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ワールドエンド邂逅編
病室の誓い
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消毒液の匂いがするとはいえ、医院と保健室は、少し違う。
とりわけ診察室は──これは医師本人の影響か、氷に閉じ込められたような冷たさがあって、暖房が効いている室内で至恩は寒そうにスウェットの袖をさすった。
身体の弱かった幼少のころから、この空気だけは慣れないなと至恩が白すぎる壁へ視線を巡らせていると、不意に低い男の声がした。
真面目そうというよりは、真面目すぎて身を滅ぼしそうなほど真正直な声だ。
「さて、朗報と悲報。どちらが聞きたいかネ?」
パソコン画面に映った電子カルテをじっくりと眺めていた医師が、分厚すぎる瓶底眼鏡を押して、口を開く。
光に眼鏡が反射してその表情はうかがえない。けれど、朗報か悲報か。どちらが先に聞きたいかは、決まっている。
「朗報からお願いします」
太ももに拳を置いて即答する志恩に、医師は初めて微笑んで言った。
「片桐君、だったかな。君が連れてきた彼女、意識が戻ったよ。今は梅野君が様子を見に行っているはずだ」
「本当ですか!?」
思わず椅子から身を乗り出して詰め寄る至恩に、医師は鷹揚に頷く。そしてまた別の、レイゼルのカルテを画面に出しながら、目を細めた。
「ん。背中の縫合も、傷跡が残らないように処置したから安心したまえよ。熱も下がったし、もう一度検査して、問題なければ明日にでも退院していい」
「ありがとうございます!」
「かわいい子だネ。女の子なんだから、怪我には気をつけてやりなさいネ」
「……わかって、ます」
ぴくりとも動かない、血に濡れたレイゼルのちいさな身体を。少女の驚くほどの軽い体重も、背中越しに伝わるか細い呼吸も暖かさも、昨夜の何もかもを思い出して胸が苦しくなる。
手をきつく握りしめ深々と頭を下げ、礼を言い、それからふと引っかかりを感じて、志恩は顔を上げた。
「菅原先生」
「なんだネ」
「レイゼルの事が、朗報ですよね?」
「そうだネ」
菅原は昔からのかかりつけ医だが、相変わらず不思議なイントネーションで話す。それはさておき、志恩はきょとんとした顔で口を開いた。
「じゃあ悲報ってなんですか」
そう聞くと、菅原は薄い唇に指を当て、肩をすくめ、深いため息を吐いた。
「昨夜、君が女の子を背負って駆け込んできたときは僕も驚いたよ」
「はあ」
「何せ、深夜に血だらけだったからネ。まあ、深くは聞かないよ。厄介事は僕もゴメンだからネ」
「……はあ」
医者がそれでいいのかと思ったが、詮索されないのはありがたい。
異界で化け物と一戦やり合ってきましたなんて説明のしようがないし、信じてもらえるとも思えない。
君とは生まれたときからの付き合いだからネ、とウインクする菅原に眉をひそめる至恩。悲報の内容が警察沙汰ではなさそうだと胸をなでおろしたが、それではなんだろうと首をかしげる。
「昨夜思ったんだけどネ」
「はー」
「昨夜、いや僕は毎日毎時毎分思うんだがネ。悲報というのはネ、やはり僕があまりに天才過ぎてネ? 君もそう思うだろう? 僕のこの、世界の至宝、天下一品の如き知能知性が恐ろしいと思っ」
「先生、診察終わってますよね。面会時間もあるんでレイゼルのとこ行っていいですか」
その話聞くのもう一〇年目なんで、と。
立ち上がってカゴの中のリュックを掴むと、菅原がええーという顔をする。それを半眼で一瞥する至恩。
「まあいいけどネ。そうだ、如月君」
「なんですか」
