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1巻

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   第一章


 王宮に呼ばれ、案内された部屋に入る。並んだ錚々そうそうたる顔ぶれにひるみそうになる。
 そこには、国王陛下、側妃であるライラ妃、アレクセイ王太子殿下、私の父であるオーヴェル侯爵、そして、私の婚約者……いや、元婚約者であるジュネ公爵令息のセドリック・ジュネが私を待ち構えていた。
 こんな、入室するだけでも非常に勇気のいるメンバーが揃った部屋に一人で呼び出されることになった私の名前はクロエ。オーヴェル侯爵の長女としてこの世に生を受けた。現在二十歳。
 私には前世の記憶がある。所謂いわゆる、異世界転生というやつだ。クロエとして生まれる前、日本という国で三十三歳まで生きた記憶がある。
 前世を思い出したのは十五歳。別に切っ掛けという程ではないが、ドレスに身を包んだ自分に違和感を持った。それから、怒濤のごとく色んな事を思い出したが、それにより私の性格が変わったとか、前世の記憶で大儲けとか、そういう事は今のところ全然ない。
 前世でよく見かけた転生モノの王道である『これって、私が読んでた恋愛小説?』とか『私がはまっていた乙女ゲームのヒロイン?』とかそんな風に思う事も全くない。
 自分にも、周りの人物にも、全然見覚えがない。何かの作品に転生したのかもしれないが、私には見覚えのない世界なので、侯爵令嬢として粛々と育ってきた。
 見た目だけは『悪役令嬢』かもしれない。所謂いわゆる、クールビューティだ。黒く流れるようにウェーブした髪に少し吊り目がちな薄紫の瞳、大きな胸に細い腰、美人といっても過言ではない。前世の私は平凡を絵に描いた様な容姿だったので、この姿で着飾るのは楽しかった。何を着ても似合う。
 つまり、この呼び出しに関しても前世の記憶は頼れなかった。セドリックからこの話を前もって聞いてなければ、私は皆の前で口をポカーンと開けた間抜け面をさらすことになっていただろう。


 昨日の事だ。
 その時点ではまだ私の婚約者だったセドリックが、うちの邸へ珍しく先触れもなく訪問してきた。どうしても私の部屋で話したいという。内密な話があるらしい。

「セドリック、どうしたの?」

 私がセドリックと婚約をしたのは十五歳の時。私達は同い年だ。
 この世界の貴族としては婚約者が決まるのがかなり遅いが、そうなったのには訳がある。
 母親はどうしても私を、同じ歳の第一王子の婚約者にしたかった。
 王子妃教育を始めたのは婚約者候補になった八歳。それから七年、なかなか婚約者を決めなかった王家のせいで、私を含めた候補者は灰色の幼少期を送る事になった。
 そして王子と同じ年頃の上位貴族の男児についても婚約者を決められずにいた。釣り合いのとれる令嬢は特別な理由がない限り候補者になっていたからだ。
 ちなみに、我がオーヴェル家は私と妹のジュリエッタの二人姉妹。普通なら私が婿をとり、侯爵家を継ぐべきなのだが、母親にそっくりな妹を溺愛している父が、妹を手離す事が出来ず、まだ決まってもいない妹の婿に爵位を譲ることにした。ちなみに私は父親似。自分に似た私には興味がないらしい。別に迫害されているとかではない。家族の情はあるようだが、無関心なだけだ。
 そのような経緯があり、私は十五歳になってようやく、セドリックとの婚約が決まった。ジュネ公爵の嫡男で、次期公爵。紛うことなき政略結婚だった。
 しかし私達は意外にも気が合った。なので結婚しても上手くやっていけると思っていた。この時までは。

