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224 声を出すな
しおりを挟むくそっ! なんだって俺が、こんな面倒なことを!
シュンと転移した先、俺は馬車の底板に身体を打ちつけた。狭い。自身を置くとすぐに転移したスライムにチッと舌打ちをする。そして――黙って周囲を伺うが、でこぼこ道を走る馬車の振動が聞こえるばかり。葉のすれる音、木々の揺らめき、光と影の入り具合。どうやら徐々に森の深部に向かっている様だ。
身体の大きな少女が三人。小柄な子どもが五人。スカが知らせてくれた情報と一致した。女は……気を失っているようだ。子どもは皆、生気が無いようだ。ただうつろに転がされているだけ。泣く気力がないなら有り難い。下手な希望を与えないほうがいいと体感した。
さて、コウタはどれくらいで戻ってくるのか? 案外、戻ってこないかも知れない。俺は捨て駒だ。だが、遅くとも必ず助けは来る。取りあえず出来ることから始めよう。
注意深く耳をそばだて、犯人の情報を探る。会話からして、前方には御者とリーダー、見張りが一人。ならば先触れや後方に少なくとも三人は仲間がいそうだとアタリをつける。手口はプロ。だが、転移の魔法に気付かぬ程度なのだから、コイツらも捨て駒だろうと予想する。馬車の速度から考えて、随分焦っている。.……が、馬はそう長くは持たない。しばらくすれば馬を休ませるための休憩を取るはずだ。夜には森を抜けて街道に出るのが定石。スカの話では、さらわれたのは夜だと言っていた。犯行時が暗闇であったのならこの格好でしばらくは誤魔化せる。だが、親しく付き合っていた奴がいれば気付かれる。そうなったら……。
退路の確保のため、手を伸ばして幾つかの細工をしておく。拘束された振りをしつつの細工は初めてだ。
「おい、マリンって奴はお前か?」
猿ぐつわに薄めた回復薬をほんの少し垂らす。下手に大きく動かれては困るから。薄らと開いた目に動くなと威圧を駆けてから猿ぐつわをずらした。
「シッ! 絶対に声を出すな。お前達の知り合いから話は聞いた。コイツらの命を握るのはお前だ。アイツの周りは不思議だらけだろう? 常識を忘れるな? いいか? 見誤るなよ」
しっかりと釘をさし、小さなナイフが入った袋を胸に差し込む。大きな武器以外は未だ手元にあるようだ。おそらく突然の検問があってもかわせるように荷物の回収は済んでいないのだろう。
「うっ?」
後方から幼い声が聞こえた。不味い。騒がれたら終わりだ。助けが来たと誤解されるのも危険につながる。俺はぐっと声を絞った。
「いいか? 聞こえる奴は聞け。だが、絶対に声を出すな! お前達の未来は奴隷として売られ理不尽な飼い殺しにあう運命か、逃亡中に奴らか魔物に殺されるかだ。だが、大人しく今の処遇に耐えて僅かな光が見えたときに運を拾う選択が生まれた。ただ生きながらえるだけならば奴隷になればいい。死を早めたければ泣け、騒げ。だが、ほんの僅かでも安寧の生を望むのであれば、光が差すまで大人しく生き延びろ。何があっても黙って時を待て。合図はこの女がする」
■■■■
とろとろと、落ちる瞼を気力で押し戻して、オレはディック様の質問に必死で受け答えをしている。アイファ兄さんが地図に石を置き、クライス兄さんがもの凄い速さで書き物をする。ニコルは忙しなく彼方此方から魔道具を持ち出してくるし、キールさんはタイトさんと積み上がった本を調べ、地図上にメモを置く。オレはあっけにとられながらもサーシャ様に抱かれて眠り落ちそうなところを堪えている。オレの話すべき内容をスカが得意満面で話してくれるから、すっかり緊張感を失ってしまった。
「手口としては慣れているな。コイツは世間知らずのいいカモだったんだろう」
「魔力を吸い込む魔石を用意しているところをみると計画的な部分感じるよ」
「あの魔石、欠片しか残ってないけれど、凄げー高けーよな?」
「今の場所はおそらくこの辺りだろう? ニコル、取り引きはどこでやる?」
「うーん、アタシだったらエンデアベルト領には近づきたくないから、コーベダ山かアーチック森林に向かうけど、そうすると森に入るタイミングが早すぎる。だったら裏街道を通って鉱山跡に潜り……。方面的には帝国の可能性が……」
「じゃぁその前に制圧だな。どこでやる?」
