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ワールドエンド邂逅編
下校デート
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下校して十五分。天気も授業も宿題も無難な話題がとうに尽きた。罪悪感で死にそうな少年と、ずっと緊張している少女が、同時に空を仰いだ。
夕焼け小焼けのメロディがなまぬるい空気に流れている。空は青から朱に染まり、だが、どれだけ見つめても雲に話題は落ちていない。目をつむり、この世に絶望していると、横から大きく息を吸う音がした。
「……志恩!」
「な、なに?」
びっくりして志恩が振り向く。
思いのほか大きな声がでたせいか、恥ずかしそうに瑛里奈が顔を赤くさせる。救いを求めるように胸元をしきりにいじる。綺麗なうなじの細首に十字架のネックレスが下がっていた。瑛里奈はクリスチャンなのだ。
「あ、えっと、ええっとごめんなさい。びっくりさせちゃった……」
「いや大丈夫だから。どうしたの?」
「そ、その夕陽が綺麗ですね」
「あ、ああ、うん。明日も晴れそうだね」
本日五回目の天気の会話である。
出鼻から失敗した瑛里奈が涙目でうつむくのを見て、志恩はううんと唸った。どうしたらいいのかさっぱりだが、とりあえずここは漢気を見せるところだなと脳をフル回転して話題を探す。
駅前はすでに過ぎて、公園沿いの信号の前。赤色が変わるには、まだ時間がかかる。
垣根を挟んだ公園は、昨夜自分が殺された場所だが、惨劇の欠片も落ちてはいない。ちらと確かめたあと、志恩はまったく違うことを口にした。
「瑛里奈の家って、ここと反対方向じゃない? こっち俺の家の方だけど、いいの?」
「あ、いいんです。志恩が倒れないか見送ってから帰るつもりだったから」
「信用が全然ないな……」
瑛里奈の家は、平坂の高級住宅街の中でも一番大きい家だ。手を当てて笑う横顔からにじむ品の良さは、お嬢様だからなのかもしれない。
さておき、思わず苦笑いする志恩に、瑛里奈もつられて少しだけ笑う。そうして何事もなく笑いあったあと、志恩ははたと眉をしかめた。
もっとも重大なことを、思い出した。
「待って。それもしかして、瑛里奈が今日家に来るってこと?」
「そ、そうな……そうなっちゃいますね……。玄関で倒れたりしたら困りますし」
「いや、倒れないから。倒れないけど……あーいや、そうだな、どうしよう」
「どうかしましたか?」
瑛里奈が不思議そうに小首を傾げる。
志恩が渋るのは、家が散らかっているとか、そういう理由ではない。部屋は毎週掃除しているし、洗濯物まとめ洗いはしない主義だ。
問題は、今、志恩の家にちいさな怪獣がいるということだ。
甘いものが好きで、わがままで、正体不明の命の恩人が。
「いやちょっと、今家に人が居て……」
「お父様が帰ってこられたんですか?」
「違う! あんな奴、帰ってくるわけがない」
脳裏に、憎らしい金髪がよみがえる。つい荒げた声に、瑛里奈が目を大きくさせる。
揺れる瞳を見て、振り上げた腕をおろし、視線をそらす志恩。青に変わる信号とともに口を開いた。
「ごめん。……いや、今家に親戚が来てて」
「志恩にご親戚がいらしたんですか!?」
瑛里奈が手を叩いて喜ぶ。
自分のことのように瑛里奈が喜んでいるのは、志恩が天涯孤独の身だと知っているからだ。
いや、父親はいるが、いるのだが、年数回しか帰ってこない親など志恩は数に入れていない。そのうえ、その父に親戚はおらず、もちろん母にも親戚はいない。夏休みに祖父母の田舎に帰るというクラスメイトの話は、志恩にとって遠い夢のようなものだ。
よかったですねえ、と瑛里奈が頷く。とっさの嘘だったが信じてくれたようで、志恩はこっそりと息を吐いた。
「う、うん。母さんの遠い親戚で、最近連絡がついたんだ。それで、今遊びに来てて」
「そうなんですか。……あの、えっと、どういう方なんですか?」
「あー、えっと、なんていうか……女の子だよ」
