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 乾杯の後は無礼講になった。
 次々とやってくる村の人達から話しかけられまくって、元々人見知りのオレは目が回りそうだ。しかも皆やたらとお酌をしたがるせいで、コップの中身を一口飲む度に中身を継ぎ足され、料理を食べる暇がない。注がれるのはうす~いビールみたいな飲み物だ。薄いけどアルコールは入ってるみたいで、大量に飲んだら酔う気がする。
 隣に座ったカレルも色んな人に囲まれて、ゆっくり食べる暇もなさそうだ。

「ちょっと! そんなにエールばっかり飲ませたらご馳走が食べられなくなるでしょ!」

 村人からのお酌を断り切れなくて困っていたオレを助けてくれたのは、大皿を運んできたイザベルだった。皿の上では美味しそうな色をしたローストチキンのようなものが湯気を立てていた。

「はい、アキオは一番良いところ」

 イザベルはナイフを使って器用にチキンを切り分け、骨付きのもも肉を木の小皿に載せてオレの方に差し出す。ありがたく受け取ると、イザベルは自分も肉を盛り付けた皿を持ってオレの隣に座った。

「ごめんね、うるさくて。みんなあなたに興味津々なのよ」

「……オレ歓迎されてるってことで合ってる? 余所者だし、嫌がられたりしてない……?」

「嫌がられるだなんて! あなたが命懸けでエラストの神様を解放してくれたんだって、皆知ってるわ。そんな恩のある人を悪く言う同胞がいたら、私がぶん殴る!」

 イザベルは力強く拳を握る。過激な発言にオレは思わず食べかけていた肉を喉に詰まらせかけた。

「ぶんなぐる!? いや、それはいいよ! 暴力反対」

「ふふ……でもそんな人はいないわよ。すくなくとも、この南の村にはいない。ファタリタで行方不明になってた人達や子ども達が無事に戻ってきたのも、あなたのおかげなんでしょう? 私からもお礼を言わせて。ありがとう……」

 深々と頭を下げられ、オレは慌てて手に持っていた肉を皿に戻して姿勢を正した。

「オレがしたことなんて、大したことじゃないよ! たまたまそういう役割が回ってきただけで……回りのみんなの助けがなかったらオレは何にもできなかった。今だって、自分の選択がベストだったのかは分からないし……」

 早口で弁解していると、イザベルが顔を上げて眩しそうに微笑んだ。

「私はあなたとほんの少ししか話していないけど、カレルがどうしてあなたを選んだのが分かる気がするわ」

「ホント? オレいまだになんでカレルがオレのこと好きになったのか分かんないんだけど……なんでだと思う?」

「あらまあ、とんでもないわね! そんなのは本人に聞きなさいよ」

 イザベルは、オレに背中を向けて男達と談笑しているカレルを指さして微笑む。

「嫌だよ。恥ずかしい! でもさ……イザベルはホントに良いの?」

「何が?」

「だから、えーっと、イザベルはカレルと将来を約束してたんだろ? だから……」

 オレが声を低くしてコソッと囁くと、イザベルはこらえきれないように吹き出した。

「いやだ! まだそんなの気にしてたの!? 良いに決まってるじゃない! アキオにはホントに感謝しかないわよ。ここは人が少ないから、若者同士をくっつけようとして、イバルみたいなオジさん連中が本っ当にうるさいの! でももうゴチャゴチャ言われずに済む!」

 イザベルは晴れ晴れと笑って、ジョッキに入ったエールを一気に飲み干した。

「あ……そうなんだ……それなら良かった」

「アキオこそ、本当にあんなので良いの? 今日だって、あなたに何の説明もなしに、舟出の宣言をしたんでしょ。どうかしてるわ! 私ならひっぱたいて断ってる。アキオも断ったって良かったのに!」

「でも最初からそうするつもりだったし……急すぎるとは思ったけど」

「そうよ! お互い気持ちは同じだったとしても、急すぎよ! 本当はちゃんと事前に贈り物をしあって、長老に日取りを相談してから、集まった皆の前で伴侶になる宣言をするものなのよ。集まる方も、二人のためにプレゼントを用意するんだから! 今日は二人が無事に戻ってきたお祝いなのに……ついでみたいに宣言するなんて、信じられない」

