人魚のカケラ

初瀬 叶

文字の大きさ
上 下
48 / 55

カケラ・その48

しおりを挟む

翌日、俺は朝早くからばあちゃん家を抜け出した。

病院の面会が十時からなのは理解していたが、それまでに父親に迎えに来られては困る。
流石に家に居なければ、無理やり連れて帰られる事はないだろう。ほんの少しでもいい。……葵に会いたい。

俺はもしかしたら、葵とゆっくり話す時間がないかもしれないと、昨日手紙を書いた。手紙なんて書いたことないな。スマホで伝える言葉より何故か緊張した。

洒落た便箋なんて物は無かったから、ルーズリーフを半分に切って、そこに自分の連絡先と、これから付き合って欲しい事と、それだけを書いた。それだけなのに、何回書き直したかわからない。せめてもう少し字が上手かったらな……と思っても今更だった。

俺と葵が過ごした、この約一ヶ月を思えば、きっと多くを語らなくても、想いは通じるはずだと信じたい。……そして葵も同じ気持ちでいてくれるはずだと、期待を込める。

幻ではない葵との対面にドキドキする。俺は、二人が出逢ったあの人魚の入り江にも別れを告げるため、足を運んだ。

最近は夏が長い。もう八月は終わるというのに、今日も真夏の暑さだ。

入り江はいつも通り、静かにそこにあった。

「ここで出逢ったんだよな」

目を閉じて、あの日を思い出す。葵に出逢ったあの日。彼女は俺を見て目を丸くした。

『あれ?君は誰?』

彼女の少し首を傾げたその姿に……俺は多分一目惚れしたんだ。あの時は気づかなかったし、最初は怒られるかと思ったけどな。そう考えて俺は一人笑う。

俺は海に近づいて、そっと両手で海水を掬った。
まだ日差しは痛い程だというのに、海の水は確かに少し冷たくなっていて、四季が曖昧になったこの国にも、きちんと秋の足音が近付いているのを感じさせた。

俺は少しの間、海を見つめていた。
じいちゃんもこの入り江で人魚に出会ったのだろうか。
俺達の前に姿を現した人魚は……同じ人魚だったのだろうか?
人魚の寿命なんて考えた事はなかったが、肉を食べれば不老不死になるぐらいだ。きっと人魚自体も長生きなんだろうな……と漠然と思った。

だけどあの人魚は凄く寂しそうだった。どうしてあの人魚がこの入り江に現れたのかはわからない。もしかして人魚に恋をしたとか?……だけど、人間を好きになったって報われないし、その人間はきっと先に死んでしまうだろう。あの人魚がとても孤独に見えて、俺は少し胸が苦しくなった。

「ありがとう」
俺は海に向かってそう一言残すと、緩やかな坂を登る。

今から隣町へ行けば、面会時間の少し前には病院に着くだろう。振り返らずに坂の上を目指す俺の耳に、海風に乗って微かに人魚の歌声が聴こえた気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話

家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。 高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。 全く勝ち目がないこの恋。 潔く諦めることにした。

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

ただ巻き芳賀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

脅され彼女~可愛い女子の弱みを握ったので脅して彼女にしてみたが、健気すぎて幸せにしたいと思った~

みずがめ
青春
陰キャ男子が後輩の女子の弱みを握ってしまった。彼女いない歴=年齢の彼は後輩少女に彼女になってくれとお願いする。脅迫から生まれた恋人関係ではあったが、彼女はとても健気な女の子だった。 ゲス男子×健気女子のコンプレックスにまみれた、もしかしたら純愛になるかもしれないお話。 ※この作品は別サイトにも掲載しています。 ※表紙イラストは、あっきコタロウさんに描いていただきました。

秘密のキス

廣瀬純一
青春
キスで体が入れ替わる高校生の男女の話

バレー部入部物語〜それぞれの断髪

S.H.L
青春
バレーボール強豪校に入学した女の子たちの断髪物語

【実話】友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
青春
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...