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054 残された者
しおりを挟むナンブルタル領主館は、エンデアベルトよりずっと豪奢で大きいけれど、造りは概ね同じだ。華やかな中庭は奥の方で陸軍の兵舎とつながっている。
フォルテさんがいるのは、そんな奥庭だ。たくさんの兵士さんに囲まれて中央に鎮座しているその姿から、不穏な気配を感じてしまった。
休憩所で兄さん達が話していたことを思い出す。
ーーーー罪に問われるかもしれない。
ーーーー無事ではいられないだろう。
どうなるの? まさか酷い目に遭う?
そんなのは嫌だ!!
窓に手を掛けるとカタと小さく動いた。そんなに重くなさそうだ。
見上げると蝶番の鍵が二つ。オレには届かないけど、ソラなら。
メリルさんは、メイドさんの相手をしている。
ーーーー今だ!
オレはソラに頼んで嘴で鍵を持ち上げてもらう。さすがソラ。ピピと小さな声で合図をしてくれた。
行くよ!!
バタン!
「あっ、コ、コウタ様?」
「ごめんなさい!フォルテさんが……、すぐ戻るから」
開け放した窓に気付いたメリルさんにササと断ると、オレは猛禽のソラに飛び乗ってフォルテさんのもとに向かう。
海風は穏やかでほんのり温かい。それでもソラの羽ばたきは突風を巻き起こし、窓ガラスを叩く。
ビシビシシ………。
よかった。
割れなくて。ホッとする。
広大な庭の奥に向かう。ソラの滑空ならほんの一瞬。
オレをフォルテさんの前に降ろすと白い虹を滲ませるでもなく、すっと元の大きさに戻った。
「コ、コウタ様! 何故此処に? どうやって?」
突然舞い降りたオレに狼狽えるフォルテさん。オレは彼を背に兵士さん達と対峙する。
この人に何かするならオレが許さない! 強い意志で睨みつける。
「何だ、お前? 退けよ! 俺たちはそいつと話しているんだ」
一番大きな人が低い声で威嚇した。そんなの、オレ、怖くないもん。ディック様の威圧はもっとすごいよ。
キッと睨んだまま動かないオレに相手がイライラを募らせる。
「貴族様か? 偉そうに。此処は兵舎で荒くれ者が集まる場所だぜ? ガキが来るところじゃねぇ! とっとと失せろ! 邪魔だ」
腕を掴んでオレをどかそうとする。オレはぎゅっと身体を縮ませて掴めないように抵抗する。
「どかない! フォルテさんに何かするでしょ?」
「何だと? お前、こいつが何をしたのか知っているのか? 仲間を見殺しにしたんだぞ。ガキの出る幕じゃねぇ!」
「コウタ様。私のことはいいのです。危ないですから……」
後ろからオレを掴んで引き戻そうとするフォルテさん。 だけどオレはどっちにも捕まらない。
「嫌だ! 危ないなら、絶対、どかない! フォルテさんは悪くない。仕方がなかったんだ。責めたって意味がない。よく生きたって褒めるところだ! おじさん達は間違っている」
右に左に身を翻し、オレは大きな声で叫ぶ。誰も悪くない。責めたって何も変わらない。置かれた場所で生きるんだ。
「お、おじ? おじさんだって? 俺はまだ十九だ! こいつは俺の姉さんを……、未亡人にしやがった! あんなに幸せそうだったのに……許せねぇ!」
男は、オレを庇おうとしゃがんでいたフォルテさんの胸ぐらを掴む。フォルテさんはされるがままだ。
駄目だ! 嫌だ!
ーーーーググッ!
フォルテさんを押し除けて、前に躍り出る。逃げて! 抵抗して! フォルテさんは悪くない!!
ドカン! ズザン!!
ーーーー『コウタ!!』
弾けるような衝撃。
空を舞う浮遊感。
全身を打ち付ける振動に気を失う。
ーーーードドドドドド
ーーーーーーーーーーガガガガ、ドッカン!!
▪️▪️▪️▪️
「コ、コウタ?」
遅かった!
メリルから報告を受け、館を飛び出したコウタを追ってくると、後一歩のところでソラが雷撃をぶっ放した。
コウタに何かあったんだ!
無事か? コウタは?
辿り着くと兵士達を囲むように地面が焼け焦げ、煙が舞い上がっていた。
フォルテが真っ青な顔で人形を拾い上げ、兵達は腰を抜かして震えている。
ただ一人、石柱の牢に閉じ込められた男は、力なくぶら下げた腕からポタリと血を滲ませて立っていた。
コウタ!!
ぐったりとした人形に近づくと、小さなソラが仕切りと羽ばたき、僕に不安を訴えた。震える手でフォルテから受け渡されたそれは……。
ふわりと柔らかな頬が見る見るうちにドス黒い紫に変色し、天使のような可愛い顔が大きく歪んで腫れ上がっていく。
ーーーーひぃ!
ーーーーきゃぁ!