「や、二回もお祝いしてもらったら申し訳ないよ」

「申し訳なくなんかない! こっちはご馳走を作る機会を一回減らされてガッカリよ。最初から言ってくれてたら、もっと可愛らしいケーキも焼いたし、広場だってお花で一杯にしておいたのにっ! あの朴念仁のせいで何にもできないじゃないのっ!」

 イザベルは握り拳でテーブルを何度も叩き、恨みがましくカレルを睨んでいる。彼女の正直なぶっちゃけに、オレは思わず笑ってしまった。

「ちょっと、カレル! 聞いてる!? どうして今日宣言しちゃったのよ?」

 イザベルは背中を向けているカレルの肩を掴んでこっちに向かせた。カレルは一瞬ポカンとしてからチラッとケイラの方へ目を向け、声をひそめて

「ああ、間を置くとケイラが仕事を投げてくるだろう? 日を改めて舟出の宣言をさせて欲しいと言ったところで、のらりくらりと逃げられて、逆にそれをエサに余計に働かされかねない。今日のあのタイミングなら、絶対に拒否できないと思ったから……」

 と早口で説明した。

「呆れた。ケイラはそんな意地悪じゃないわ」

「君に対してはな」

 カレルはイザベルに向かって肩をすくめる。

 オレは酔っ払ってご機嫌になっているケイラの様子を遠目に眺め、カレルの意見に深く同意した。あの人なら「認めて欲しけりゃ働きな」とか言いそう。すごく言いそう。

「それに、宣言の後は休暇がもらえる。挨拶も祝いも、全部こもり明けにしてくれと皆に言った。君もそうしてくれ」

 後ろから抱き寄せられて、オレが訳が分からず首を傾げていると、イザベルが呆れきったように手のひらを天に向けて溜息をついた。

「あっきれた! お好きにどうぞ! アキオ、嫌なら逃げてきて良いわよ。私の家は広場の向かいの、アイリスが咲いてるとこだから!」

「余計な事を言わないでくれるか」

「言うわよ! アキオってばなんだか危なっかしくて心配なんだもの!」

「なんだか分かんないけど、心配いらないよ。イザベルの家には今度遊びに行って良い?」

「もちろん。いつでも歓迎よ」

 イザベルはニッコリ笑って、エールのおかわりを注ぎにテーブルを立った。


 イザベルがいなくなった後、オレは窮屈な腕の中で後ろを振り返って、

「ちょっと段取りが良く分かんないから説明して欲しいんだけど、この後ってどうなるの?」

 とカレルに聞いてみた。

「舟出の宣言の後、十日はこもり期間で労働が免除になる。そういう決まりになってる」

 ……また知らないルールが出てきたぞ。

「その辺のこと、ちゃんと全部教えてよ。後出しで知らされるのはもう嫌だよ」

 皿の上のパンに手を伸ばしながらそう聞くと、カレルはオレの隣に腰を下ろして肉を一枚摘まんで口に放り込み、モグモグしながら説明し始めた。

「別に難しい話じゃない。伴侶になる約束を二人で交わしたら、長老の前で舟出の宣言をする。宣言が認められたら、十日は隠り期間になるから仕事に出なくて良い。期間中、二人の間に何か不和があれば、長老に申し立てることができる。片方からの申し立てだけでも、長老が認めれば伴侶の約束を反故にできるし、十日の内に他の者から異議が出れば舟出の許可は取り消される。……昔は他の村から無理に人を奪ったりしたらしいから、そういう決まりになっているんだ」

