初瀬 叶  短編集

初瀬 叶

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聖夜の奇跡は突然に

聖夜の奇跡は突然に

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あ~あ。あっちもこっちもカップルばっか。
こんな日はさっさと家に帰るに限る。

クリスマスイブに出勤したい奴なんていない。私だって日曜出勤なんてしたくなかったが、周りの『え?佐伯さんってどうせ暇でしょう?彼氏もいないし(笑)』みたいな視線に耐えられず、引き受けた私が悪いんだけど。

帰ったからって料理をする気にもならない私はコンビニに寄る。
せめてコンビニのチキンでも…と思うがホットスナックの棚は空だ。
ふん。別にクリスマスだからチキンが食べたかった訳じゃない。チキンが食べたかった今日が偶々クリスマスってだけだ。

レジの店員がサンタ帽を被っている。クリスマス気分ををこっちにも押し付けないで欲しい。うちは仏教だ。
ただでさえ、ハロウィンが終わった瞬間から街はクリスマスに彩られる。キラキラピカピカ、私にとっては眩し過ぎて直視出来ない。

コンビニ弁当と缶チューハイを2本買ってコンビニを出た。
冷たい風に肩を竦めた。マフラーをしっかり巻き直して家路を急ぐ。

彼氏はいないが、友達がいない訳じゃないし、家族だって離れているがちゃんと存在している。だからこんな風に惨めだって思う必要なんてない筈なのに、何で私は俯いているんだろ。

「馬鹿らし」
と呟く声は周りのカップルの声にかき消された。

別に何を観る訳じゃないけどテレビをつけた。
ここもクリスマス一色か……そう思って直ぐに消した。

私はスマホで動画を見始めた。
こんな日は『推し』を肴にお酒を飲む。
私の唯一の癒しだ。

「今日も可愛いな」
と推しを見ながら独り言を呟く。独り暮らしってどうして独り言が多くなるんだろ。

コンビニ弁当と缶チューハイでお腹は満たされた。
明日は今日の日曜出勤分の代休だ。
そういえば、明日休みたい!っていう人は少なかったな。
クリスマスは明日なのに、何故皆はイブに盛り上がるんだろ?逆にクリスマスに失礼じゃない?なんて思うのは私だけだろうか?

あ~。クリスマス、クリスマスって!考えないようにしてるつもりなのに、つい考えちゃってる。恐るべし…クリスマス。

もう寝よう。お風呂に入ってもう寝よう。寝て起きたら、このなんとなく惨めな気持ちも消え失せてる筈だ。

私はお風呂に入って寝る準備を整える。
体が温まっている間に眠ってしまおう。
私は早々にベッドに潜り込んだ。

ふと目が覚めた。
お酒のせいかな?おトイレに行きたい……気がする。

私は眠い目を擦りながら、カーディガンを羽織ってベッドを出て、トイレに向かった。

「寒……っ」
と言いながら、トイレのドアを開ける……とそこには、トイレに座る男の人がいた。

私とその男性は数秒間見詰め合った。そして、私は

「あ……すみません」
と言ってドアを閉めて……また開けた。

「ちょっ!ちょっと!!誰?!!」
と私は震えながらも大きな声で叫ぶ。

すると、その男性は

「ま、待って!君こそ誰?!」
と慌てて立とうとするも自分が下半身丸出しな事を思い出したのか、直ぐにまた便器へ座った。

「ここは私の家です!出ていって!警察呼びますよ!」
私は向こうが下半身丸出しという無抵抗な格好な事をいい事に、少し強気に出てみた。

「え?ここはスタジオのトイレだよ!」
と男性は言った。

「はあ?」
と言う私に、

「と、とりあえず閉めてよ!……恥ずかしいから」
と男性は顔を赤くして大事な所を手で隠した。
私はその顔をまじまじと見る。……顔をみているんだ。変な所は見ていない。

