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1巻

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 私とセドリックの婚約解消はその場で滞りなく終了した。
 セドリックがやけに悲痛な顔をしているのが笑えた。どれだけ恩を売りたいのか。悲痛な思いをしているのはこの私だ。
 前世のどこかで耳にした話だが、『結婚は二番目に好きな人とした方が幸せになれる』という話を、私は真理だと思っていた。大好きな人と結婚するより二番目ぐらいが丁度良いのかもしれない。前世で大好きな夫に裏切られた私が言うのだ。説得力も増すというものだ。
 なら、王太子殿下との結婚も悪くないのかもしれない。まぁ、殿下は二番目ですらないが。今のところランク外だろうか、逆に気楽なものだ。

「一つお聞きしたいことがあるのですが」

 セドリックが殿下に向き直る。

「ロッテン子爵令嬢はどちらにお住まいになるのですか?」

 ……そう言えば聞いてなかったな。
 確か、ロッテン子爵は王都にタウンハウスを持って無かった気がする。領地は小さいながらもあるが、王都からは随分と離れていたような。

「セリーナは後宮の一室に住む予定だ。わざわざ会いに行かない限り、オーヴェル侯爵令嬢と出会う事はないだろう」

 ……安心して? わざわざ会いに行かないわよ?

「そうですか。それを聞いて安心しました。私にとってはオーヴェル侯爵令嬢が憂いなく暮らす事が望みですので」

 セドリックの笑顔が胡散臭い。

「大丈夫だ。私とて二人が不快な思いをしないよう、努めるつもりだ」

 いや普通、愛人と本妻なら、嫌な思いをするのは本妻の方でしょうに。
 話を終えた私とセドリックはそのまま退出した。やっと息がつける。

「俺は今から父の所へ向かう。とりあえずは父が宰相の地位に着くことになった。俺はその補佐にあたる。そして、一年後、俺が公爵位を継ぐと同時に宰相の地位を頂く手筈だ」

 廊下に控えていた侍女と護衛には聞こえない程度の小声でセドリックが話しかけてきた。

「……良かったじゃない。貴方の思い通りになって」
「そりゃあ、大切な婚約者を譲ったんだ。これでもまだ足りないぐらいさ」
「あまり欲をかくと痛い目みるわよ? ところで、ジュリエッタの婚約はどうなってるの?」
「もうすでに打診済みだ。数日中には成立するだろう」
「着々と進んでるのね」

 私は用意周到なセドリックを見て、呆れたように溜め息をついた。
 ジュネ公爵家とオーヴェル侯爵家には共同事業の計画がある。私とセドリックの婚姻は、云わば両家の結びつきを強固にする目的があったのだ。それが白紙に戻った今、妹のジュリエッタとセドリックの弟であるライル様との婚姻の話が代替え案として進行中だ。

「ああ。だからお前は安心して殿下に嫁げ」

 ……安心出来る要素は一つもない。家族にそこまで思い入れのない私には実家の事は二の次だ。心配なのは自分の今後。

「わかったわ。それと、これから私達は他人なんだから、馴れ馴れしく話しかけないでね」
「おいおい。つれないこと言うなよ。これからは俺は殿下の側近だ。嫌でも絡む事になる」
「只でさえお飾り王妃なんて、馬鹿にされかねないんだから、周りの貴族に隙を見せたくないの」
「わかった。でも、俺はお前から離れる気はないからな。ただ、ちゃんと立場は弁える。安心しろ。じゃあな。気をつけて帰れよ」

 そう言って、セドリックは私に背を向けて歩きだした。
 離れないってどういうこと? 意味が分からないんだけど。


 王太子宮へ向かう当日。大きな荷物は粗方先に運び終わり、あとは私が王宮から迎えに来た豪華な馬車へ乗り込むだけとなった。父は仕事、母はお茶会、妹は無関心。私の見送りは執事を始めとした使用人一同のみだった。
 家族には恵まれなかったが、使用人はちゃんと私に敬意を持って接してくれた。そうじゃなきゃ、私はもっとやさぐれていただろう。