「王太子が婚約解消となった」
「え? まさか……」

 ここで言う王太子とは、私が婚約者候補となった第一王子のデイビット殿下ではない。私達より二歳下の第二王子アレクセイ殿下の事だ。

「そのまさかだよ」

 何故、第二王子が王太子になったのか、これには悲しい過去がある。
 第一王子も第二王子も側妃であるライラ妃の実子だ。ライラ様のご実家は伯爵家。なので後ろ楯としてはあまり強くはないため、強力な後ろ楯になりうる家門の令嬢がデイビット殿下の婚約者候補として集められた。当然、その中に私も入っていたが、結局、デイビット殿下の婚約者となったのは、エリザベート様。サーチェス公爵のご令嬢だった。
 デイビット殿下は、エリザベート様が婚約者になった事で晴れて王太子となった。
 公爵令嬢を婚約者に迎え入れて尚、少し粗野で裏表のないデイビット殿下に国王が務まるのか、心配する貴族も多かったと聞く。本人もそう思っていたのではないだろうか。
 今ではその心情を訊ねる事は出来ない。
 何故ならデイビット殿下は事故で亡くなってしまったからだ。
 王妃に息子がおらず、同じ側妃から生まれた兄は亡くなった。そのためアレクセイ殿下が王太子になるのは必然だった。喪が明けて、立太子を終えたアレクセイ殿下だったが、婚約者は不在。婚約者候補はその時点で二人に絞られていたと聞く。しかし、そこで動いたのがサーチェス公爵だ。アレクセイ殿下の婚約者にエリザベート様を据えたのだ。
 その時、アレクセイ殿下十五歳。エリザベート様十九歳。
 私とセドリックが最終学年になる年に、アレクセイ殿下は学園へ入学してきた。
 私はほとんど接点はなかったが、セドリックは何かと世話を焼いていた。デイビット殿下の親友であり側近候補だった彼は、未来の主の死により側近の道が閉ざされたにもかかわらず、アレクセイ殿下とも親しそうにしていた。
 入学後半年程経った頃だろうか、アレクセイ殿下の腕に絡み付くように歩く女生徒を見かけるようになった。しばらく経つと、何故か殿下の側近候補達もその女生徒の取り巻きに入るようになっていた。私が調べたところ、その女生徒の名前はセリーナ様。ロッテン子爵のご令嬢だ。

「(……これってもしかしてよく転生物にある王道の話じゃない? セリーナ様の容姿はピンクブロンドの髪に琥珀色の瞳。庇護欲を掻き立てる小柄で華奢な体。これぞ王道ヒロイン! という事はアレクセイ殿下がヒーローで、悪役令嬢がエリザベート様?)」

 確かに彼女なら、悪役令嬢として申し分ない。なんならピッタリだ。

「(でも待って。もしかしたら、セドリックがヒーローなんて可能性もあるのかしら? だって、セリーナ様とよく二人で話してるし。てことは……まさか、私が悪役令嬢?)」

 これまた容姿は悪役令嬢にピッタリだ。
 やっぱりこの世界も小説や乙女ゲームの中なのだろうか。
 私には見覚えのない世界なので、出来る自己防衛手段はない。どう転ぶかわからないから、ヒロイン(仮)には近付かないようにするしかないか。その時の私はそう思っていた。まさか、後にガッツリ絡むようになるとは、この時思ってもみなかった。
 閑話休題。
 セドリックから話を聞いて「まさか」と私が言ったのは、まさにこの存在があったからだ。私は心の中で、「(やっぱり断罪? って事は悪役令嬢はエリザベート様で決まりね)」なーんて思っていたのだが……

「先日の学園の卒業パーティーでサーチェス公爵令嬢から殿下へ、婚約破棄の申し出があった」
「エリザベート様から?」
「そうだ」
「それは、殿下の……不貞が原因とか?」

 私の頭の中には、殿下とセリーナ様が必要以上に仲睦まじくしている姿が容易に想像できた。

「まぁ、簡単に言えばそうだ。でもエリザベート嬢のプライドを傷つけたのはそこだけじゃない。殿下が、セリーナ嬢に『エリザベートを正妃としてめとる事は変えられないが、セリーナを側妃に迎える事は出来る』と言ったらしいんだ」
「側妃? 王太子はそう簡単には迎えられないじゃない」

