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062 演習
しおりを挟むオレ達は海軍の船の中をひとしきり案内される。
ハンモックになった寝床は省スペースだけど酔いそうだ。櫂を漕ぐ場所や小舟を着ける場所、見張り台や砲台など、初めて見る物ばかりだった。
アイファ兄さんが海軍の訓練の指南役に呼ばれた時に、オレが喜ぶだろうって今日の見学の約束をしてくれたんだ。
本当は軍のことは秘密が多いんだけど、ナンブルタル領とエンデアベルト領は隣接していて時々合同訓練をすることがあるから、特別な扱いをしてくれるんだって。
オレは勝手に走り回らないように、メリルさんにがっちり抱っこされている。
ハンモックに乗せてもらってひっくり返ったのも、砲台の穴をのぞいて顔が煤だらけになったのも、たいしたことじゃないのに。
何回も降ろしてって頼んでいるのに、心配だからって離してくれない。
プーーーーン。
独特のスパイス臭が鼻をくすぐる。
香ばしさではなく、鼻にくる感じ。でもスウスウする感じでもない。懐かしい匂い。食欲をそそる匂い。口の中がじわりと潤む。代わりの効かないこの匂い。
「こ、これって、カレー?!」
驚きと期待で思わず声を荒げてしまった。母様と父様とこだわって調合した思い出が甦る。
「へぇ、さすが貴族様。よく知ってるね。俺たち海軍の特別カレーだ。帰港する直前に余った材料を全部ぶち込んで作るんだが美味いぜ。だがお子様にはちいと辛いだろうよ」
応接室に食事を運び込んでくれた兵が言った。
辛いのは知ってる。
でも、でも、懐かしい、大好きな匂い。うるると揺れる瞳とぐうとなるお腹、そして口中に広がる唾液。
あぁ、早く食べたい。
待てない、待てないよ~。
「コウちゃんがそんなに食べたがるって、珍しいわね。」
「えぇ、そうですね。でもこちらにいらしてから体調が悪くて食事が摂れないことも多かったので嬉しい限りですわ」
「じゃぁ、いただこうよ。コウタがこんなに喜ぶ食事、楽しみだなぁ」
海軍の兵士長さんの合図を見届けて、スプーンにすくう。
とろりとした黄金色の液体はスプーンの光を受けて白く光り、大ぶりの肉が金の脂をじゅわりと滲ませている。
たっぷん。
濃厚なトロミは山のそれよりも強く、ふうふうと湯気を飛ばしてペロリと味をみる。
か、辛い。
だけど広がる旨み。
スパイスの香り。
肉達の脂が艶めいてごくんと喉まで潤していく。
山では白いお米と一緒に食べたけど、今日は硬いパンを浸す。
辛い、美味しい、懐かしい。
涙をいっぱい溜めて頬張って食べる。辛さを和らげるフルーツジャムをつけて。ヤギのミルクと一緒に。
美味しい。美味しいよ~!
