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第五十章 分岐点
大きな穴
しおりを挟む宗像先生に連れられて、駅近くの中華屋さんへと入る。
赤いのれんを嬉しそうにくぐる先生に対し、俺は油っこい匂いで胸やけを起こしそうだ。
別に、この中華屋が悪いんじゃない。
俺の心理状態が、良くないためだ。
今は、なにも口にしたくない……。
ミハイルが開けてしまった巨大な胸の穴。
心臓も一緒に持って行かれた気がする。
彼が叫んだ『絶交だ!』という、強い言葉によって。
そんな傷心中の生徒を無視して、担任教師の宗像先生は、店の大将を呼びつける。
「おっちゃん! とりあえず、ハイボールと餃子2つね」
「おお。蘭ちゃんじゃないか! あいよ」
とハゲの大将が慣れた手つきで注文を取る。
「あとさ。悪いんだけど、おっちゃん。個室にしてくれないかな? ちょっと、こいつ落ち込んでいてさ。静かに話したいんだよ」
「ひょっとして、蘭ちゃんの生徒かい? いいよ、好きに使って」
いつも生徒の意見は無視するのに、今日の宗像先生は優しく感じた。
やっぱり、ミハイルに振られたことを、配慮してくれているのだろうか?
店の一番奥にあるお座敷へと通された。
襖で部屋を覆っているから、人目を気にせず、話せるらしい。
※
「それで、古賀が退学を申し出たり。長い髪を短く切ったことは、新宮。お前に原因があるんだろ?」
既に1杯目のハイボールは飲み干し、ラー油をたっぷりかけた餃子を頬張る宗像先生。
「あの……色々と積み重ねた結果だと思うんですけど。去年、俺がミハイルの誕生日に、抱きしめたから……それが一番の理由だと思います」
先生に話したことで、肩の荷が下りた気がした。
ひとりで抱え込むより、事情を知っている人と共有した方が良い……。
「新宮……お前、その話。本当か!?」
先生は驚きの余り、割りばしを座卓に落としてしまう。
「はい。キッスもしようとしました……」
「そ、そりゃ、ダメだろ!?」
即座に、否定されたことに傷つく。
「やっぱりダメだったんでしょうか? ミハイルは嫌じゃない……って、その場では言ってくれたんですが……」
「だって、お前。あの古賀の可愛らしい小尻を無理やり、お前がぶち込んだのだろ? そりゃ長い髪も切りたくなるし、退学もしたくなるよな」
この人、一体なにを言っているんだ?
なんで俺がミハイルを襲っていることに……。
「先生? 俺はミハイルを抱きしめただけですよ?」
「へ? 抱いたんだろ? 嫌がる古賀を無理やり、潤滑剤も無しに。そりゃ痛いだろ~」
もう酔っぱらっているのか、この教師は。
「……抱いたんじゃなくて、抱きしめたんですよっ!」
「ああ~ そっちか。なんだ、つまんねーの」
他人事だと思って……クソがっ!
話がちゃんと伝わってないようだったので。
俺は再度、宗像先生へ今での経緯を説明する。
去年の春、ミハイルが俺に告白し、振ったことから始まり。
その際、俺は「お前が女だったら付き合える」と言ってしまった。
真に受けたミハイルは、俺の理想通りのカノジョ。アンナを生みだし、完璧に演じることになる。
だが、デートという取材を重ねる度に、俺はアンナにも好意を寄せるが。
素のミハイルを抱きしめてしまった。ついでに、キッスまでしようと。
そこに追い打ちをかけるように、マリアとのラブホ記事……。
宗像先生はミニのチャイナドレスを着ているというのに、あぐらをかき、黙って俺の話を聞く。
その間に、店の大将が次々と中華料理を持ってくる。ハイボールのおかわりと一緒に。
顔を赤くしてはいたが、先生はまだ完全に酔っぱらってはいないようだ。
俺は一切、料理に手をつけなかった。
胸が苦しかったから……。
「なるほどな……。つまり、新宮のために自分を押し殺してまで、演じていたブリブリ女だが。結局、彼氏役であるお前が、男のミハイルを選んでしまった……てことか?」
「ま、まあ……そうだと思います」
「私はノンケだから、古賀の気持ちがよく分からんが。たぶん、女目線で考えると。化粧で綺麗な格好をした時は興奮してくれず、すっぴんでどブスな状態なのに、彼氏が『好きだっ!』ってハグしたもんかな?」
「それは、俺にはわかりかねます……」
例えが酷い。
「しっかし、めんどくさい奴らだなぁ~ 好きならさっさと付き合えよ。いちいち女装して、『タッくん。アンナよ~☆』とかバッカじゃねーの」
いや、アンナはそんな言葉遣い悪くないし、もっと可愛い。
「……でも、俺。ミハイルが頑張って、女装までしてくれて。それなのに、ちゃんと決められなくて。どうしたらいいのか」
気がつくと、涙が目に溢れていた。
そんな情けない俺を見て、先生は鼻で笑う。
「新宮。前にも言ったと思うが、今の生活が当たり前だと思うなよ。古賀がずっとお前の隣りにいるなんて、ありえない。もうすぐお前も二年生だ。ちゃんと相手の想いに、答えるべきなんじゃないのか?」
「分かってます……でも、急に選択を迫られて、俺には無理でした」
「そうか。しかし古賀の中で、心境の変化があったのも事実だろう。もう恋愛ごっこは、終わりなんじゃないのか?」
「……でもミハイルは、俺を捨てることを選びました。二度と会ってくれないと思います」
言い終える頃には、うなだれていた。
自分の口から、終わりを告げたようなものだと。
「バッカモン!」
泣き崩れる俺を見て、宗像先生は怒鳴り声を上げる。
「え?」
「お前がそんなんで、どうする!? まだ諦めるな! 私だって、古賀の教師だ。ちゃんと連れ戻す気だ!」
「ほ、本当ですか!?」
「うむ。知っての通り、我が校の良いところは、サラッと入学して、卒業だ。仮に古賀が退学しても、すぐに編入できる。まあ、今の古賀はかなり興奮しているようだから、説得は無理だろう」
「俺のせいですよね……」
「そうだろな。今回の件は、どう考えても新宮が悪い」
胸に開いた巨大な穴を更に、広げるような発言だった。
「うっ……」
「とりあえず、退学届けは預かっておく。保留ってことにしとくから安心しろ。新宮、お前はちゃんと次回の試験にも来いよ!」
「でも、ミハイルが来ないなら……」
「バカ野郎! お前が学校へちゃんと来たら、古賀が戻って来る可能性が、上がるってもんだ!」
「どういうことですか?」
「お前が一ツ橋高校で、楽しそうにしていたら、きっと古賀も悔しがって、また高校へ来るってことさ♪」
そう言うと、宗像先生は親指を立てて、ニカッと笑う。
俺が楽しそうにしていたら、ミハイルが戻ってくるだと……?
信じられないな。
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