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ワールドエンド邂逅編
第一種遭遇⑴
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「……死にたい」
夕暮れに染まる亜門マートの一角。正確には、自動ドアを出て右側、種類別のごみ箱のとなりは喫煙スペースだが、そこにじっとりと暗い空間が広がっている。
そこの主、もといずっと座り込んで落ち込んでいる相手を見て、コウはため息交じりに頭をかいた。
至恩がこんなに落ち込んでくるのは小学生以来で、だからついいじめられたのかと聞いてしまったが、それがトリガーだったのか、逆なんだよねとつぶやいた。
その後、喫煙スペースを陣取ってあの状態で十五分。
まったくちいさい頃となにも変わってない。それが嬉しいような呆れたような複雑な気持ちで、コウは店を出た。
燃えるゴミの箱によりかかり、紺色の頭を見下ろす。そして、深いため息をついた。
「なんだ、どうした。営業妨害してんじゃねーぞ。至恩」
「死にたい」
「いや、お前さっきからそればっかだな!?」
死にたい死にたいと繰り返すのは普通にメンタル的によろしくないことぐらいは、コウにもわかる。
そもそも人を殴るならともかく慰めるのはこれっぽっちも得意じゃないコウは、どうしたもんかと遠い目をして、ガラス越しにがら空きの店内を見た。
客に逃げることもできない。まあ、仕事はあるのだが、品出しは終わっているし店の前に至恩を残すほど切羽つまっている仕事でもない。
どうしたもんかと唸っていると、至恩が、ようやく別のことを言った。
「もういっそ俺を殴ってほしい……」
「おっ、やってやろうか? そういうのなら得意だぜ」
「待って……あんま痛くしないで……優しくして……」
「なんなんだお前は」
しびれを切らして至恩の足を蹴ると、ようやく顔を上げた。
泣いてはいなかった。そうだな、もう泣くだけのガキじゃないもんなとコウが考えていると、至恩が顔をそらして、口を開いた。
「……女の子を、泣かせたんだよね」
「あのガキか?」
瑛里奈かとも思ったが、そも瑛里奈ではこれほど落ち込まないだろう。週五で涙目になるぐらい瑛里奈は涙腺が弱いから、そんなことは日常茶飯事だ。
それから、気が強そう、というよりは生意気そうな赤い瞳の少女を思い出す。そうそう泣き出すようには見えなかったが、やっぱり子供かとコウは眉をしかめる。
女子供は、苦手だ。すぐ泣くから。コウにそのつもりはなくても、目を合わせただけで、子供に大変よく泣かれてきた。それはさておき、
「酷い事を……言ってしまったんだよね……」
「珍しい。お前がか?」
「しかも怒鳴ってしまって……それにトラウマも抉ってしまって……」
「そりゃ完全にお前が悪いだろ」
「はい、その通りです。俺が何もかも悪いです。死にたい……」
両手で顔を覆って首を振る志恩に、ドツボを踏んだなとコウは空を見上げる。
人を慰めるのは、得意じゃない。もっと言えば、殴って解決しないことは、だいたい不得意だった。
とりあえず食い物でもと仕事着のエプロンのポケットからシガレットチョコを取り出した時、志恩が小声でうめいた。
「忘れてたんだよ。本当に、俺がバカだったんだ。あの子は……あの子が、小さい、ただの小さい女の子だってことを、忘れてたんだよ」
どうして、そんな大切な事を忘れてたんだろう。
いや、理由ならわかる。
──レイゼルが。レイゼルが、強かったからだ。化け物を殺せる膨大な魔力など問題でない、本質的な、強さ。そのか細い背に隠した一ミリの悲しみさえ見せないほどに、元気で明るく、無邪気だった。
どんなときでも無邪気に振る舞えることが強さなのだと、今日この日まで知らなかった。