後方で母とメリルが倒れ、フリオサが力なく座り込むのが分かった。
何が起きた?
僕の、僕の可愛い弟に?
「わ、私を庇って…………」
ポタポタとフォルテの涙が土に染み込み、焦げ臭い風が黒い煤を舞あげている。
僕の時間がしばらく止まった。
ーーゅん
バキッ、バキバキ、ドゴン!!!
恐ろしいほどの威圧感。
器用に石牢だけを粉々に破壊した剣技。聞き慣れた声が殺気を帯びて低く強く響く。
「誰がやった? お前達。エンデアベルトだって分かってるんだろうな? いい大人が、たった三つのガキに? 笑わせるな? 今、此処で皆殺しにしてほしいってか?」
絞り出すような、だが、叫ぶような兄さんの声色。息を乱して剣を構える様に僕は安堵し、涙がツツと頬を伝う。
ーーーーうっ。
微かな反応。時間が戻った僕は震えながらその手に力を入れる。
「コウタ? ああ、コウタ。大丈夫かい?」
そっと目を開けようとするも、腫れ上がった瞼は漆黒の瞳を見せてはくれなかった。
憎い男がゆっくりとしゃべり出す。
「じゃ、邪魔するからだ。俺の姉さんの仇だ。こんな死に損ないを庇うなんて……。 貴族様! 分かっただろう?こいつは疫病神だ。こいつのせいで、姉さんも、そいつも……」
グッと奥歯を噛み締め、僕達は怒りに押しつぶされながら奴を睨みつける。
「へっ、どんな罰だってかまわねぇ。だが、そいつが、フォルテが、のうのうと生きてやがるってのが許せねぇんだよ」
吐き捨てたセリフにアイファ兄さんの腕に力がこもった。だが、それよりも一瞬早く、歪んだ瞼を押し上げたコウタが僕の腕から身を乗り出した。
「……生きてたっていいんだ」
僕の腕にしがみついた小さな指がぎゅっと力を入れる。小さな身体をゆっくりと押し上げ、息も絶え絶えにその瞳を深く大きく漆黒に染め上げた。
「生きろって託されたんだ。生きてくれって、願われた。 一緒に……、一緒に死ねたらよかったのに。 一緒に死んじゃえたら苦しまないのに! でも、生きろって助けられたら? 精一杯生きるしかないでしょう? オレ達に出来ることってそれしかないでしょう? 犠牲になった命が、ちゃんと輝いてたって、無駄じゃなかったって証明するのはオレ達だから。 残された者の辛さを、どうして一緒に背負ってあげないの? オレは……オレは……生きててほしい! フォルテさんに幸せになって欲しい! 犠牲になった人を……、その想いを……、残された者が背負うんだ。 褒めて! 褒めてよ! よく生きたって、褒めて! オレ……オレ……、うわわわわわわわあん」
コウタは力の限り泣け叫ぶと、再び力なく目を閉じた。
姉を失った男は膝から崩れ落ち、煤けた土を涙で濡らし続けた。
フォルテは男の肩を庇って抱き寄せると声を出しておいおいと泣いた。
僕の腕には小さな指痕がくっきりと残り、心の叫びの重さに身体中がビリビリと震え続けた。
残された者の辛さ。悲しみ。
コウタは自分とフォルテを重ねて見ていたのかもしれない。どうしても助けたかった訳。
こんなちっちゃい身体で。こんなに力のない小さな手で。
あぁ、いつだって一生懸命なのは、君も残された者だったから。
僕達は君に言ってあげたんだろうか?僕の元に来てくれてありがとうって。
偉いぞって褒めてあげていたんだろうか?
君の悲しみを一緒に背負ってあげられているだろうか?
▪️▪️▪️▪️
「まだまだ。全然足りねぇな……」
見上げるとアイファ兄さんが曇った瞳でコウタを見つめている。
「……うん」
力なく答えながら濡らした布に氷を挟み、頬に当て直す。
「……ったく。とんでもない弟達だよ」
「えっ……、僕も?」
意外なセリフにキョトンとする。
「あったりまえだ。守っても護っても、護りきれねぇ。ちっとは兄貴らしくさせてくれってもんだ」
握った拳に力を込めながらやるせなさを隠さないアイファ兄さん。そういえば二人きりで話すのって久しぶりだ。
「十分、守ってもらってると思うけど?」
「これでも……か?」
二人で横たわるコウタを見つめる。
冷やした布で湿った漆黒の髪が苦しそうな顔に纏わりつき、腫れ上がった皮膚と恐ろしい黒紫のあざで痛々しさが募り、心が引き裂かれそうだ。
「やっぱり、僕も、もっと護ってもらいたいかも……」
不意に漏れた呟きに片目を大きく開けた兄さんは、悪そうないつもの顔でニッと笑った。
「熱が出るぞ……」
「……うん。生きててくれたから。覚悟する」
ふふふ、コウタ劇場第2幕か。セガさんがいないから、水探しに難航しそうだ。
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