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ワールドエンド邂逅編
願いの鳥
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赤い、あかい、アかい──この、赤い目は、知っている。
『どこで?』
──俺が……。
『キミが?』
──俺が、俺が…………俺が、生まれた、いや違う。
『チガウ?』
──違う。違う、違う、これは、これは。
『Doコ縺ョ◆?』
──俺が、殺された日だ。
***
赤い光の奥から聴こえたのは、奇妙な音声だった。子供のようで、大人のようで、機械のような。
最後には言葉にもなっていたなかったが、次の瞬間にはそんなことはどうでもよくなった。
詰問の終焉は、突如腹を裂かれ、肉を噛みちぎられ、引き出した内臓を啄ばまれるような痛みだった。
熱で、痛みで呼び出された記憶が、映画のフィルムのように急速に逆再生される。
バイクを吹かすコウ、倒れた瑛里奈、涙目のレイゼル。バラバラになった記憶に、過去の中に、意識が落ちていく。
そしてその果ては──ああ、なぜ、忘れていたのだろう。
あの夜は、そう、金の雪が降っていた。
/*/
赤い空から、雪が降っている。
光を失いかけた瞳が、黒々としたくちばしに眼球をえぐられる寸前に映した光景は、ただただ美しかった。
凄惨な状況にはあまりにも場違いなほどに。
自然界に金の雪などあり得ないことを、そのときの至恩は考えもつかなかった。
そもそも、鋼鉄の爪に身体を押さえつけられ、腹を切り裂かれ、内臓を食われながらまともな思考をできる人間というのも、そういない。
さんざん叫びつくした喉は枯れ、声の代わりに喉の奥から血があふれて、せき込むたびに口の端から流れていく。
はやくショック死してしまえればいいところ、なぜか意識がおぼろげに残っていて、それが至恩を更に苦しめていた。
生かしながら、殺している。
のたうち回って痛みを逃すことさえ許されず、まるで虫の手足を一本一本もいで殺す子供のような悪趣味さ。
腹どころか全身そのものに広がる激痛と激熱に、思考が焼き切れる。息が終わるのが先か、化け物に目ごと脳を突かれるのが先か、そんな時だった。
至恩が、最期の夢のように、金色の雪を見たのは。
『──願いを──』
ぬめぬめと油を塗りたくったような黒い羽根が、視界を覆う。赤い夜が消え、雪が消えた。
悪戯についばまれ、半分ちぎられた耳の奥に、痛みを和らげるように、どこか聞き覚えのある声がした。
『──願いを、願いを、ねがいを、ネガイヲ』
目の前でぎらぎらと発光する、空によく似た赤い目が煩わしい。もっと、あの雪を見ていたかった。
鋭く研ぎ上げた鋭利な刃物のようなくちばしが、カチカチと小刻みに鳴りながら至恩に近づく。
ぱっくりと開かれたくちばしの奥に広がる赤黒い闇。
そして、至恩は終わった。
『……願いを、願いをかなえてあげる。シオン。私の願いを叶えてくれたら』
涙が出そうだった。
なぜだか知らないが、どうしようもなく泣きたくなった。
化け物に嬲られたからでも、悔しいからでも、絶望したからでもなかった。
そんなことを考える暇など、至恩にはなかった。
死ぬほどの激痛、実際、死んでしまったその痛みが消えるころにはもう、眼球ごと柔らかい脳を引きずり出され、飽きたように首をねじ切られて至恩は絶命していた。
『シオンの、願いは、なあに?』
──だから、泣きたい、と至恩が思ったのは、死後の話になる。
それは、つい微笑んでしまうほど、幼くてあどけない声。
そして、とてもよく知っている。いや、知っていたものだ。懐かしくて、懐かしくて、無くなった目から涙が出そうだと思っていると、本当に涙が落ちた。