名前を呼ばれ、ドアに手をかけたまま振り返る。足を組み、腕を組み、菅原は白髪頭を揺らして微笑んだ。
「君も貧血気味だからネ。鉄剤処方したから薬局でもらってよ」
「わかりました。ありがとうございます」
素直に頭を下げる志恩を面白そうに眺めて、それと、と口を開いた。
「若いから良いけどネ、やんちゃはほどほどにするんだよ」
/*/
「牛木さん」
病室の前に見知った人影を見つけて、至恩は声をかけた。
髪を短く切りそろえ、豊満な身体のラインを白いナース服にしっかりと隠した、一般的には無愛想な印象を受ける看護師だ。
とはいえ、至恩は幼いころから知っている相手だ。名前を呼ぶと、牛木は軽く会釈して、目だけで微笑んだ。
「梅野さん待ちですか?」
「…………ええ。もう、終わり、ます」
牛木がほんの少し開けた病室のドアから中をのぞきこみ、至恩は目をまたたかせたあと、眉をしかめた。
「なにしてんですか、アレ」
「よかった。元気そう、です、ね」
「それはそうだけど……」
元気にもほどがあるんじゃないのか。一応、昨夜大怪我をして、今朝まで高熱を出してた相手だぞ、と。
もっとしおらしい様子を想像していたのにと変な顔をする至恩に、牛木が細い肩を揺らしてくすくすと笑う。それから、至恩の肩をそっと押した。行きなさいというように。
「……失礼します」
牛木に促されてドアに手をかけ、がらりと開けた瞬間
「ダウト!!!」
「嘘、なんでーーー!!?」
個室のベッドからトランプが宙を舞い上がり、至恩は上を見て下を見て、頭を抱えた。
「二人でダウトして楽しいわけ?」
「梅ちゃんぜんぶ顔に出るから弱いんだよね。シオンもやる?」
「ひどいー! レイゼルちゃんが強いんですよぉ!!」
白い髪と両手を振って抗議する看護師──梅野にレイゼルがふふんと無い胸を張る。
横目で見るレイゼルは、長い髪にぴょんぴょん寝癖をつけて、とても元気そうに見えた。ただ、細い腕に繋がった点滴と、青い病衣の下からのぞく包帯が痛々しくて、至恩はとっさに視線をそらした。
それに気づいたレイゼルが、トランプを片づけながら不思議そうな顔をする。
「シオンどしたの?」
「なんでもない。梅野さん、外で牛木さんが待ってましたよ」
「えっ、うーちゃんが? そうだ、交代時間だったね。ゴメンゴメン」
ぺろっと赤い舌を出して立ち上がる梅野。
本当に牛木さんとは対照的な人だな、と思う至恩を大きな猫目でじっと見て、ぽんと手を叩いた。
「そうそう。レイゼルちゃんなんですけどぉ、お熱下がったみたいなんでぇ、菅原センセがオッケーしたら退院していいと思いますよー」
「あ、さっき先生も言ってました。検査結果が良ければ退院していいって」
「うん。安静にしてねぇ。でもレイゼルちゃんならいつでも大歓迎だよぉ、また入院しにおいでよ」
「やったー行く行く!」
「いや、そんな何度も何度も入院させたくないんですけど……」
喜ぶレイゼルの手を取って頷く梅野を、首を横に振って止める志恩。
牛木に引きずられて出て行く梅野を見送ったあと、椅子を引いてベッドサイドに座った。手を伸ばし、レイゼルの額に手を当てる。
「熱下がったね」
「うん。私は強い子だから」
満面の笑みを浮かべるレイゼルに、つられるように口元を緩める。ちいさく息を吐き、両手を組みながら志恩は言った。
「あの……背中、痛くないか?」
「んー。仰向けで寝たりできないのは辛いけど、それぐらいかなあ。熱の方がタイヘンだったよ。苦しいし、あっついし、急に寒くなるし。熱出すのってしんどいね」
「お前、熱出したことないの? 風邪とかインフルエンザで」
「ないかも。私たぶん、人間の病気はかからないから……」
「あー」
