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099 夢の中で
しおりを挟む真っ黒な闇に囲まれた空間。身体から溢れ出す金の光が、床に舞い落ちてふわと消えることでかろうじて上下左右がわかる。何かあるのか何もないのか。ふわり輝いては消える金の粒子のおかげで、かろうじて恐怖はない。
どこだろう? 恐れもなく期待もなくただ一歩を踏み出すと突然足元が踏み抜かれた。
ーーーー落ちる!!!!
金の魔力が上へと広がり、随分な速さで遥か下へ落ちていく。光が拡散しないところを見ると筒のように周囲に壁があるようだ。キョロキョロと見回してしまったおかげか、左右に上下に頭の重さでくるりくるりと回転している。何もない。だがひどく冷静な自分にパチパチと瞬きを繰り返す。
ポシュン!
背に当たる柔らかな感触、ふわりと香る懐かしい匂い。クスクスと耳元に聞こえた囀りのような声にフイと顔を挙げるとオレの漆黒の瞳に渇望した人影が写し出された。
「か、か、母様?!」
ワシワシと首元に手を伸ばし、縋りついた華奢な肩は紛れもない最愛の母のもの。その鼻先を包み込むようにイタズラに伸ばされた指も見覚えがある。
「と、父様!!」
顔を上げ、息をつき、互い違いに見つめる瞳はゆらりと揺れ動くけれど、小さな指でしっかりと掴んだ両親の身体はとくとくと温かい熱を持って、胸の想いを突き上げてくる。会いたかった、離れたくなかった。今だって、これからだって。ずっとずっと一緒にいたい。どうして、どうして自分だけが離れ離れになったのか? どうして迎えに来てくれないのか? 親子が離れ離れになった運命の日は何なのか? 色んな考えが思考を支配する。だけど、そんなことよりも…………。ただ純粋に抱きしめたい。抱きしめられたい。オレの手の中にその温もりを掴んで掴んで……離したくない。
「う、うぐっ。か、かあさまー、とうさまー。うぐっ、ぐじゅっ、うっ、うっ…………」
胸に埋めたまま、顔が挙げられぬほどとめどなく湧き上がる涙。だけど、見たい。随分前に見たきりのその顔を。しっかり目に焼き付けたい。ぐしょぐしょの顔を上げ、また埋め、また顔を上げ。そんなコウタを母と父は困ったように微笑みながらただ抱きしめた。
ぱぁぁと白い光が親子を包んだ。眩しさに周囲を見渡すと漆黒の闇に無数の銀の星が散らばっている。
「……き、れ、い……」
「「ふふふ、本当に……」」
二人の柔らかな声にコウタはやっと我に返る。コシコシと目を擦れば、父親がそっと手をかざし、回復の魔法をかけた。その懐かしさにまた眼が潤む。
「ああ、駄目よ。もう泣かないで」
「だって……」
よしよしと艶やかな漆黒を撫でる手が温かい。
「コウタ。ちゃんと約束、守れているね。随分親切な人たちじゃないか?」
こくんと頷くコウタに両親は目を細めた。
「大きく……なったわね」
潤んだ瞳が大きく輝き、嬉しそうに破顔すると、再び目を擦り、ふうふうと息を整えながら話をする。
「オレ、すっごく大きなリトルスースを矢で仕留めたよ」
「ジュオンって魔法だったんだね。びっくりされたんだ」
「アイファ兄さんは冒険者ですごく強いの。でも優しくって、この髪の毛も切ってくれたんだ」
「クライス兄さんは頭がいいよ。ディック様の仕事をたくさん手伝ってるし、オレに勉強を教えてくれるの」
「友達ができたんだよ。ドンクとミュウは剣が得意で、リリアはちょっとお姉さん。いつも遊びを教えてくれるの」
両親はコウタの取り止めのない話の一言一言に優しく頷き、頬を撫で、指を絡ませ、交代で胸に抱き、耳元で笑う。その時間は永遠であるようで、あっという間であるようで。いつしか銀の星々が白いモヤに包まれ始めた。
「ーーーー。」
ふと、本当に少しの違和感にコウタは顔を上げた。この時を終わらせたくない。こくりと唾を飲むが、母の瞳から笑みが消えた。
悲しそうに刹那そうに父が呟く。
「コウタ、……来るかい?」
「うん!」
伸ばされたその手を取ろうとして、はっとする。
ーーーーディック様。
オレが行きたいと言ったら、両親のところに行くと言ったら、きっとよかったなって言ってくれる。
でも本当に?