「……死、にたく、ない」
声も、出た。不思議だが、死んだと思えばなにもおかしくはない。
死んで、殺されて、もう生きてなくて、これがあの世なら声だって出てもいいはずだ。だって、テレビで見る幽霊は、首が折れても恨みつらみをつぶやいていた。
これ以上の苦しみも痛みもなく、不幸もなく不運もないのに、何故こんなにもそれが嫌なのか。
死ぬ前からずっと、シオン、シオンと甘くささやく声を──これが噂のお迎え、死神、いや天使なのかなと思いながら──見えない目で探るように、至恩は口を開いた。
天使に願いをかなえてもらうなら、望むものはひとつしかない。
「死にたくない。死にたくない、死にたくないよ。……死にたくなかった」
特別にやり遺したことがあるわけでも、逢いたい人間がいるわけでもない。家族は、たった一人の父親だとしても、死んであとでさえ顔も見たくない。
けれど、どうしようもなく、生きたかった。
明日も学校に行き、コウと軽口を叩いたり、瑛里奈と他愛もない話をして、そんな日々を飽きることなく続けていくのだと思っていた。
中等部が終わったら高等部に上がって、大学に行くなり就職するなりして、そうしてなんやかんや生きていくのだと。そう思っていた。
つい、一時間前まではそのはずだった。
化け物に。あんな意味の分からない、本当に、本当に意味の分からない悪夢のような化け物に突如終わらされるなんて、考えもしなかった。
「……生きたい」
ぼろぼろと涙がこぼれる。生きられないことが、こんなに悲しいなんて、知らなかった。
生きたい、生きたい、生きたい。
まだ何もしていない、叶えたい夢もないのに死にたくない。意味もなく死にたくない。いや、たとえ意味があったって、死にたくなんてない。
生きたい──ただ、生きたい。もっと、生きていたかった。
平凡で、陳腐な、ただ時が過ぎるだけの日々を。
『シオン』
不意に、至恩の頬に、柔らかいものが触れた。手とは違う。つるりとした人間の皮膚の感触ではなく、それよりもっと優しくて、ふわふわとしていた。
『いいよ。叶えてあげる!』
天使は、拍子抜けするほど明るく請け負った。
視界は闇でなにも見えないのに、どうしてか絶世の美少女が、無い胸を張って頷いているような気がした。
ふわふわが志恩の両頬を挟んでぺちぺち叩く。涙を拭おうとしているらしい。天使らしからぬその不器用さが、ちょっとだけ面白かった。
『そなたの願いを叶えよう、人の子よ。生き返らせてあげる。だから、だから私の願いを──いえ、いいえ』
妙に芝居がかった口調を、途中で照れ臭くなったか、天使はやめた。
ふわふわが離れて、志恩は目を瞬かせた。突然まぶたに照らされた光が眩しかったからだ。
光を感じる眼球などないはずなのに、目の前が真っ白い光に包まれている。いや、
『シオンは私のお願い、聞いてくれたもの。なんにも覚えてないだろうけど、でも、いいの』
眼球が、視力が、有る。
何事もなかったかのように光の戻った緑の瞳を見開いて、至恩はその声の主を見上げた。
一番最初に目を奪われたのは、赤い瞳──あの化け物とはまるで違う、毒々しさは一切なく、日暮れの太陽のようにもの哀しく、夜明けの太陽のように鮮烈な、赤。
天使でも何でもない。
そこにいたのは、世にも美しい鳥だった。
金の鳥。金の羽毛の下には同じく黄金の鱗を生やし、胴が果てしなく長く、尾の先が見えないようなものを鳥といっていいのか悩むところだが、龍と呼ぶにはくちばしがあるからやはり鳥かな、と思う。
『願いを聞いてあげる、叶えてあげる。私には、それぐらいしかできないから。……そのかわりに』
雪のような羽根が、空から、いや鳥が無数の翼をはためかせるたびに舞い飛んでいる。
羽根が至恩の横をすり抜けていって、思わずつかむが、ふわふわの羽根は砂のように砕けてサラサラと指の間からこぼれ落ちていった。