「皆さん。今まで本当にありがとう。皆さんのお陰で心穏やかに過ごせました。感謝しています」

 つい前世の癖で頭を下げそうになるのをグッと堪えて私は笑顔で挨拶し、オーヴェル家を後にした。
 王太子宮に着くと、そこには侍女長が待ち構えていた。

「はじめまして。私は侍女長をしているシイラと申します。今からオーヴェル様に支えます侍女を紹介させて頂きたいと思います」

 そう言って、今後私に付く侍女を紹介した。総勢十名。さすが王太子妃となると侍女も多い。しかも王宮侍女は貴族の令嬢が殆んど。流石に所作も綺麗だ。

「私はクロエ・オーヴェルです。名前の方で呼んで頂いて構いません。これからお世話になります。よろしくお願いしますね」

 そう私が挨拶してると、後ろから声がかかった。

「失礼いたします」

 ……この声は……


 私が振り向くとそこには……天使がいた。
 見目麗しい私の『推し』、マルコ・リッチ様がいらっしゃった。
 リッチ様は見た目だけでなく声も素晴らしい。少し低めの良く通る声で、騎士の挨拶をとった。

「私はマルコ・リッチと申します。今日からオーヴェル様の専属護衛として勤めさせていただきます。基本的に私が主だってオーヴェル様に付く事になりますので、以後お見知りおきを」

 ……はっ! 見惚れてしまって、声が出なかった。

「お直り下さい。私はクロエ・オーヴェルです。な、名前で呼んで頂いて構いません。これからよろしくお願い致します」

 ダメだ。名前で呼んでなんて……嬉しすぎて、顔がにやけそう。しっかりするのよクロエ!

「では、クロエ様と。後程、他の護衛を紹介させて頂きます」

 ……クロエ様、クロエ様、クロエ様。よし脳内メモリーに記憶完了。
 あ~、この声で『クロエ』って呼んでもらえないかしら? ダメ? 『様』つけなきゃダメ?
 そんな煩悩を抱えながら私に用意された部屋に向かう。とても豪華だが、少し派手だった。
 ……きっとエリザベート様の趣味なのね。
 家具も高級品だし、換えてとはとても言えないわね。私の好みじゃないし、落ち着かないけど、仕方ないわ。
 侍女も本当に信用できる人を二、三人に絞りたいな。……出来れば若くない人が良い。
 アイドルや俳優が結婚すると、ファンはショックを受ける。それを見て『え? 自分が結婚できると思ってたの?』って笑う人が必ずいる。
 それは違うと私は声を大にして言いたい。別に自分がそのアイドルと結婚出来るなんて思ってない。まぁ、中には思ってる人もいるかもしれないが、少なくとも私の考えは違う。
 アイドルとしての彼が好きなのだ。結婚とか、恋愛とか、そんな生々しい彼を知りたいわけじゃない。アイドルは偶像だ。例え作られた物でもそれだけを見ていたい。
 それにアイドルは皆のものだ。誰か一人のものになった彼に興味はない。例え結婚しても、恋愛しても隠していて欲しいのだ。彼の背後にチラチラと嫁が見えたり彼女が見えたりするのは興醒めでしかない。だから、匂わせ女が嫌われるのだ。せっかく彼が隠しているものを見せつけてくる女は嫌われて当たり前だ。
 そして、そんな簡単な事もわからないような女と付き合っている彼に幻滅してしまう。
 ……何が言いたいかと言うと、美人の侍女なんかにマルコ様が私の目の前で懸想しているのなんて、絶対見たくない! という事だ。逆に、女がマルコ様に色目を使う可能性もある。それこそ絶対にダメだ。
 侍女は誰でも良いなんて言ったが前言撤回だ。侍女は出来れば美人じゃない方が良い。
 私はマルコ様と一緒にいたいが為に王太子妃になる決意をしたのだ。
 これで、私の侍女とマルコ様がくっついたりした日には、私は涙の海で溺れる自信がある。そんなピエロにはなりたくない。


