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scene・29
しおりを挟む澄海はフィッと顔を背けてから小さく何かを呟いたが、私の耳には届かない。
「何?何か言った?」
と私が尋ねても、澄海は無言のまま、自分の部屋へと戻って行った。
それから私達は少しギクシャクしたものの、あえてあの話には触れずに過ごしていた。
そんなある日、仕事帰りの私は、もう少しで自分のマンションに着くという所で、澄海と背の高い男性がマンションのエントランスの前で話しているのを目にした。
少し遠くからでも険悪な雰囲気が分かる。
私は自分の身を隠しながら、そちらへそっと近づく。
2人の声が聞こえてきた。立ち聞きが行儀が悪い事なのは分かっていたが、今さら明るく『ただいま』と出て行きにくい。
背の高い男性は、
「もう1度考え直してよ」
と澄海に言った。
「俺は今のままで良いよ」
「空はさ、萌に『もっと稼げる様になりたい』って言ってたんだろ?」
「それは…確かに言った。でも……」
「結局、その人と離れたくないって事なんだよな?」
「…………」
「でもさ、ずっとその人に面倒見て貰うの?それって情けなくない?」
「言いたい事は分かるよ。でも俺がグループに入ったら……この家から出て行かなきゃいけなくなるんだろ?」
2人の会話から察するに、あの背の高い男性は『モントリヒト』のリーダーなのではないだろうか?
グループに加入するように、澄海を説得しに来たと考えるのが妥当だろう。
そして、澄海がその話を渋っている理由が……まさかこの家から出たくないっていう事?まさかそんな些細な理由?
私は澄海と最初に交わした約束を思い出していた。
私が彼の面倒を見るのは、彼が自立するまで。まさか、自立したくなくて、この話を断ったの?
思わず飛び出して『そんな約束なんてどうでも良いから、その話受けなさいよ!』と言おうと一歩物陰から踏み出した時、リーダーの言葉が聞こえた。
「一応、アイドルっていうか…女性ファンが殆んどだからな、うちのグループ。女と暮らしてるってのは不味いんだ。
例えそれが彼女じゃない!って言ってもさ、ファンの子は許しちゃくれない」
「……なら、やっぱり無理。ごめんなさい、わざわざ来てくれたのに」
と言って澄海は男性に背を向けてマンションのエントランスを入って行った。
彼はその背中に、
「俺は諦めないよ!また連絡する!」
と声をかけていた。
私はその言葉に立ち竦んだ。
そっか……澄海のリスナーさんも女性が多い。そうだよな……こんなおばさんでも一応女だもんな。
なんだ。私の存在自体が澄海のグループ活動の邪魔になるって事か。
私は初めてその事に思い当たった気がした。
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