 つい二人きりと言う事もあって、いつもの口調に戻ってしまう。

「そう。しかもそもそも側妃は正妃が身籠みごもる事なく三年が経過した後、議会の了承を得て迎えるものだ」
「それに、側妃でも伯爵位以上じゃなきゃダメじゃない。ロッテン様は子爵でしょ?」
「その通り」
「じゃあ何故、殿下はそんな事を?」
「セリーナ嬢のご機嫌取りだろ。どうも彼女は殿下との結婚をお望みのようだから」
「でも現実として無理じゃない」
「俺に言うなよ。聞いた話によるとだな、セリーナ嬢はその答えでも満足しなかったようだ。『私以外の人を愛するなんて、耐えられない!』と泣いてすがり、それに困った殿下が『愛しているのはセリーナだけだ。エリザベートには指一本触れないと誓おう。そして、私の愛はセリーナだけに捧げる。それに、正妃になれば、執務も増える。そういう面倒くさい事は全てエリザベートに任せてしまえば良いんだ。セリーナは私に愛されているだけで良いんだよ』とまぁ、こんな事を言ったらしい」

 なんだか微妙な声真似をしながらセドリックが話してくれたが……溜め息しか出てこない。
 私は卒業してからもヒロイン(仮)の動向には目を光らせていた。
 いつ自分が悪役令嬢ポジか、当て馬ポジに配役されるか気が気じゃなかったからだ。身に覚えのない冤罪で断罪されても困る。
 そんなヒロイン(仮)が殿下との愛を着々とはぐくんでいたのはもちろん知っていた。

「エリザベート嬢は『私はエリザベート・サーチェスです。その私をお飾りの正妃にするなど言語道断。私達の婚約については白紙に戻させて頂きます。認めて頂けないなら、殿下の不貞としてそちらの有責で破棄させて頂いてもよろしくてよ』と、堂々と殿下に啖呵を切ったんだよ」
「じゃあ、側妃云々というより、お飾りの正妃ってのが気に入らなかったわけだ」

 そりゃそうか。あのプライドの高いエリザベート様だもんな。
 でも、性格は苛烈だけれど、あの伏魔殿のような王宮では、エリザベート様ぐらいの方が、王妃として相応しいのも間違いない。特に殿下は少しお優し過ぎるたちだから。

「国王は婚約解消をお認めになったの?」
「まぁ……な。サーチェス公爵の意思も堅かったし。サーチェス公爵は宰相の座も退かれたよ」
「え? そうなの?」
「サーチェス公爵家の顔に泥を塗る行為だと、抗議の意味も込めてな」
「じゃあ、エリザベート様とは婚約解消となったのね。なら、ロッテン子爵令嬢をどこかの上位貴族の養女にでもして、王太子妃にするって事?」
「いや。王太子妃にはセリーナ嬢はならない。彼女はあくまで側妃候補だ」
「ん? じゃあどうするの?」
「王太子妃になるのは、お前だよ。クロエ」

 …………え?

「ちょ、ちょっと待って。私には婚約者がいますけど?」
「ああ、もちろん知ってる。それは俺だからな。だから、残念だが君と俺との婚約は白紙に戻る」
「何故? とお聞きしても?」

 私は軽くパニックだが、そこは腐っても侯爵令嬢、顔には出さない。

「まずは殿下の話から。さすがの殿下もあのセリーナ嬢が正妃になれるとは考えていない」

 ……だから側妃に、との話よね? それはわかる。

「本来なら愛妾程度が妥当だが、さすがに愛してる女にそれは言えなかったとみえる。で、側妃の話だ。さっきクロエが言っていたように、伯爵位をもつ貴族の養女にする話は進んでいる。しかし、条件付だ」
「条件?」
「ああ。国王陛下の体調が思わしくないのは知ってるな?」
「詳しい事はわからないけど、そのように聞いてるわ」
「当初の予定では、殿下の卒業と同時にエリザベート嬢と結婚して、一年後には陛下は退位して殿下に王座を譲るつもりでいた。しかし今回の婚約解消騒動だ。もちろんセリーナ嬢は正妃になれない」
「でしょうね。で?」