魔素喘息とか、妖精風邪ならかかるかもしれないけど、と言うレイゼルの言葉を聞きながら(魔素喘息と妖精風邪が一体なんなのかはともかく)人間じゃないというのも色々あるんだなと納得する。
髪の寝癖をしきりに気にするレイゼルを眺め、櫛を持ってくればよかったなと思う。家に女っ気が皆無だからそんなことは思い当たりもしなかった。せいぜい、干していた着替えとタオルを持ってきただけだ。
荷物でパンパンになったリュックを見下ろし、それから左腕をさすって、目を細める。長く赤い夜を越えた今は、銃じゃない、生白い、自分の本当の腕。
「レイゼル」
「なあに?」
のんきに髪の枝毛チェックをしていたレイゼルが、顔を上げる。かわいらしく小首をかしげて、
「お前が、無事でよかった」
心の底から吐き出された安堵の言葉に、レイゼルが赤い瞳をますます大きくさせる。
ぱちぱちまばたきして、形のいい赤い唇をほんの少し開く。だが、何も言わない、というより言うべき言葉が見つからないようだった。
珍しく素直な戸惑いを見せるレイゼルに、気まずそうに頭をガシガシかいて、至恩は口を開いた。
「いや、お前のおかげであのムカデに勝てたし。でも、お前が怪我して、お前に怪我させて勝っても意味ないっていうか……」
「…………」
「あのムカデ、俺狙いで来ただろ」
「……そうだよ」
こくりと頷くレイゼルに、志恩は苦々しい表情を浮かべる。
瑛里奈を巻き込んでしまったが、デカの行動目的は一貫していた──至恩だ。
星幽兵器が目的なら、コウがいる。人間が欲しいなら、瑛里奈は既に喰われていたはずだし、人外で魔力が欲しいなら、レイゼルがいる。
だが、デミウルゴス・プロトタイプ=デカが狙っていたのは、至恩ただ一人だった。
自分がなぜ狙われるのか。色々あって星幽兵器という物を手に入れたが、それ以外では、志恩はまったくただの人間だ。
化け物に好かれても嫌われても困るんだけど、とため息をついて、至恩は顔を上げた。
「レイゼル」
そっとちいさな手を取って、大きく息を吸い、志恩は言った。
「もし、これからもあの化物がきたら、何度も戦うことになると思う。でも俺は、もう何があってもお前を傷つけたくないんだよ。怪我させたくない」
目の前にいるのは、ただの、普通の女の子だと、レイゼルの華奢な肩を、透けるように白い首筋を見て思う。
その軽くて細い身体が赤く染まった姿を思い出すと、手が、足が、内臓が震える。血の気が引く。もう二度と、傷ついてほしくない。だから、
「だからさ、レイゼル。……今度は、俺がお前を守るよ」
あんまり、まだ強くないけどね。
左腕に触れて困ったように笑うと、レイゼルははっと目を見開き、わずかに下を向いた。
そして、申し訳なさそうに眉を寄せて首を振り、ちいさな声でささやいた。
「ごめん。ごめんなさい、シオン」
「は?」
「私、シオンの事は嫌いじゃないけどお友達にしか思えないっていうか、おかん枠っていうか、なんかタイプじゃなくて。……これからも、いいお友達って事じゃ、ダメ?」
「いやなんで俺が真面目な話してんのに、勝手に突然フラれたみたいな流れになってんの。意味わかんないんだけど」
顔を隠すように膝のシーツを口元まで引き上げるレイゼルに、頭を抱えて唸る志恩。
こいつのこういう性格忘れてたと深いため息を吐く志恩に、レイゼルは罪も無さそうに首をかしげた。
「だって俺が一生お前を守るとかプロポーズぽいこと言うから」
「誰もそこまで言ってないしプロポーズでもない!!」
「シオンもとうとう私の可愛さに狂っちゃったかー」
「狂うわけないだろ、バカ」
可愛すぎるって罪だよね、と両手で恥ずかしそうに顔を覆うレイゼルに、ため息どころか額を押さえて志恩はつぶやく。
「で、レイゼル」
「なになに」
「俺の怪我を治したの、お前だろ」