 さて、翌日よりさっそく王太子妃教育が始まった。
 私を教育してくださるのは、なんとライラ妃だ。呼び出されたサロンへ向かう。
 今日、私についている侍女、名前はなんだったかしら? でもいいわ。今日限りで私の元を去ってもらうつもりだし、名前はもう覚えなくて大丈夫よね? だって、私のマルコ様に色目を使ったのよ? 信じられる? 何もないところで躓くというベタな技を使い、まんまとマルコ様に助け起こされていたの。私の目の前で。万死に値するわね。
 でも流石に死を持って償えとは言えないから、私の目の前から消えてもらうだけで我慢するつもり。私って心が広い。
 そんな事より! 早速、私にマルコ様が付いてくれている。マルコ様に守られている……なんて素敵なシチュエーション! 神様、ありがとう!
 サロンで出迎えてくれたライラ様は、なんというか……とても可愛らしい容姿をしている。大きな子どもがいるようには全く見えない。どちらかといえば、ロッテン子爵令嬢に似た感じというか。
 華奢で、守ってあげたくなる女の子って感じ。親子で好みが似てるのね、陛下と殿下。
 教え方も世代による価値観の違いなんかがなくて聞きやすい。ただ、王太子妃教育を早々に行なうという事は、もう絶対に私を逃さないぞ! と言われているようでどうしても気持ちがえる瞬間がある。
 そんな時はチラッとマルコ様を見る。マルコ様も私をジッと見てる。護衛なので当たり前なんだけど、その事だけで頑張れるから不思議だ。推しって尊い。
 今日の学習が終わると、ライラ様とお茶の時間だ。これさえも教育の一環だと私は思うけど。

「クロエ嬢は、聞いていた通り優秀ね。これなら、予定より早く教育を終われそうだわ」

 そう言ってライラ様は微笑んだ。

「ライラ妃陛下の教え方が上手だからですわ。とても分かりやすく教えていただき、感謝しております。それと、私の事はクロエとお呼び下さい」

 私がそう答えると、ライラ妃は何かを思い出すように、懐かしそうに目を細めた。
 そして、思ってもいなかった話を聞く。

「デイビットがね……婚約者は貴女が良いと言ってたの」
「え?」

 驚いたが、顔には出さないように頑張った。これも教育の一環だと思うと気を抜けない。

「でも、私はデイビット殿下とは候補者時代にはあまりお話し出来なかったと記憶しております。学園に入学して少しはその機会も御座いましたけれど……」
「ふふっ。デイビットはね、あるご令嬢がドレスを汚されて、候補者とデイビットとのお茶会の席に行けないと泣いていた時、貴女が『なら、私もドレスを汚すわ。二人なら怖くないでしょ? もし、この場に相応しくないと言われたら、その時は一緒に謝って帰りましょう? でも、きっと殿下はお気になさらないと思うの。だってこの前、殿下は木に登ってズボンを破いたけど、そのままお茶会に出席されてたわ。とても寛容な方だと思うもの』と言って、その場でドレスに土を付けていたのを見たらしいの。でも、二人は結局、お茶会には来なかった」
「……覚えていますわ。あの時、二人して汚れたドレスでお茶会の席に向かっていたのですけれど……途中である方から叱責を受けまして。仕方なく二人して帰ったのです。もちろん欠席の伝言はお願いしていたのですけれど、もしかして、伝わっていなかったのでしょうか?」

 あれは、サランドン公爵令嬢のマイラ様だった。エリザベート様のお付きの方にぶつかって尻餅をついた所が泥の上で……ドレスのお尻の部分に泥がべっとりついてしまったのよね。
 あんな所で、お付きの方が立ち止まるとは思っていなかったから、私もビックリしたわ。きっとエリザベート様に頼まれてわざとだと思うけど、お付きの方も必死に謝られて……それ以上、マイラ様のメイドも怒るに怒れなくなっちゃって。
 私はたまたま現場を見てたので、咄嗟に、私もドレスを汚したんだけど……結局、お茶会の席に向かっていたら、エリザベート様に会ってしまった。そんな汚れたドレスで殿下の前に出るなんてと、怒られたのよね。今思うと、確かに不躾であったとは思うけど、元はと言えばエリザベート様のせい。でも、あの時は二人して帰るしかなかったのよね。