「いや、父上、協定のある隣のトートナリック領ならともかく、他領で目立つと侵略行為と間違えられます」
「セントからの馬車以外に休憩所には何台いたんだ? コウタが乗せられた馬車が休憩所ではないところで待避していたんなら、結構な人数の組織の可能性があるぞ」
「どっちにしたってたいした敵じゃ無い。賞金首なら面白れーけっど」
「待って待って! それこそ問題だよ。僕たちは王都にいるんだから! 転移がバレるわけにいかないでしょ」
「行くんなら俺一人でいいだろう」
「取り引き所や関わっていそうな組織の情報が必要だろう? アタシがいなきゃ通れない場所もある。任せな!」
「こんな魔石を使うとなると、それなりの魔法使いがいるはずだ。だとしたら俺も必要だな」
「ば、馬鹿言え! お前達ばかりに美味しい思いを、いや、危険を負わせる訳にはいかん。俺が行く!」
「あなた! 当然、私も連れて行っていただけるのでしょうね? コウちゃんと離れるのは嫌よ」
「な、なにを言う? お前は駄目だ。危険すぎる」
「父上も母上も、遊びに行くわけではないのですよ? 落ち着いて冷静に作戦を立ててください! 」
大まかな事態を把握したディック様達は誰が行くかで揉め始めた。誰でも、どんな方法でもいいのだけれど。オレ、早く戻らないといけない。いつまでもレイを危険にさらすわけにはいかないのだから。
「あ、あの。オ、オレ、戻ります。レイが見つかると不味いし……」
おずおずと打ち明けるとキッと吊り上がった瞳に囲まれた。
「「「 駄目だーー! 」」」
「そんな顔色で行かせられる訳がない! あとはレイリッチと僕たちでやるから、コウタは休んでいるんだ!」
「お前が行くとややこしくなる。 お前がいなきゃどうとでも誤魔化せる」
「一番高値で売られるのはお前だ! 取り返しのつかんことになったらどうする?!」
やっきになって止められる。だけど、だからこそ、オレは必ず戻らなければならない。レイがオレと入れ替わっていることが見つかったら、それこそ取り返しがつかない。
必死で説得し、どう言ったって納得はしてもらえないのだけれど、しぶしぶ許可を貰った。
「く、くそっ! コウタだけはここに残したかったのに……」
「だが、お前のことだ。当事者なのに見届けないのは嫌……だったな?」
「うん。ありがとう。ディック様」
首にぶらさがってぎゅっと頬をすりあわせてプルちゃんを抱いた。
「お、お、お待ちくださーーーーい」
息せき切って飛び込んできたのはディーナーさんと料理人さんたち。手には幾つものバスケットを抱えている。美味しそうなサンドイッチ、幾種類もの蜜漬けフルーツ、ふわふわのパン。バターとチーズを使った新作のクッキーに、丸い黒玉はもしかしてチョコレート?!
「ち、小さい坊ちゃんは、特別な収納袋がおありでしたよね? 取り急ぎ、入るだけお持ちください。なるべく手軽で音のでないものを選びました。それから、それから……」
たくさんの料理人さんたちが顔を見合わせて水筒サイズの缶を取り出した。そっと蓋を外して小さなカップに注いだのはミルク。でも、でも、このミルクは?
「一応、底に保冷の魔石が付いているので多少の日持ちがします。ブルのミルクは手に入りませんのでヤギですが、お砂糖を入れて煮詰めて冷やしております。やや濃いめに仕上げましたから、ブルのミルク代わりにお持ちください」
トゥルンとした艶の液体をそっと口に運んだ。ヤギの風味とブルの風味が合わさって、これってまるで山ヤギのミルク。懐かしいラストヘブンで飲んだ母様との思い出の味。ウルッと艶めいた瞳をそのまま返して、オレはにっこり笑った。大丈夫。怖くない。オレはマリンさんと子ども達を助けに戻るんだ。作戦はまだ途中だけれど、きっと大丈夫。絶対の安心感を取り戻したから。
「終わったら、帰ってきます。ごめんなさい。そしてありがとう」
シュンと消える瞬間、温かで大好きな人達の瞳にオレだけが映っていた。
プルちゃん、ごめん、負担をかけて。
ほの白い光を手放して、オレはレイと入れ替わる。馬車の底では誰もが微動だにせず、ガタンゴトンと不規則で乱暴な揺れにじっと身を任せていた。オレもそれにこっそりと混ざる。
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