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scene・32
しおりを挟む「部屋、決まったから」
久しぶりに顔を合わせた澄海はそう私に言った。
「そう。わかった。いつ引っ越す?」
「1週間後。配信機材もあるし、友達が手伝ってくれるって言うんだけど、家に入れても良いかな?」
「もちろんよ。……土曜日?」
私はカレンダーを見ながらそう返事をした。
最近は家に帰って来なかったからか、配信も休止していた澄海に、ファンの皆もやきもきしていた。
とりあえず、部屋が決まったのであれば、これからはまた、配信頻度はいつも通りになるだろう。
それからの1週間、澄海は毎日家に戻ってきた。
時間が許す限り2人で食事を取り、とりとめもない事をたくさん話した。まるで何事もなかったかのように。
2人とも1週間後に離ればなれになる事を感じてはいたが、お互いそれを口に出さない様にしていた。
私はこの穏やかな時間が愛しかった。
澄海の存在が、これ程自分の生活の一部になっていたことを思い知る。
たった1年にも満たない2人の生活は、私の人生のどの時間より濃く思えたのだった。
澄海は部屋を出ていく時、
「お姉さん、あの時俺を拾ってくれて、どうもありがとう。お姉さんに会わなかったら、どこかで野垂れ死んでたかも。
俺がこうやって、配信で食べて行けるようになったのも、全部お姉さんのお陰だよ」
と私に言った。
「それは君の努力だよ。私はきっかけを与えただけ。そこからは君の力。
……きっと君は成功するから。私、応援してる」
と私は握手の為に手を出した。
澄海は、
「……俺、頑張るから。だから見ててね」
と私の手を掴んで握手した。そして彼はヘラりと笑う。
……神様、どうか澄海がもっと堂々と自信を持って笑える日が来ますように……
私は彼のいつもの不安そうな笑顔を見て、心の中でそう祈った。
澄海が出て行った。
また前の生活に戻っただけ。
私は澄海が配信をしていた防音室へと入る。配信機材は撤去され、そこにはピアノだけがポツンと佇んでいた。
『ポーン』
私はピアノの鍵盤を1つ叩く。
ピアノの前の椅子に腰かけると、1度目を閉じて深呼吸をした。
そしておもむろに指を動かし、曲を奏でる。それは、あの夜……澄海が公園で口ずさんでいたあの歌。
私は自分でも何故かわからないが、微笑みながらその曲を弾いていた。
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