これぐらいの、と志恩のお腹のあたりに手をやると、瑛里奈が目を輝かせる。
「小さい子なんですか!? かわいい! 私も会ってみたいです!」
「まあ確かに顔はかわいいけど……って、えっ、会うの?」
「志恩の身内なら、私の妹みたいなものですから。……ダメですか?」
「いやそれどういう理屈だよ。うーん、駄目では……ないけど」
腕を組み、どうしたもんかと首をひねる。もう志恩の住むマンションは目前だ。
流れるような銀髪の、赤い瞳の見た目だけはかわいい女の子を思い出す。ちゃんと大人しく留守番していただろうか。瑛里奈が来るなら、部屋を散らかしていなければいいんだが。そもそも、連れて行ったとして余計なことを言わないといいんだけど、と考える。
眉間にしわをよせ、低く唸ったあと、志恩は観念したようにため息をついた。
「いいよ。おいで、瑛里奈」
ただし、急に噛み付くかもしれないから気をつけてよ。
口元に指を当ててそう言い含めると、瑛里奈がひどく真面目そうに頷く。
楽しみですと声を弾ませる瑛里奈に、志恩はしばらく考えたあと横を向いて、言った。
「瑛里奈」
「はい、なんですか? 志恩」
「今日はごめん。あの、体育のとき、ほんとにごめん」
ひたすら頭を下げる志恩に、瑛里奈が目をしばたかせる。それから、志恩の手をぎゅっと握って、にこりと笑った。
「気にしてませんから、大丈夫ですよ」そう言って、志恩の手を大事そうに離す。照れ隠しにスキップをして、軽やかにターン。紺色のセーラー服のプリーツに、風になびく短い黒髪の輪郭が、夕暮れに縁どられて赤々と燃えている。
まるで洛陽の天使のようだと漠然と思ったが、口に出すの気恥ずかしくて、志恩は黙った。
かわりに、瑛里奈の隣へ足早に走ることにした。
/*/
「お帰りなさいませ、だんなさまー」
「お前ほんとそういうのどこで覚えて来るの」
ドアを開けた瞬間、床に手をついてかしずく銀髪の少女が見えて、衝動的にドアを閉めたくなった。が、背後で興味津々に背伸びをする瑛里奈の気配に、それを思いとどまる。
深いため息をついて、玄関に入る。
「ちゃんと大人しく留守番してただろうな」
「してたしてた。ゴロゴロしてた。シオン、お土産はー?」
「そんなもんないよ。客がいるから、奥行ってな」
「えー。私だってお客さんじゃ……えっ、うそ、彼女!?」
「違う。友達」
家に着いて十秒でやたらと疲れたが、中に入らなければはじまらない。
レイゼルを押しやりながら靴を脱ぐと、志恩は振り向いて瑛里奈を手招きした。ドアからショートカットの少女がおずおずと顔を出す。
「こ、こんにちわ。お邪魔します」
「散らかってますがどうぞどうぞ~」
「なんでお前がいうんだよ」
ぺこりと頭を下げる瑛里奈。その姿をじっと見つめたあと、レースのスカートの裾をつまみ、お辞儀をして、レイゼルは輝くように笑った。
「初めまして。私、片桐レイゼルっていいます!」
鞄を置き、学ランだけを脱ぐ。瑛里奈をリビングに案内し、とりあえず三人分のお茶でも入れようとダイニングに立ったとき、黒いスラックスをぐいぐいと引っ張られた。
嫌な予感がする。ちらりと視線を落とすと、銀髪の少女が悪戯っぽくにこーっと笑っていた。
「なんで名前が違うんだよ。お前、昨日は自分のことワールドエンドだって言ってただろ」
「ワールドエンドは種族名だって言ったじゃん。片桐はママの名前だよ。っていうか、シオンやるじゃん。エリナだっけ? 彼女かわいいね」
「友達だって言っただろ。それよりお前のことは母さんの遠い親戚だって説明したから、お前もそうしろよ」
「いいけど、なんかくれる?」
「お前ってやつは……今日の晩飯、好きなもん食わせてやるから」
「ハンバーグがいい!」
ぴょんぴょん飛び上がるレイゼルの額を、ため息まじりにデコピンする。
ブーイングをあげるレイゼルを無視して、沸騰したヤカンからティーポットに湯を注ぐ。安っぽいティーバッグでも、沸騰した湯で蒸らせばそこそこ美味しく淹れることができる。
紅い液体が白いマグに注がれる様子を、レイゼルが目を輝かせて見つめている。
