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BLの境界線、テクニック!

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天涯孤独のアーティスト

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はじめに… 自分自身の波瀾万丈の人生を書いてます。 こんな生き方も参考にしてください。 学もない私が書いていきますので読みづらい、伝わりづらい表現などあるかもしれませんが広い心でお付き合い頂ければと思います。 平成や令和の方などには逆に新鮮に思えるような昭和な出来事などもありますので不適切な表現があるかもせれませんが楽しんでもらえたらと思います。 両親が幼い頃にいなくなった私 施設に行ったり、非行に走ったり 鑑別所や、少年院に入ったり 音楽を始めたり、住む家がなくフラフラして生きて、いつの間にか会社を経営して結婚して子どもが生まれたり、女装を始めたり こんな生き方でも今生きている自分がいるってことを伝えたいと思います。 過去を振り返ることで今の自分が怠けずに生きられているのか、自分を見つめ直すことができるので頑張って書いていこうと思います。 この物語に出てくる登場人物は本人を除いて一部の人は仮名で表現しております。

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とっぽ
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看護師……それは白衣の天使。人々の癒やしであり、人々の苦痛を取り除き、日々笑顔を絶やさず聖母のごとき博愛精神で人々を包み込む清らかな職業。 一方、腐女子……それは腐臭漂う末期のヲタク。BがLしてれば人生ハッピー。火のないところに煙を立たせてなんぼな火起こし職人。 これは、腐女子兼看護師な主人公・とっぽが、日々襲い来るキラキラ同僚との会話やリアル社会への適応に苦しみながらも、必死に現代を生きていく、希望と愛の物語である───。(クソッ、夜勤だ!深夜アニメがリアタイできねぇ!)

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前書き その2 “福岡国際空港” 昨日から平成元年にタイムスリップしている。この時は昭和天皇崩御でとにかくえらい騒ぎだった。自粛ムードの真っ最中、名だたるテレビ番組は退屈で、僕もレンタルビデオ屋に走った。人気の作品は貸し出し中の札ばかりで、中に見つけた“ウエルター”という邦画(もう、この言い方も古いのかな)を借りて楽しむ。案外面白かった。実はカナダに行くまでにセルフディフェンスというか、何か格闘技を経験した方が良いだろうと小倉高橋ボクシングジムに通った。自分のペースでトレーニングが進められ、学生時代のような集団練習でないところに惹かれてボクシングを楽しんだ。その経験もあったせいか、現役のプロボクサーが演じた役はリアリティにあふれ興奮した。 さて、僕はというとカナダはおろか外国に出たこともなく航空券を買うのも大学を出た友人に頼った。わざわざ福岡市の生協関連の旅行代理店を紹介してもらい大韓航空の1番安いチケットを買ったのだった。今思えば小倉でも買えたのだろうが、高速バスで行った博多は随分都会に感じられた。その時にワーキングホリディの説明会に参加した気がする。そこから、週刊プロレスに宣伝が載っていたバッシュ=Troopのコブラという靴を買う。生活したバンクーバーではスケボー少年たちからよく履いているバッシュの銘柄を聞かれた。結果、それから5年ほどを履いてボロボロになってから捨てた。 福岡空港へは両親に送ってもらう。航空機に乗り込んでからも両親の姿が見えた。分からないとは思ったがMA-1を裏返してオレンジの色を窓に押し付けてここにいる事を示した。1年後に帰国して聞いたが全く覚えていない、との事で可愛がっていた犬にも死ぬほど吠えられた。こいつ(モモ)も僕も覚えていなかった。僕は少し泣いた。

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