それに甘えてはいけなかったのに。あの華奢な肩の小ささを見落としていた。
苦々しくうめく志恩に、コウは目を細めると、ため息ひとつ吐いて、手に持ったチョコの箱を志恩に落とした。反射的にそれを掴む志恩。
「なにこれ?」
「……どうでもいいけどよ、もう暗くなるぞ。いいのか」
「へっ?」
「ついさっき、あのガキなら駅前の広場で見たな。最近、不審者が出るって警察から商店街に連絡回ってきてたぞ。はやく迎えに行ったほうがいいんじゃねーのか?」
「そういうことは先に言ってよ、コウちゃん!!」
人の話聞けるような状態じゃなかっただろうがと舌打ちするが、勢いよく立ち上がった至恩の背には届いていない。
やれやれと肩をすくめ、だが復活したことは良いことかと面白そうに口元をゆがめて、コウは言った。
「ぐずぐずしてんじゃねェよ。お前を殴っていいのは、あのガキだけだろ。さっさと殴られて来い」
腹パンの真似をしてコウが言い、振り上げた拳で背中をぐっと押し出してやると、至恩は振り返って、大真面目な顔で頷いた。
そして、商店街のゲートをくぐって走っていく白いワイシャツ姿を満足げに一瞥してコウは店に戻った。ついでに店の奥から一部始終をニヤニヤ眺めていた亜門と目が合って、無言で壁を蹴り飛ばした。
/*/
「……──いた!」
流れだす汗で顔に張り付いた髪をぬぐい、肺の底から息を吐き、人ごみをかき分けて至恩は思わずつぶやいた。
夕暮れから夕闇に変わり、薄暗い駅前はビルや居酒屋のネオンが煌々と輝き始めた。帰宅ラッシュのさなか、駅前に人は多く、ちいさな少女ひとりを探すのは難しいかと思われたが──広場の噴水の前、ベンチに所在なげにうつむく銀髪の少女を、見間違えたりしない。
ぶらぶらと足を揺らす絶世の美少女は、遠目でもよくわかるほどに目立っていた。
レイゼルだ。
そう思って駆け寄り、レイゼルまで数メートルの距離で、至恩はふと足を止めた。
「…………レイゼル」
レイゼルが座っているベンチは、例の、至恩が初めてデミタイプと遭遇した場所だ。
そして、レイゼルの母親が化け物に喰われた場所でもある。
──本当に、どうして、どうしてレイゼルが悲しんでいないのだと思ったんだろう。
長い髪に遮られた横顔が見えなくとも、少女がその場所に来た意味も、理由も、ひとつしかないのに。
レイゼルと声をかけていいのか、その資格が自分にあるのか。
止めた足が、動かなかった。
葛藤も、後悔も、そんなことはどうでもいいといわんばかりに日が落ちて夜が迫る。
どう声をかけたらいいのかわからなくて、謝るのが先か名前を呼ぶのが先か、そんなことを悩みあぐねていると、
「ね………ちょっと────………ら………どうかな?」
いつのまにか、レイゼルがいなくなっていた。
違う。
背の高い大人達が、レイゼルを囲んでいるから、見えないのだ。
迷子を交番に連れて行くという様子でもないし、耳にかすかに入る会話も慰めているふうではない。
そして、失礼だが、柄が良さそうには到底見えなかった。
上を見て、下を見る志恩。目眩がする。だが堪えて頬を叩くと、目を開けて走り出した。
勝負は勢いだ。
「すいません!!」
「は?」
男達の間にぐいぐいと割り込み、レイゼルの細い腕を掴む。
柄の悪さの体現のような男に裏声で凄まれ、志恩は一秒考えたが、二秒後にはコウより全然ドスがきいてないなと思って、レイゼルを勢いよく抱き上げた。
「こいつ、うちのなんでこれで失礼します!!!」
「シオン!?」
至恩を捕まえようと伸ばされる腕を、軽く数歩後ろに下がって避ける。
何度か付き合わされたコウの拳よりよっぽど遅いし、デミに比べたら何も怖くはない。
殴られるのと、超高熱放射光線に焼かれることのどちらが恐ろしいのか。いや、そんなことに慣れたくはないなと思うけれど。
