星幽のワールドエンド(第一章完)

白樹朗

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幕間1

特区平坂の日曜①

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 ──悪夢を見た。

 赤目金目の化け物に食い殺される方がよほどマシだと思えるような、悪夢だった。

 それは、タイルに打ち付けるシャワーの水音だったり、湯気に混じってむせ返るように漂うシャンプーの甘い匂いだったり、幼い少女の肌に張り付いた銀髪の束だったり、そういうものだ。

 泡が滴った白い肌の艶めかしさや、線の細い背中に残った傷の生生しさや、バスタオルで隠した幼くとも少女らしい身体のラインの、思春期まっただ中の少年にとってある意味化け物に襲われるよりずっと恐ろしい悪夢に至恩がうなされていると、

「シーオーンー!!」

 悪夢の元凶であるかわいい声が聞こえた。そして、

「ぐえっ」
「カエルみたいな声出すねえ。シオン」
「誰の……ッ……せいだと思って……!」

 ドシンという効果音が聞こえそうなほどの勢いで、志恩に件の少女が落ちてきた。
 寝起きにはあまりにもヘヴィな衝撃に耐えつつ、うめきながら片目を開けると、案の定、腹が立つほど美しい銀髪が目に入った。

「おっはよー」
「……レイゼル退いて」
「シオン、おはよ!」
「頼むから耳元で大きい声やめろ。朝から元気だな、お前」

 しぶしぶ目覚めると、鼻先で赤い瞳が悪戯っぽく輝いていた。
 チリ、と金属音が鳴る。首元がくっと引き上げられる。至恩が首から下げた指輪のチェーンに指先にからめて、レイゼルが笑っていた。

「挨拶は大事だよ?」
「……そうだね、おはよう。いいから退いて。お前、重い」
「はー!? 女の子に面と向かって重いとかいうわけ?! 信じらんない!」
「だから、耳元でうるさ……」

 かろうじてタオルケットから出した手で両耳をふさぐ。むっとした顔をしたレイゼルが更なる文句を言おうとして、大きく息を吸った。その瞬間、

「しおー!!」
「ぎゃんっ」

 さらなる衝撃が二人を襲った。
 坂から転げ落ちた犬のような声を上げるレイゼルと、二人分の体重を受け止めた至恩は声さえ上げられずに、一瞬呼吸が止まった。

 肺が軋んで死にそうになりながら、目を開ける志恩。
 自分の上でぺしゃんこになった銀髪のさらに上で、ご機嫌に笑う男の子が見えた。
 悪魔のような天使の笑顔に気が遠くなったが、がけっぷちで持ち直して、至恩は絞り出すように言った。

「……ち、千影?」
「しおちゃんだ!」

 夜のように青い瞳が、にこーっと緩んでちいさい手を振る。
 レイゼル越しに頭を出した隣人の三歳児に、つい笑いかけたあと、至恩は頭を振った。ほのぼのしている場合じゃない。このままだと圧死する。

「なんで千影がここに……」
「しおちゃんおきた? おはよ?」
「起きたよ。おはよ、千影」

 そう言うと、千影は嬉しそうにベッドの反対側に転がり落ちる。
 スプリングで跳ねて遊ぶ亜麻色の髪の子供を横目に、ぺしゃんと潰れた銀髪のアホ毛をつつくと、少女がちょっと動く。生きていた。

「……レイゼル無事?」
「いちおーね」
「じゃあ退いて。死にそう」
「ごめん。生きて」

 のそのそ動いて、志恩の上からレイゼルが降りる。
 ようやくまともに呼吸をして起き上がると、レイゼルは心配そうに、千影はよくわからないけど真似をして志恩を覗き込んでいた。

「大丈夫、シオン?」
「だいじょーぶ?」
「生きてる。ていうか、なんで千影がいるわけ?」
「チカねえ、しおちゃんとアサニチしにきたの」
「アサニチ?」
「朝花テレビ、日曜はアニメとかするでしょ。それじゃない?」
「ああ、特撮ヒーローか」

 仮面ジョーカーシリーズも長いなあ、と志恩がつぶやく。
 その時、猫の子のようにレイゼルと転がっていた千影が、ドアの隙間から高らかに聞こえたCMの音に顔を上げる。

「ファントムレイドはじまっちゃう!」

 ぴょんとベッドから飛び出して行った千影を見て顔を見合わせたあと、レイゼルが先に口を開いた。

「チカゲ、行っちゃったね」
「アサニチタイムはCMからが本番だからさ。仕方ないよ」
「そーいうもんかなあ」

 リビングから聞こえてくるオペラ調のテーマソングに、よく分からんと首をひねりながらレイゼルが出て行く。

 志恩が着替えをしてドアを開けると、リモコンを握りしめた千影とレイゼルがテレビの前で並んで座っていた。
 少女を守る悪のヒーローの決め台詞を息をのんで見守る二人の後ろを、音を立てないように通り過ぎ、ダイニングに向かった。

「自分が一番真剣じゃん」

 眠気覚ましにカフェオレを、レイゼルにココアを、千影にはちみつミルクを作りながら、手に汗握る少女の姿に苦笑する。
 相変わらず志恩の部屋着を勝手に着ているレイゼルの、その長い髪を束ねた背中を見て、目を細めた。

 不意に今朝の悪夢が蘇り──レイゼルの怪我が治る前、一人で背中を洗えないからと風呂を手伝っていたときの事を思い出し、志恩は顔を逸らす。

 実年齢はともかく見た目は自分の半分ぐらいの少女にもやもやしたことが後ろめたくて、顔を逸らしたものの、勢いがよすぎて首が危ない方向に曲がった。
 首筋を抑えて悶絶していると、レイゼルが振り返って変な顔をしていた。

「何してるの、シオン」
「いや、ちょっと首が……」
「さすってあげようか?」
「いいよ。千影の相手してて」

 自分を見つめる赤い瞳に、やましい気持ちを見抜かれそうで、いらないと首を横に振るとまたさらに変な方向に首が鳴った。

 迂闊だったとテーブルに撃沈してうめく志恩の頭を、いつのまにか来た千影がなでている。
 二秒考えて千影の頭をなで返していると、これまた変な顔をしてレイゼルがトコトコやってきた。

「何してるの、シオン?」
「いや、千影が天使で」
「すごくわかる」
「しおちゃん、いたいいたいなんだよ」
「はい、シオンのいたいいたいの飛んでけー」
「とんでけー!」

 空に向かって手を広げる二人の子供に、思わず笑みがこぼれる。
 心なしか痛みの引いた首をさすりながら、志恩は、えらいえらいと千影を抱きしめるレイゼルに視線を向けた。

「レイゼル。俺、これから出掛けるから戸締りお願い」
「どこ行くの。デート? デート??」
「いや違うから。どこでもいいだろ」
「えー」

 明らかに不満そうなレイゼルを手で払って、カフェオレを一口飲む。
 千影にはちみつミルクを飲ませながら、袖を引っ張るレイゼルを抑えるという離れ業をしていたが、結局負けて志恩はため息まじりに口を開いた。

「…………寺だよ」
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