星幽のワールドエンド(第一章完)

白樹朗

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ワールドエンド邂逅編

星幽兵器②

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 赤黒く染まった空の果てから、何かが猛スピードで飛び迫ってくる。

 ヘリポートにいては危ないと、レイゼルの腕を掴むが、少女は面白そうに笑って動かない。

 距離は数百メートル。迫り来る黒い影は、見知った赤い目を持っていた。
 形はぐねぐねと空を泳ぐ尾ひれがあり、魚のようだった。テレビで見た、古代魚に似ている。

「化物は……デミは倒したんじゃなかったのかよ!」
「バカ。数百体いるって言ったでしょ」
「そうだとしても、なんで連日平坂に来るんだよ! 暇なの!?」
「イヌラがシオンを見つけちゃったからね。もう伝わってるんじゃない?」

 こともなげに、当然のようにレイゼルは優しく言った。

「お前がいるから、来るのよ。シオン」

 まばたきをする。疑問でも、眩しさでもなく、空を突進してきた黒い巨体に目を凝らす。

 マンションに逃げ込んでも無駄だ。あのまま突っ込んでこられたら、ヘリポートから降りている最中に衝突する。かといって、マンションから飛び降りたら間違いなく死ぬ。
 なにせここは高さ100メートルをゆうに超えているのだ。

 とっさにレイゼルを引き寄せて、抱き寄せる。この世界の良いところは、他の人間が居ないから、守るものが少なくて済むことだ。

 レイゼルひとりだけなら、志恩だけでも勝率があるかもしれない。たとえそれが一パーセントに満たないとしても。
 と、思ったがーー

「――そうだった。お前らは……ッ!!」

 馬鹿正直にタックルなんかしてくるわけがない。ゆっくりと頭をもたげた魚の口の中に、赤い光が急激に集まる。

 ヘリポートの端までレイゼルを抱き上げて走ったが、間に合わない。隠れる場所もない。

 振り向けば、太陽とは似ても似つかない、膨大な赤い炎が世界を包んでいた。

「ーーーー!!!?」

 足場が崩れる。
 数秒前までマンションだったはずの瓦礫に、足がとられる。背中が焼けるように熱い。耐熱ガラスが衝撃波で吹き飛ぶ。重力に引きこまれる。身体が宙に放り出されて、

「シオン、飛んで!」

 レイゼルの悲鳴に、ハッと意識が戻る。

 飛んだことなど今まで一度もないが、崩壊した瓦礫を足場に蹴って、必死に上へ向かって手を伸ばす。

 急に視界が暗くなる。空を泳ぎ、ぬるりと忍び寄る魚型デミタイプの牙が、横から志恩の身体を挟むように開かれた。

 念願の獲物を逃さぬよう、勢いよく閉じる寸前、志恩の身体がふわりと飛び上がった。ガチリ、と空振りした牙の音が響いた。

「と、飛べ……た……っ!」

 飛ぶ、と呼ぶにはあまりに危なっかしい。鳥のようにというよりは、空気を蹴ったというのが正しい。
 靴の下に、空気の分厚いクッションのようなものがあって、踏むと勢いよく上空に飛んだ。

 そして、かろうじて崩壊していないビルの屋上に危なげなく降り立った。

「魔法ってすごいでしょー。ま、こんなん初歩の初歩だけどね!」
「……うん」

 へへん、と自慢げなレイゼルに、思わず感動して頷く。着地点までの距離感を掴むのが難しいが、コツを掴めばなんとかなる。高所恐怖症じゃなくて本当に良かった。
 場所の安全と、敵の居場所を確認して、一息つく。

 失った獲物を探しているのか、デミタイプは志恩が立つ鉄筋ビルの下をぐるぐると円を描いて泳いでいる。目が悪いのだろう。幸い、まだ見つかってはいないようだ。さておき、

「それで、レイゼ……」

 かろうじて背中は焼けておらず、ガラスの破片も刺さっていない。

 魔法様々だなと思いながら、レイゼルを降ろそうとして、志恩の腕は宙を切った。目を見開く。
 レイゼルが、いない。

「レイゼル、おい、どこだよ、レイゼル!!」

 手を離した覚えはないし、落としたはずはない。腕でしっかりと抱きしめていた。

 デミタイプに見つからないようビルの下を確認するが、数百メートル下のものを目視で探すのは難しい。

「ここだよ。ここ」

 不意に、鈴の音ようなかわいい声が、志恩のすぐそばから聞こえた。

 振り向くが、誰もいない。
 手を伸ばすが、何も掴まない。顔をしかめて目を凝らしても、なにもいない。眉を寄せる志恩。

「……どこだよ。いっとくけど、遊んでるヒマとかないから」
「だーかーら、ここだってば!」

 かわいく怒った声。ため息混じりに首を巡らせて、志恩はふと足元に目を止めた。

 無言でしゃがみこむ。何気なく、指先で自分の影をつつく。
 影が、逃げるようにみょんみょん左右に揺れた。

「や、やだ。シオンのえっち!」
「本当にレイゼル? お前、とうとう影になったの? いや、違う。影の中にいるのか」
「ええー、スルーひどい……。そうだよ、シオンの影の中にいるの。この方が魔力を送りやすいからね」
「魔力? どういうことだよ」

