星幽のワールドエンド(第一章完)

白樹朗

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ワールドエンド邂逅編

金の残滓

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 金色の空を見ていた。

 宇宙を滅ぼしても余りある膨大な魔力が、朝も夜もなく空を覆い尽くしている。
 黄金のオーロラのように、幾重にも重なった魔力の海を見上げて、幼い志恩はそれを美しいと思った。

 ぱちぱちとまばたきをする。手を伸ばす。ちいさな手、短い腕では遥か彼方には届かないが、志恩は満足だった。

 大きくなったら、空を飛んであそこに遊びに行こうと考えていた。

 この頃、志恩の一番好きなものは日曜朝の特撮ヒーローで、空を飛んで悪者を倒すのが格好良くて、バイクも好きだった。
 不思議なアイテムや力で変身する姿は憧れで、隣の家の千歳に遊んでもらうたび、ヒーローごっこにいそしんでいた。

 父は夜遅くならないと帰って来なくて、だから志恩の遊び相手は千歳が多く、休みになるとおもちゃを抱えて隣のインターフォンを鳴らしに行った。

 夜間保育で一番最後に迎えにくる父は、仕事が忙しく、志恩はもっぱら父と話すより千歳や保育士と話す方が多いぐらいだったけれど、寂しいと言ったことは一度もない。

 その頃の志恩が一番怖かったのは、大人の色眼鏡の視線より、その子供達からの意地悪よりも、父に嫌われることだった。

 自分と同じ色をした、だが決定的に違う怜悧な瞳に怒られるのが怖くてたまらなかった。

 病弱で気が弱く大人しい、だからこそヒーローに憧れる子供。それが、幼い頃の志恩だった。

 そんな志恩だが、父にも千歳にも隠していることがひとつだけある。
 ──それが、金色の夜に出会う秘密の友達だった。



 会える日は、いつも決まっている。志恩が寂しいときだ。
 父の帰りが遅く園で待つ間、一人きりで留守番をする夜、熱にうなされて手を伸ばした先に誰もいないとき。

 目を閉じて、目を開けると、金色の楽園に居た。

 七つの太陽が昇る丘の上で、川の字で寝ながら、志恩はちょっとだけ笑った。
 友達とやってみたいと思っていたことは、この場所ですべて叶った。

 鬼ごっこもかくれんぼも、魚釣りも、ボール遊びもみんな。虫捕りは、ここで採れる虫がめちゃくちゃ巨大でグロテスクだったので泣いてやめた。

「……もう熱は下がったみたいだね」

 ちいさな手が、志恩の額にぺたりと触れる。
 隣に座った、鈴が鳴るようなかわいい声の主を見上げて、志恩は目をまたたかせた。

 長い髪が、風にふわふわゆれている。少女は、保育園で男子に一番人気のはるかちゃんよりずっとかわいい、と思う。
 それに、はるかちゃんより優しい。志恩のおやつやクレヨンを取ったりしないから。

「もう、何回治してもすぐ熱を出すんだから」
「子供はみんなそういうものだよ」
「ううう……でも、だって、それじゃいっぱい遊べないもん……」
「ねえ、えほんよんで?」

 頭上で話す二人が、同時に志恩を見た。

 右に少女、左に少年。その間に志恩だ。外見上の年齢は、どちらも志恩のと同じぐらい。

 金髪の少年は優しく微笑み、宙に手を伸ばした。
 際立った育ちの良さが印象的な少年だった。顔は、太陽に反射してよく見えない。

「いいよ。志恩、何の本がいい?」
「とりさんのほん」
「鳥?」
「きんいろの、とりさん」

 少年が手を振ると、空中から本が落ちてくる。

 腕を組んだ少女へにこりと笑い、それから、半ズボンの膝の上に本を置いて読み始める。
 志恩は息を飲んで絵本をのぞきこんだ。

「──さびしいさびしい、さびしい。なげきのこえをきき、うみをわたりちをこえて、てんのはてにたどりついたたびびとは、きんのとりにであいました。きんのとりはないていました。ここは、なんでもあるのに、なんにもなくて、さびしいところ。わたしのねがいをきいてくれたら、おまえののぞみをかなえよう」

 金銀財宝が山のように積み上がった部屋の中で、金色の鳥が人間に語りかけている。

 この絵本は、絵が多くて綺麗だから志恩の一番のお気に入りだった。整った指先がページをめくる。

「たびびとはいいました。なんでもねがいをかなえてくれるのかと。とりはいいました。なんでもかなえよう。にんげんも、どうぶつも、むしも、くさきも、はなも、ほしぼしも。せかいのねがいをかなえよう。わたしののぞみをかなえてくれるなら」

 金の鳥は部屋から出られない。かわいそうだと思いながら、志恩はうんうん唸った。

 大きくなったら、ヒーローもいいけど、旅人もいいなと思った。

 金の鳥を見つけて、もし願いを叶えてもらえるなら、それはひとつだけ、ずっと昔から決まっていた。

「おまえのねがいはなんだい。たびびとは、どこにもいけないきんのとりをあわれんでききました。きんのとりはおおきなはねをはばたかせて、くちばしをカチカチさせました。きんぎんがこわれて、ほうせきがごろごろおちても、めもくれません。そんなものに、なんのかちもないと、しっていたからです。ほんとうにだいじなものは、きんでもほうせきでもないのです。ありがとう、やさしい、やさしいひと。わたしのねがいは、ねがい、ねがいは──」
「ねえ」
「うん? なに、志恩」
「おれも、とりさんのねがい、かなえられるかな?」

 そう聞くと、少年は目をしばたかせて志恩を見た。顔なんか見えないのに、目をまるくさせていることだけはわかった。

 かわりに、少女が口を大きく開いた。長い髪が揺れる。星のような色をしていた。

「……シオンが、叶えてくれるの?」
「うん。おれ、おおきくなったら、ヒーローになるもん」

 できるよ、と謎の自信を持って頷く志恩に、少女は大きな瞳をぱちくりとさせたあと、少しだけ涙を浮かべた。

 志恩がまったくよくわかってない顔で、泣かないでと少女をよしよしする。
 のぞきこんだ志恩の頭を、少年がなでる。繊細な壊れ物に触れるように、大切そうに。

「志恩はえらいね。何をお願いするの?」

 下を向いて黙った少女の代わりに、少年がやわらかく微笑んだ。

 褒められるのは好きなので、目を細めたあと、しばらく考えて志恩は言った。

「……ママに、あいたい」

 こんなことを言うのは甘えたさんみたいかな、と頬を赤らめて恥ずかしそうにささやく志恩に、安心させるように顔を近づけて、少年はやさしく口を開いた。

 まぶしい金髪が、至恩に額に触れる。どれだけ近づいてもやっぱり顔は見えなかったが、口元をほころばせ、相手がひどく嬉しそうにしているのはわかる。

 いいこだね、と至恩の髪をなでた。それから、この世の慈愛を掻き集めたような声で、言った。

「きっとあえるよ。至恩が大きくなったらね」
「ほんと?」

 至恩が目を輝かせる。
 相手は鷹揚にうなずいた。それが嬉しくて、もう一度、至恩は聞いた。

「――――お」





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 かけがえがないほど大切だったのに、もう、なにも思い出せない。

 どこかに置いてきてしまったなにもかもを、ふたたび忘れてしまうことがひどく悲しくて、さらさらとこぼれていく夢の残り香にすがりつくように志恩は目を閉じた。

 ――なんとなく子供の頃の夢をみていた気がした。そういえば子供のころに憧れていたのは、変身して、悪者を倒すヒーローだった。
 すっかり忘れていたけれど。

 なんにせよ、変身して、飛んだり不思議な力を使って悪者を倒す夢は叶った。
 問題はそれが今後も続く可能性があるということで、今思えばあのヒーローたちは、すごいなと思う。