そっと足音もなく近づき、突然背後から大声をあげられて、隙のできない人間はそういない。
何より時刻は帰宅ラッシュ直後だ。人目が集まり、手荒いことはできないだろうと踏んで、レイゼルを抱きしめたまま至恩は人ごみの中を駆けていく。
駅前は至恩の庭のようなものだ。
駅の路地裏からフェンスとフェンスの間の近道を抜けて、垣根を越えてマンションに挟まれたちいさな公園に入り、そうしてやっと至恩はレイゼルを降ろした。
周囲の無人を確かめたあと、レイゼルをベンチに座らせて、とうとう力つきたようにしゃがみこんで深いため息を吐く。
そのうつむいた頭に、レイゼルは困ったように名前を呼んだ。
「……シオン」
「お前、ほんとなにやってんの」
「なんかね、かわいい服きて写真とかビデオにでたらいっぱいお菓子もお金もくれるって」
「それ確実に一番やばいやつだからな!?!?」
思わず両腕を振り上げて怒ったあと、アホ毛の先までしおしおにしょげるレイゼルを見て、至恩は腕を振りおろす先に困って下を向いた。
「ご、ごめん。ごめんね、悪い人には気をつけるね、シオン」
「いや、うん、それはそうなんだけど、違う。謝るのは俺のほうで……悪かったよ。レイゼル」
怒鳴るつもりじゃなかった。猛省して頭を下げる至恩に、レイゼルはきょとんと首をかしげた。
「あの、ええと……あのさ、墓で……大変酷い事を言いまして、あの……怒ったりして……その……ごめん。本当に、ごめん」
レイゼルが、大きな瞳をさらに大きくさせて、まばたきした。
「誰より、お前が。……お前が、一番寂しいのに」
お前が、傷ついてないわけがなかったのに。
頭を下げたまま顔をあげない至恩を、レイゼルはじっと見つめたあと、ふと手を伸ばした。
夜色の前髪に触れて、そのまま頬に触れる。月よりも明るいマンションと電灯の光で、指先の位置は迷わなかった。そして、
「ひゃにひてんの」
「これで許してあげよう」
至恩の頬を思い切り左右に伸ばして、レイゼルはふふんと得意げな顔をした。
眉をよせ、難しい顔をする至恩。とはいえ、頬を上下左右になすがまま、伸ばしたり縮めたりふにふにしたりされているから、効果は皆無に等しい。
ひとしきり遊んで満足したか、ぱっと手を離したレイゼルに、至恩は赤くなった頬をさすりながら口を開いた。
「……気がすんだ?」
「女の涙は高いのよ。これで済んで運が良かったね、シオン?」
腕を組み、流し目から鮮やかに片目をつむってレイゼルが笑う。
その、あと十年すれば、世界が平伏す美人になるであろう美少女のウィンクを、まったくの半眼で受け流しながら、至恩は言った。
「ところでお前その悪女大全語録みたいなの、どこで覚えてくんの?」
「これはねえ、ヴィヴィアンが言ってた」
「誰それ」
「ヴィヴィアンはね、好きな男は塔に監禁する系女子だよ」
「なにそれめっちゃ怖い……」
ドン引きする至恩に、そうかなあと髪を揺らすレイゼル。
そういえばとポケットからコウからもらったチョコを取り出し、ふたりでベンチに並んでぽりぽりと食べながら、至恩は空を見た。
手持無沙汰にシガレットチョコの紙の包みを剥ぎながら、口を開いて、また閉じる。なにかを聞きあぐねている至恩の様子に、レイゼルはちょっとだけ笑って、助けてくれたこととチョコのお礼に口を開いた。
「……ママのことが聞きたいの?」
そうレイゼルが聞くと、志恩は答えなかった。だが、ほんの少し視線が動いた。
目は口ほどに物を言う。その視線の意味が、興味本位というよりは罪悪感だろうなとレイゼルは思う。
自分と似た、そして、不幸な境遇にある相手に、一方的に憤りをぶつけてしまった罪悪感。
だから、その気持ちを解くように優しくレイゼルは言った。
「私が殺してしまったのは……ママというか……うーんそうだね、二千年ぐらい前かな。その頃の話だよ」
「二千年前!?!?」
「うん。二千年前。まあでも、一度してしまったことに時効とかないからね」
二千年前、とうわごとのようにつぶやく志恩をレイゼルは面白そうに見る。
そういえば、人間は百年ちょっとしか生きれないんだったと思い出しながら、言った。
「だから、私はパパに会えないの。本当は、パパがどこにいるか分かってるけど、でも会えないのよ」
私は、私がしてしまったことの意味を知っているから。
そうささやく少女の横顔から、志恩は視線をそっと外した。
許されたいと思ってない相手に、慰めも同情も、必要ない。
二千年も前の話ならと時間を理由に許されたいのなら、この少女はとっくに自分を許している。
他人からも自分からも許されようと思っていない相手に、言うべき言葉は見つからない。それを言っていいのは、世界でたった一人だけ、だが志恩ではないことぐらいは分かっていた。
だから結局、全然違うことを志恩は言った。
「……二千年前ってことは、レイゼルお前、今なんさ」
「それ以上言ったら首と胴が一生離縁するよ」
駅前のチンピラよりよっぽど恐ろしい声を出すレイゼルに、志恩は苦笑いで手を上げて降伏する。
ふん、と横を向き、頬をふくらませるレイゼルの頭に手を伸ばした瞬間──
ドンッと地面を揺るがす地響きが鳴り響く。
地震のように地面の底から突き上げられる、というよりは、何かが直行落下してきて地面が押し潰された、というほうが正しい大きな揺れに、至恩は慌てて立ちあがった。
レイゼルも、足をゆらして飛ぶように地面に立った。
「なに、いまの。えっ、地震?」
足の裏から心臓までびりびりと痺れるような振動だった。
二度目は無いか、足踏みをして地面を確かめる至恩の横で、レイゼルは空を見上げて眉をしかめた。
「違うよ」
東京の夜が、次々とパネルをはめるように赤く染まっていく。
急激な高次元世界への力場の変化にともなう魔力振動で、空気が揺れ、風もないのに木が揺れてざわざわと鳴っていた。
「──デミだ。それも、プロトタイプだね」
至恩は顔を上げ、目を細める。
平坂に、赤い空から二度目の流星が落ちた。
夕暮れに染まる亜門マートの一角。正確には、自動ドアを出て右側、種類別のごみ箱のとなりは喫煙スペースだが、そこにじっとりと暗い空間が広がっている。
そこの主、もといずっと座り込んで落ち込んでいる相手を見て、コウはため息交じりに頭をかいた。
至恩がこんなに落ち込んでくるのは小学生以来で、だからついいじめられたのかと聞いてしまったが、それがトリガーだったのか、逆なんだよねとつぶやいた。
その後、喫煙スペースを陣取ってあの状態で十五分。
まったくちいさい頃となにも変わってない。それが嬉しいような呆れたような複雑な気持ちで、コウは店を出た。
燃えるゴミの箱によりかかり、紺色の頭を見下ろす。そして、深いため息をついた。
「なんだ、どうした。営業妨害してんじゃねーぞ。至恩」
「死にたい」
「いや、お前さっきからそればっかだな!?」
死にたい死にたいと繰り返すのは普通にメンタル的によろしくないことぐらいは、コウにもわかる。
そもそも人を殴るならともかく慰めるのはこれっぽっちも得意じゃないコウは、どうしたもんかと遠い目をして、ガラス越しにがら空きの店内を見た。
客に逃げることもできない。まあ、仕事はあるのだが、品出しは終わっているし店の前に至恩を残すほど切羽つまっている仕事でもない。
どうしたもんかと唸っていると、至恩が、ようやく別のことを言った。
「もういっそ俺を殴ってほしい……」
「おっ、やってやろうか? そういうのなら得意だぜ」
「待って……あんま痛くしないで……優しくして……」
「なんなんだお前は」
しびれを切らして至恩の足を蹴ると、ようやく顔を上げた。