 聞き慣れない、そして聞き捨てならない単語に思わず反応する志恩。
 つい食い気味に聞いてしまって、顔を赤らめた。

 自分の手を――左手の銃を、そうっと撫でる。魔力、魔力があるのか。俺に。いや、現実的ではないけれど、こんな世界にそれを求めても仕方がない。

 デミタイプの炎を防げたのも、空が飛べたのも、魔力のおかげかも。
 空を飛べたのも俺の魔法だったのか、と気もそぞろに手を握ったり開いたりしていると、

「いや、シオンに魔力はないよ?」
「えっ」

 冷静なレイゼルの声に、振り返る。志恩の影が、勝手に肩をすくめた。

「シオンに魔力はないの。これっぽちもね。でも、器はある。……溜め込むことは、できる。だから、あげるよ。私の力を」

 こんこんと湧く水源のように、影から黄金の光が溢れ出す。
 それは、空と同じ色をしていた。

 うつくしい、破滅の色。

「レイゼルお前、なにを……!!」
「私が生き返らせたから、私に適応するはず。――壊れないでね。次もうまくいくとは限らないから」

 足元に、背後に、左右に、金の炎が燃え上がり、コンクリートに焼きつけながら五芒星を刻む。
 幾何学模様にも似た原初の文字が、星のようにまたたく。

 幾重にも重なった五芒星から伸びた無数の金糸が、文字が、志恩の身体に絡みついて、溶けるように吸い込まれるたび魔法陣が輝いた。

 ――筋肉を、血液を、血管を、神経を。金の炎が焼いていく。
 皮膚が燃えることも、怪我もなかったが、

「――ぐっ、ッあ……!」

 膨大な何かに押し潰されそうになる。身体の構成を直に書き換えられる違和感に、猛烈な吐き気がした。

 頭の中を自分とは別のものが這い回る感覚に、視界が揺らぎ、ぐわんぐわんと頭痛がする。額に脂汗がにじみ、崩れ落ちそうになる膝をすんでのところで耐える。

 痛みの全て、炎の全てが雪崩のように左腕へ流れ込んでいく。腕が、灼けるように熱い。

「シオン!」

 鋭いレイゼルの声に、顔を上げる。苦々しく舌打ちをして、意識を保つ。吐き気を胃の底に押さえつけた。

 目の前には、ゆらりと頭をもたげた、長躯の黒い巨体。上下左右に蠢く赤い瞳が、一斉に志恩を見た。

「レイゼル」

 次の瞬間、泳ぐついでとばかり、横殴りに叩きつけられた尾でビルが崩落した。
 轟音と共にコンクリートにヒビが入り、足場が瓦礫に変わる。空中にふたたび放り出され、身体が重力に従って落下する。

 バラバラになったコンクリートの破片に頭が当たっただけで死ぬだろうし、眼下では、鯉が餌を待つように、口を開けて待つ化け物がいた。

「どうしたらいい。レイゼル」

 血のような赤い口内。舌も顎もなく、代わりに敷き詰められた無数の鋭い牙。
 鯨の捕食のように、瓦礫ごと志恩を食おうとしているその姿に、笑みさえこぼれる。

 ――怖くはない。恐怖心が欠片もなかったと言えば嘘になるが、先日出遭ったイヌラや、プロトタイプに比べれば、怯えながら殺されてやるほどではない。

 一度目を閉じて、ふ、と息を吐く。
 レイゼルの号がなくとも、身体が浮いた。
 そばにあった鉄筋のはみ出たコンクリート片を空気の層ごと蹴り上げて飛び、数個踏み台にしながら、十数メートル離れた家の屋根にくるりと着地する。

 身体がとにかく軽く、指先のすみずみまで感覚が冴えている。
 魔法以外にも、明らかに身体能力がおかしい。異常だ。体育は嫌いじゃないが、空中で大跳躍して家の屋根に無事着地できるほど得意ではなかった。
 視力も向上し、無人の平坂駅前の様子までよく見えた。

「どうしたら、あいつに勝てる?」

 視え過ぎる目で、今はもう遠く離れてしまった、そしてデミタイプに破壊し尽くされたマンションの残骸をちらりと見て志恩は低く呟いた。

 父も母も、誰も待っていなくても、そこだけが志恩の帰る場所だった。
 この世でたったひとつの家。居場所。思い出。

「魂を照準に合わせるの」
「はあ?」

 なにいってんだこいつ、という顔をする志恩。
 黄金の影が地団駄を踏んだが無視した。ぐぬぬと唸ったあと、咳払いをして口を開くレイゼル。

「星幽兵器を見て。魔力は補充した。もう使えるはずだから」
「なんか、セフィ……なんとかが光ってるんだけど」
「何個のセフィラが光ってる? 三個? それとも五個?」
「えーと、十個?」
「よし。完璧!」

