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029 コウタとニコル

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ガツッ!
 吹っ飛ばされた男が、扉に背を預けてずるりと滑り落ちた。

 村外れにある古びた倉庫。とうに床板は剥がれ土が剥き出しになっているここは1組のテーブルセットが置いてあるだけ。
 とはいえ、村の中。床に着いた手をギリギリと踏みつけて外の様子を伺う。小さな窓から覗いた猛禽が忙しげに首を動かした。

「す、すんません」
 地べたにうずくまった男は、切れた口をそのままにおでこを土に擦り付けた。

 ガツッ。
 
 前髪をつかまれ、見上げたその目は、何事もなかったかのような冷めていて、男は再びすくみ上がると思わず口を開く。

「ーーすんません。ですが、何も」

「で?」

 ただ一言、耳で捉えた殺意に男の顔は恐怖に引き攣る。
 下手な仕事はしていない。ただ本当に何も出なかった。何の手がかりも見つからなかったのだ。

「アタシの手を煩わせて “何もない” で済まそうとすんだ。へー」

 目の前に迫ったブーツに身体を震えさせ、後退りしようとするが動くことができない。

「い、いや、その……」

バキッ!

 瞬間、縮こまった身体に痛みはなく、不審に思ってそっと目を開ければ、そこにあった古びたテーブルが煙を立ち上げて粉砕されていた。

「アンタさぁ、報告できねぇなら顔見せんじゃねぇよ。勝手に土足で入ってくんな。アタシのに僅かな気配だって晒すんじゃないよ」

 赤毛の女は両手をポケットに入れて音もなく去っていった。男はふうと小さく息を吐き、まだ生かされていることに機嫌が良くて助かったと安堵した。


▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️


カラララカラララ
    ーーーーギィギィ

 チャププププ、チャプププ

 ーーーーピピ、ピチチピ

 低いお日様が昇ると、ちょっとずつ気温が上がってくるのを感じる。凪いだ湖から注がれる水は、浅く小さな川になっても勢いが強い。

「思ったより流れが速いですし、コウタ様はお小さいですから、お一人で水に触れることがないようにして下さいね」
 規則的に回る水車に光を浴びて落ちる水。その間をソラが忙しそうに水に風に揺らぎ、黒く厚い板でできた水車の羽根を啄むのが面白い。

 今日はメリルさんと粉挽きに来たんだ。アイファ兄さんがお土産にって、たくさん持ってきてくれた小麦を水車小屋で挽くって言うから連れてきてもらったの。



「あれ、コウタ? もう挽き終わったの? 早いなぁ。 せっかくだから付き合おうと思って追いかけてきたんだけど」
 馬に乗ったニコルの元気な声に圧倒されてポカンとしていると、メリルさんがくすくすと笑った。

「こちらはまだですよ。ずっと小川と水車を眺めてらして、まだ小屋にも入れていません。 ソラちゃんもコウタ様もお可愛らしくて、私は幸せでございますが」

「へぇ、から歩くにも時間がかかるんだねぇ」

 にやっと笑ったニコルにバカにされたような気がして、フンと頬を膨らましたけど、アイファ兄さんにパチンと潰されたことも思い出し、慌てて頬を押さえた。

 馬を繋いで3人で水車小屋に入る。水車小屋にはいくつかの木桶が置いてあって、どれも粉だらけだ。
 メリルさんがテキパキと粉挽の支度をしている間、小さな窓から外の様子を伺う。

 水車の羽根が水を掬い、ザバと次の羽根に移す様は何度見ても面白い。透明な水が大気を含み白く泡立ち、そこに差し込む光が空を映す。

 ニコルはコンコンと窓を叩き、この窓は硝子ではなく魔獣の素材を魔法で加工したものだって教えてくれた。メリルさんが持っている袋も「収納袋」っていって、袋の大きさよりもずっと多くの量が入る魔道具なんだって。こんなところにも魔法が使われているなんてね。


 粒々の麦を穴に入れると、水車の動力で石臼が周り白い粉をサラサラと落とす。少しずつ落とされる白い粉は息が掛かるだけでふわと浮き上がるので、気をつけながらそっと近づく。真剣に、慎重に。
 メリルさんとニコルは何が面白いのかと笑いを堪えているけれど、小さな麦があっちにこっちに転がって
 ーーーーそう、オレの手の中で石達が厚い殻を削ぎ落とすのと同じ姿は興味深いのだ。

「粉挽きって結構時間がかかるよね。ここはメリルさんに任せてこれと遊ぼうよ! 他にも従魔を見せてあげる」

 ニコルは袖からモグラヘビをちょっとだけ出すと、オレンジの目でニカッと笑った。

 メリルさんに許可をもらうとニコルはオレを馬に乗せ、湖や牧場を颯爽と駆け抜けた。ディック様とは違う華奢な身体でもオレをゆったりと運んでくれる。

 ひとしきり走ると牛舎で馬を預けて、草の上でおしゃべりタイムだ。

「やっぱさぁ、牛舎の上が牧場を見渡せていいよねー」
 ニコルはご機嫌で草の上で寝転がる。当然隣に寝転がるだろうオレが、牛達に群がられ、ベロベロされながらコロリコロリとあらぬ方向に転がされていく様子を見送り、何事かと慌てて駆け出し救出した。