「あ~、なるほど。略奪婚を防ぐために、強制的に猶予期間を作ってるんだ。賢いやりかただね」

「今は略奪はないかあ、単なる休暇扱いだ。急に宣言したのは悪かったが、こうでもしないと二人にしてもらえる時間がなさそうだったから……」

 カレルはそう言ってテーブルの下でオレの手を握る。オレは「十日間の休暇」の持つ別の意味に気がついて、カッと頬に血が上るのを感じた。
 誰にも会わなくて良い、二人だけの隠り期間。何に時間を費やすかは、カレルに聞かなくたって分かる。
 繋いだ手の平を親指でそっと撫でられ、コクリと勝手に喉が鳴った。


「やあ、アキオ、カレル! フロラが作ったパイはもう食べたかい?」

 微妙な緊張を破ってくれたのは、片腕にパイの入った籠をぶら下げたティトーだった。赤ん坊を抱いた金髪の女性と一緒だ。

「ティトー、その子は?」

 カレルが立ち上がって籠を受け取り、女性の腕の中を覗き込む。オレも立ち上がると、屈んで赤ん坊をよく見えるようにしてくれた。

「誰だと思う?」

「あ、さっき会わせたい人がいるって言ってたのは、この子?」

「そう。それと私の妻のフロラ。村で一番の美人だ」

 紹介されたフロラさんは、確かにきれいな人だった。すんなりした長身にラベンダー色のドレスが似合っていて、冷たく思えるくらい整った顔に柔和な笑みを浮かべている。

「はじめまして、アキオ。この子はマリーノというの。あなたは会ったことがあるはずよ」

「マリーノ?」

 フロラの腕の中で、赤ん坊はまん丸の大きな目を見開いてオレを見ている。薄い茶色の瞳に、長くて濃いまつげ。髪の毛は金色で癖があってフワフワだ。ピンク色のほっぺをつつくと、歯の無い口がニッコリとわらう。
 あどけないその顔に、わずかに既視感があった。

「もしかして……マイアリーノ……?」

 ティトーへ視線を向けると、彼は穏やかに笑って頷いた。

「そう、君とここへ一緒にやって来たあの子だよ。私たちが引き取ることになったんだ」

「ホントに!? 動物の印は……?」

「何の動物の魂を宿しているか、獣態になれるかどうかは、今の時点では分からない。分かるのは歩き出す頃だ。……例えこの子がエラスト人の特徴を持っていなくても、私とフロラはこの子を愛して育てるよ。ファタリタから子を引き取ったペアは、皆そう誓った」

 ティトーはそう言ってフロラごと子どもを抱きしめた。マイアリーノ……マリーノはよだれだらけの手で養父の頬に触り、あぶあぶと意味の無い声をあげた。
 気がついてしまえば、あどけない顔にはマイアリーノの面影がやっぱり残っていて、オレはたまらない気持ちになる。

「抱っこしてあげて」

 フロラが赤ちゃんをオレの方に差し出してくる。オレは慌てて全力で断った。

「ええっ! 無理です!」

「怖がらなくても大丈夫。首も腰ももう据わってるから」

 押しつけられて、ワタワタしながらも柔らかい固まりを受け取ると、それは腕にずっしりと重かった。
 頼りないオレの腕の中で、マリーノは大人しく茶色い目を瞬かせる。面影は確かに残っているのに、曇りのない目の奥にオレの知ってるマイアリーノはいない。

 賢くて、勇敢で、健気で愛情深かったマイアリーノ。
 オレは旅の途中、マイアリーノに何度も、何度も、助けてもらった。
 彼女は大事な仲間だった。大事なことを彼女から沢山教えてもらった。なのに、ありがとうもゴメンも、なにも言えずに別れてしまった。

 この子がマイアリーノと同じ魂を持っているのだとしても、あの賢くて勇敢で優しかった女の子は、もうこの世のどこにもいない。
 あの子は一体どこにいっちゃったんだろうと思うと、一気に目から涙が溢れた。
 彼女の魂も肉体も、今も確かにここにある。それは分かってる。でももうオレの知ってるあの子はいなくなってしまった。それがどうしようもなく悲しくて、寂しくて、涙が止まらない。