 ひとまず続きは促すが、なんとなく、話が読めてきた。

「新たに殿下の婚約者を探すと言っても、今から深い知識を必要とする王太子妃教育、王妃教育を施していくには、せめて王子妃教育が終了している者が望ましいとなったわけだ」
「その条件に合う人物は三人。でも全員婚約者がいる……そうよね?」
「その通りだ。メイナード侯爵令嬢の相手は他国の貴族。これを白紙になんてしたら国際問題になりかねないからね。そこは無しだ。で、残りは二人な訳だが……」
「セドリック。何を企んでいるの?」

 私はセドリックの話を遮って訊ねる。

「企むなんて、人聞きが悪い。俺は人助けをしたいだけだよ」

 ニヤリと笑う顔はまるで悪党だ。

「私を使って?」
「そうだ。俺は大切な婚約者を王家に差し出すんだ」
「見返りは?」
「宰相の座だよ」

 なるほど。私を生け贄にして自分は権力を得るつもりなのね。

「最低ね」
「おいおい。そんな事を言うなよ。俺だって辛いんだ」

 デイビット殿下がお亡くなりになった事で、彼は側近候補から外れてしまった。でもお父様であるジュネ公爵の財務大臣の地位には就けるはずだ。それよりも上にいきたいのね、この男は。野心家め!

「それに、エリザベート嬢の弟のレインは宰相の器じゃなかったし、サーチェス公爵の一強を王家だって内心よく思ってなかったんだから、丁度良いんだよ」
「ならば、私を使わず実力で掴み取れば?」
「クロエ。お前にとっても悪い話じゃないだろ? 王妃になれるんだぜ?」
「なりたくないわ」
「お前の両親は大賛成だとよ」

 でしょうね。父は私がどこに嫁に行こうが気にもしていないだろうし、母は私が王妃になるなら、願ったり叶ったりだ。

「じゃあ、ロッテン子爵令嬢が側妃、私を正妃にって事?」
「セリーナ嬢が側妃になるにも条件がある。彼女を養女にしても良いと言ってるのはライラ妃の親戚筋にあたるスミス伯爵だ。しかし、それには最低限の淑女教育を施してからとライラ妃が条件をつけた」
「ライラ妃が?」
「ああ。ライラ妃はセリーナ嬢を嫌ってる。しかし可愛い息子の為に、自分の親戚であるスミス伯爵を頼ったんだが、それでもこれ以上迷惑をかけたくないという思いがあるんだ。しかも期限付だ」
「その期限は?」
「今から三年。その三年の間にライラ妃が思う淑女としての合格ラインに達してなければ、養女の話も側妃の話も白紙になる」
「それをロッテン子爵令嬢は了承してるの?」
「まぁな。さすがに王妃にはなれないと理解はしているようだ。しかし淑女教育がどの程度を求められているのかは理解してないだろうな」
「私はほとんど接点がなかったからわからないのだけど、彼女はその条件を満たせるのかしら?」
「…………」

 答える事が出来ないの? なんで?

「ねぇ。私、そんな面倒事に巻き込まれるのは嫌よ。別にセドリックと婚約解消しても構わないけど、王妃になるのは荷が重いわ」
「クロエ……まぁ、お前はそう言うだろうと思ってたけどな」
「私の両親にとっても、セドリック、貴方にとっても良い話でしょうね。でも、私には何のメリットもないじゃない。馬鹿馬鹿しい」
「もちろん、お前にもメリットになる話を持ってきたさ」
「何?」
「お前の専属護衛に、マルコ・リッチを付ける」