その顔に見覚えがある。
男性がドアを締めようと中腰で大切な部分を片手で隠しながらもう一方の手を伸ばした瞬間、私はグイっとドアを引いて全開にして……

「え?ミロ君?!」
と確かめるように、その男性の名前を呼んだ。

「うっ……!」
男性は唸ったまま固まって、そして徐に、

「そう……です。出来れば閉めて頂けると……」
と真っ赤な顔で俯いた。

私は、

「ご、ごめん」
と言って私はドアを締めた。

何で?何でここにミロ君が?私はパニックになる。
彼はアイドルグループ「Nexus」のメンバーのミロ君こと「根津 幹郞」
そして……私の『推し』だ。

私はまだ信じられない気持ちで、またソーッとドアを開いてみる。

彼はまだそこに居た。

「ちょ!何で開けるの!」
という彼。

「っていうか、何故そのままなの?」
と私も疑問を口にする。

さっさとズボンを履けば良いのに…と同時にミロ君って用を足す時座ってするタイプなんだ……そう私が思っていると、

「止まらないんだ……ウォシュレット……」
と泣きそうな顔で彼は言った。

『大』か……。と思った事が私の顔に出ていたのか、

「だ、大じゃないから!間違って押しちゃっただけなの!そしたら止まらなくなって!」
と彼は一生懸命私に力説する。……可愛い。

私は、

「なら、コンセント抜けば?」
と解決策と思われる事を口にした。

彼は一瞬固まった後に、

「あ……そっか」
と呟くと後ろの壁に付いてあったコンセントを抜いた。

「止まったみたいですね」
「うん。止まったみたいだね」
と私とミロ君は顔を見合わせる。

……という事は彼はこれからこの下半身丸出しから解放される訳だ。
さすがに私がそれを見守る訳にはいかないので、

「じゃ、閉めますね~」
とドアを閉じようとすれば、

「ま、待って!!ト、トイレットペーパー貰える?」
と彼は情けない声でそう言った。

自分の家のトイレなら、ストックは壁の棚に仕舞ってあるのだが、どう見てもこのトイレはうちのトイレではない。

「ちょっと待ってて下さい」
私はドアを閉めると、自分の部屋のクローゼットを開ける。ここに非常時の持ち出し袋が置いてあるのだが、私はここに……

「確か、トイレットペーパー入れてたよなぁ」
とお得意の独り言を呟きながら、袋の中を漁った。


トイレのドアを少し開けて、その隙間からトイレットペーパーを差し出す。
今まで散々ドア全開で彼のあられもない姿を見てきた訳だが、ここは乙女として恥じらいを見せた方が良いだろう。

彼は隙間からそれを受けとると、

「ありがとう」
と言ってから、
「でも、大じゃないから!お尻がビショビショでズボンを履けないだけだから!」
と私に念を押す事を忘れなかった。

私はドアを完全にパタンと閉めて……さて、どうしよう?と考えた。

常識では考えられないシチュエーションである。
うちのトイレがどっかのスタジオのトイレと繋がっている。……んな馬鹿な。

うちのトイレは何処へ行ったのだろう。これから私は何処で用を足せば良いというのか。
いやいやそんな事より、推しが直ぐ側にいる。何なんだこの状況。
私は今さらながらパニックになった。

すると、トイレの中から

「あの……まだ、そこに居る?」
とミロ君の声が聞こえる。

「はい。居ますよ」
と答えながら、あ~私、少し掠れたこの声が好きなんだよなぁと思っていた。

私がミロ君を推すようになったきっかけはラジオだった。
たまたまその時に付き合っていた彼氏が車でラジオを聴くタイプの人間だったのだ。

私は偶然耳にしたミロ君の声に一目惚れした。いや一耳惚れ?
それから、ミロ君の事を調べた。

アイドルグループと言っても、国民的スーパースターという訳ではない。
私が今までアイドルに興味がなかった事も関係あるのだろうが、グループの名前はかろうじて聞いた事がある……ぐらいの認知度だった。

既にデビューして7年。そのアイドル事務所の中では中堅といった立ち位置なのではないかと思われた。

「俺さぁ…」
と急にミロ君はドア越しに話始めた。

「もう、アイドル辞めようかって思ってるんだよね」

「え!?何で!!?」

「俺ってデビューがちょっと遅かったから、もう31歳になるんだよね」

知ってる。だって推しだから。でもここで『貴方は私の推しです!』なんて言うのは下半身丸出しを見た後で、気まず過ぎるので黙っておく。

「でも、今って結構そういう人多くない?割りと普通だと思うけど」

「君が俺の事知ってるかどうかはとりあえず置いとくけど、俺ってグループの中では1番人気ないんだよね……そういうのも地味に堪えてるっていうか、さ」

気にしてたんだ……。確かにライブに行ったりすると、メンカラのペンラとかうちわとかで、誰が人気か……ってのは良く分かる。本人達にはもっとダイレクトに伝わっているものなのかもしれない。