甘えろと言ってくれた。忘れなくていいと言ってくれた。やらかしても、困らせても、いつだって許してくれた。どこにも行くなと言った。ここに居ろって……。
ガシガシと乱暴に頭を撫でて……、痛いって言っても鍛えろって……。剣の訓練もしてくれた。力があることは誇れって言った。そのくせ、いつだっておんぶで……。オレがいなくても大丈夫。だけど、オレがいないと……。
いつまでも届かない指に母親が笑った。
「クスクス……。いいのよ、コウちゃん。それでいいの……」
父親も頷き、母の肩を抱く。
二人は正面にコウタを立たせ、目の高さを合わせるように跪く。
「よく聞いて。 一度しか言わない。」
再び潤む瞳に小さく頷く。コウタの右手は父に握られ、左手は母に握られている。
穏やかで低く響く父の声は、潤んだ漆黒の瞳から涙がこぼれ落ちるのを止めている。
「私たちは女神と共に、ここから世界を見守っている。だが……、女神の力はひどく弱っている。こうして会うことはもう叶わない。だけどコウタはちゃんと約束を守れているだろう。だから……、置かれた場所で精一杯生きるんだ。」
「……え?」
いつも通り、自分を溺愛してくれる父の言葉に、コウタの思考は停止している。もう会えない……? 精一杯生きる?
「もう一つ、大切なことがあるの。よく聞いて。 私たちが倒してその地を封印した魔王が復活しようとしている。ううん。新たな魔王が生まれようとしているの。運命の日の影響が及ばない安全な所まで運んだつもりだったけど……。まさか、魔王とコウちゃんが出会うなんて……。魔王が生まれるにはまだまだ時間がかかるわ。コウちゃんなら、魔王が生まれないようにすることだってできるかもしれない。」
「生まれないように?」
「そう。生まれないようにできるかもしれない」
目の前の母の顔を忘れないように、しっかり目に焼き付けるコウタ。それに応えるようにふふと微笑む。
「魔王は不浄な心が集まって強大になるの。殺意、恨み、妬み、利己、傲り、恐れ。人々の負の感情や魔物の穢れ、それらが負のエネルギーの魔素となって魔王に吸収されて増大する。だから、コウちゃんがそれらを浄化し、正しい道に導くことで魔王の誕生を遅らせたり、阻止したりすることができるかもしれない。」
「そんなに気負わなくて大丈夫だよ。お前は正しいことをちゃんと分かっている。コウタは自分らしく直感に従って生きればいい」
「……正しいこと?」
そっと撫でられる頭。ふふっと頷いた父は、父親というより賢者としての顔をしていた。
「ええ。正しいこと。だけど、もし迷ったらあなたの大切な人たちに聞けばいいわ。彼らなら、ちゃんと分かってる。コウちゃんは自分の信じる道に進めばいいの」
最後だと言わんばかりの母の笑顔に、つつと雫が頬を濡らす。
言われていることは分かる。だが何故? 父も母もここにいるのに、何故もう別れなければならないのか。会えないのか? 魂が渇望するこの想いに封をしないといけないのか。
頷くことも首を振ることもできない幼子に両親は冷酷な言葉を告げる。
否定できない命令。それはあの日、運命の日に聞いた声色。幼子は恐怖する。嫌だ、嫌だ、嫌だ。聡いから、賢いから理解できるから、だからこそみじろぎ一つ取ることができない。拒否することも逃げることも、泣き叫んで抵抗することもできないその声は、低く重く、突き刺さるように心にのしかかる。
「「私たちのことは忘れなさい」」
温かい肌も囀りのような声も、全てを無条件で受け入れてくれた優しさも全て、全て忘れろと? 笑い合った思い出も、辛かった出来事も、一緒に楽しんだことも……? 何故? 何故?
