばかりに圧をかけてくる。
 僕は普段通っていたメンタルクリニックの紹介で精神病院に救急車で搬送された。

 これが一回目の閉ざされた部屋に入ることとなった経緯だ。
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