 四六時中敵に狙われて、命を狙われて、戦って、そしてそれが日々続くというのは、普通は耐えられない。どれだけの正義感が必要なのか、想像もつかない。

 正義――そもそも、自分に正義はあるのだろうかと思う。

 ただ、死にたくないだけ。死にたくないのに、殺しに来るから、戦わざるをえないだけだ。
 そんなものは、獣同士の諍いとなにも変わりない。

 あのヒーローたちは、食うか食われるかで戦っていたわけじゃない。誰かを守るためだったから、戦えたのだ。

 デミタイプ。化け物たちの、本当の目的はなんだろう。

 星幽兵器を狙っているなら、これまでの捕食も無差別というわけではないだろう。
 なにか、目的があるはずだ。そうでなければ母さんを狙うはずがない――。

「シオン」

 よく知った、かわいい声。だが、それだけじゃない。

 なぜだか、涙がでそうなほど懐かしい。どうしてか、わからないけれど。

「おはよーおはよー。起きて、シオン。朝だよ」
「……あのさあ、レイゼル」

 呑気にゆさゆさと揺さぶられて、完全に目が覚めた。
 懐かしさも、金の残滓も朝の彼方に消え去って、志恩は深いため息をついた。

 なんにせよ、今日は、レイゼルは上に乗っていないようだった。
 生来が素直なたちだから、一度言ったことは素直に聞いてくれるのが彼女のいいところだ。それはさておき、

「めちゃくちゃ身体が重いんだけど、これもお前のせい?」
「えー」

 至恩が眠るベッドのそばに、椅子を引いてレイゼルが頬杖をついている。

 これも、ってどういうこと!と隣から抗議の声があがるが、眉をしかめて至恩は無視した。

 指先、首の付け根、足のつま先まで、鉛のように身体が重く、まるでいうことをきかない。

 自分の身体が自分のものではなくなったような、違和感。

 まるで死んで生き返ったときのようだと思い出して、至恩は隣をジト目で見た。
 ぶうぶう頬を膨らませるレイゼル。不機嫌そうに、拗ねたように唇を尖らせた。

「ちがう、違うもん。なんでもかんでも私のせいにして、シオンのそういうとこだぞ!」
「はいはい、わかったわかった。で、なんで?」
「うーん。たぶん、肉体と魂がまだ繫がりきってないんじゃないかなあ? 半分死んでるだけだよ、大丈夫」
「大事件だよ、バカ!!」

 急いでベッドから起き上がって、身体を確かめる。

 起き上がれる時点でいちおう身体は動くのだが、立ち上がるのが難儀だった。関節という関節がギシギシときしむ身体は、まるで錆びた機械仕掛けの人形のようだ。

 ベッドサイドに手をついて、ゆっくりとスリッパを履く。足元がぐらつく。
 大げさな、とため息をつくワールドエンドを志恩はじろりと睨んだ。

「どうするんだよ。このまま治らないとかないだろうな」
「だから、大丈夫だってば。ご飯食べてなんやかんやしてたら治るよ」
「なんやかんや」
「うん。まー、ご飯食べよご飯。お腹すいた」

 お前が腹減ってるだけだろ、と唸る志恩に、レイゼルは腕を組んでふふんと鼻を鳴らした。

「食は大事だよ、シオン。命を殺し命を貰う行為こそが、魂を肉に繋ぎ止める唯一の方法なんだから」

 そう言ったあと、レイゼルはにこりと令嬢のように微笑んだ。

「ところで今日はフレンチトーストが食べたいな」
「そんなもんあるわけないだろ。今日はメザシだよ。あとわかめの味噌汁」
「め、メザシ……」

 明らかにショックを受けた顔をして、メザシとつぶやくレイゼル。そのままふらふらと魂が抜けたように部屋を出て行く。

 メザシの何がそんなに不満なんだと悪態ついたあと、志恩も立ち上がった。身体は重いが、いい加減起きなければ学校に間に合わない。

 壁伝いに歩き、ドアを開けて、三歩。
 志恩は足を止めた。目を細める。

「……レイゼル」

 カーテンを開け、窓を開け、朝日を浴びるレイゼルの髪が、金に輝いていた。

 澄み切った朝の空気が肺に入ると、身体が少しだけ軽くなったような気がした。

『ありがとう、やさしい、やさしいひと。わたしのねがいは──』

 カーテンと一緒に、レイゼルの髪がふわりと風に踊った。

 黄金の翼がはためている。

 朝日を見て、嬉しそうに微笑む赤い瞳に、ふと昔読んだ絵本を思い出した。

 どこにもない、おぼろげな記憶にだけ残る、おとぎ話。孤独な、金の鳥の物語。

「お前の望みは、なに?」

 レイゼルが、振り向く。じっと志恩をみつめて、ふっくらした赤い唇が、静かに動いた。

「納豆には砂糖が欲しいな」
「邪道かよ」
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