人魚のカケラ

初瀬 叶

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カケラ・その54

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「斎藤くんだね、担任の櫻井だ。じゃあ、クラスに案内しよう」

櫻井と名乗った教師に連れられ、俺は扉の前に立つ。こういう時って何でこんなにドキドキするんだろ。
俺は深呼吸を一つ吐いた。

『ガラガラガラ』

教師が引き戸を開く音が、殊更大きく感じる。


「おーい!静かにしろよ~!もうホームルーム始めるぞー!」

教師の後に付いて教室の中に入る。
俺という異物の存在に、それまでザワザワとしていた生徒がスンッと静かになった。
皆の視線が突き刺さる。値踏みされている様な感覚に一瞬怯みそうになるが、俺の視線は一点に注がれている。

髪……切ったんだな。
あの時に見たプリクラの時の長さぐらいに切り揃えられた少し茶色の髪が開かれた窓から吹く風に少しだけなびいている。

そこだけ切り取られた様なそんな感じだ。彼女と俺だけ時間が止まっている様な。……ま、そんな事はないから、

「今日は転校生を紹介するぞー!」
その教師の言葉を皮切りに、また教室はざわつき始めた。こんな中途半端な時期の転校生に好奇心いっぱいの視線が注がれる。

「さ、自己紹介を」
担任に促され、俺は真っ直ぐ前を向いた。

「斎藤 希です。『希望』の『希』と書いて一文字で『のぞむ』と読みます。
隣町に越して来たばかりですが、少しずつ馴染めるといいなと思ってます。よろしくお願いします」

……あんまりしっかり練習しすぎたかな?高校一年でこれは……ちょっとおかしいか?

そんな事を考える。クラスの連中は『こいつ……練習してきた?』みたいな目で見てきているが、俺の視線はある一人に注がれたままだ。


『葵』

あんなに感動的に『親子二人支え合っていこうな』と誓った父親は、あの後すぐに海外勤務が決まった。

離婚の話が出るずっと前に打診されていた話だが、それから殆ど話が出る事がなかったから、話自体が無くなったのだと思っていたと、父親はバツが悪そうに頭を掻きながら俺にそう言った。

父親は俺を連れて行く気満々だったようだが、それを俺はあっさりと断った。

そして……ここに来た。

父親とは離れ、ばあちゃんと暮らす事を選んで……葵が居るこの高校へと転入したのだ。
一応進学校に通っていた俺は転入試験にも合格し、新たな生活を始める事にした。


……諦めるって誰が言ったよ。


SNSって怖いよな。たとえ葵がそれを使っていなくても『二年半寝たきりの女の子が突然目を覚ました』なんて面白い話を誰も呟かないなんて事はありえない。

あの後、葵は驚くほどの回復で、日常生活を取り戻した。二年半寝たきりだったのに、わずかなリバビリで退院に至ったのは、やはり癒やしの力を持つ人魚の涙の影響だろう。
俺が病気らしい病気をしないでこうして元気なのも何よりの証拠だ。

だが、葵がたとえ普通以上に元気になったとはいえ、高校三年生として通学するのは無理がある。彼女はまた一年生からやり直す事になったらしい。……ここまで全てSNSで知り得た情報だ。……マジで怖いな、ネット社会。

正直、父親の海外赴任の話を聞いた時、チャンスだと思った。
『せっかく努力して、良い学校入ったのに申し訳ない』と言う父親の言葉に、ああ、俺が努力した事は認めてくれていたのか……と少しだけ嬉しくなったが、そんな事よりも俺は葵と同じ高校に行く事が出来ないかと画策する方で頭がいっぱいだった。


葵は俺を忘れた。ならばまた俺を一から知ってもらえばいい。俺はその単純な思考に至った。
彼女の記憶が真っ白ならば、そこにまた俺という人物を描けばいい。それだけだ。

あの夏の思い出は俺の心の中にしか無くなったとしても、これからもっと多くの思い出を作ればいい。……諦めるなんて馬鹿らしいだろ?


葵と同じクラスになったのは、本当に偶然だ。
同じ高校一年生になれるのだから、なんとしてでも友達になろうと思って、意気込んでいたが、神様は俺の味方らしい。いや……神様じゃなくて人魚様かもな。
俺の胸は歓喜に満ち溢れているが、なるべくそれを表情に出さないように努力した。初日からニタニタした転校生など、気持ち悪いだけだ。


「じゃあ……斎藤君の席は……あそこだ』
先生の指差す席に思わず顔が綻ぶ。どこまでも俺は葵と縁があるらしい。

隣の席に座る俺を見て、葵は少しだけ目を丸くした。そして彼女はこう言った。

「あれ?君は……」
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