「いえ。きちんと伝令は伝わっていましたよ。でも、とってもデイビットが残念がっていたの。せっかく自分の洋服も汚したのにって」
「え? 殿下が洋服をですか?」
「ええ。二人が恥をかかないようにと。自分の洋服が汚れていたら、みんな二人の事は気にしないだろうって」
「そう……そうだったのですね」

 あの時はまだ婚約者候補になって一年経つか経たないかだったと思う。私も幼かったのだ。考えが浅はかだったと今なら分かる。
 まさか殿下がそんな風に私達を気遣って下さっていたとは知らなかった。やり方は少々斜め上をいってる感じがしなくもないが、デイビット殿下らしいと言えば殿下らしい。

「その時の貴女がね、とてもかっこ良く見えたのですって。まだ九歳ぐらいだったかしら? その時から、婚約者には貴女をとデイビットは望んでいたわ」
「全く知りませんでした……」
「そうでしょうね。デイビットの願いが叶う事はなかった。確かに、サーチェス公爵令嬢ほど、後ろ楯として申し分ない子もいなかったもの。私の実家の身分が低いために、デイビットの願いを叶えてあげられなくて、あの時は本当に自分が不甲斐なくて嫌になったわ。最終的にはデイビットも婚約を受け入れたけど、きっと辛かったはずよ」

 ……私は王子妃になりたかったわけじゃないけど、デイビット殿下には良い感情を持っていた。感情をあらわにせず、腹の底では何を考えているのかわからない大人達の中で、デイビット殿下の話す言葉は信用する事が出来たから。それは恋心と呼べる程、形がはっきりとはしていなかったけど、温かい気持ちであったのは間違いなかった。
 俯いた私の目の前に、ハンカチが差し出された。顔をあげると、マルコ様が少し微笑みながら、私にハンカチを差し出してくれている。

「……デイビットの為に、涙を流してくれる人が、まだいたのね。私だけじゃなくて嬉しいわ」

 そう言われて、私は初めて自分が涙を流している事に気がついた。
 デイビット殿下が亡くなった時、心にポッカリと穴が空いたような気持ちになった。それでも涙を流した記憶はない。とてもとても悲しかった事は事実だが、私は泣かなかった。泣く資格が私にはないような気がしていたから。
 私の悲しい気持ちは、学園に入学して少しだけ近くなった距離のせいだと思っていた。

「申し訳ございません」

 私はそのハンカチで目元を拭い、ライラ様に謝罪した。感情を表に出さないという淑女の仮面をライラ様の前で外してしまったからだ。

「謝る必要はないのよ。デイビットは喜怒哀楽をはっきり出す子だったわ。今の貴女を見て、きっと喜んでるはずよ」

 それでも、失態は失態だ。

「いえ……『しっかりしろ!』と言われてしまうかもしれません」

 私は顔を上げ、淑女の笑みを作り直す。

「思いがけず、デイビット殿下のお話が聞けて、懐かしい気持ちになれました」
「こうやって、たまに私とデイビットの話をして下さらない?今は誰ともあの子の話をする事がないの。貴女が良かったら、だけど」
「もちろんです。私で良ければいつでも」

 そのまま私はお茶会を後にし、自室へ戻った。

「……貴女に辛い思いをさせて……私はデイビットに恨まれてしまうわね……」

 だから、最後のライラ様の呟きは私の耳には届かなかった。


 自室へ戻り、少し落ち着いてから、マルコ様へ話しかける。心臓が口から出そうな程緊張する。

「リッチ様。ハンカチありがとうございました。洗ってお返ししますわ」

 ……本当は返したくない。想い出の品として保管したい。現世に真空パックが出来る技術がない事が悔やまれる。

「いえ。そんな物、捨てて頂いて構いません。お役立て出来て良かったです。それと、私の事はマルコとお呼び下さい」
「……では、マルコ様と」

 きゃー! 名前呼びよ!? どうしましょう。

「いえ。是非『様』もなしで。私はクロエ様の護衛ですから」
「では、マルコと呼ばせて頂きますね」
「はい。クロエ様」

 なんだか、ふわふわして雲の上を歩いてる気分だわ……だって今まで言葉を交わした事もなかったのよ? 王家の夜会で警護にあたるマルコ様を遠くから見ているだけの存在だったのに……こんなに恵まれていていいのかしら?
 私は幸せな気持ちで一日を終える事が出来た。
 そうそう、名前も覚えなかった侍女については、早速私の専属を外れてもらった事は言うまでもない。