『……また』
それは天使ではなかったが、天使より美しい。
本物の天使を見たことはないけれど、それでも、この鳥よりも美しいものなど、この世にはないんじゃないかと思う。
つい先ほどまで殺されていたことなど些細なことだと思わせるほどに、金の鳥は綺麗だった。言葉を失って、声の出し方さえおぼつかないぐらいに。
それは、至恩だけではないだろう。誰もが死も生も投げ出して捧げてしまいたくなるような、豪華絢爛な金の鳥。
『また──は、私と──なってくれる?』
なのに、その鳥がなぜだかおずおずと不安げな銀髪の美少女に見えて、至恩が首をかしげると、鳥は天高く飛翔した。
奇跡の残香のように、空から金の羽根が降っている。
至恩はその世界の終りのような光景に目を細め、目を閉じ、そして、甘やかな母の声に目覚めを揺り動かされるまでの数秒間で、すっかりと忘れた。
現世をつつがなく生きるために、死後を覚えている人間がいないように、何もかも忘れていたはずだった――記憶を弄られるまでは。
***
『見つけた』
***
「シオン!!!」
鼓膜を揺り動かす少女の声に、急激に意識が引き戻される。
視界から脳を汚染する赤い光の波を引き剥がすように、頭を抱えて首を振った。
頭の中がぐちゃぐちゃで、吐き気がする。かき混ぜられた記憶が混濁して、ノイズがかったように思い出せない。
最後、あの鳥は何を言おうとしていたのか。いや、そんなことより俺は、俺は──。
「シオン、ねえシオン、大丈夫?」
シオン、しおん、志恩。そうだ。それが、俺の名前だ。
自分が誰で、ここはどこか。それさえもはっきりとせず、至恩は頭を抱えたまま、目を開けた。
耳に、キンキンと高い少女の声が届く。それが誰かさえ、まだ霞がかったように思い出せない。
ついでにぺちぺち頬を叩かれて、思わず志恩は呻いた。
「……ッ……う、ぐっ」
「ごめん、ごめんね。まさかデミが精神汚染するなんて思ってなくて、護りがうまくできなかった……シオン、私のこと分かる? シオン?」
「精神……汚染……いや、そんなことより」
思い出せない。
何度も何度も名前を呼ぶ声を。
目の前で心配そうに覗き込む銀髪の少女が一体誰か、未だ思い出せないけれど、身体は勝手に動いていた。
「避けろ!!」
赤い、渦だった。
目の前に立つ鉄塔を軸として巻き上がる焔の渦が、志恩と少女を飲み込もうと迫っている。その中心、ひしゃげた鉄塔に絡みついた巨大なムカデの尾を見つけて、志恩は目を細めた。
どうして空中にいるのかはさておいて、今が危機的状況であることぐらいは理解できる。
鞭のように横薙ぎに振り回す焔から逃れようと、子供を抱きしめたまま背後へ蹴り上げるが、間に合わない。
「わかってる、任せて!」
咄嗟に引き寄せた少女が、振り返って手を伸ばす。
細い指の先から放たれた金色の波が、焼け付く焔を防ぎ、火を吐く化け物ごと渦を押し返した。
膨大な魔力によって炎ごと鉄塔に押し付けられた化け物が、火の粉を散らしてのたうち回る。その様子に、少女がつまらなそうに鼻を鳴らした。
「倒した!?」
「いや、まだ……あっ」
目の眩むようなその眼差しを、知っている気がする。
赤い焔、黄金の光に照らされた豊かな銀髪は美しく、少女の横顔に目を奪われた瞬間、
「シオン、危ない!!」
ドンッとちいさな身体に胸を突き落とされ、志恩はバランスを崩した。久しく忘れていた重力の感触を思い出す。
魔法が解けて、身体が落ちる。
「──レ」
離さないよう抱えていた身体が、志恩の腕からするりと抜けた。
そして、先程まで志恩が居た空間。そこに両手を突き出したままの少女の姿があって、
「──レイゼル!!!」