泣いてはいなかった。そうだな、もう泣くだけのガキじゃないもんなとコウが考えていると、至恩が顔をそらして、口を開いた。
「……女の子を、泣かせたんだよね」
「あのガキか?」
瑛里奈かとも思ったが、そも瑛里奈ではこれほど落ち込まないだろう。週五で涙目になるぐらい瑛里奈は涙腺が弱いから、そんなことは日常茶飯事だ。
それから、気が強そう、というよりは生意気そうな赤い瞳の少女を思い出す。そうそう泣き出すようには見えなかったが、やっぱり子供かとコウは眉をしかめる。
女子供は、苦手だ。すぐ泣くから。コウにそのつもりはなくても、目を合わせただけで、子供に大変よく泣かれてきた。それはさておき、
「酷い事を……言ってしまったんだよね……」
「珍しい。お前がか?」
「しかも怒鳴ってしまって……それにトラウマも抉ってしまって……」
「そりゃ完全にお前が悪いだろ」
「はい、その通りです。俺が何もかも悪いです。死にたい……」
両手で顔を覆って首を振る志恩に、ドツボを踏んだなとコウは空を見上げる。
人を慰めるのは、得意じゃない。もっと言えば、殴って解決しないことは、だいたい不得意だった。
とりあえず食い物でもと仕事着のエプロンのポケットからシガレットチョコを取り出した時、志恩が小声でうめいた。
「忘れてたんだよ。本当に、俺がバカだったんだ。あの子は……あの子が、小さい、ただの小さい女の子だってことを、忘れてたんだよ」
どうして、そんな大切な事を忘れてたんだろう。
いや、理由ならわかる。
──レイゼルが。レイゼルが、強かったからだ。化け物を殺せる膨大な魔力など問題でない、本質的な、強さ。そのか細い背に隠した一ミリの悲しみさえ見せないほどに、元気で明るく、無邪気だった。
どんなときでも無邪気に振る舞えることが強さなのだと、今日この日まで知らなかった。
それに甘えてはいけなかったのに。あの華奢な肩の小ささを見落としていた。
苦々しくうめく志恩に、コウは目を細めると、ため息ひとつ吐いて、手に持ったチョコの箱を志恩に落とした。反射的にそれを掴む志恩。
「なにこれ?」
「……どうでもいいけどよ、もう暗くなるぞ。いいのか」
「へっ?」
「ついさっき、あのガキなら駅前の広場で見たな。最近、不審者が出るって警察から商店街に連絡回ってきてたぞ。はやく迎えに行ったほうがいいんじゃねーのか?」
「そういうことは先に言ってよ、コウちゃん!!」
人の話聞けるような状態じゃなかっただろうがと舌打ちするが、勢いよく立ち上がった至恩の背には届いていない。
やれやれと肩をすくめ、だが復活したことは良いことかと面白そうに口元をゆがめて、コウは言った。
「ぐずぐずしてんじゃねェよ。お前を殴っていいのは、あのガキだけだろ。さっさと殴られて来い」
腹パンの真似をしてコウが言い、振り上げた拳で背中をぐっと押し出してやると、至恩は振り返って、大真面目な顔で頷いた。
そして、商店街のゲートをくぐって走っていく白いワイシャツ姿を満足げに一瞥してコウは店に戻った。ついでに店の奥から一部始終をニヤニヤ眺めていた亜門と目が合って、無言で壁を蹴り飛ばした。
/*/
「……──いた!」
流れだす汗で顔に張り付いた髪をぬぐい、肺の底から息を吐き、人ごみをかき分けて至恩は思わずつぶやいた。
夕暮れから夕闇に変わり、薄暗い駅前はビルや居酒屋のネオンが煌々と輝き始めた。帰宅ラッシュのさなか、駅前に人は多く、ちいさな少女ひとりを探すのは難しいかと思われたが──広場の噴水の前、ベンチに所在なげにうつむく銀髪の少女を、見間違えたりしない。
ぶらぶらと足を揺らす絶世の美少女は、遠目でもよくわかるほどに目立っていた。
レイゼルだ。
そう思って駆け寄り、レイゼルまで数メートルの距離で、至恩はふと足を止めた。
「…………レイゼル」
レイゼルが座っているベンチは、例の、至恩が初めてデミタイプと遭遇した場所だ。