 私が王太子宮に来て早一週間になろうとしている。私は今、非常に困惑していた。

「で? どなたが此方こちらへいらしたと?」

 私は来訪者を告げに来た護衛に再度訊ねた。

「ですので……セリーナ・ロッテン子爵令嬢です」

 ……聞き間違いではなかったのね。
 確か殿下は『わざわざ会いに行かない限り会うことはない』そうおっしゃっていたと思うけど……何故?

「先触れもなく?」
「はい。その通りです……如何いたしましょうか」

 ここで、護衛を責めても仕方ない。

「そう……出来ればお帰り願いたいところだけれど……ここまでいらっしゃっているのなら仕方ないわね。応接室へお通しして。それと……誰か殿下へその旨を伝えに言って貰えるかしら?」
「はい。かしこまりました」
「マルコともう一人護衛を……出来ればイーサンがいいわ。それと……ナラ、あなたともう1人侍女に着いてきてもらいます」

 イーサンは私に付いてくれている護衛の一人。かなりのイケメンだ。
 ロッテン子爵令嬢がマルコ様に興味を持っては困るので、更にイケメンを用意する事にした。ちなみに、心の中ではマルコ様と呼んでいる。呼び捨てなんて畏れ多くて無理だ。
 侍女は最近、ずっと私に付いてもらっているナラ。
 ナラは母親ぐらいの年齢で、頼りになるので私はとても気に入っている。人数をある程度連れて行くのはロッテン子爵令嬢が何か言い出した時の証人になる為。
 証人は多いに越したことはない。NO! 冤罪!
 私が応接室へ入ると、そこには座ったままのロッテン子爵令嬢がいた。

「あ、どうも! こんにちは。あなたがクロエさん? はじめまして! 私はセリーナよ。よろしくね!」

 ……私が声をかけていないのに、何故向こうから話しかけるの? それに名前呼びなんて許してないわよ?
 ロッテン子爵令嬢は私の後ろに護衛の姿を認めると頬をポッと染めた。
 マルコ様じゃないでしょうね? 見ないでよね。減るから!!

「ロッテン子爵令嬢。目上の者から声をかけられていないのに、話しかけてはいけないと習いませんでしたか? それに私は名前を呼ぶ許可を出してはいません。私の事は今のところ、オーヴェル侯爵令嬢とお呼び下さい」
「えー。習ったかもしれないけど、どっちでも良くない? それに、オーヴェル侯爵令嬢なんて、長ったらしくて面倒くさーい」

 口を尖らして拗ねてみたところで、可愛いと思うのは、惚れた相手かおじさんぐらいである。私には通用しない。

「……ところで、何かご用でしょうか?」
「だってぇ。アレクに何度も紹介してって頼んでるのに、全然会わせてくれないんだもの。それに、あなたも全然挨拶に来ないし。だから私から来てあげたの」

 あんまりな言い草に、私の後ろに控えた者達から殺気を感じる。

「で、ご用は? 顔を見て満足されましたのなら、お帰り下さいませ」
「え? わざやざ来たのに酷くない? だって、私の代わりにアレクと結婚するんでしょ? どんな人か知りたいのは当たり前じゃない。でも、ごめんね。アレクが私を愛してるから、あなたは名前だけの王妃になるんでしょ? 辛いわよね。愛されてもいない相手と結婚なんて」