次の瞬間、断ち切ったはずのプロトタイプ・デカの頭が、細い身体に喰らいついていた。
『どこで?』
──俺が……。
『キミが?』
──俺が、俺が…………俺が、生まれた、いや違う。
『チガウ?』
──違う。違う、違う、これは、これは。
『Doコ縺ョ◆?』
──俺が、殺された日だ。
***
赤い光の奥から聴こえたのは、奇妙な音声だった。子供のようで、大人のようで、機械のような。
最後には言葉にもなっていたなかったが、次の瞬間にはそんなことはどうでもよくなった。
詰問の終焉は、突如腹を裂かれ、肉を噛みちぎられ、引き出した内臓を啄ばまれるような痛みだった。
熱で、痛みで呼び出された記憶が、映画のフィルムのように急速に逆再生される。
バイクを吹かすコウ、倒れた瑛里奈、涙目のレイゼル。バラバラになった記憶に、過去の中に、意識が落ちていく。
そしてその果ては──ああ、なぜ、忘れていたのだろう。
あの夜は、そう、金の雪が降っていた。
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赤い空から、雪が降っている。
光を失いかけた瞳が、黒々としたくちばしに眼球をえぐられる寸前に映した光景は、ただただ美しかった。
凄惨な状況にはあまりにも場違いなほどに。
自然界に金の雪などあり得ないことを、そのときの至恩は考えもつかなかった。
そもそも、鋼鉄の爪に身体を押さえつけられ、腹を切り裂かれ、内臓を食われながらまともな思考をできる人間というのも、そういない。
さんざん叫びつくした喉は枯れ、声の代わりに喉の奥から血があふれて、せき込むたびに口の端から流れていく。
はやくショック死してしまえればいいところ、なぜか意識がおぼろげに残っていて、それが至恩を更に苦しめていた。
生かしながら、殺している。
のたうち回って痛みを逃すことさえ許されず、まるで虫の手足を一本一本もいで殺す子供のような悪趣味さ。
腹どころか全身そのものに広がる激痛と激熱に、思考が焼き切れる。息が終わるのが先か、化け物に目ごと脳を突かれるのが先か、そんな時だった。
至恩が、最期の夢のように、金色の雪を見たのは。
『──願いを──』
ぬめぬめと油を塗りたくったような黒い羽根が、視界を覆う。赤い夜が消え、雪が消えた。
悪戯についばまれ、半分ちぎられた耳の奥に、痛みを和らげるように、どこか聞き覚えのある声がした。
『──願いを、願いを、ねがいを、ネガイヲ』
目の前でぎらぎらと発光する、空によく似た赤い目が煩わしい。もっと、あの雪を見ていたかった。
鋭く研ぎ上げた鋭利な刃物のようなくちばしが、カチカチと小刻みに鳴りながら至恩に近づく。
ぱっくりと開かれたくちばしの奥に広がる赤黒い闇。
そして、至恩は終わった。
『……願いを、願いをかなえてあげる。シオン。私の願いを叶えてくれたら』
涙が出そうだった。
なぜだか知らないが、どうしようもなく泣きたくなった。
化け物に嬲られたからでも、悔しいからでも、絶望したからでもなかった。
そんなことを考える暇など、至恩にはなかった。
死ぬほどの激痛、実際、死んでしまったその痛みが消えるころにはもう、眼球ごと柔らかい脳を引きずり出され、飽きたように首をねじ切られて至恩は絶命していた。
『シオンの、願いは、なあに?』
──だから、泣きたい、と至恩が思ったのは、死後の話になる。
それは、つい微笑んでしまうほど、幼くてあどけない声。
そして、とてもよく知っている。いや、知っていたものだ。懐かしくて、懐かしくて、無くなった目から涙が出そうだと思っていると、本当に涙が落ちた。
「……死、にたく、ない」
声も、出た。不思議だが、死んだと思えばなにもおかしくはない。