紅茶がうまく淹れられると、うれしい。その気持ちはすこしわかるな、と至恩はちょっとだけまなじりを緩めた。レイゼルにクッキーの入った盆を持たせて振り返ると、ソファに座った瑛里奈が微笑んで待っていた。
「なんだか、仲のいい兄妹みたいですね」
「シオンが妹?」
「なわけあるか。お前が妹だろ。普通に考えて」
「ええー。私お姉ちゃんがいい」
「私だって志恩のお姉さんですよ?」
「いや突然姉が二人も増えたら困るんだけど……」
マグを瑛里奈の前に置きながら、微妙な顔をする志恩。
ついさっき出会ったばかりなのに、瑛里奈とレイゼルはもう打ち解けたようだ。瑛里奈の隣で、マグをふうふう冷ますレイゼルを眺めていると、視線に気づいたのかレイゼルが首を傾げた。
「どうしたの? ヤキモチ?」
「なんでだよ。別に焼いてないし」
「ねえねえ、エリナってシオンの友達なの?」
「はい、至恩とは、小学生のときから一緒なんです。幼馴染って、わかるかな? レイゼルちゃんは、至恩のお母さんのご親戚だって聞きました。それで……」
蛍光灯の下でもきらめく見事な銀髪を見下ろして、瑛里奈が眩しそうに目を細める。日本人には到底見えない。
「私はねえ、シオンのママのとおーいしんせきなんだって。でもねえ、ママが死んじゃったから、シオンのとこにイソーローしにきたの!」
「えっ!?」
「……………」
口を手で覆い、瑛里奈が絶句する。
妙に幼い言い方は気になるが、さておき半分は大嘘でも、半分は真実だ。とりあえず合格点かと無言で腕を組む志恩に、レイゼルがこっそりウインクする。
ひき肉を解凍しておいて正解だった。今日はハンバーグだ。
「レイゼルちゃん、小さいのに苦労してるんですね……」
「そーでもないよー? シオンがいるもん」
「うっうっ……私も、私も力になりますから、何かできることがあったらなんでも言ってくださいね」
レイゼルの手を取りながら、瑛里奈がぐすぐす鼻を鳴らす。瑛里奈にぎゅっと抱きしめられたままきょとんとした顔で、レイゼルが不思議そうに志恩の方を向く。
「エリナは泣き虫なんだね」
「そうだよ。だからあんま泣かせるなよ」
「違っ……ちが……違いませんけどぉ……」
「よしよし」
レイゼルが背伸びして、瑛里奈の短い髪を慰めるようになでる。昨夜の自分もこんな感じだったのだろうかと考えながら、志恩は頬杖をつく。
「あっ、じゃあエリナ、今度一緒にお洋服買いにいこ!」
「いいですよ。それじゃあ三人でお買い物しましょう」
「えっ、俺も!?」
「もちろんです。志恩はこの子の保護者なんですから」
そう言われれば、ぐうの音も出ない。
レイゼルを遠縁だと紹介した以上、違うとは口に出せず、志恩はしぶしぶ頷いた。
苦虫を噛み潰したような顔でクッキーをつまんでいると、レイゼルが面白そうに笑っていた。
「二人もいいけど、三人で遊ぶのは久しぶりだね。シオン」
テーブルのクッキーに手を伸ばしたレイゼルが、瑛里奈に聞こえないぐらいの小声でささやく。
どういう意味だと聞き返そうとしたが、美味しそうにアーモンドクッキーをかじる姿に何も言えず、志恩は視線を落とした。
——瑛里奈と笑うレイゼルの横顔に奇妙な既視感を感じたが、どうしても思い出せない。もやもやと湧き出す違和感を消すように、紅茶を一気に飲み干した。
/*/
瑛里奈の家にはなんと、執事がいる。
その執事のじいやが迎えに来たと連絡があって、レイゼルと一緒にマンションの一階まで瑛里奈を見送りに行った。
ばいばーい、と瑛里奈の乗った高級車が見えなくなるまで手を振ったあと、レイゼルはくるりと志恩に振り向いた。
「買い物デート、楽しみだね」
「……お前なあ」
レイゼルが完全に面白がっている顔で、志恩にウインクをする。ため息をつきながら、レイゼルの眉間を指で押す。こうしていると、
「……ただの子供にしか見えないんだけどな」
「また生き返らせてあげようか?」
心の声が漏れていたらしい。
はっとした顔をする志恩に、レイゼルがにやりと笑ってパチンと指を鳴らす。
