5 / 260
003 挨拶
しおりを挟む翌朝、朝食の紅茶を啜っていると、幼子がメイドに連れられて食堂にきた。
腫れぼったい目は、眠り切れていない疲労感を醸していたが、彼はしっかりと前を向き唇に力を入れていた。その固い仕草から緊張が伝わってきた。
さらさらの黒髪、少し焼けた肌に薔薇色の艶やかな頬、俺を映す大きな漆黒の瞳は、幼子ではなく、小さな皇子の風格を漂わせ、美しさすら感じさせた。
「おう、もう起きて大丈夫か?しんどいならベットまで食事を運んでやるが……」
俺が声をかけると、小さな少年は緊張の面持ちのまま、俺の前に傅いた。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。コウタと申します。貴族様と知らず、数々の無礼をお許しください」
「い、いや……。何も無礼なぞ。 お、お前、幾つだ? 三歳じゃ、ああ、いい。 だが、何だ、その挨拶は……」
俺は驚いて思わずコウタを抱き上げる。
宙に浮いた手足がぶらりと揺れ、ふにゃふにゃと柔らかくあまりにも頼りない。 しかし、ぐにゃぐにゃの体とは相反して表情を崩さない凛とした佇まいに、狼狽えていた俺は落ち着きを取り戻し、そっと抱き下ろす。
「俺はディック・エンデアベルト辺境伯だ。このあたりの領主をしている。確かに貴族だが、子どもが危なかったら助けるのは当然だ。俺はお前の母親に任せろと言ったし、母親は託すと言った。だから畏まる必要はない。楽にしろ。」
「ありがとうございます」
こくりと頷いたコウタは、幼子の顔に戻り、席に着いた。
こんな田舎だ。大した食事ではないが、何か食える物はあるだろう。するとコウタは、落ち着いた所作でスープを口にし、固いパンを小さくちぎる。水を注ぐメイドに軽く眼を合わせ、ナイフとフォークをそつなく操り、薄いハムを口に運ぶ。その一つ一つの動きは洗練されていて、貴族のマナーと言っても十二分に通用する。
「見たところ、随分としっかりしているが、お前さんも何処かの貴族なのか?」
コウタの食事が終わったのを見計らって声をかける。
「いいえ……多分、違います。 父様も母様も冒険者だから……。でも、挨拶や作法は……、きちんとできれば人と繋がれるからって、繰り返し教えてもらいました」
「そうか、そうだな。 しっかり挨拶をされて嫌な気持ちになる奴はいねえからな」
そっと頭を撫でてやると、コウタは少し驚いたように目を開き、うふふと笑って見せた。
「コウタ、少し辛いかもしれないが、何があったか言えるか? 国は……、出身は? どこかわかるか?」
コウタは俺の目を真っ直ぐに見つめると、ふいと目を伏せて話し始める。
「国は……分からないけど、高い山の上に住んでいました。ラストヘヴンっていう場所。でも、運命の日だったから逃げたの。 みんなで。 馬とか、牛とか、ヤギとか……。 動物もみんな一緒に隠れたの。
父様達は戦いに行ったの。母様も。村の人も、アックスのおじさんも、熊爺も……。みんな、みんな、戦いに行ったの。兵士さんとか……。王様も……。」
テーブルクロスにポトリと水滴が落ちた。
「そうか……。戦いに行ったのか。戦いは……、その……、終わったのか?」
「分からない。……でも、外に出て、誰か居てくれたら大丈夫だって言ってた。 オレ、今、外だから……。 誰も……だけど、母様がいたなら……多分終わった」
「……迎えは来れそうか? 母親以外に……。誰かいないのか?」
「…………分からないけど、来ない。母様がいたんだったら、もう来ない。……だ、だれも、……うっ、こ、来れない。み、みんな、た、助から、ないって、知って、知ってた。 オレ、だけ、オレだ……け……」
「もういい。 悪かった。 もういいかぞ。よく話せた」
嗚咽を抑えながら精一杯話すコウタをぎゅっと抱き寄せる。震える小さな肩と熱い息が俺の身体をじんと唸らせ、やるせなさに自身の無能さを呪う。
「いいぞ、泣け。 思い切り泣けばいい。 こんな時は思い切り泣くもんだ」
冷静さを装って、ゆっくり優しく頭を撫でると、コウタは火がついたように泣き声をあげた。
しゃくり上げ、繰り返す嗚咽、少しずつ掠れる声。気がつくとコウタは俺の手の中で、グズグズと鼻を鳴らしながら小さな寝息を立てていた。閉じた瞼に涙の跡が痛ましい。
「うふふ、こんなに力を入れて……。 悲しみもですが、不安もお強かったのですね……。 安心していただけると良いのですが……」
メイドが小さな握り拳をそっと開くと、小さなピンクの手のひらにくっきりと爪の後が残っていた。メイドは俺からコウタを貰い受けると嬉しそうに寝かしつけに行った。
後に残された俺と執事は、溜息をつき、新しく始まる生活に想いを巡らせる。
15
お気に入りに追加
121
あなたにおすすめの小説
狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。
彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
ボンクラ王子の側近を任されました
里見知美
ファンタジー
「任されてくれるな?」
王宮にある宰相の執務室で、俺は頭を下げたまま脂汗を流していた。
人の良い弟である現国王を煽てあげ国の頂点へと導き出し、王国騎士団も魔術師団も視線一つで操ると噂の恐ろしい影の実力者。
そんな人に呼び出され開口一番、シンファエル殿下の側近になれと言われた。
義妹が婚約破棄を叩きつけた相手である。
王子16歳、俺26歳。側近てのは、年の近い家格のしっかりしたヤツがなるんじゃねえの?
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
私のお父様とパパ様
棗
ファンタジー
非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。
婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。
大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。
※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる