翼の統べる国

たまむし

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15.にわか楽士

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 にわか楽士として働きだしたオティアンは、瞬く間に名を上げた。

 傷を隠すために顔の上半分を覆う仮面を付けたのが逆に客の目を引いたらしく、レムリの店には謎めいた楽士の噂に惹かれた新たな客が押し寄せた。
竪琴の腕前は聞き惚れるほどではないが、なじみのない言葉で歌われる旋律が珍しいし、まず声が良い。

 オティアンは、自分目当てに店を訪れた冷やかしの客に女をあてがうのも上手かった。
元々商売人気質なせいで、客の買う気を見極めるのも、好みを聞き出すのも得意だ。
揉め事を口先で丸く収めるのにも長けている。
時折、ほっそりとした体つきを侮られて、迷惑な客に絡まれることもあったが、そんなときは混ざり者の膂力にものを言わせて外に放り出してやった。

 客寄せ、賑やかし、用心棒、客と娼婦の仲介。
四つの役割を同時にこなせるオティアンは、娼館にとって得がたい人材だった。


 昼夜の反転した暮らしが始まり、月日は飛ぶように過ぎた。

 雪の降らないアマジヤの冬はひたすら乾燥した風と共に過ぎ、雨の季節がやってくる。
短い雨期が終われば暑さの厳しい夏だ。
チェファタルはアマジヤ領内では比較的涼しい場所らしく、毎年夏は客が増えるのだと女たちが教えてくれた。


「アンタを広間で働かせることにして大正解だったな」
 オティアンが働き始めて半年ほど経った初夏の夜更け、レムリは私室で金を数えながら上機嫌にそう言った。
休憩時間を使って雇い主の部屋を訪れていたオティアンは、視界を遮る仮面を外しながら不機嫌に唸る。

「だったら給料を上げてくれよ」
「チップでたんまり稼いでるだろ。本当なら二割は店に納めてもらうところを特別に免除してやってるんだから、十分だろ。ところで、魂の鳥は? 回復しそうか?」
「いいや」
 オティアンは疲れた顔で首を振った。

「全く変わりない。ずっと眠ったままだ。起きそうな気配がない」
「そうか……気の毒に。魂の半分が眠ったままなのは、心細いだろうな」
 レムリは金を全て金庫にしまってから、席を立ってオティアンの肩を慰めるように撫でた。

「まあね。でも、今はそれほど気に病んではいないよ。人として暮らすには何の問題もない。もう言葉もほとんど自由に話せるようになったし。暗黒海調査の話はどうなってるんだろう? なにか新しい情報は?」
 レムリはテーブルの上のグラスに葡萄酒を注ぎ、オティアンに差し出して
「南の港はもう護岸工事が済んでたぜ。今は岬に倉庫か兵舎のようなものを建て始めてる。思ったよりも、かなり大がかりな計画みたいだ。ヴィリスからどんどん人も資材も運ばれてきてる」
 と言った。

「ああ、だから最近スジの良くない一見客が来てるのか」
 オティアンはグラスを受け取りながら軽く頷く。

 土木工事のために雇われた者たちが遊びに繰り出しているのだろう。
しかし、レムリの店は高級店だ。
日銭で雑に遊べる場所ではない。
今晩も早速、女を外に連れ出そうとゴネた客がいたので、外に追い出したところだった。

「客層が荒れるのは厄介だな」
「しょうがない。しばらくの事だと思って割り切るしかない。それより、アンタ最近ウムトに会ったか?」
「いや、会ってないな……」
 塔で分かれた後、しばらくウムトは二三日おきに部屋を訪れていた。
お互いに言葉を教え合ったり、市を冷やかしたりしていたが、次第に訪れがまばらになり、最後に会ったのがいつだったのかはっきりとは思い出せない。

「一月以上お見限りなのは確かだよ。若者は飽きっぽくて薄情だね」
 オティアンが肩をすくめると、レムリは考え込むようにオレンジ色の目を細めた。

「そうか。街中でも見かけねえんだよな。前はほとんど毎日市場のどっかには顔を出してたんだけどな……。皇誕祭の話も聞きてえし、街中で捕まらないなら長官邸に忍び込むかな……」
「忍び込む? どうやって?」
「猫になりゃ簡単だよ」
「君はそうやって権力者の秘密をつかんで成り上がったのか」
「良いだろ、別に。召使いに金握らしてしゃべらすより、自分で行った方が早いし正確なんだよ」
「悪いとは言ってない。むしろ、うらやましいんだよ」
「そうでもないだろ。オレはどこへでも飛んでいける翼持ちの方がよっぽどうらやましい」
「今は飛べないけどね」
「悪い。それはそうだった」
 レムリはオティアンのグラスに葡萄酒を注ぎ足す。
濃い紫色の液体は、ファタリタ産の物よりもどっしりと重い味わいで、酒精も強い。

「これも悪くはないけれど、ファタリタの葡萄酒の軽い味が恋しいな」
 オティアンがランプの光にグラスをかざして言うと、レムリは
「オレはもうその味を忘れたよ」
 と苦く笑った。