そして、レイゼルの母親が化け物に喰われた場所でもある。
──本当に、どうして、どうしてレイゼルが悲しんでいないのだと思ったんだろう。
長い髪に遮られた横顔が見えなくとも、少女がその場所に来た意味も、理由も、ひとつしかないのに。
レイゼルと声をかけていいのか、その資格が自分にあるのか。
止めた足が、動かなかった。
葛藤も、後悔も、そんなことはどうでもいいといわんばかりに日が落ちて夜が迫る。
どう声をかけたらいいのかわからなくて、謝るのが先か名前を呼ぶのが先か、そんなことを悩みあぐねていると、
「ね………ちょっと────………ら………どうかな?」
いつのまにか、レイゼルがいなくなっていた。
違う。
背の高い大人達が、レイゼルを囲んでいるから、見えないのだ。
迷子を交番に連れて行くという様子でもないし、耳にかすかに入る会話も慰めているふうではない。
そして、失礼だが、柄が良さそうには到底見えなかった。
上を見て、下を見る志恩。目眩がする。だが堪えて頬を叩くと、目を開けて走り出した。
勝負は勢いだ。
「すいません!!」
「は?」
男達の間にぐいぐいと割り込み、レイゼルの細い腕を掴む。
柄の悪さの体現のような男に裏声で凄まれ、志恩は一秒考えたが、二秒後にはコウより全然ドスがきいてないなと思って、レイゼルを勢いよく抱き上げた。
「こいつ、うちのなんでこれで失礼します!!!」
「シオン!?」
至恩を捕まえようと伸ばされる腕を、軽く数歩後ろに下がって避ける。
何度か付き合わされたコウの拳よりよっぽど遅いし、デミに比べたら何も怖くはない。
殴られるのと、超高熱放射光線に焼かれることのどちらが恐ろしいのか。いや、そんなことに慣れたくはないなと思うけれど。
そっと足音もなく近づき、突然背後から大声をあげられて、隙のできない人間はそういない。
何より時刻は帰宅ラッシュ直後だ。人目が集まり、手荒いことはできないだろうと踏んで、レイゼルを抱きしめたまま至恩は人ごみの中を駆けていく。
駅前は至恩の庭のようなものだ。
駅の路地裏からフェンスとフェンスの間の近道を抜けて、垣根を越えてマンションに挟まれたちいさな公園に入り、そうしてやっと至恩はレイゼルを降ろした。
周囲の無人を確かめたあと、レイゼルをベンチに座らせて、とうとう力つきたようにしゃがみこんで深いため息を吐く。
そのうつむいた頭に、レイゼルは困ったように名前を呼んだ。
「……シオン」
「お前、ほんとなにやってんの」
「なんかね、かわいい服きて写真とかビデオにでたらいっぱいお菓子もお金もくれるって」
「それ確実に一番やばいやつだからな!?!?」
思わず両腕を振り上げて怒ったあと、アホ毛の先までしおしおにしょげるレイゼルを見て、至恩は腕を振りおろす先に困って下を向いた。
「ご、ごめん。ごめんね、悪い人には気をつけるね、シオン」
「いや、うん、それはそうなんだけど、違う。謝るのは俺のほうで……悪かったよ。レイゼル」
怒鳴るつもりじゃなかった。猛省して頭を下げる至恩に、レイゼルはきょとんと首をかしげた。
「あの、ええと……あのさ、墓で……大変酷い事を言いまして、あの……怒ったりして……その……ごめん。本当に、ごめん」
レイゼルが、大きな瞳をさらに大きくさせて、まばたきした。
「誰より、お前が。……お前が、一番寂しいのに」
お前が、傷ついてないわけがなかったのに。
頭を下げたまま顔をあげない至恩を、レイゼルはじっと見つめたあと、ふと手を伸ばした。
夜色の前髪に触れて、そのまま頬に触れる。月よりも明るいマンションと電灯の光で、指先の位置は迷わなかった。そして、
「ひゃにひてんの」
「これで許してあげよう」
至恩の頬を思い切り左右に伸ばして、レイゼルはふふんと得意げな顔をした。