「あんた、本当に牛に好かれてるねぇ」
「うん。でも、オレもここ、大好き」

 ゴシゴシとよだれを拭いてくれるニコルにとびきりの笑顔で答えた。


 ふわりと香る草の上に座ったオレに次々と従魔を渡してくれたニコル。

 右手にヘビ、左手に茶色の大きな猛禽、頭の上にソラを乗せて身動きが取れない。

「その猛禽、トリって名前なんだけど、デカい割に静かだろ? 結構臆病でさ、無茶しないから伝達鳥にピッタリなんだ。あと二羽いるけど、名前はどれもトリ」
 カカカと大声で笑うニコルはディック様みたい。オレはふふふと柔らかく笑った。

「ソラって可愛いなぁ。あんまり見たことない種だけど、ソラのこと、教えてくれる?」
 急にニコルの話し方が変わったので、オレはドキリと警戒した。

 ソラは父様の従魔だったけれど、それはオレが生まれる前にこっち(この世界)に来たからだ。だから赤ちゃんの時からオレの守護鳥として一緒に暮らしていた。
 今みたいに、ハッキリとしたおしゃべりはできなくても、気持ちはずっと分かり合えていた。


 父様もディック様も、ソラの不思議なことは言わないようにって言ったし、ソラのことを聞く人には気をつけろって言った。ニコルはいい人だと思うけれど。

 オレはどうしたらいいのか分からなくて、唇にぎゅっと力を入れた。

「どうした、ちびっ子。急に黙っちゃって?」
 オレはニコルの顔を見上げた。ニコルはいい人だけど、簡単に信用しちゃ駄目だって言われたから。
 そして猛禽とヘビを返すとソラを抱きしめて、うん、と自分を安心させた。きっとこれでいいんだ。


「言いたくないならいいよ! 気にすんなよ?  ねぇ、コウタはさ、アタシに聞きたいことはない?」

 急な提案に思わず見つめたオレンジの瞳。驚いたけど、せっかくの二人きりだもの。

 うん、今度は大丈夫。オレは迷いなく聞いてみようと心に決めた。とても大事で、どうしても聞かなくちゃいけないことがある……。



「あのね、前にニコルは、ディック様に拾われたって言ったでしょう?」
「ああ、そうだよ。命の恩人だ」

「でも、ディック様の子どもになったんじゃないよね? オレ、ディック様のこと大好きだけど、ニコルの方が拾われたのが先じゃない? だから、その……」

 聞きたいことは決まっているのに言葉が詰まる。キュンと喉が締まって苦しい。
 オレンジの瞳は遠くを見据えて待っててくれている。落ち着いて、落ち着いて。すうはぁと息を整えてゆっくり言ってみる。

「ディック様はオレがちっちゃいからって、きっと、言うけど。 でも、ニコルが嫌なら、オレ、ディック様に断るし、ニコルが嫌じゃなかったら、代わってくれないか……、頼むから。 えっと、その、上手く言え、言えないけど。」

 オレもディック様に助けてもらった。ディック様は新しい父親になってくれるって言った。じゃあニコルは? 本当は子どもになりたかったんじゃないの?

 ズボンを膝をぎゅっと握って、寄ったしわに瞳を落とす。
 いつの間にか、オレの小さな胸がぷくんと一杯になってしまって、涙がポロポロ出てきて……。

 ふいと隣を見上げると風で広がった赤毛がニコルの顔を半分隠し、大きな瞳が見えなくなっていた。





 その後ニコルは、大きな声で笑った。ガハハハ、ガハハハ、大口を開けて。

 そしてゴツン! 

 あんまり痛くないゲンコツを落として、胸がペチャンコになるくらいギュッとした。

「 うふふ、面白い子! 旦那様はあんたがいいんだよ。 うふふふ、安心して子どもになりなよ。 アタシが助けられたのは十五を超えてたサ。気にするな! ガハハハハ!」
 
 ニコルがあんまり大きな声で笑うから、バサササと猛禽が羽ばたき、空に帰っていった。



 従魔契約は仲良くなるってことではないらしい。互いに信頼しあうこと、命を預け合うことだって。だから従魔にたくさんの愛を注ぐのだそう。
 だけど、オレみたいにソラの言葉が分かるのって珍しいんだって。相性抜群で羨ましいって言われちゃった。ニコルは何となく分かる程度だって。

 でも従魔達はニコルの命令がしっかり分かるから優秀なんだよ。

 他にもアイファ兄さんとの冒険の話とか、モルケル村やマアマとの関係とか、たくさんたくさんおしゃべりしたんだ。

 帰りの馬の立髪にしがみついたオレは、ちゃめっ気たっぷりのニコルの呟きを微睡んだ意識の向こうで聞いた。

「アタシの弟に欲しいなぁ。」




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