「あぅ~」

 マリーノがぷくぷくの手を伸ばして、泣いているオレの前髪を掴んだ。

「いてっ!?」

 思いがけず強い力で引っ張られて、オレはビックリして顔を上げる。

「うう~」

 唸る声が『アキオ、ちゃんとして』とオレを叱るマイアリーノの声と重なって、オレは泣きながら笑ってしまった。

 溢れる涙を赤ん坊の上に落としてしまわないように肩口に顔をこすりつけていると、カレルがオレの手から赤ちゃんを抱き取ってくれた。

「おかえり、マリーノ。よく戻ってきてくれた。また君の顔が見られて嬉しいよ」

 カレルの言葉にオレはハッとする。

 そっか。『よく戻ってきてくれた』、本当に。

 君を虐げて、不当に扱って、寂しく見殺しにしかけたこの世界に戻ってきてくれて、本当にありがとう。
 もう二度と、誰もあんな目に遭わせない。産まれ直してくれた君が幸せになれるように、君が大人になった時この世界が平和であるように、オレは精一杯頑張るよ。
 だから、ここで見てて、マイアリーノ。

「戻ってきてくれてありがとう、マイアリーノ……マリーノ、幸せになってね」

 オレが小さな手を握って言うと、マリーノはフワアと大きく欠伸をして、むずかるような声を上げた。

「あら、おねむね。じゃあ私は先に家に戻るわ」

 フロラはそう言ってぐずりだしたマリーノをカレルの腕から取り戻し、軽い足取りで広場を出て行く。オレは泣いたのを誤魔化すように、袖口で涙を拭った。

「ところでさ、マリーノ以外の赤ちゃん達はどうなってるの?」

「ほとんどは北の村に引き取られた。一番ファタリタに人を取られたのがあそこだから」

 ティトーはオレの質問に答え、ヒゲを蓄えた顎を捻って続ける。

「北の長老はファタリタと交流を絶つつもりらしいが、エラスト人の特徴が現れない子が出てくるかも知れないことを考えると、それは良くないだろうな」

「そうだな。聖都では、エラスト人に対する風当たりが強かった。今後のことを考えると、そのあたりも気をつけた方が良い。ジョヴァンナには釘を刺しておこう」

「そのあたりの交渉は君たちに任せる。私はこっちで根回しに徹しよう。マリーノがいてくれるおかげで、子どもの話はしやすいからな」

「ちょっと、アンタたち! またそんな話してるの? 今日はお祝いなんだから、キナ臭い話は後回しよ! アキオももう泣かないで」

 カレルとティトーが難しい顔で話し込むのに、ジョッキに酒を注いで戻ってきたイザベラが大声で割り込んだ。オレはイザベルが渡してくれたハンカチをありがたく借りて、濡れた目元を拭った。

「おっと、そうだった! 堅苦しい話ばかりしてしまったな。止めだ、止めだ! 楽しもう!」

 ティトーは苦笑して上着のポケットフルートっぽい横笛を取り出す。大きく息を吸い混んで、耳馴染みのない旋律を吹き始めた。演奏しながら広場の中心に出て行くと、他にも楽器を持った人達が揃って演奏を始める。
 音楽に気付いた人達が周りに集まり、繰り返すリズムに合わせて輪になって踊りだした。

 決まった振り付けはないみたいで、みんな勝手に手足を動かして踊っている。
 入ろうかどうか迷う前に、カレルに手を引かれて輪に引き入れられた。

「どうやって踊るんだよ!?」

「どうとでも!」

 手を上げたり、下ろしたり、引き寄せられたり離れたり。

 旋律が二度ほど繰り返すと、だんだんコツがつかめてきた。視線を合図にターンして、握った手の強さで踏み込むか距離を開けるかを察する。息が合うと楽しい。たまに意図を読み間違ってぶつかっても、それはそれで面白かった。

「楽しいか?」

「うん! カレルも楽しい?」

「ああ、とても!」

 引き寄せられて高く抱き上げられ、口づけられる。恥ずかしさよりも楽しさが勝って、オレは声を上げて笑いながら口づけを返した。カレルも声を上げて笑っている。

 そうして、くるくる回りなから、息が上がるまで踊った。

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