眉をよせ、難しい顔をする至恩。とはいえ、頬を上下左右になすがまま、伸ばしたり縮めたりふにふにしたりされているから、効果は皆無に等しい。
ひとしきり遊んで満足したか、ぱっと手を離したレイゼルに、至恩は赤くなった頬をさすりながら口を開いた。
「……気がすんだ?」
「女の涙は高いのよ。これで済んで運が良かったね、シオン?」
腕を組み、流し目から鮮やかに片目をつむってレイゼルが笑う。
その、あと十年すれば、世界が平伏す美人になるであろう美少女のウィンクを、まったくの半眼で受け流しながら、至恩は言った。
「ところでお前その悪女大全語録みたいなの、どこで覚えてくんの?」
「これはねえ、ヴィヴィアンが言ってた」
「誰それ」
「ヴィヴィアンはね、好きな男は塔に監禁する系女子だよ」
「なにそれめっちゃ怖い……」
ドン引きする至恩に、そうかなあと髪を揺らすレイゼル。
そういえばとポケットからコウからもらったチョコを取り出し、ふたりでベンチに並んでぽりぽりと食べながら、至恩は空を見た。
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「……ママのことが聞きたいの?」
そうレイゼルが聞くと、志恩は答えなかった。だが、ほんの少し視線が動いた。
目は口ほどに物を言う。その視線の意味が、興味本位というよりは罪悪感だろうなとレイゼルは思う。
自分と似た、そして、不幸な境遇にある相手に、一方的に憤りをぶつけてしまった罪悪感。
だから、その気持ちを解くように優しくレイゼルは言った。
「私が殺してしまったのは……ママというか……うーんそうだね、二千年ぐらい前かな。その頃の話だよ」
「二千年前!?!?」
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「だから、私はパパに会えないの。本当は、パパがどこにいるか分かってるけど、でも会えないのよ」
私は、私がしてしまったことの意味を知っているから。
そうささやく少女の横顔から、志恩は視線をそっと外した。
許されたいと思ってない相手に、慰めも同情も、必要ない。
二千年も前の話ならと時間を理由に許されたいのなら、この少女はとっくに自分を許している。
他人からも自分からも許されようと思っていない相手に、言うべき言葉は見つからない。それを言っていいのは、世界でたった一人だけ、だが志恩ではないことぐらいは分かっていた。
だから結局、全然違うことを志恩は言った。
「……二千年前ってことは、レイゼルお前、今なんさ」
「それ以上言ったら首と胴が一生離縁するよ」
駅前のチンピラよりよっぽど恐ろしい声を出すレイゼルに、志恩は苦笑いで手を上げて降伏する。
ふん、と横を向き、頬をふくらませるレイゼルの頭に手を伸ばした瞬間──
ドンッと地面を揺るがす地響きが鳴り響く。
地震のように地面の底から突き上げられる、というよりは、何かが直行落下してきて地面が押し潰された、というほうが正しい大きな揺れに、至恩は慌てて立ちあがった。
レイゼルも、足をゆらして飛ぶように地面に立った。
「なに、いまの。えっ、地震?」
足の裏から心臓までびりびりと痺れるような振動だった。
二度目は無いか、足踏みをして地面を確かめる至恩の横で、レイゼルは空を見上げて眉をしかめた。
「違うよ」
東京の夜が、次々とパネルをはめるように赤く染まっていく。
急激な高次元世界への力場の変化にともなう魔力振動で、空気が揺れ、風もないのに木が揺れてざわざわと鳴っていた。
「──デミだ。それも、プロトタイプだね」
至恩は顔を上げ、目を細める。
平坂に、赤い空から二度目の流星が落ちた。
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