死んで、殺されて、もう生きてなくて、これがあの世なら声だって出てもいいはずだ。だって、テレビで見る幽霊は、首が折れても恨みつらみをつぶやいていた。
これ以上の苦しみも痛みもなく、不幸もなく不運もないのに、何故こんなにもそれが嫌なのか。
死ぬ前からずっと、シオン、シオンと甘くささやく声を──これが噂のお迎え、死神、いや天使なのかなと思いながら──見えない目で探るように、至恩は口を開いた。
天使に願いをかなえてもらうなら、望むものはひとつしかない。
「死にたくない。死にたくない、死にたくないよ。……死にたくなかった」
特別にやり遺したことがあるわけでも、逢いたい人間がいるわけでもない。家族は、たった一人の父親だとしても、死んであとでさえ顔も見たくない。
けれど、どうしようもなく、生きたかった。
明日も学校に行き、コウと軽口を叩いたり、瑛里奈と他愛もない話をして、そんな日々を飽きることなく続けていくのだと思っていた。
中等部が終わったら高等部に上がって、大学に行くなり就職するなりして、そうしてなんやかんや生きていくのだと。そう思っていた。
つい、一時間前まではそのはずだった。
化け物に。あんな意味の分からない、本当に、本当に意味の分からない悪夢のような化け物に突如終わらされるなんて、考えもしなかった。
「……生きたい」
ぼろぼろと涙がこぼれる。生きられないことが、こんなに悲しいなんて、知らなかった。
生きたい、生きたい、生きたい。
まだ何もしていない、叶えたい夢もないのに死にたくない。意味もなく死にたくない。いや、たとえ意味があったって、死にたくなんてない。
生きたい──ただ、生きたい。もっと、生きていたかった。
平凡で、陳腐な、ただ時が過ぎるだけの日々を。
『シオン』
不意に、至恩の頬に、柔らかいものが触れた。手とは違う。つるりとした人間の皮膚の感触ではなく、それよりもっと優しくて、ふわふわとしていた。
『いいよ。叶えてあげる!』
天使は、拍子抜けするほど明るく請け負った。
視界は闇でなにも見えないのに、どうしてか絶世の美少女が、無い胸を張って頷いているような気がした。
ふわふわが志恩の両頬を挟んでぺちぺち叩く。涙を拭おうとしているらしい。天使らしからぬその不器用さが、ちょっとだけ面白かった。
『そなたの願いを叶えよう、人の子よ。生き返らせてあげる。だから、だから私の願いを──いえ、いいえ』
妙に芝居がかった口調を、途中で照れ臭くなったか、天使はやめた。
ふわふわが離れて、志恩は目を瞬かせた。突然まぶたに照らされた光が眩しかったからだ。
光を感じる眼球などないはずなのに、目の前が真っ白い光に包まれている。いや、
『シオンは私のお願い、聞いてくれたもの。なんにも覚えてないだろうけど、でも、いいの』
眼球が、視力が、有る。
何事もなかったかのように光の戻った緑の瞳を見開いて、至恩はその声の主を見上げた。
一番最初に目を奪われたのは、赤い瞳──あの化け物とはまるで違う、毒々しさは一切なく、日暮れの太陽のようにもの哀しく、夜明けの太陽のように鮮烈な、赤。
天使でも何でもない。
そこにいたのは、世にも美しい鳥だった。
金の鳥。金の羽毛の下には同じく黄金の鱗を生やし、胴が果てしなく長く、尾の先が見えないようなものを鳥といっていいのか悩むところだが、龍と呼ぶにはくちばしがあるからやはり鳥かな、と思う。
『願いを聞いてあげる、叶えてあげる。私には、それぐらいしかできないから。……そのかわりに』
雪のような羽根が、空から、いや鳥が無数の翼をはためかせるたびに舞い飛んでいる。
羽根が至恩の横をすり抜けていって、思わずつかむが、ふわふわの羽根は砂のように砕けてサラサラと指の間からこぼれ落ちていった。
『……また』
それは天使ではなかったが、天使より美しい。