「うん。バレた?」
悪戯っぽく舌を出すレイゼルに、やっぱりなと腕を組んで志恩は自分の身体を見た。
コウに瑛里奈を託し、レイゼルを背負って病院に来た事を思い出す。
ここに到着したとき、志恩自身も血だらけだったから菅原に驚かれたが、診察の結果、貧血以外で志恩はまったくの無傷だった。しかし、あの激戦を考えれば、それは有り得ない。
あの腹の穴の痛みは本物だったし、実際、志恩の服は腹部を中心に血が染み込んでひどい有様だった。
「シオンに魔力渡したときにね、ちょっとだけ、魔法を入れておいたの。ほら、私がいないと、シオン無茶するでしょう?」
今回だけだから、と片目をつむって指でジェスチャーするレイゼルに、志恩は天井を仰いで口を開いた。そんなことができるのなら、できるのだったら、
「俺を治せるんだったら、先に自分のことを治せよ……」
「それは無理だよ」
レイゼルは綺麗な赤い瞳をして首を横に振った。
「私は、私に対して何もできないの。願いも、祈りも、癒しも、何もかも。私は、滅ぼすことしか能のない存在だから」
自分に繋がった点滴の管を寂しそうに眺めて、レイゼルは言った。
「病を滅ぼし、生を滅ぼし、死を滅ぼす。私がしているのは、シオンの怪我を治すというより、その事実を殺すようにしただけ。神も世界も何でも、私に滅ぼせないものは無いよ。それが、私の権限であり権能だから。ただ、でも、私は、私は──」
歌うように泣き出しそうにつぶやくその続きを、レイゼルが口にすることはなかった。
銀色の長い睫が伏せられ、何か言おうと至恩が口を開こうとした瞬間、細くて白い指が至恩の唇を押した。
「──きっと、私を守るなんて人間はシオンだけだね」
シオンのそういうとこ、好きだよ。
夕焼けに銀髪を赤く染め上げて、レイゼルは世にも美しく微笑んだ。
とりわけ診察室は──これは医師本人の影響か、氷に閉じ込められたような冷たさがあって、暖房が効いている室内で至恩は寒そうにスウェットの袖をさすった。
身体の弱かった幼少のころから、この空気だけは慣れないなと至恩が白すぎる壁へ視線を巡らせていると、不意に低い男の声がした。
真面目そうというよりは、真面目すぎて身を滅ぼしそうなほど真正直な声だ。
「さて、朗報と悲報。どちらが聞きたいかネ?」
パソコン画面に映った電子カルテをじっくりと眺めていた医師が、分厚すぎる瓶底眼鏡を押して、口を開く。
光に眼鏡が反射してその表情はうかがえない。けれど、朗報か悲報か。どちらが先に聞きたいかは、決まっている。
「朗報からお願いします」
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「片桐君、だったかな。君が連れてきた彼女、意識が戻ったよ。今は梅野君が様子を見に行っているはずだ」
「本当ですか!?」
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「ん。背中の縫合も、傷跡が残らないように処置したから安心したまえよ。熱も下がったし、もう一度検査して、問題なければ明日にでも退院していい」
「ありがとうございます!」
「かわいい子だネ。女の子なんだから、怪我には気をつけてやりなさいネ」
「……わかって、ます」
ぴくりとも動かない、血に濡れたレイゼルのちいさな身体を。少女の驚くほどの軽い体重も、背中越しに伝わるか細い呼吸も暖かさも、昨夜の何もかもを思い出して胸が苦しくなる。
手をきつく握りしめ深々と頭を下げ、礼を言い、それからふと引っかかりを感じて、志恩は顔を上げた。
「菅原先生」
「なんだネ」
「レイゼルの事が、朗報ですよね?」
「そうだネ」