 …………マジ?
 思わず前世の言葉使いに完全に戻りそうになった。
 繰り返すが、私には前世の記憶がある。しかしそれによって自分の生き方が変わったわけじゃない。侯爵令嬢として、貴族としての誇りを持ち生きてきた。家族にはあまり恵まれなかったが、不幸ではない。
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「な、な、なんで?」

 どうにか二人きりで話す際の口調は保てたが、動揺を隠しきれず声にそのまま表れてしまった。まさか、私の推しがバレているなんて考えた事がなかったからだ。

「好きだろ? リッチ殿の事」
「す、す、好きとかそんなんじゃな、ないけど」

 ダメだ。動揺し過ぎて、噛みまくりだ。

「隠さなくたっていいよ。クロエがいつも彼の事を見ていたのは知ってたよ」
「そうなの?」
「まぁな。で、どうだ? 専属になれば、ずっと一緒にいられるんだぞ?」

 ……推しと一緒の生活……考えただけで鼻血が出そう……でも、推しは推しだ。手が届かないから良いのだ。

「………」

 でもNOと言えない自分が憎い!

「悪い話じゃないだろ?」

 セドリックという名の悪魔が囁く。

「どうだ? お前にもメリットがある話だったろう? とにかくクロエ、俺の為に殿下と結婚してくれないか?」

 そう言った彼に私は一呼吸置いた。その手に乗ってたまるか。推しは手が届かないからこそ良い。
 だけど……

「貴方の為なんて、嫌よ。でも、私は私の為なら、殿下との結婚……考えても良いわ」

 ……くそっ! やっぱり推しとの生活を捨てきれない。

「本当かクロエ! ありがとう。愛してるよ」
「世界で一番軽い『愛してる』ね」

 私は苦笑いした。セドリックのこういうところ、なんだかんだ嫌いじゃないから仕方ない。
 お飾りの王太子妃の座を甘んじて受け入れる覚悟をしたその直後、衝撃的な事実を知らされる。

「あ、言い忘れてた。あの女は側妃にもなれない。処女じゃないからな」
「な、なんですって!? セドリック、貴方はそれを知ってて……」
「ああ。黙ってる」
「どうして?」
「言ったらこの計画はパァだ」
「王太子殿下は……」
「もちろん知らない」

 私は頭を抱えた。こんな秘密知りたくなかった。

「ロッテン子爵令嬢は王族に嫁ぐには処女じゃなきゃダメな事を……」
「知らないんだろ。だから堂々と殿下と結婚したいなんて言うんだ」
「相手が名乗り出たら?」
「名乗り出ないだろ。側近が主を裏切ってるんだから」
「相手って……」
「ジーク・ロイドと、アラン・エモニエ」

 ジーク様は近衛騎士団団長のご子息。真っ赤な髪に真っ赤な瞳が印象的だ。ロイド侯爵の次男で、王太子殿下の専属護衛に選ばれた男。そして、アラン様は宮廷医師の長であるエモニエ公爵の一人息子。そして二人とも、学園在学中、ヒロイン(仮)の取り巻き。
 王家に嫁ぐには処女でなければならない。愛妾はその必要がないが、その代わりに必ず避妊しなければならないし、万が一身籠みごもるような事が起きても、その子どもは王の子とは認められない。