本物の天使を見たことはないけれど、それでも、この鳥よりも美しいものなど、この世にはないんじゃないかと思う。
つい先ほどまで殺されていたことなど些細なことだと思わせるほどに、金の鳥は綺麗だった。言葉を失って、声の出し方さえおぼつかないぐらいに。
それは、至恩だけではないだろう。誰もが死も生も投げ出して捧げてしまいたくなるような、豪華絢爛な金の鳥。
『また──は、私と──なってくれる?』
なのに、その鳥がなぜだかおずおずと不安げな銀髪の美少女に見えて、至恩が首をかしげると、鳥は天高く飛翔した。
奇跡の残香のように、空から金の羽根が降っている。
至恩はその世界の終りのような光景に目を細め、目を閉じ、そして、甘やかな母の声に目覚めを揺り動かされるまでの数秒間で、すっかりと忘れた。
現世をつつがなく生きるために、死後を覚えている人間がいないように、何もかも忘れていたはずだった――記憶を弄られるまでは。
***
『見つけた』
***
「シオン!!!」
鼓膜を揺り動かす少女の声に、急激に意識が引き戻される。
視界から脳を汚染する赤い光の波を引き剥がすように、頭を抱えて首を振った。
頭の中がぐちゃぐちゃで、吐き気がする。かき混ぜられた記憶が混濁して、ノイズがかったように思い出せない。
最後、あの鳥は何を言おうとしていたのか。いや、そんなことより俺は、俺は──。
「シオン、ねえシオン、大丈夫?」
シオン、しおん、志恩。そうだ。それが、俺の名前だ。
自分が誰で、ここはどこか。それさえもはっきりとせず、至恩は頭を抱えたまま、目を開けた。
耳に、キンキンと高い少女の声が届く。それが誰かさえ、まだ霞がかったように思い出せない。
ついでにぺちぺち頬を叩かれて、思わず志恩は呻いた。
「……ッ……う、ぐっ」
「ごめん、ごめんね。まさかデミが精神汚染するなんて思ってなくて、護りがうまくできなかった……シオン、私のこと分かる? シオン?」
「精神……汚染……いや、そんなことより」
思い出せない。
何度も何度も名前を呼ぶ声を。
目の前で心配そうに覗き込む銀髪の少女が一体誰か、未だ思い出せないけれど、身体は勝手に動いていた。
「避けろ!!」
赤い、渦だった。
目の前に立つ鉄塔を軸として巻き上がる焔の渦が、志恩と少女を飲み込もうと迫っている。その中心、ひしゃげた鉄塔に絡みついた巨大なムカデの尾を見つけて、志恩は目を細めた。
どうして空中にいるのかはさておいて、今が危機的状況であることぐらいは理解できる。
鞭のように横薙ぎに振り回す焔から逃れようと、子供を抱きしめたまま背後へ蹴り上げるが、間に合わない。
「わかってる、任せて!」
咄嗟に引き寄せた少女が、振り返って手を伸ばす。
細い指の先から放たれた金色の波が、焼け付く焔を防ぎ、火を吐く化け物ごと渦を押し返した。
膨大な魔力によって炎ごと鉄塔に押し付けられた化け物が、火の粉を散らしてのたうち回る。その様子に、少女がつまらなそうに鼻を鳴らした。
「倒した!?」
「いや、まだ……あっ」
目の眩むようなその眼差しを、知っている気がする。
赤い焔、黄金の光に照らされた豊かな銀髪は美しく、少女の横顔に目を奪われた瞬間、
「シオン、危ない!!」
ドンッとちいさな身体に胸を突き落とされ、志恩はバランスを崩した。久しく忘れていた重力の感触を思い出す。
魔法が解けて、身体が落ちる。
「──レ」
離さないよう抱えていた身体が、志恩の腕からするりと抜けた。
そして、先程まで志恩が居た空間。そこに両手を突き出したままの少女の姿があって、
「──レイゼル!!!」
次の瞬間、断ち切ったはずのプロトタイプ・デカの頭が、細い身体に喰らいついていた。
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