「でも、あなたを推してる人だって、ちゃんと居るでしょう?」
目の前(トイレのドア越し)に居ますよ!とは言えないけど。

「もちろん、ファンの子達には感謝してるよ。歌のレッスンもダンスレッスンも頑張れるのはファンの子が居るからだし」

「あなたがアイドル辞めちゃったら、その子達は?放ってしまうの?」

「……別に芸能界を引退するとかって訳じゃないよ。『アイドル』を辞めようって思ってるだけ。俺の事が好きな子なら応援してくれるでしょ?」

「確かに、あなたを好きなファンの子の中にはあなたが何をやってても好き!って子も居るでしょうね。でもアイドルのあなたを好きって子も居るだろうし、アイドルじゃなくなったあなたに興味を失くす子も居るんじゃない?そうやって……ファンを試すの?」

私は……どうだろうか。彼がアイドル辞めて俳優になります!って言ったら……今と同じテンションで推せるだろうか?
アイドルの彼好き!アイドルの彼好き!それは自信持って言える。きっとアイドルじゃなくなっても好きだろうけど、同じ熱量で推せるかは分からない。
だってライブでパフォーマンスしている彼が好きだから。それを見れなくなるのは辛い。
俳優になったとして……ドラマや映画に出てれば必ず観るだろうけど……それは箱の中の彼だ。
ライブで直接見るのとは訳が違う。現場がないと熱量は下がる気がする。

「試す……か。そう……なのかな」

「あなたが何をやってても付いて来てくれるファンが本当のファンだとでも言うの?じゃあ、アイドルのあなたが好きな子はファンじゃないの?」
ついつい私も口調が強くなってしまう。

「そんなんじゃない!そんなんじゃないけど……怖いんだ」

「怖い?」

「うん。今よりだんだんと人気がなくなって『あいつ終わったな。いつまでもアイドルにしがみついて、みっともないな』って思われるのが」

「……人の気持ちは移ろい易いから、今はあなたのファンでも、1年後の事は分からない!って子も居ると思う。でも少なくとも1年後、あなたを新たに好きになってくれる子もいると思うよ。
もしあなたが俳優やりたい!とかモデルになりたい!とか本気でなりたいものがあるからという理由でアイドルを辞めるなら、皆応援してくれると思うけど、アイドルから逃げる為なら…それは違うんじゃない?」

「俺の気持ちなんて、ファンの子は分からないじゃん。『やりたい事があるから』って言えば、それを信じてくれるでしょう?」

「あなた……ファンを馬鹿にしてるの?ファンはちゃんとあなたを見てるよ。そんな気持ちでアイドル辞めるなら……皆、あなたを見限っちゃうかもしれないよ」
私は若干イラッとしながらそう言った。
ファン、舐めんなよ。

「そう……なのかな」

「ファンだって怖いんだよ?いつ推しが引退とかして自分の目の前から消えるかもしれないって。『推しは推せる時に推せ』ってのがファンのセオリーだよ。自分の大切なモノが自分の意思とは関係なく突然居なくなるかもしれないって恐怖と日々戦ってるんだから」

大袈裟に聞こえるかもしれないが、推しが自分の生き甲斐なファンはたくさんいる。
簡単に生き甲斐を奪わないでくれ。

「そっか…」
と言ったっきりミロ君は黙った。

「あなたが歌ったり、踊ったり、喋ったり、笑ったりする姿を見てるだけで、幸せになれる子がたくさん居るんだよ。私ね、アイドルって物凄い仕事だと思うの。特にライブとかさ。何千、何万って人を同時に笑顔に出来るんだよ?それって普通の人には到底出来ない事だよ。
多分……私なんかには想像も出来ない程、苦しいこと、辛いこと、悲しいこともあると思うけど、それでも笑ってて欲しいって思うよ」
最後は私の願いのようになってしまった。

「ありがとう。今の俺って……自分勝手だったね」

「そんな気持ちになる時もあるよ。そんな時にはファンを思い出して欲しい!なんて綺麗事は言わないけど、あなたがアイドルとして存在してくれる事で、アイドルとしてパフォーマンスしてくれる事で、癒されたり、幸せになってる人がこの世界に絶対に居るんだって事、忘れないで欲しいな。こんなクリスマスの夜にあなたの歌声を聴いて、独りぼっちのクリスマスでさえ、幸せに過ごして居る人だってきっと居るから」

……まぁ、私の事なんだけどね。

「そっか!今日はクリスマスイブか!」

「うん。もう…0時を過ぎたからクリスマスだね」

「そうだったね。……じゃあ、メリークリスマス」

「メリークリスマス。こんな場所だけど」
と言って私は笑った。

推しとトイレのドアを挟んで向かい合ってるって……これなんの冗談だろ?