菅原は昔からのかかりつけ医だが、相変わらず不思議なイントネーションで話す。それはさておき、志恩はきょとんとした顔で口を開いた。
「じゃあ悲報ってなんですか」
そう聞くと、菅原は薄い唇に指を当て、肩をすくめ、深いため息を吐いた。
「昨夜、君が女の子を背負って駆け込んできたときは僕も驚いたよ」
「はあ」
「何せ、深夜に血だらけだったからネ。まあ、深くは聞かないよ。厄介事は僕もゴメンだからネ」
「……はあ」
医者がそれでいいのかと思ったが、詮索されないのはありがたい。
異界で化け物と一戦やり合ってきましたなんて説明のしようがないし、信じてもらえるとも思えない。
君とは生まれたときからの付き合いだからネ、とウインクする菅原に眉をひそめる至恩。悲報の内容が警察沙汰ではなさそうだと胸をなでおろしたが、それではなんだろうと首をかしげる。
「昨夜思ったんだけどネ」
「はー」
「昨夜、いや僕は毎日毎時毎分思うんだがネ。悲報というのはネ、やはり僕があまりに天才過ぎてネ? 君もそう思うだろう? 僕のこの、世界の至宝、天下一品の如き知能知性が恐ろしいと思っ」
「先生、診察終わってますよね。面会時間もあるんでレイゼルのとこ行っていいですか」
その話聞くのもう一〇年目なんで、と。
立ち上がってカゴの中のリュックを掴むと、菅原がええーという顔をする。それを半眼で一瞥する至恩。
「まあいいけどネ。そうだ、如月君」
「なんですか」
名前を呼ばれ、ドアに手をかけたまま振り返る。足を組み、腕を組み、菅原は白髪頭を揺らして微笑んだ。
「君も貧血気味だからネ。鉄剤処方したから薬局でもらってよ」
「わかりました。ありがとうございます」
素直に頭を下げる志恩を面白そうに眺めて、それと、と口を開いた。
「若いから良いけどネ、やんちゃはほどほどにするんだよ」
/*/
「牛木さん」
病室の前に見知った人影を見つけて、至恩は声をかけた。
髪を短く切りそろえ、豊満な身体のラインを白いナース服にしっかりと隠した、一般的には無愛想な印象を受ける看護師だ。
とはいえ、至恩は幼いころから知っている相手だ。名前を呼ぶと、牛木は軽く会釈して、目だけで微笑んだ。
「梅野さん待ちですか?」
「…………ええ。もう、終わり、ます」
牛木がほんの少し開けた病室のドアから中をのぞきこみ、至恩は目をまたたかせたあと、眉をしかめた。
「なにしてんですか、アレ」
「よかった。元気そう、です、ね」
「それはそうだけど……」
元気にもほどがあるんじゃないのか。一応、昨夜大怪我をして、今朝まで高熱を出してた相手だぞ、と。
もっとしおらしい様子を想像していたのにと変な顔をする至恩に、牛木が細い肩を揺らしてくすくすと笑う。それから、至恩の肩をそっと押した。行きなさいというように。
「……失礼します」
牛木に促されてドアに手をかけ、がらりと開けた瞬間
「ダウト!!!」
「嘘、なんでーーー!!?」
個室のベッドからトランプが宙を舞い上がり、至恩は上を見て下を見て、頭を抱えた。
「二人でダウトして楽しいわけ?」
「梅ちゃんぜんぶ顔に出るから弱いんだよね。シオンもやる?」
「ひどいー! レイゼルちゃんが強いんですよぉ!!」
白い髪と両手を振って抗議する看護師──梅野にレイゼルがふふんと無い胸を張る。
横目で見るレイゼルは、長い髪にぴょんぴょん寝癖をつけて、とても元気そうに見えた。ただ、細い腕に繋がった点滴と、青い病衣の下からのぞく包帯が痛々しくて、至恩はとっさに視線をそらした。
それに気づいたレイゼルが、トランプを片づけながら不思議そうな顔をする。
「シオンどしたの?」
「なんでもない。梅野さん、外で牛木さんが待ってましたよ」
「えっ、うーちゃんが? そうだ、交代時間だったね。ゴメンゴメン」
