24 / 28
17.一夜の慰め-3※
しおりを挟む
ウムトは細い銀糸の間に鼻を埋めて、うっとりするような幸せと、どうしようもない寂しさに引き裂かれそうになっていた。
少し温度の低いさらりとした肌も、柔らかくはない身体の輪郭も、自分と同じように分かりやすい快楽の印も、少し意地悪で器用な手も、挑発的に動く脚も、奥にある未知の場所も、全部愛しくてたまらない。自分だけのものにして愛したい。
しかしオティアンは遠からず自分の元を去ってしまう。それが既に耐えがたい。明日の朝に別れることすら嫌だ。
一時の慰めのために相手をしてくれたことは分かっている。最初にそう言われたし、自分もそれを承知で肌に触れた。けれど、触れてしまった後は、渇きはますますひどくなった。
─ 初めて心から欲しいと思った人。触れさせてはくれるけれど、求めてはくれない酷い人。腕の中にいるのに、どこか遠くに離れているような気がする。
瞬きすると涙で睫毛が濡れた。ウムトは溢れそうな気持ちをこらえようと、すぐ目の前にある首と肩の付け根を軽く噛む。乾いた汗と、冷たい花のような香りがする。何度も食んでいると、オティアンがくすぐったげに肩をすくめた。
「こら、噛み跡を残すなよ」
「……オティアン、オレのものになって」
肩に頭をこすりつけながら甘えるように言うと、鼻で笑われて腕から逃げられてしまう。薄い毛布を羽織ってベッドの上であぐらをかくオティアンは、ウムトの目にはどんな美姫より蠱惑的に思えた。
「今夜は君のものだよ。慰めが必要になれば、いつでもここに来れば良い。次は最後までしてみる?」
「そうじゃなくて……」
一夜だけではなくて、ずっと、身体だけではなくて心ごと欲しい、と言いかけてやめる。彼の心が自分に向いてないのは少し考えれば分かることだった。
「……あなたは優しいけど、ひどい人だね。好きにさせるくせに、オレのことは好きになってくれない」
溜息と共に吐き出すと、オティアンは軽い調子で
「おや、オレも君が好きだよ。嫌な相手に触れさせるほど酔狂じゃない」
と返してくる。ウムトは恨めしそうな上目遣いで、
「そういうところがヒドいんだ」
と言いつつ、オティアンの膝に頭を乗せた。
ウムトの、甘えはするが深追いしてこない態度は、彼がこれまで諦めてきた物の多さを暗示するようで、オティアンは若干良心が痛むのを感じた。
柔らかな癖毛を撫でてやって、ベッドサイドのランプを吹き消すと、長い手が伸びてきて抱き込まれる。窮屈だが、せめてもの罪滅ぼしに今夜は大人しく抱き枕になってやろうと、軽く息をついて目を閉じた。
短い夜が明ける頃、歓楽街の広場には澄んだベルの音が鳴り響く。それに続いて、各娼家でもベルが鳴る。一夜の終わりを告げる音が、透明な夜明けの空気の中を寂しく漂っていく。
美しいベルの音は、この後も娼婦の部屋に居続ければ別料金がかかるという現実的な知らせでもあった。
もう耳慣れたその音で目を覚ましたオティアンは、腹の上に乗っていたウムトの手をどけてベッドを下り、部屋着を身につけて窓を細く開けた。冷たい風が部屋にこもった酒精の匂いと温気を洗い流していく。
「……オティアン?」
眠たげな声に振り返ると、ウムトが目を擦りながら身を起こしたところだった。
「ハディ、ウムト。朝食はどうする?」
「……腹は減ってない。それより、こっちに来て」
眠そうな顔で手招きされたが、オティアンは窓際に立ったまま笑って首を振った。
「夜はもうおしまい。君のお客人は明るくなる前に帰るみたいだよ」
窓の隙間から見えている広場では、昨夜ウムトが連れてきた客の男二人が馬車に乗り込んでいる。レムリとハリファ、アイシェが並んでそれを丁重に見送っているのが見えた。
ウムトは溜息をついてクシャクシャの髪を両手でかき上げ、昨晩脱ぎ散らかした衣服を身につけながら窓に寄った。しかし外をチラリと見ただけで閉めてしまい、オティアンに抱きつく。
「戻りたくない」
「それは困った。オレが君をたぶらかしたとムディク殿が怒るだろう」
「嘘。本当は困ってないくせに」
ウムトはむっと唇をとがらせてオティアンに口づける。オティアンが片頬だけで笑うと、溜息をついて肩口に顔を埋めた。
「嫌だな……そういう意地悪な顔も好きだと思ってしまう」
「ハハ、ずいぶん好かれてしまったね」
「オレも驚いてる。こんな風に人を欲しいと思うのは初めてだから」
切なげに揺れる榛色の目に間近からのぞき込まれ、オティアンは腹の底がくすぐったくなるのを感じた。
駆け引きができないわけでもないだろうに、何の衒いもなく真っ正直に気持ちを告げるのは若さのせいか、それともそういう性分なのか。よく躾けられた人懐こい犬のようだ。慕われて悪い気はしない。
「またいつでもおいで。この国にいる間は、オレは君のものだ」
幼い子にするように頬にキスしてやると、恨めしげに睨まれて、噛みつくように口づけられた。舌を引っ張り出されて前歯で噛まれ、口の中を滅茶苦茶に舐め回される。