そこで……私はふと自分の姿を思い出す。

スッピンでコンタクトしてないから、眼鏡だし、寝癖もついてるかもしれない。しかもくたびれたパジャマにカーディガンを羽織っただけのこの格好。

別に向こうの視界に入らないと分かっていても、ライブに参戦する時は気合い入れまくりでヘアメイク頑張って、お洒落して行くのに!!私とした事が!!!

推しにこんな姿を晒してしまった事に今さらながら震える。

すると、そっとトイレのドアをミロ君が開けようとしているではないか!!
不味い!
もうこんな姿は1秒も見せたくはない。

私は思わず、開きかけたドアを閉める。
すると、彼が

「痛い!痛い!」
と大きな声で言った。
気付けば彼の手を挟んでいたようだ。

「ごめん!」
と私はドアから手を離す。

彼の手がドアの中に引っ込む時に、少し血が滲んでいるのが見えて、私は焦った。
……怪我させたかも?!

「ねぇ、大丈夫だった?本当にごめんなさい」

「あぁ。大丈夫、大丈夫」
と彼が笑う。

「ちょっと待ってて」

私は絆創膏を取りに部屋に戻る。こんな時って、何で目当ての物が見つからないのだろう。
私が探し当てたのは、テーマパークのお土産に貰ったキャラクター柄の絆創膏だった。
……これで良いか。

私は急いでトイレのドアの前に戻ると、薄ーくドアを開けて、そこから差し出す様に絆創膏を入れた。

「ごめんなさい、怪我したよね?良かったら使って?こんなのしかなかったけど」

「あ、このキャラクター俺、好きだよ。ふふっ。ありがとう」
と彼は笑ってくれた。

私達はその後、とりとめもない話を続けた。トイレのドア越しに。
そしていつの間にか、私は眠ってしまっていたのだった。


「うーん」

瞼の裏が明るい。朝かな?
私は目を開ける。そこには見慣れた部屋の天井。
「ふぁー」
と欠伸をしながら、私はベッドから起き出した。

「さむっ!」
私は部屋の寒さに身を縮める。急いでカーディガンを羽織って、エアコンで暖房を付けた。

今日は昨日の代休。目覚ましのアラームを掛けずに寝たから、スマホを確認すると、既に朝の9時過ぎだった。

昨日は変な夢を見た。寝る前までスマホで推しであるミロ君のグループ「Nexus」のMVを観ていたからかな?

「それにしても、変な夢だったな」
と私はお得意の独り言を言いながら、ベッドを後にした。

今日は何をしようか。……別に誰とも約束はない。外に出る予定もない。

「掃除でもするか……」
クリスマスだからと言って、別に私のやる事は変わらない。
意外とそんなものだろうし、それが嫌な訳でもない。私は私だ。

「そう言えば、今日の夜は歌番組に出る予定だったよな」
と言いながら、私は「Nexus」の公式サイトで彼らが出演する番組のタイムテーブルを確認した。

推しと(テレビ越しだけど)過ごせるクリスマス、最高じゃないか。

そんな風に納得して、私は夕飯を食べながら歌番組を観る。

今日もミロ君は可愛いな……そう思いながら歌前のインタビューを受ける彼のマイクを握る手の甲をふと見ると……

「嘘……でしょ?」
と私は呟いた。だって私が夢の中でミロ君に差し出した絆創膏がちゃっかり彼の手の甲に妙な存在感を放ちながら、そこに貼られていたからだ。

「なんで?なんで?なんで?」
とテレビに問いかけても、ミロ君はMCのタレントさんと笑顔で話しているだけ。
……そりゃそうだ。

昨日のアレ……夢じゃなかったって事?
私は信じられない思いでテレビの中のミロ君をじっと見た。……答えは出ない。

「寂しい私に神様がプレゼントしてくれたのかな」

神様、もし昨日のあの不思議な時間が私へのプレゼントだったのなら……もう少し時間と場所を選んで欲しかった。
と私は心の中で神様に少しだけ文句を言った。

来年のクリスマスイブはきちんとメイクをして、ちょっぴりお洒落な部屋着で過ごそうとそう心に決めながら、私はミロ君のパフォーマンスを見守った。
今年のクリスマスは一生忘れないだろうな……と思いながら。


余談だが、あの絆創膏のせいでミロ君はちゃっかりSNSで炎上した。
あんな絆創膏、彼女がいるに違いない!アイドルのくせに!って。

……ちゃーんと人気あるじゃん!!www
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