「ところで皇誕祭って?」
 郷愁を蹴散らすようにオティアンが話題を変える。

「ああ、アマジヤ皇帝の誕生日を祝う祭りだよ。この国じゃ皇帝は神と同格だから、盛大に祭りが行われる。皇族のウムトは都に顔を出さなきゃならないから、祭りの期間は臨時の代官が来るんだよ。めんどくせぇ代官だと商売にケチ付けられかねないから、早めに情報を知っときたいんだよな」
 レムリがブツブツ言っていると、、広間の方がにわかに騒がしくなった。

 オティアンが様子をうかがおうとドアを開けると、慌てた様子の女が飛び込んできてぶつかりそうになる。

「レムリ、いてくれて良かった!」
 女はほっとした顔を見せて慌ただしくレムリを手招いた。

「何があった?」
「アミラートゥトとムディク様がお客を連れてきたの! 挨拶に出て!」
 女は早口で囁き、レムリの腕を引く。
振り返ったレムリに目で呼ばれ、オティアンは休憩を途中で切り上げることにした。




 ウムトはムディクの他に三人の客を連れてきていた。
全員身分の高そうな男だ。
レムリの判断で、広間にいた他の客たちは丁重に追い払われ、店はすぐに貸し切りになった。

「ファナ風の娼館とは珍しい。ここは殿下のご贔屓の店ですか?」
 指にいくつも指輪をはめた太った男が、やに下がった笑みを浮かべながら室内を不躾に見回している。

「女はアマジヤ人ばかりかな? おや、一人陰った肌の子がいる。おいで、私はファナの娘が好きなんだ」
 別の中肉中背の男がハリファに声をかけ、隣に座らせて馴れ馴れしく手を握った。
レムリはにこやかに客人たちの前に進み出て膝を付き、
「本日はおいで頂きありがとうございます。おくつろぎのひとときを過ごす場所として、我が館をお選び頂いたこと、大変光栄に存じます。私は主のレムリ。微力ながら、今宵皆さまが楽しい一時をお過ごしになるお手伝いをさせて頂きます」
 と丁寧に頭を下げた。

「随分若い主だな! 君自身も身を売っているのか?」
 陰気な顔をした三人目の客が嘲るように言う。
レムリはにこやかに笑って、
「お買い上げになりますか? 店の花すべてをあわせたよりも高くつきますよ」
 と返す。
客がムッとして黙り込んだのを見て、ムディクが
「ここは殿下が贔屓にしているチェファタル随一の花園です。レムリの審美眼は確かですし、酒や茶も良質な物を揃えている。ジャービト様好みの古酒もあるはずです」
 と、やんわり割って入った。
レムリの目配せで、店の中でもとりわけ若く美しい何人かの娘が男達の側にスルリと侍り、
「こちらは年代物の赤葡萄酒、あちらは今年とれたばかりの白葡萄酒、グラークの蒸留酒もございます。さ、どうぞ……」
 と、計算され尽くした仕草で杯に酒を注ぐ。
デミルと呼ばれた男はむっつり黙ったまま杯を手にする。
他の男たちは、近くに侍った女たちに艶っぽい上目遣いで見上げられ、たちまち相好を崩した。

「良き夜に」
 ウムトの一言で宴が始まる。
オティアンは目立たないよう奥の衝立の側に座って、控えめに竪琴をつま弾いた。


 そうして場が落ち着いた頃、レムリはウムトに近づき、
「接待があるなら先に知らせてくれよ! せっかく来てた客を追い返すことになっちまったじゃねえか!」
 と耳元で苦情を囁いた。

「ごめん、急に夜遊びしたいって言われたんだよ。彼らは明日本国に帰っちゃうから今晩しかなくて……。君のところしか頼れないから、ここに連れてきた。貸し切り料はあとで払うし、女の子にもチップを払うから、勘弁して!」
 ウムトは早口に事情を話す。

「本国から? 視察か? 誰なんだよ?」
「新設港の視察。肥満が建築担当大臣ムスタフ、好色がヴィリスの役人アクラム、ヒゲがフィクーフの下っ端補佐官デミル」
 最後の名を聞いたレムリは、ビクリと身体を強ばらせた。
日焼けした健康そうな顔からさっと血の気が引く。

「悪い、ちょっと用を思い出した。あとは適当にやっててくれ」
「レムリ?」
 不審げなウムトを無視して、レムリは一礼して衝立の側に下がり、衝立の前で待機していたオティアンに
「すまん、ちょっとマズい相手がいる。オレは部屋に引っ込んでるから、何かあったら知らせてくれ」
 とファタリタ語で耳打ちした。

「良いけど。マズい相手って?」
「根暗そうなヒゲ。あいつの上司とは因縁があって、見つかるとやばいんだ。頼んだぜ」
 珍しく取り乱した様子のレムリが意外だが、オティアンは平静な態度で軽く頷き、竪琴を弾き続けた。
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