朝には到底ふさわしくない口づけを解くと、唇の間には唾液の糸がかかり、二人とも軽く息が上がっていた。
「アマジヤにいる間はオレのものでいてくれると言うなら、一緒に来てよ。ずっととは言わないから、いられる間は側にいて」
ウムトは濡れた唇同士を擦りあわせるようにしながら囁く。
「どこに? 君の邸にか?」
「皇都に」
「都? どういうことだ?」
オティアンが怪訝そうに眉をひそめると、ウムトは額同士を押しつけるようにしながら囁く。
「父上の誕生を祝う祭りと、フズル兄上の出陣式があるんだ。オレも姉上も呼ばれてて、出ないわけにはいかない。だけど、気が重くて。あなたが一緒に来てくれたら、行き先が宮殿でも楽しい旅になる」
それを聞いて、オティアンの意識がパチンと音を立てて切り替わった。
ファタリタに戻る前にアマジヤの都を見たいと思っていたのだ。ウムトの誘いは渡りに船だった。出陣式もあるのなら、軍備の様子も見られるだろうから、一石二鳥だ。
「その祭りは調査船が出発する前にあるのか?」
「うん。暗黒海の調査は、父上の生誕祝賀事業の一つってことになってるから」
ウムトは憂鬱そうに溜息をこぼしたが、オティアンは内心踊りだしたいような気分だった。
「是非連れて行って欲しい。君の国の都をこの目で見てみたい」
そう言って目をのぞき込むと、ウムトは嬉しそうに頬を緩めて
「ありがとう」
とオティアンの薄い唇に自分の唇を押し当てた。
少し温度の低いさらりとした肌も、柔らかくはない身体の輪郭も、自分と同じように分かりやすい快楽の印も、少し意地悪で器用な手も、挑発的に動く脚も、奥にある未知の場所も、全部愛しくてたまらない。自分だけのものにして愛したい。
しかしオティアンは遠からず自分の元を去ってしまう。それが既に耐えがたい。明日の朝に別れることすら嫌だ。
一時の慰めのために相手をしてくれたことは分かっている。最初にそう言われたし、自分もそれを承知で肌に触れた。けれど、触れてしまった後は、渇きはますますひどくなった。
─ 初めて心から欲しいと思った人。触れさせてはくれるけれど、求めてはくれない酷い人。腕の中にいるのに、どこか遠くに離れているような気がする。
瞬きすると涙で睫毛が濡れた。ウムトは溢れそうな気持ちをこらえようと、すぐ目の前にある首と肩の付け根を軽く噛む。乾いた汗と、冷たい花のような香りがする。何度も食んでいると、オティアンがくすぐったげに肩をすくめた。
「こら、噛み跡を残すなよ」
「……オティアン、オレのものになって」
肩に頭をこすりつけながら甘えるように言うと、鼻で笑われて腕から逃げられてしまう。薄い毛布を羽織ってベッドの上であぐらをかくオティアンは、ウムトの目にはどんな美姫より蠱惑的に思えた。
「今夜は君のものだよ。慰めが必要になれば、いつでもここに来れば良い。次は最後までしてみる?」
「そうじゃなくて……」
一夜だけではなくて、ずっと、身体だけではなくて心ごと欲しい、と言いかけてやめる。彼の心が自分に向いてないのは少し考えれば分かることだった。
「……あなたは優しいけど、ひどい人だね。好きにさせるくせに、オレのことは好きになってくれない」
溜息と共に吐き出すと、オティアンは軽い調子で
「おや、オレも君が好きだよ。嫌な相手に触れさせるほど酔狂じゃない」
と返してくる。ウムトは恨めしそうな上目遣いで、
「そういうところがヒドいんだ」
と言いつつ、オティアンの膝に頭を乗せた。
ウムトの、甘えはするが深追いしてこない態度は、彼がこれまで諦めてきた物の多さを暗示するようで、オティアンは若干良心が痛むのを感じた。
柔らかな癖毛を撫でてやって、ベッドサイドのランプを吹き消すと、長い手が伸びてきて抱き込まれる。窮屈だが、せめてもの罪滅ぼしに今夜は大人しく抱き枕になってやろうと、軽く息をついて目を閉じた。
短い夜が明ける頃、歓楽街の広場には澄んだベルの音が鳴り響く。それに続いて、各娼家でもベルが鳴る。一夜の終わりを告げる音が、透明な夜明けの空気の中を寂しく漂っていく。
美しいベルの音は、この後も娼婦の部屋に居続ければ別料金がかかるという現実的な知らせでもあった。
もう耳慣れたその音で目を覚ましたオティアンは、腹の上に乗っていたウムトの手をどけてベッドを下り、部屋着を身につけて窓を細く開けた。冷たい風が部屋にこもった酒精の匂いと温気を洗い流していく。
「……オティアン?」
眠たげな声に振り返ると、ウムトが目を擦りながら身を起こしたところだった。
「ハディ、ウムト。朝食はどうする?」
「……腹は減ってない。それより、こっちに来て」
眠そうな顔で手招きされたが、オティアンは窓際に立ったまま笑って首を振った。
「夜はもうおしまい。君のお客人は明るくなる前に帰るみたいだよ」
窓の隙間から見えている広場では、昨夜ウムトが連れてきた客の男二人が馬車に乗り込んでいる。レムリとハリファ、アイシェが並んでそれを丁重に見送っているのが見えた。