陽が落ちて暗がりかけた藍色の空が、オーロラがかかるように、まばゆいばかりの金色に覆われる。
人が消え、音が消え、風が消える。管理人室にいたじいさんも音もなく消えた。
誰も彼もが消えた金色の世界で、レイゼルが赤い瞳を不敵に輝かせた。
「それじゃあシオンの秘密の話でもしようか」
夕焼け小焼けのメロディがなまぬるい空気に流れている。空は青から朱に染まり、だが、どれだけ見つめても雲に話題は落ちていない。目をつむり、この世に絶望していると、横から大きく息を吸う音がした。
「……志恩!」
「な、なに?」
びっくりして志恩が振り向く。
思いのほか大きな声がでたせいか、恥ずかしそうに瑛里奈が顔を赤くさせる。救いを求めるように胸元をしきりにいじる。綺麗なうなじの細首に十字架のネックレスが下がっていた。瑛里奈はクリスチャンなのだ。
「あ、えっと、ええっとごめんなさい。びっくりさせちゃった……」
「いや大丈夫だから。どうしたの?」
「そ、その夕陽が綺麗ですね」
「あ、ああ、うん。明日も晴れそうだね」
本日五回目の天気の会話である。
出鼻から失敗した瑛里奈が涙目でうつむくのを見て、志恩はううんと唸った。どうしたらいいのかさっぱりだが、とりあえずここは漢気を見せるところだなと脳をフル回転して話題を探す。
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「あ、いいんです。志恩が倒れないか見送ってから帰るつもりだったから」
「信用が全然ないな……」
瑛里奈の家は、平坂の高級住宅街の中でも一番大きい家だ。手を当てて笑う横顔からにじむ品の良さは、お嬢様だからなのかもしれない。
さておき、思わず苦笑いする志恩に、瑛里奈もつられて少しだけ笑う。そうして何事もなく笑いあったあと、志恩ははたと眉をしかめた。
もっとも重大なことを、思い出した。
「待って。それもしかして、瑛里奈が今日家に来るってこと?」
「そ、そうな……そうなっちゃいますね……。玄関で倒れたりしたら困りますし」
「いや、倒れないから。倒れないけど……あーいや、そうだな、どうしよう」
「どうかしましたか?」
瑛里奈が不思議そうに小首を傾げる。
志恩が渋るのは、家が散らかっているとか、そういう理由ではない。部屋は毎週掃除しているし、洗濯物まとめ洗いはしない主義だ。
問題は、今、志恩の家にちいさな怪獣がいるということだ。
甘いものが好きで、わがままで、正体不明の命の恩人が。
「いやちょっと、今家に人が居て……」
「お父様が帰ってこられたんですか?」
「違う! あんな奴、帰ってくるわけがない」
脳裏に、憎らしい金髪がよみがえる。つい荒げた声に、瑛里奈が目を大きくさせる。
揺れる瞳を見て、振り上げた腕をおろし、視線をそらす志恩。青に変わる信号とともに口を開いた。
「ごめん。……いや、今家に親戚が来てて」
「志恩にご親戚がいらしたんですか!?」
瑛里奈が手を叩いて喜ぶ。
自分のことのように瑛里奈が喜んでいるのは、志恩が天涯孤独の身だと知っているからだ。
いや、父親はいるが、いるのだが、年数回しか帰ってこない親など志恩は数に入れていない。そのうえ、その父に親戚はおらず、もちろん母にも親戚はいない。夏休みに祖父母の田舎に帰るというクラスメイトの話は、志恩にとって遠い夢のようなものだ。
よかったですねえ、と瑛里奈が頷く。とっさの嘘だったが信じてくれたようで、志恩はこっそりと息を吐いた。
「う、うん。母さんの遠い親戚で、最近連絡がついたんだ。それで、今遊びに来てて」
「そうなんですか。……あの、えっと、どういう方なんですか?」
「あー、えっと、なんていうか……女の子だよ」
これぐらいの、と志恩のお腹のあたりに手をやると、瑛里奈が目を輝かせる。
「小さい子なんですか!? かわいい! 私も会ってみたいです!」
「まあ確かに顔はかわいいけど……って、えっ、会うの?」
「志恩の身内なら、私の妹みたいなものですから。……ダメですか?」
「いやそれどういう理屈だよ。うーん、駄目では……ないけど」
腕を組み、どうしたもんかと首をひねる。もう志恩の住むマンションは目前だ。
流れるような銀髪の、赤い瞳の見た目だけはかわいい女の子を思い出す。ちゃんと大人しく留守番していただろうか。瑛里奈が来るなら、部屋を散らかしていなければいいんだが。そもそも、連れて行ったとして余計なことを言わないといいんだけど、と考える。
眉間にしわをよせ、低く唸ったあと、志恩は観念したようにため息をついた。
「いいよ。おいで、瑛里奈」
ただし、急に噛み付くかもしれないから気をつけてよ。
口元に指を当ててそう言い含めると、瑛里奈がひどく真面目そうに頷く。
楽しみですと声を弾ませる瑛里奈に、志恩はしばらく考えたあと横を向いて、言った。
「瑛里奈」
「はい、なんですか? 志恩」
「今日はごめん。あの、体育のとき、ほんとにごめん」
ひたすら頭を下げる志恩に、瑛里奈が目をしばたかせる。それから、志恩の手をぎゅっと握って、にこりと笑った。
「気にしてませんから、大丈夫ですよ」そう言って、志恩の手を大事そうに離す。照れ隠しにスキップをして、軽やかにターン。紺色のセーラー服のプリーツに、風になびく短い黒髪の輪郭が、夕暮れに縁どられて赤々と燃えている。
まるで洛陽の天使のようだと漠然と思ったが、口に出すの気恥ずかしくて、志恩は黙った。
かわりに、瑛里奈の隣へ足早に走ることにした。
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「お前ほんとそういうのどこで覚えて来るの」
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深いため息をついて、玄関に入る。
「ちゃんと大人しく留守番してただろうな」
「してたしてた。ゴロゴロしてた。シオン、お土産はー?」
「そんなもんないよ。客がいるから、奥行ってな」
「えー。私だってお客さんじゃ……えっ、うそ、彼女!?」
「違う。友達」
家に着いて十秒でやたらと疲れたが、中に入らなければはじまらない。
レイゼルを押しやりながら靴を脱ぐと、志恩は振り向いて瑛里奈を手招きした。ドアからショートカットの少女がおずおずと顔を出す。
「こ、こんにちわ。お邪魔します」
「散らかってますがどうぞどうぞ~」
「なんでお前がいうんだよ」
ぺこりと頭を下げる瑛里奈。その姿をじっと見つめたあと、レースのスカートの裾をつまみ、お辞儀をして、レイゼルは輝くように笑った。
「初めまして。私、片桐レイゼルっていいます!」
鞄を置き、学ランだけを脱ぐ。瑛里奈をリビングに案内し、とりあえず三人分のお茶でも入れようとダイニングに立ったとき、黒いスラックスをぐいぐいと引っ張られた。
嫌な予感がする。ちらりと視線を落とすと、銀髪の少女が悪戯っぽくにこーっと笑っていた。
「なんで名前が違うんだよ。お前、昨日は自分のことワールドエンドだって言ってただろ」
「ワールドエンドは種族名だって言ったじゃん。片桐はママの名前だよ。っていうか、シオンやるじゃん。エリナだっけ? 彼女かわいいね」
「友達だって言っただろ。それよりお前のことは母さんの遠い親戚だって説明したから、お前もそうしろよ」
「いいけど、なんかくれる?」
「お前ってやつは……今日の晩飯、好きなもん食わせてやるから」
「ハンバーグがいい!」
ぴょんぴょん飛び上がるレイゼルの額を、ため息まじりにデコピンする。
ブーイングをあげるレイゼルを無視して、沸騰したヤカンからティーポットに湯を注ぐ。安っぽいティーバッグでも、沸騰した湯で蒸らせばそこそこ美味しく淹れることができる。
紅い液体が白いマグに注がれる様子を、レイゼルが目を輝かせて見つめている。
紅茶がうまく淹れられると、うれしい。その気持ちはすこしわかるな、と至恩はちょっとだけまなじりを緩めた。レイゼルにクッキーの入った盆を持たせて振り返ると、ソファに座った瑛里奈が微笑んで待っていた。
「なんだか、仲のいい兄妹みたいですね」
「シオンが妹?」
「なわけあるか。お前が妹だろ。普通に考えて」
「ええー。私お姉ちゃんがいい」
「私だって志恩のお姉さんですよ?」
「いや突然姉が二人も増えたら困るんだけど……」
マグを瑛里奈の前に置きながら、微妙な顔をする志恩。
ついさっき出会ったばかりなのに、瑛里奈とレイゼルはもう打ち解けたようだ。瑛里奈の隣で、マグをふうふう冷ますレイゼルを眺めていると、視線に気づいたのかレイゼルが首を傾げた。
「どうしたの? ヤキモチ?」
「なんでだよ。別に焼いてないし」
「ねえねえ、エリナってシオンの友達なの?」
「はい、至恩とは、小学生のときから一緒なんです。幼馴染って、わかるかな? レイゼルちゃんは、至恩のお母さんのご親戚だって聞きました。それで……」
蛍光灯の下でもきらめく見事な銀髪を見下ろして、瑛里奈が眩しそうに目を細める。日本人には到底見えない。
「私はねえ、シオンのママのとおーいしんせきなんだって。でもねえ、ママが死んじゃったから、シオンのとこにイソーローしにきたの!」
「えっ!?」
「……………」
口を手で覆い、瑛里奈が絶句する。
妙に幼い言い方は気になるが、さておき半分は大嘘でも、半分は真実だ。とりあえず合格点かと無言で腕を組む志恩に、レイゼルがこっそりウインクする。
ひき肉を解凍しておいて正解だった。今日はハンバーグだ。
「レイゼルちゃん、小さいのに苦労してるんですね……」
「そーでもないよー? シオンがいるもん」
「うっうっ……私も、私も力になりますから、何かできることがあったらなんでも言ってくださいね」
レイゼルの手を取りながら、瑛里奈がぐすぐす鼻を鳴らす。瑛里奈にぎゅっと抱きしめられたままきょとんとした顔で、レイゼルが不思議そうに志恩の方を向く。
「エリナは泣き虫なんだね」
「そうだよ。だからあんま泣かせるなよ」
「違っ……ちが……違いませんけどぉ……」
「よしよし」
レイゼルが背伸びして、瑛里奈の短い髪を慰めるようになでる。昨夜の自分もこんな感じだったのだろうかと考えながら、志恩は頬杖をつく。
「あっ、じゃあエリナ、今度一緒にお洋服買いにいこ!」
「いいですよ。それじゃあ三人でお買い物しましょう」
「えっ、俺も!?」
「もちろんです。志恩はこの子の保護者なんですから」
そう言われれば、ぐうの音も出ない。
レイゼルを遠縁だと紹介した以上、違うとは口に出せず、志恩はしぶしぶ頷いた。
苦虫を噛み潰したような顔でクッキーをつまんでいると、レイゼルが面白そうに笑っていた。
「二人もいいけど、三人で遊ぶのは久しぶりだね。シオン」
テーブルのクッキーに手を伸ばしたレイゼルが、瑛里奈に聞こえないぐらいの小声でささやく。
どういう意味だと聞き返そうとしたが、美味しそうにアーモンドクッキーをかじる姿に何も言えず、志恩は視線を落とした。
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瑛里奈の家にはなんと、執事がいる。
その執事のじいやが迎えに来たと連絡があって、レイゼルと一緒にマンションの一階まで瑛里奈を見送りに行った。
ばいばーい、と瑛里奈の乗った高級車が見えなくなるまで手を振ったあと、レイゼルはくるりと志恩に振り向いた。
「買い物デート、楽しみだね」
「……お前なあ」
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「……ただの子供にしか見えないんだけどな」
「また生き返らせてあげようか?」
心の声が漏れていたらしい。
はっとした顔をする志恩に、レイゼルがにやりと笑ってパチンと指を鳴らす。
陽が落ちて暗がりかけた藍色の空が、オーロラがかかるように、まばゆいばかりの金色に覆われる。
人が消え、音が消え、風が消える。管理人室にいたじいさんも音もなく消えた。
誰も彼もが消えた金色の世界で、レイゼルが赤い瞳を不敵に輝かせた。
「それじゃあシオンの秘密の話でもしようか」
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