ぺろっと赤い舌を出して立ち上がる梅野。
本当に牛木さんとは対照的な人だな、と思う至恩を大きな猫目でじっと見て、ぽんと手を叩いた。
「そうそう。レイゼルちゃんなんですけどぉ、お熱下がったみたいなんでぇ、菅原センセがオッケーしたら退院していいと思いますよー」
「あ、さっき先生も言ってました。検査結果が良ければ退院していいって」
「うん。安静にしてねぇ。でもレイゼルちゃんならいつでも大歓迎だよぉ、また入院しにおいでよ」
「やったー行く行く!」
「いや、そんな何度も何度も入院させたくないんですけど……」
喜ぶレイゼルの手を取って頷く梅野を、首を横に振って止める志恩。
牛木に引きずられて出て行く梅野を見送ったあと、椅子を引いてベッドサイドに座った。手を伸ばし、レイゼルの額に手を当てる。
「熱下がったね」
「うん。私は強い子だから」
満面の笑みを浮かべるレイゼルに、つられるように口元を緩める。ちいさく息を吐き、両手を組みながら志恩は言った。
「あの……背中、痛くないか?」
「んー。仰向けで寝たりできないのは辛いけど、それぐらいかなあ。熱の方がタイヘンだったよ。苦しいし、あっついし、急に寒くなるし。熱出すのってしんどいね」
「お前、熱出したことないの? 風邪とかインフルエンザで」
「ないかも。私たぶん、人間の病気はかからないから……」
「あー」
魔素喘息とか、妖精風邪ならかかるかもしれないけど、と言うレイゼルの言葉を聞きながら(魔素喘息と妖精風邪が一体なんなのかはともかく)人間じゃないというのも色々あるんだなと納得する。
髪の寝癖をしきりに気にするレイゼルを眺め、櫛を持ってくればよかったなと思う。家に女っ気が皆無だからそんなことは思い当たりもしなかった。せいぜい、干していた着替えとタオルを持ってきただけだ。
荷物でパンパンになったリュックを見下ろし、それから左腕をさすって、目を細める。長く赤い夜を越えた今は、銃じゃない、生白い、自分の本当の腕。
「レイゼル」
「なあに?」
のんきに髪の枝毛チェックをしていたレイゼルが、顔を上げる。かわいらしく小首をかしげて、
「お前が、無事でよかった」
心の底から吐き出された安堵の言葉に、レイゼルが赤い瞳をますます大きくさせる。
ぱちぱちまばたきして、形のいい赤い唇をほんの少し開く。だが、何も言わない、というより言うべき言葉が見つからないようだった。
珍しく素直な戸惑いを見せるレイゼルに、気まずそうに頭をガシガシかいて、至恩は口を開いた。
「いや、お前のおかげであのムカデに勝てたし。でも、お前が怪我して、お前に怪我させて勝っても意味ないっていうか……」
「…………」
「あのムカデ、俺狙いで来ただろ」
「……そうだよ」
こくりと頷くレイゼルに、志恩は苦々しい表情を浮かべる。
瑛里奈を巻き込んでしまったが、デカの行動目的は一貫していた──至恩だ。
星幽兵器が目的なら、コウがいる。人間が欲しいなら、瑛里奈は既に喰われていたはずだし、人外で魔力が欲しいなら、レイゼルがいる。
だが、デミウルゴス・プロトタイプ=デカが狙っていたのは、至恩ただ一人だった。
自分がなぜ狙われるのか。色々あって星幽兵器という物を手に入れたが、それ以外では、志恩はまったくただの人間だ。
化け物に好かれても嫌われても困るんだけど、とため息をついて、至恩は顔を上げた。
「レイゼル」
そっとちいさな手を取って、大きく息を吸い、志恩は言った。
「もし、これからもあの化物がきたら、何度も戦うことになると思う。でも俺は、もう何があってもお前を傷つけたくないんだよ。怪我させたくない」
目の前にいるのは、ただの、普通の女の子だと、レイゼルの華奢な肩を、透けるように白い首筋を見て思う。