 堂々不敵なレイゼルの宣言とともに、志恩の周囲に風が巻き起こった。

 光の粒が舞い上がり、志恩の濃紺の髪に降り注いだ。
 黄金が白銀に変わり、左腕の銃に、輝く十のセフィラに光の帯がまとわりつく。主人に付き従う従者のような従順さで。

「来るよ。シオン」
「来るって、お前、このあとはどうするんだよ!」
「大丈夫。ここは星幽界だもの。何をすべきかはシオンが教えてくれるよ」

 なんだそりゃ、と言いかけて、志恩は黙った。
 地面を叩き割るような地鳴りに、地面が揺れる。実際、道路は割れてコンクリート下の土が剥き出しになっている。

 駄々をこねる子供のように、化物が突進してくる。
 ビルの間を通り抜ければ早いだろうに、その長い尾びれでいちいち破壊しながら突き進んでくるから、時間がかかっているのだ。

「やればわかるってこと?」
「そゆことそゆこと」

 面白そうなレイゼルの声に、深いため息をつきながら、志恩は左腕を前方に突き出した。

 目を閉じる。息を吸う。意識を研ぎ澄ます。

「……――それは」

 妙な感覚だった。
 魔力を得る前と、今で決定的に違うものがある。

 肉体の煩わしさが無いのだ。肉の重みも、肉の限界も感じない。精神を集中させればさせるほど頭は冴え渡り、すこぶる調子が良い。身体のすみずみまでエネルギーに満ち溢れ、同時に世界の全てが理解できるような気がした。

 レイゼルが、魂という言葉を使った意味が今ならわかる。
 左腕から溢れる力の奔流に意識を傾けながら、口を開く。

 ――俺はこの銃の使い方を知っている。知らなければおかしい。だってこれは、俺なんだから。俺のことは、が一番解ってる。
 当たり前かと志恩は微笑んだ。ここは、魂の世界なのだ。

「それは、十にして二十二の契約。王冠を得る旅路。原初にして永遠なり」

 聞いたこともない言葉が唇からするすると出てくるが、不思議には思わなかった。

 胸の内側から、魂の底から、言葉が喉をせり上がってくる。啓示を受けた聖人のようにささやいて、志恩は発作的に屋根から飛び降りた。
 空中を蹴り上げて、瓦礫とともに突進してきたデミタイプの頭上に降り立つ。
 ただひとつの口に赤い熱光線を溜めながら、デミタイプが志恩を振り落とそうと建物に突っ込む。

「永遠なり、永遠なり、永遠なり。其の名はアイン

 銃がひときわ輝いて、銃口から白銀の光が打ち出される。
 つるりと丸いデミタイプが頭の上に張った障壁に阻まれたが、打った反動を利用して、志恩はデミタイプの衝突から逃れた。

 都会はよくも悪くも建物が多い。コンクリート壁から頭を引っこ抜いたデミタイプが、上を向いて口を開けた奥には、大量の熱量がマグマのように噴き上がっていた。次の瞬間、

「王国の顕現、三十二の奇跡。至るべきは無限アイン・ソフ

 膨大な赤い光が志恩を包み込んだ。
 が、足元が黄金に輝き、志恩の前に防御壁を張る。レイゼルだ。まばたきを一度だけして、志恩は最後の祈りをはじめた。

 眼下を見下ろしても、赤い光に覆われて何も見えない。照準もなにもないな、と苦笑いをして、言った。

「盟約は此処に。終焉こそが救いなり。……来たれ」

 その時、確かに引き金の感触があった。
 左手の人差し指の第二関節の内側に、今までは感じなかった硬さを覚えて、志恩は目を細めた。

「シオン?」と、咎めるようなレイゼルの声がしたが無視する。
 あと三センチ、引き金を引けば、化け物を倒せるだろう。

 指先に乗っているのは、殺意の重みだ。この銃は選ばせる気なのだ。引くか。引けるのか。殺すのか。殺せないのか。

「……シオン!!」

 視界を埋め尽くす赤い光が、真横に裂けた。
 飛び込んできた鋭利な黒い尾が、志恩の鼻先をかすめる。
 すんでのところで後方に飛びすさりながら、志恩は銃の照準を前方に合わせた。

 光が裂けた向こう側は建物という建物が跡形もなく焼け焦げ、溶け落ちたひどい有様で、一切の躊躇もない破壊だった。

 ──死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 化け物の、赤い瞳と目が合う。
 こいつも、そう思うのだろうか。
 母を喰い、人を喰い、俺を喰い、生命を喰い殺してきたこいつでさえ、そう思うのだろうか。

 死にたくない、と。

「――来たれ。我が無限光アイン・ソフ・オウル

 白銀の光が世界に広がる。
 それが、最後だった。
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