混乱するコウタは、両親の最後の抱擁を表情のないただのデグの棒になって突っ立ったまま受け入れた。
ぼんやりと白いモヤが銀河を包んだ。息苦しくなって縮こまった喉でぐぐと呼吸すると、そこにはドンクがニッパァと満面の笑みで覗き込んでいた。
……気怠い。ツンと痛む鼻にしょぼしょぼと泣いたことを悟ったオレは恥ずかしくてメリルさんの胸に顔を埋めた。大丈夫、回復を施せば……。こっそり振り撒いたキラキラの魔力をメリルさんがタオルを取り出して隠してくれた。
「へへっ。父ちゃん母ちゃんに会えたのか?」
悪びれもせずニッカと向けた笑みに、表情もなくこくんと頷く。随分重たくなってしまった心をドンクの元気な声が軽くしてくれる。
「俺、魔力がちょっとあったから、生活魔法くらいならなんとかなるだろうって言ってもらったんだ。でね……、な、ん、と……」
もったいぶった物言いについおかしくて吹き出してしまう。
「ふふふ、剣の才能もあったんだ?」
「わーーーー言うなって! 俺が言いたかったのに!」
二人で顔を見合わせて笑い合う。良かった! ドンクは思った通りの結果だったんだね。とっても嬉しそうだ。
「ねえ、私はちょっと魔力がある方なんだって。 剣の才能はないけど、土魔法が得意になるって! これならパパとママと一緒に農家の仕事ができるわ!」
ミュウも満足そうだ。
二人の魔力測定の間、オレはいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
生活魔法とは言っても使えるほどに魔力があると判定される子は多くはない。小さなモルケル村でちびっ子三人に魔力があると言われるのは飛び抜けて凄いことだとメリルさんが教えてくれた。
早々に測定を終え、教会を後にしようとした時、サーシャ様とキールさんが慌てたように飛び込んできた。
「はぁ、はぁ、遅くなって悪かった。ギルド中探したんだが……、またコウタがいなくなってしまって」
「そうなの。ジロウちゃんを迎えに行くって言ったきり。あの子、教会の場所も分からないのに。今、ギルドを上げて町中を探して貰ってるから、ごめんなさいね」
ドンクとミュウがニヤニヤしてオレの腕を突く。メルルさんとドンク達のお母さんが顔を見合わせて、さっと身体を退かせた。
「・・・・・・・・・・・えっと」
俯いて頭の上に乗せていたプルちゃんを抱きしめる。教会の裏手で待っていたジロウがのそのそと顔を出せば、引き攣ったキールさんと視線がかち合った。
「「 はぁああああ 」」
盛大にため息をつかれたオレは、自らすすすとおんぶ紐を差し出す。だけどサーシャ様はオレを抱き上げ、ぎゅっと頬擦りしただけだ。その後はしっかり手を繋いで歩いてくれた。
プルちゃんの転移で教会に来たオレはまだランドの町をほとんど知らない。屋台で棒付き飴を買って貰い、2軒ほど洒落たお菓子屋と小物屋に寄った。村にはないお店での買い物は気持ちがワクワクと盛り上がる。だけどそろそろ戻らないと村に着く頃には真っ暗になってしまう。名残り惜しく、オレ達は馬車に向かった。帰路に見上げた古びた教会に、オレは胸をキュンと絞られたけど、ゆると潤んだ瞳を見られないように笑顔で隠した。
ーーーーーーーーーー
ごめんなさい。
更新を忘れてしまいました。
今日もよろしくお願いします。
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