「私が王妃になったら、すぐに側妃候補を秘密裏に探すわ。じゃなきゃ後継を残せない」

 私が溜め息をつきながらもそう言った。

「……クロエは子どもを作るつもりはないのか?」
「当たり前でしょ? 私は立派なお飾りの王妃になるんだから」

 そう答える私に、何故かセドリックは嬉しそうに微笑んだ。


 そうして、今日の場が用意されたのだ。
 私は重苦しい空気の中、入室しカーテシーで挨拶をしようと口を開くが、他ならぬ陛下に遮られた。

「堅苦しい挨拶はやめよう。急に呼び出す事になってすまないが、早速話をしたい。腰掛けてくれ」

 そう言われ、私はすすめられるまま、椅子に座る。

「さて、セドリックから聞いていると思うが……クロエ嬢にはセドリックとの婚約を解消し、王太子であるアレクセイと婚姻を結んで欲しい。恥ずかしい話だが、アレクセイが懇意にする令嬢が出来、サーチェス公爵令嬢との婚約が解消となった。王妃となりこの国をアレクセイと共に導いてゆくには、そのご令嬢では役不足だ。そこで、クロエ嬢であれば、その令嬢の不足分を補い、立派な王妃となる事が出来ると私は思っておる。王妃となり執務をアレクセイと共に行って欲しい。クロエ嬢は大層優秀であったと聞いておる。間違いなく良い王妃になると、私は確信しておるのだ」

 褒められてる気がしない。国王自ら遠回しに、二人の尻拭しりぬぐいをしろと言ってるのね。

「発言をお許し頂けますか?」
「もちろん。何だ」
「王太子殿下にお伺いしたい事がございます」
「私にかい? 何でも聞いてくれ」

 今まで黙って、両手を固く結び膝の上に乗せていた殿下は、この部屋に入ってから初めて楽に息が出来たような顔で私を見た。
 デイビット殿下と同じ、金色の柔らかそうな髪に綺麗な碧眼。だが纏う雰囲気はデイビット殿下のそれよりも随分と優しげだ。

「王太子殿下は私でよろしいのですか?」
「も、もちろんだ。今回は私の我が儘でこのような事に巻き込んでしまい、申し訳なく思っている。私が愛した女性は、本来なら側妃になる事も叶わない相手だ。しかし、陛下にチャンスを頂いた。だが、それでも正妃は無理だ。正妃となれる女性は限られる。知性と教養、そして身分。どれを取ってもオーヴェル侯爵令嬢なら申し分ないと思っている。私からもお願いしたい」

 ……結局私しか残ってないものね。消去法よね。

「では、私から一つ条件がございます」
「条件だと?」

 陛下の声に剣呑な雰囲気がこもる。

「……クロエ、調子に乗るな」

 あら、お父様。いらしたのね。影が薄くてすっかり忘れておりましたわ。

「お願いという形を取っているが、これを王命としても良いのだぞ」

 ああ、やだやだ。陛下ってば、結局、有無を言わせず従わせたいくせに。
 ここで私が嫌がったら困るのはどちらかしら、と思っていたら殿下が加勢してくれた。

「陛下! 私からもお願いです。今回、オーヴェル侯爵令嬢はとても難しい決断をしてくれるのです。条件の一つや二つ飲んでも良いと思っています」

 ……二つも良いの? いや、今の雰囲気で二つは無理か。

「オーヴェル侯爵令嬢。どんな条件だい?」

 王太子殿下が私の目を見て微笑む。

「王太子殿下は、サーチェス公爵令嬢にどういう正妃になるよう、ご依頼する予定でしたか? 良ければここでもう一度私にお聞かせ下さいませ」

 王太子殿下は、目を見開いて固まってる。あら? 意外だった?
 条件をのむと言ったのだから、私の願いを早く聞き入れて欲しい。
 私は視線で『どうぞ』と告げる。

「指一本触れず、執務や公務、外交などをやって貰うと。私の愛は……セリーナだけに捧げる……と」
「承知いたしました。では、それを私の条件とさせていただきたいと存じます」
「……どういう事だ?」
「今、殿下のおっしゃられた通りです。私には指一本触れないで頂きたいと存じます。私は執務、公務、外交を主たる物とした王妃の仕事のみを致します。もちろん殿下の愛は不要にございます」

 私は真っぐ前を向く。最初からそう思ってたくせに、何故そんな驚いた顔をするのか。

「それで良いのじゃな?」

 陛下が私に確認する。

「はい。私はあくまでも、エリザベート様の代わり。エリザベート様がされるはずだった事を致します。それ以上でも、それ以下でもありません。立派な『お飾り王太子妃』となりましょう」

 私はニッコリと微笑んだ。


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