 ……よく動く口ね。内容は馬鹿みたいだけど。

「会話の主旨がよくわかりませんが、貴女の代わりに殿下と結婚するわけではございません。私はエリザベート様の代わりを勤めるだけですわ。それに、辛いとは? 愛してもいない相手に愛されても迷惑なだけですので、何も辛い事はございません。ご心配には及びません。それで、他にご用はございます?」
「え? 強がっちゃって……可哀想。愛のない結婚よ? 嫌でしょ?」
「私は侯爵令嬢です。元々政略結婚をするつもりでしたので、相手が代わっただけですわ。それより、先程から少し気になりました事をここでお話ししても?」
「何を? 私に訊きたいことでもあるの?」
「では……遠慮なく。淑女教育をなさっているとお聞きしておりましたが……何も身につけていない状況に、焦りをお感じにはなりませんの? もしかして、とても鈍感でいらっしゃるとか? 私なら恥ずかしくて外を歩けません。そもそも淑女教育を終えられなければ、貴女は側妃にもなれない事はご理解していらっしゃいますか? それとも、側妃になる気はないのでしょうか? だからこんな所までノコノコとおいでになって、油を売っていらっしゃるのかしら? ごめんなさいね、疑問ばかりが湧いてしまって」
「な、な、何よ! 結局、嫉妬してるんでしょ? みっともない!」
「嫉妬……。なるほど、貴女は私に嫉妬をしていますのね?」
「はぁ? 話をちゃんと聞いてた? なんで私が嫉妬するのよ! 嫉妬してるのはあなたでしょ!」
「人は言い争う時、自分が言われて嫌な事を相手に無意識に言うものです。まぁ、仕方ありませんわよね。貴女は逆立ちしても王妃にはなれませんもの。心中お察しいたしますわ。でも、こればかりは貴女にお譲りする事は出来ませんの。可能ならば、すぐにでもお譲りいたしますのに……とっても残念です」

 そこまで言って私はにっこりと微笑んでみせた。
 あらあら、真っ赤な顔して俯いたけど、今度は何を言ってくるのかしら、語彙力が無さそうだから、あまり目新しい悪口は言えそうにないけど。
 そうしていると、アレクセイ殿下が応接室に飛び込んで来た。

「セリーナ! 何故此処にいるんだ!」

 急いで来たのだろう、額に汗を浮かべている。

「アレク! 酷いの! クロエさんが私に酷いことを言ったの!」

 言いながら、ロッテン子爵令嬢は殿下の胸に飛び込んだ。

「酷いこと?」

 殿下が彼女の顔を心配そうに覗き込む。

「そうなの! 私がみっともないって」

 ……みっともないと言ったのは、そちらですけどね? もう忘れたの? 鳥頭。

「オーヴェル侯爵令嬢……それは本当か?」
「本当かと訊かれるのなら『嘘です』と答えるしかありませんが、殿下が私の言う事を信じるのか、ロッテン子爵令嬢の言う事を信じるのかは、私のあずかり知らぬ所でございます。それより殿下、不快な思いをさせぬように努めるつもりと言ったそばから、これでは……私、困りますわ。私には私の予定がございますので、ロッテン子爵令嬢をお慰めになりたいのなら、どうぞ後宮へ行かれて下さいませ。それでは、私は失礼させていただきますわ」
「ま、待ってくれないか。ちゃんと双方の話を聞きたい」

 ロッテン子爵令嬢を腕に抱き締めたまま私を呼び止める殿下……二人ともに良い顔をしようとしても難しいと思いますわよ?

「私には何も弁明する事はございません。私の発言をお知りになりたいのでしたら、この部屋にいた者にお聞き下さい」
「そんなの、あなたの従者ならあなたに味方するに決まってるじゃない!」
「ロッテン子爵令嬢の従者もいらっしゃるじゃありませんか。それに、私に付いている従者の主は殿下です。殿下に嘘をつくことはありませんでしょう。感情に任せてお話しになるより、冷静な者へ聞き取りをされる方が時間の無駄になりません。それと、私への面会は先触れを。今日は初回でしたので大目に見ましたが、二回目はありませんので、そのおつもりで。それでは、今度こそ私は失礼させていただきます」

 私はそう言い残して、部屋を後にした。


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