その軽くて細い身体が赤く染まった姿を思い出すと、手が、足が、内臓が震える。血の気が引く。もう二度と、傷ついてほしくない。だから、
「だからさ、レイゼル。……今度は、俺がお前を守るよ」
あんまり、まだ強くないけどね。
左腕に触れて困ったように笑うと、レイゼルははっと目を見開き、わずかに下を向いた。
そして、申し訳なさそうに眉を寄せて首を振り、ちいさな声でささやいた。
「ごめん。ごめんなさい、シオン」
「は?」
「私、シオンの事は嫌いじゃないけどお友達にしか思えないっていうか、おかん枠っていうか、なんかタイプじゃなくて。……これからも、いいお友達って事じゃ、ダメ?」
「いやなんで俺が真面目な話してんのに、勝手に突然フラれたみたいな流れになってんの。意味わかんないんだけど」
顔を隠すように膝のシーツを口元まで引き上げるレイゼルに、頭を抱えて唸る志恩。
こいつのこういう性格忘れてたと深いため息を吐く志恩に、レイゼルは罪も無さそうに首をかしげた。
「だって俺が一生お前を守るとかプロポーズぽいこと言うから」
「誰もそこまで言ってないしプロポーズでもない!!」
「シオンもとうとう私の可愛さに狂っちゃったかー」
「狂うわけないだろ、バカ」
可愛すぎるって罪だよね、と両手で恥ずかしそうに顔を覆うレイゼルに、ため息どころか額を押さえて志恩はつぶやく。
「で、レイゼル」
「なになに」
「俺の怪我を治したの、お前だろ」
「うん。バレた?」
悪戯っぽく舌を出すレイゼルに、やっぱりなと腕を組んで志恩は自分の身体を見た。
コウに瑛里奈を託し、レイゼルを背負って病院に来た事を思い出す。
ここに到着したとき、志恩自身も血だらけだったから菅原に驚かれたが、診察の結果、貧血以外で志恩はまったくの無傷だった。しかし、あの激戦を考えれば、それは有り得ない。
あの腹の穴の痛みは本物だったし、実際、志恩の服は腹部を中心に血が染み込んでひどい有様だった。
「シオンに魔力渡したときにね、ちょっとだけ、魔法を入れておいたの。ほら、私がいないと、シオン無茶するでしょう?」
今回だけだから、と片目をつむって指でジェスチャーするレイゼルに、志恩は天井を仰いで口を開いた。そんなことができるのなら、できるのだったら、
「俺を治せるんだったら、先に自分のことを治せよ……」
「それは無理だよ」
レイゼルは綺麗な赤い瞳をして首を横に振った。
「私は、私に対して何もできないの。願いも、祈りも、癒しも、何もかも。私は、滅ぼすことしか能のない存在だから」
自分に繋がった点滴の管を寂しそうに眺めて、レイゼルは言った。
「病を滅ぼし、生を滅ぼし、死を滅ぼす。私がしているのは、シオンの怪我を治すというより、その事実を殺すようにしただけ。神も世界も何でも、私に滅ぼせないものは無いよ。それが、私の権限であり権能だから。ただ、でも、私は、私は──」
歌うように泣き出しそうにつぶやくその続きを、レイゼルが口にすることはなかった。
銀色の長い睫が伏せられ、何か言おうと至恩が口を開こうとした瞬間、細くて白い指が至恩の唇を押した。
「──きっと、私を守るなんて人間はシオンだけだね」
シオンのそういうとこ、好きだよ。
夕焼けに銀髪を赤く染め上げて、レイゼルは世にも美しく微笑んだ。
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最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
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