嬉しさか、辛さなのか、涙と鼻水でぐしょぐしょになりながらハフハフと食べる。そんなオレをみんなが優しい目で見つめているのを感じながら。
満腹になってソファーでうとうとする。至福のひとときだ。
大人達は兵士長さんや兵士さん達と難しい話をしているけど、オレはメリルさんを抱きしめてゆらゆらと夢の中を漂う。
「コウちゃん、コウちゃん。そろそろ起きて! 始まるわよ」
重い瞼をゆっくりと開けると、そこは広場だった。オレ達は一足早く船を降り、陸地から演習を見学する。
オレが目覚めた時には、黒光りする大きな軍船が沖に進んでいる所だった。桟橋の近くの石造りのベンチで座るメリルさんの膝で立ち上がって船を見送る。
「オレも一緒に行きたかった……」
クスクスと笑うニコルが、オレを肩車した。
「今日はアタシ達に見せるためだから、そんなに遠くに行かないよ。ほら、船首の向きが変わった」
船はオレ達が見やすいように陸と平行になると、小舟を下ろした。
小舟はすごいスピードでぐるりと船の周囲を回る。暫くすると兵達は船に縄を投げ入れて高い甲板に登っていく。
「へぇ、うまいもんだ。こんなふうに船に登るんだね。無駄がない動きだ。よく訓練されているなぁ」
クライス兄さんが感心する。
続いて船から幾つもの炎が吹き上がり海に落とされる。特に砲台から吹き上がる炎は細く高く舞い上がり、攻撃力の高さが伺えた。
「砲台には威力を上げる魔道具が設置されているんだ。だから少ない魔力で何度も攻撃が出来る。すごいでしょう? 魔物や海賊の武器に合わせて属性も変えるんだって。ほらほら、船首を見なよ。キールとアイファが手を振ってる」
船を指差しながらニコルが解説する。すごい。軍船って本当に戦う船なんだ。
船首のキールさんが腕を伸ばすと、辺りにピンク色の魔法陣が広がった。辺り一面、そう言える程の広範囲。
魔法陣の周囲からピキピキと波が凍り始める。
炎が落ちた時にできた大波がその形のまま海に現れ、尖った波、布のように巻き上げた波。凪いでいるように見えたその海は、荒々しい冬の様相を呈していた。
程なくしてアイファ兄さんが船首で構える。
ドドンーーーーーガキガキ!!
ザブン!!!
海が割れ、氷がバラバラに高く高く舞い上がって海に落ちる。
ゆっくりと振り抜いた兄さんの剣先は、キールさんが作った波氷を一瞬でカチ割り、大きな道を造った。
その道に水が押し寄せ、ふさごうとする動きをさらなる細かな剣の動きで氷を粉砕し舞い上げる。
飛沫のようにお日様の光で輝いた氷の粒は虹となって海に溶け落ちた。
ゴクリ。
オレは声も出せず生唾を飲み込む。アイファ兄さんの剣。ちゃんと見るのは初めてだ。あんなに高い船首から、あんなに広い海を、硬い氷を砕くって……。
ヒュン、ヒュン、ヒュン。
ドドン、ドドン、ドドン!
兄さんが剣を振るたび、ドドンと波飛沫が上がる。白く立ち上がった壁が幾つも現れては消える。
どこまで遠くに飛ばすのだろう? 身体が震えてくる。
「うわぁ、うわぁ、凄い! かっこいい!」
拍手をしながら食い入るようにアイファ兄さんを見る。どんどん近づく白い波の壁。水の飛沫が頬に当たる。
ーーーーガキ、ガキーーーーン!!
ポツポツ、ポツポツポツ。ジャボン!
「ーーっぶな! 兄上! 調子に乗りすぎです」
間近に迫った斬撃を剣で薙ぎ払ったのはクライス兄さん。大声でアイファ兄さんを怒鳴りつけた。
水飛沫が全身にかかった。
あまりの迫力にオレはじっとしていられない。バタバタと足をばたつかせ、転げるようにニコルの首から滑り降りてクライス兄さんに飛び掛かる。
「クライス兄さんもかっこいい! 凄いね、凄いね! オレ、オレ、嬉しい」
ボーーと汽笛の音で演習は終了だ。
結局アイファ兄さんのおかげで全身びしょ濡れになったオレ達は近くの店に入って暖をとることにした。
どこで聞きつけたのか、温かな紅茶を啜っている間に大商会の商人が来て、オレ達にぴったりな服を見繕ってくれる。さすが商売上手。オレはふわふわのフリルたっぷりピンク色にリボンのスカートだけは断った。
明日はいよいよエンデアベルトに帰る。
紅茶と暖炉で温まったオレは、今度はサーシャ様に抱かれて領主館に戻った。ゆらゆら揺れるハンモックのような感触に、オレの瞼はピタリとくっついたままだ。
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