ウムトは溜息をついてクシャクシャの髪を両手でかき上げ、昨晩脱ぎ散らかした衣服を身につけながら窓に寄った。しかし外をチラリと見ただけで閉めてしまい、オティアンに抱きつく。
「戻りたくない」
「それは困った。オレが君をたぶらかしたとムディク殿が怒るだろう」
「嘘。本当は困ってないくせに」
ウムトはむっと唇をとがらせてオティアンに口づける。オティアンが片頬だけで笑うと、溜息をついて肩口に顔を埋めた。
「嫌だな……そういう意地悪な顔も好きだと思ってしまう」
「ハハ、ずいぶん好かれてしまったね」
「オレも驚いてる。こんな風に人を欲しいと思うのは初めてだから」
切なげに揺れる榛色の目に間近からのぞき込まれ、オティアンは腹の底がくすぐったくなるのを感じた。
駆け引きができないわけでもないだろうに、何の衒いもなく真っ正直に気持ちを告げるのは若さのせいか、それともそういう性分なのか。よく躾けられた人懐こい犬のようだ。慕われて悪い気はしない。
「またいつでもおいで。この国にいる間は、オレは君のものだ」
幼い子にするように頬にキスしてやると、恨めしげに睨まれて、噛みつくように口づけられた。舌を引っ張り出されて前歯で噛まれ、口の中を滅茶苦茶に舐め回される。
朝には到底ふさわしくない口づけを解くと、唇の間には唾液の糸がかかり、二人とも軽く息が上がっていた。
「アマジヤにいる間はオレのものでいてくれると言うなら、一緒に来てよ。ずっととは言わないから、いられる間は側にいて」
ウムトは濡れた唇同士を擦りあわせるようにしながら囁く。
「どこに? 君の邸にか?」
「皇都に」
「都? どういうことだ?」
オティアンが怪訝そうに眉をひそめると、ウムトは額同士を押しつけるようにしながら囁く。
「父上の誕生を祝う祭りと、フズル兄上の出陣式があるんだ。オレも姉上も呼ばれてて、出ないわけにはいかない。だけど、気が重くて。あなたが一緒に来てくれたら、行き先が宮殿でも楽しい旅になる」
それを聞いて、オティアンの意識がパチンと音を立てて切り替わった。
ファタリタに戻る前にアマジヤの都を見たいと思っていたのだ。ウムトの誘いは渡りに船だった。出陣式もあるのなら、軍備の様子も見られるだろうから、一石二鳥だ。
「その祭りは調査船が出発する前にあるのか?」
「うん。暗黒海の調査は、父上の生誕祝賀事業の一つってことになってるから」
ウムトは憂鬱そうに溜息をこぼしたが、オティアンは内心踊りだしたいような気分だった。
「是非連れて行って欲しい。君の国の都をこの目で見てみたい」
そう言って目をのぞき込むと、ウムトは嬉しそうに頬を緩めて
「ありがとう」
とオティアンの薄い唇に自分の唇を押し当てた。
21
お気に入りに追加
51
あなたにおすすめの小説
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません
くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、
ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。
だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。
今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。
かーにゅ
BL
「君は死にました」
「…はい?」
「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」
「…てんぷれ」
「てことで転生させます」
「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」
BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。
【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る
112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。
第十王子は天然侍従には敵わない。
きっせつ
BL
「婚約破棄させて頂きます。」
学園の卒業パーティーで始まった九人の令嬢による兄王子達の断罪を頭が痛くなる思いで第十王子ツェーンは見ていた。突如、その断罪により九人の王子が失脚し、ツェーンは王太子へと位が引き上げになったが……。どうしても王になりたくない王子とそんな王子を慕うド天然ワンコな侍従の偽装婚約から始まる勘違いとすれ違い(考え方の)のボーイズラブコメディ…の予定。※R 15。本番なし。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる